SCENE 02 〈最多〉のスポット
カムヅ アヰ(かむず あい)・・・〈最速〉の称号保持者。
ボムボリ バク(ぼんぼり ばく)・・・〈最?〉の称号保持者。
クヮザン チル(かざん ちる)・・・〈最?〉の称号保持者。
「しかしマトモよ、あんなド修羅場でよく言えたもんだな。「〈最短〉が欲しい」なんてよお」
「一つしかなかったんだよミズト。オレに足りないのは決断力。分岐点を見誤らない力。これさえあれば無敵なんだよ」
「まあ、正義の次に大事かもな。ところでよ、何でお前の必殺技、最短距離っていうんだ?」
「最短経路を求める計算法を考えた学者さんの名前からとったんだ!かっこよくない?」
「てことはアレか。「ピタゴラス」!って叫んでんのと同じってことか」
「そうだよ。あ、ミズトのも考えようか?」
「……いや、遠慮しとく。人生には無駄な時間も必要なのさ」
Scene.02 最多のスポット
みなさん、初めまして。キノヱマトモです。
「初めまして」ですよ。昨日までのオレとは違うのですから。
現在七時三〇分。ミズトに引っ張られずに外へ出られたのはいつ以来でしょうか。ケトルを火にかけるのも、大きめのフェアリーパンの封を切るのも、「たらたら」せずに完遂したのです。左右どちらから靴を履くか問題なんて今のオレにかかれば些末なことです。
(後悔なんか後ですればいい)
昨日〈最短〉で出した結論は、オレに自信というものを与えてくれたようです。開き直ったのです。ミズトの役に立てたことが嬉しくて、昨日は眠れませんでした。これからもオレはミズトを助けていきたいと思います。その第一歩として、オレは今日初めてミズトの家のチャイムを押しました。
「おはようミズト!」
「え?……お?よお、マトモ……」
ミズトが驚くのも無理はありません。何せずっとミズトに手を引いてもらっていたオレが、ミズトより先に外に出ていたのですから。
世界が変わって見えるのは、オレが変わったからでしょうか。生まれ直した気分です。昨日までは障害物走のようだった通学路が、輝かしいランウェイに見えます。背筋を伸ばしたらミズトの目線に少し近づきました。
電線の上で縄張りを争うカラス。ガラス張りの高層ビル。広く深い川。目まぐるしく変わる信号機。全てオレの命を狙っているものとしか捉えられなかったのに、今はとても綺麗だと思えます。
オレたちの町、景陽市はいわゆる中核都市だそうです。駅前は商業施設が建ち並び、住宅地や学校のあたりは自然が自然のまま残っている。そういう恵まれた環境でオレとミズトは育ちました。
「いやー昨日は助かったぜ!お前が本当のヒーローだったんだな!」
ミズトは登校中ずっとオレの肩を叩きながら昨日の話をしました。しきりに彼の最上級の褒め言葉「ヒーロー」をオレに与え、いかに昨日のオレがカッコ良かったかを通学路で語りつくしました。嬉しいようで恥ずかしいようで、こういうのを「くすぐったい」というのでしょうか。
「やめてよミズト。友達なんだから、当たり前だよ」
オレはオレの最上級の言葉をミズトに渡します。
信号が青に変わったと同時に足を踏み出す。知りませんでした。前に誰もいないと風が身体に当たるんですね。
「お前本当に変わったんだな。マトモ」
ミズトはオレが人並みになったことを喜んでいます。ミズトが嬉しそうだとオレも嬉しい。
カバンの二重底にしまった‹最短›の王冠を外から撫でて、都会を見下ろしながら山道を上る。そんな毎日が今日から続いていくのだと思うと、胸が躍るというか、心が弾むというか。
ああ、そんなことを感じている間にもう学校に着いてしまった。それでは学生の本分を果たしてきます。
まともなのは名前だけ。キノヱマトモでした。
++++++++++++++++++++++++
「即決ってのは生まれてはじめてなんじゃねえか?マトモ」
昼休み、一度挫折して以来ずっと近寄れなかった「自動販売機」に再戦を挑みました。以前は選択肢の多さに卒倒しそうになることもありましたが、今のオレの敵ではありません。オレは迷わず人差し指に体重をかけました。
「前来た時は昼休み全部使ってまだ悩んでて、二度と来ねえって決めたんだよな!」
「うん、夢みたいだ」
「そんな大層なモンかよ」
ミズトは即決どころか、商品を見もせずボタンを押しました。ある程度目星はつけていたのかもしれませんが、その動作はまるで偶然手が当たったかのような軽さでした。
そのまますぐ横のベンチに腰を下ろし、オレとミズトは乾杯をしました。
喉を鳴らしながら天を仰ぐと、プラムのことが脳裏をかすめました。昨日オレたちに称号を与え、とんでもないことに巻き込んだ彼女は、今どこで何をしているのでしょうか。
と、考えているとミズトが何か言いたそうにこちらを見ています。どうやらオレが選んだ飲み物を見て訝しんでいるようです。この校内最低人気の飲み物黒酢牛乳、通称「ブラックミルク」を。
「罰ゲーム以外で黒酢牛乳飲むやつ初めて見たぜ。〈最短〉がそれにしろって答えを出したのか?」
「ううん。今回は使ってない。欲しいものを選んだだけだよ。口にしたくなるものって、その時一番不足してるものだって言うし。黒酢はアミノ酸を含んでて疲労回復効果があるし、牛乳の吸収率も上がる」
「ゴチャゴチャ考えるクセは変わってねえが、即断できるようになったってことか。大した進歩だ」
「体調は万全に近づけたいんだ。それから、缶だと捨てる場所が遠いし」
「あ」
そうです。うちの中学には、何故か缶を捨てるゴミ箱が旧校舎の1階にしかないのです。今いる場所は旧校舎から最も遠い体育館裏。ミズトは失敗したといって校内一番人気の白桃ピーチホワイトソーダ、通称「ハッピーソーダ」の空き缶を握りつぶしました。何も考えずに買った結果、ミズトはこれから盛大な回り道をしてから帰らなければなりません。もちろんオレも付き合いますが。
「アイツ、うちの生徒じゃねえのかな」
アイツとはもちろん昨日遭遇した〈最速〉のことです。
「あの倉庫が住所ってワケじゃないと思うけど、この辺の人ならうちの学校のはずだよね。私立じゃない限り」
景陽中学校は校区が広く、それゆえ生徒も多い。だから二年生になってからも知らない同級生は結構います。
「ジョドーってフインキでもなかったしなあ」
ミズトの言う「ジョドー」とは、序道大学附属中学校のことです。国内でも有数の進学校で、軍服のような制服で知られています。確かに序道中の人たちは優雅な秀才と言うか、「金持ち喧嘩せず」みたいなイメージがあるので昨日の彼とは重なりません。
「序道の人だったら、どんな称号を望んだんだろう」
「よく言うぜ。学年トップのマトモ様が」
「オレはテストで赤点取るのが怖くて闇雲に勉強してるだけだよ」
オレは入学してからずっと定期テストで学年首位を取り続けていますが、それはテストが始まる1週間前から眠れずに勉強しているからです。賢くて要領のいい人なら、きっと〈最短〉で出す答えも違うはず。そう言うとミズトは首を傾げました。〈最短〉の能力は思考過程の省略であって最良の結果を出す装置ではないのです。
「分かりやすく説明するとね」
「おお、何だそのノート」
オレは昨晩予習復習した「計算処理対応表」を開きました。考え得るすべての「たらたら」とその対処法を書き留めたもの。要するに対策ノートです。
「あのとき分かったのは称号の力は「二つ」だってこと」
「お前が言ってたやつか」
そう、称号には制限がある。恐らくバトル観賞が趣味で流血萌えのプラムが、パワーバランスを考慮した結果の制限なのでしょう。
「あいつの‹最速›の効力が「発進」と「停止」だったのに対して、オレの‹最短›は「検索」と「選択」。考えすぎる癖を治せば、もっと早くなるんじゃないかな」
「俺の‹最長›は?」
「ミズトの‹最長›は「離陸」と「着陸」。どこまでも跳んでく力と着地するときにダメージを無効化する力だよ」
倉庫を突き破ったときにも、ミズトには傷一つ付きませんでした。ただし屋根は粉々になったので、着地先には正常に衝撃が伝わるのでしょう。もしかしたら本来ミズトが受けるべきダメージも移行しているのかも知れません。
「なるほどなー。んじゃ、〈最長〉使って踏みつぶすってのはアリなのか」
「それが今のところ一番有効な攻撃手段だよ。昨日のカンジでいくと、視界から消えたようにも見せられる。〈最短〉で考えたところ技名は「オトシマエスタンプ」か「印檻」もしくは「エア・ミズト」」
「ゆっくり自分で考えさせてくれ」
「そう?あと無人島に置き去りにするってのも有効だと思うよ」
「おお、言うねえ」
自分でも驚いています。恐らく〈最短〉を使うと「甘さ」とか「配慮」とかいったものも不要なものとして切り捨てられるのでしょう。
「いつ誰が襲ってくるか分かんねえから、身に着けといた方がイイんじゃねえ?」
「そうだね。でもミズトの‹最長›のレッグバンドと違って、オレの‹最短›はクラウンだから、こんなの乗っけてたら変に思われるよ」
ミズトの足にある称号はただのサポーターにしか見えません。発動すればそれなりに装備としての形状になりますが、服を着れば隠れてしまう。対してオレの称号はどこからどう見ても王冠の形をしていて制服どころか私服にも似つかわしくないのです。王冠はダメだと明記はされていませんが、アクセサリー禁止の校則にも抵触するでしょう。
「んじゃ、学校では使えないってことか。帽子かぶったらどうだ?」
「発動するとき光るだろ。称号って。一瞬でも頭の上で光ったらものすごく目立つんじゃないかな」
「いーじゃねえかそれッくらい」
さすがヒーロー。オレなんかとは器の大きさが違います。あまり大声で‹最短›とか称号という言葉も出さない方がいいと注意もしましたが聞き流されました。
「お前が許すなら学校中に言って回りてえくらいだぜ!お前は命の恩人だ!本当にありがとな!」
ずっと守られていたミズトにこの上ないほど持ち上げられて、困ってしまいました。極度の口下手は、嬉しいときにもその気持ちを素直に表せないものです。
「やめてよミズト。と……トモダチなんだから、オレが助けたいって思っただけだから、むしろ勝手に手を出してゴメンっていうか」
「何も悪いことしてねえのに謝んなよ!お前は立派な正義の味方だ!」
正義のヒーローは快活に笑います。ミズトが笑うとオレもつられてしまうのです。
「それにしてもよ、俺の称号ってバトル向いてねえんじゃねえか?」
「そうだね。どっちかって言えば戦うよりも救出活動に向いてるかも」
危機に面したらオレの〈最短〉で活路を見出し〈最長〉で逃げる。勝てそうなら二対一で戦う。自宅で〈最短〉を使い、出した現時点での最適解です。
「つーかさ、他の称号って、奪うしかねえのか?」
ミズトのこの疑問も、既に答えを出していました。
「何をもって『剥奪』と判定されるのかは不明だけど、誰でも称号の恩恵を受けられる。貸し借りはできると思う」
この答えを聞いたミズトが次に何を言うか、それも分かっていました。
「な!一回〈最短〉貸してくれよ!」
「ダメ」
ミズトは一瞬表情をなくしたあと、理由を問いました。オレが自分の提案を否定するということが、全くの想定外だったのでしょう。オレは猪突猛進のミズトが〈最短〉を使うことと、ミズトのストッパーがいなくなることの危険性を説明しました。それが〈最短〉で得たオレの熟慮の結果であることも。
「昨日みたいに相手の正体も分からず喧嘩売って、危ない目に遭ってほしくないんだ。考えるのはオレにやらせて」
なるべく傷つけないように言ったつもりでした。ミズトはたまに暴走もしますが、紛うことなき正義の味方なのです。
「それもそうだな!よし!俺たちは、他人のためか、敵が来たとき以外は称号を使わない!そういうことにしようぜ!」
ミズトがいつもの表情に戻って安心した自分がいました。こんなことは初めてだったのです。オレはミズトのブレーキ役ではありますが、行く手を阻んだり進路を変えたりなどは決してしてはいけないのです。
話が済んだところでミズトは立ち上がり、旧校舎に向かいました。
「助けて!」
悲鳴に近い声をあげて、部室棟の方から女子が2人駆け寄ってきました。知らない顔です。多分1年生か3年生でしょう。ヒーローはミズトなのに、彼女らはオレの目を見て口早に助けを求めます。
「野球部でバクっていう1年生が暴れてるの!バットとかボールとかを部員の人たちにぶつけて!先輩の一人が血とか流してて!みんな止めてるのに止めないの!ワケわかんない!急によ!昨日までそんなことなかったのに!助けて!」
「無理」
その場が凍りました。オレも凍りました。
次の瞬間バチン、という大きな音と共にオレは横を向かされていました。顔を叩かれたのです。女子2人は「もういい!」と言って走り去りました。先生を呼びにいったのでしょう。それが最良だと思います。一般生徒2名が駆け付けたところで何ができるというのか。
感情に任せて叫んだところで、物事は解決しません。
感情を切り捨てて簡潔に答えたところで収まるわけでもありませんが。
「……何やってんだよ、お前」
ミズトの苦言は〈最短〉距離を使ったことに対してではないでしょう。オレは今、彼女たちのために称号を発動しました。
検索条件は「騒動の原因を探る時間を稼ぎつつ」「被害を最小限に留めたうえで」「丸く収まるように導く」こと。
諸々を検索し、選択したのがあの返答でした。結果、彼女らは全速力で大人を呼びに行きました。
オレは計算式に「彼女を怒らせずに」という項目を加えるべきだったのかもしれません。しかし婉曲的な表現をすると無駄な問答が生まれます。この程度で済んだことをよしとしましょう。オレの頭上のかぶりものをスルーしてくれたことも助かりました。
「いや、理屈は分かるけどよ、だからって即答はねえだろ」
「気が付いたらもう声に出てたんだよ。オレの予想通りだ。〈最短〉は最短距離で答えに辿りつくけど、必ずしも〈最良〉じゃない」
運動音痴で運動不足のオレがミズトと並んで走れているのは、〈最短〉が合理的なフォームを導き出したからです。〈最短〉の有用性がまた一つ証明されました。
「〈最高〉の選手の仲間になれるんだ!悪くねえだろ!」
部室棟の前では、穏やかでない空気が漂っていました。その中心は一人の男子生徒。彼が「バク」でしょう。荒事に慣れたミズトは手近な部員の襟首を引き寄せ、事情を聞きだしました。
部員の話では、「ボムボリバク」という名の1年生が昨日突然他を圧倒する野球の実力を見せつけたというのです。走攻守投すべて化け物並み。上手くなったとかいうレベルではなく、生まれ直したかのように。
そしてこの昼休みを使ったミーティングで横暴すぎる実力主義を提案し、逆らうものには制裁を加えていると。
「具体的には?」
「監督と主将とエースは自分、練習は自分以外は全て守備練習、、マネージャーは日替わりで登下校の荷物持ち」
「そりゃダメだな。今のあらすじ、心当たりがありすぎるなあ?マトモ」
「万年補欠が突然〈最高〉の選手に化けたわけだね。ミズト」
「行くぞマトモ!「他人のため」だ!」
大義名分を得たミズトは、〈最長〉を発動しました。ミズトを中心にまばゆい光が生まれ、次に目を開けたときにはバクの眼前へ降り立っていました。
こんな近距離で〈最長〉を使わなくても、とも思いますが、ヒーローは登場にもこだわるものです。
オレは周囲の部員全員にこの場を離れるように言いました。「今からあのイジヤフミズトが本気で暴れる。厄介ごとからは離れておいた方がいい」。みんなとても素直に受け入れてくれました。それだけミズトは有名なのです。
これで称号剥奪戦の障害はなくなりました。あとは勝つだけです。
「よお!俺はイジヤフミズト。正義の味方だ!よろしくな。バク」
名乗りを上げたミズトに対して彼ーーーバクは全力のしかめっ面を向けました。ヒーローの用件を察したのでしょう。ミズトはこの学校では有名人ですから。
「〈最高〉の運動神経が欲しい、プラムに頼んだのはそんなトコか?称号はその指輪だな」
「! まさか、お前も……!」
飛び退いたバクは、ミズトの身体を上から下まで見てレッグバンドに目を留めました。
あまりこちらの手の内をさらすべきではないと忠告しておくべきでしたが、もう遅い。自己紹介をしない正義の味方などいないのです。バクは称号を死に物狂いで守るでしょう。
「ま、まず称号の力を使ってスポーツをしようなんて考えが間違ってるぜ。安心しな。お前の称号は俺が正しいことに使ってやる」
だから称号を寄こせ、なんて言われて素直に渡すわけがありません。バクは左手人差し指を高く掲げて叫びました。
「おれがあいつに注文したのは‹最高›の野球選手だ!これがどういうことか分かるか?走攻守全てが世界一ということだ!誰もおれを止められねえ!」
さすが野球部。すごい声量です。人払いをしておいて本当に良かった。
「止められない」とのことでしたが、昨日用意した計算処理対応表には勿論〈最高〉の野球選手の対処法も記してあります。しかし、彼の場合は戦うまでもないかもしれません。
「〈最高〉の野球選手になってさ、どうしたいの?」
「あ?そりゃよ、プロになって億稼いででけえ家に住んで」
「じゃ、まず実績を残さなきゃね。野球って最低8人の仲間が必要だと思うけど、そんな態度じゃ無理じゃないかな」
「は?……な、なんだよ、お前!」
「「実力」とか「才能」って、認めてくれる他人がいてはじめて価値があるものなんだよ。世に認められない天才なんて変態と区別つかないから。試合に付き合ってくれる人がいなかったら君なんて小さい球をちょっと速く投げるのが得意な人だよ。個人競技に行けば?ああ称号は〈最高〉の野球選手だから意味ないか」
「やめろおおおおおおおおおおおおお!!!」
「戦意喪失」が〈最短〉の本領です。戦わないのが一番強い。
実際、〈最高〉を発揮して暴れられては敵わないので、ここは退かせるのが得策です。「抉るなぁお前」とミズトが感心していますが、今は黙っていてほしい。
そんなオレの狙いは、一陣の風に吹き飛ばされてしまいました。
「あ!」
空間を切り裂く音。そしてボムボリバクの短い悲鳴。その次には彼はもう〈最高〉の野球選手ではなくなっていました。
「〈最速〉……!」
見覚えのある顔が目の前に立っています。長い髪以外は微動だにしないシルエット。あのときは薄暗い倉庫でしたが忘れるわけがありません。オレが数年ぶりに睨みつけた顔なのですから。
昨日と違うのはオレたちと同じ制服を着ていること。景陽中の生徒であることが確定しました。ミズトも同じことを思ったようです。
「やっぱお前景陽中の生徒だったんだな。その指輪、返せよ」
〈最速〉はミズトの射程にいるにもかかわらず、数瞬前までバクのものだった称号を眺めています。この場の誰のことも見ていません。
無視されたミズトのボルテージが上がっていくのが分かります。
もっと哀しいのはボムボリバク。称号を剥奪され一般人に戻った彼は、完全に蚊帳の外へ投げ出されています。
「スカしやがって!オイこら!こいつは俺たちが先に見つけたんだぞ!」
ミズトが小学生のような言い分で〈最速〉との対話を試みている間にオレは考えます。迂闊に〈最短〉は使えません。称号が光った瞬間に〈最速〉で拳が飛んでくるでしょう。
実際問題、〈最速〉と〈最高〉の二つ持ちは脅威です。昨日〈最速〉の称号だけでは常人並みの攻撃しか出来ないためカウンターが可能であることを指摘しましたが、〈最高〉の野球選手になってしまった彼は遠距離攻撃を手に入れました。選択肢が増えるとオレの考える時間も長くなる。つまり〈最短〉距離で対処しきれなくなるということです。今、この場で〈最高〉だけでも取り返さなくてはならない。こうなったら対抗する手段はただ一つ――――。
ドォン!という音とともに地面が揺れました。ミズトが垂直落下踏みつけを仕掛けたようです。しかし、〈最速〉にそんな攻撃が当たるはずもありません。
「よお〈最速〉。俺は世界中の悪を潰すために称号が必要なんだ。お前にはあんのかよ。そういう信念が」
オレの胸中を知ってか知らずか、ミズトは〈最速〉の注意を引いてくれています。ミズトの攻撃手段があれしかないことを悟られる前に、オレが突破口を見つけなければ。
「おれは正義の味方が嫌いだ」
ようやく〈最速〉は口を開きました。昨日も聞いたセリフです。
「てことは悪だな覚悟しやがれ」
「おれが正義だと名乗ったところで、お前は戦いをやめるのか?」
「いいや?むしろ叩き潰すね。正義二つは戦争のもとだ」
「結局そうなるんだろう。お前は自分より強い存在が気に食わないだけだ」
「男の癖にごっちゃごちゃうるせえヤツだな!口喧嘩担当はこいつなんだよ!俺は拳で勝負だ!かかってこい!」
「うるさいのはお前の方だ」
ミズトが〈最速〉気づかれないようオレに手を差し出しました。単純な計算です。相手が称号を二つ持っているなら、こちらも二つで対抗する。でもそれは、二人でも出来ることで、ミズト一人に負わせることではありません。オレは躊躇しました。
「単細胞が〈最短〉を手にしたところで大した答えが出るとも思えないが」
「っだ――――!うるッせえ!」
パキッ
「は」
「えっ」
「あーーーーーーーーーーーーーー!!!」
〈最高〉が掌の中で砕かれました。
ボムボリバクの眼前で。見せつけるように。あっさりと。「お前には分不相応だ」というついでの言葉はトドメとなりました。絶叫するバクを横に、称号の強度を記憶するどこか冷静な自分がいます。
「おッ前なんつー事を!」
「貴様らもこうするつもりだったんだろう」
「俺たちは称号を預かって、そいつが改心したら返すつもりだったんだよ!」
「おれより酷いな」
〈最速〉は初めて表情らしいものを見せました。何かに引っ張られているかのように口角が吊り上がっています。
「他人のものを勝手に壊すのは間違ってる。俺が叩き潰してやる」
「ダメだよミズト。やみくもに突っ込まないで」
「うるせえ!「他人のため」だ!」
「誰のためだよ!」
ミズトも〈最速〉も全く退く気がありません。戦いを避けられないなら迷うことはないでしょう。オレは〈最短〉を発動し、王冠をかぶりました。
「ミズト、下がってて」
「バカ!正面からケンカしたら勝ち目ねーぞお前!俺に任せろ!」
「まだ〈最高〉を使いこなせないうちに叩く。〈最短〉ならそれが出来る」
「どっちでもいいからやるなら速くかかってこい」
戦いのゴングの前に午後のチャイムが鳴りました。
「……今の予鈴?」
「関係ねえ!それより‹最短›を俺に」
「ダメだよ。授業中は目立つ。それに……」
「あ!いねえ!逃げやがった!」
‹最速›は一瞬目を離した隙に消えていました。五限目に間に合うように帰ったのでしょうか。ひとまず助かりました。
「意外と真面目な人なのかな……」
「つーかあいつマジでここの生徒だったのか」
「一組の人じゃないかな」
景陽中学は伝統ある学舎です。一クラスしかなかった頃の校舎が南にある旧校舎。生徒が増えてから増設されたのが北にある新校舎。一階に教室があるのは旧校舎だけであるため、事情のある生徒のために各学年に一クラス、一組だけが旧校舎に設置されるのです。
「しッかし何でウチの学校はこんな変なことすんだ?毎年一組だけハブられてよ」
「車椅子の生徒とかいたら、一階の方が便利だからじゃないかな」
「それなら職員室が移動すりゃイイ。一回直談判行ってみっか!」
称号を剥奪された者の呆けた姿をしっかり目に焼き付けて、オレたちも教室に戻ります。
道すがら、ミズトは無理に明るく振る舞っているように見えました。
「ねえミズト」
「なんだよマトモ」
「さっきはゴメン。敵の前に立ってくれてるのはミズトなのに、オレは〈最短〉を渡さなかった」
「気にしてねえよ。……渡すつもりはねえんだろ?」
ヒーローは全てお見通しのようです。
前を歩くミズトの表情は読み取れません。オレは、自分の思いをどれだけ伝えられているのでしょうか。
「オレが戦えなくなるのはいいんだ。もともと力なんかないわけだし。でも、ミズトを止められなくなることが、オレは怖いんだ」
「………………」
「ミズト」
言葉を重ねるほど本心から遠くなっていくような気がします。〈最短〉でスマートな言葉を探した方が良かったのかもしれません。
「オレたち友達だよね?」
「友達なんかじゃねーよ」
ミズトはオレの野暮な質問に初めて振り返りました。一八〇度向き直り、正面から相対します。
「最ッ高の相棒だ!」
真似できない百パーセントの笑顔を見せて、再びミズトは歩き出しました。
ヒーローとして必要なものを全て備えているミズトにもし足りないものがあるとしたら、そしてそれが、オレの持ち物なのだとしたら。
オレはどうするべきなのでしょうか。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「うわあああああああああああああっ!」
深夜。物音が気になって窓の外をのぞいたオレは腰を抜かしました。
数えきれないほどの人間が家の周りを取り囲んでいたのです。何人かは門を抜けて玄関先まで踏み込んでいます。悲鳴をあげたことで居場所もバレてしまいました。周囲を確認しても抜け道は見当たりません。
バリバリと扉が壊される音がして、彼らが入ってきました。武器を持っている者もいるようです。
こんなこともあろうかと一階に仕掛けた監視カメラと盗聴器で彼らの様子をうかがいました。念のため壁と扉を全て本棚にしたので、簡単には二階には上がってこられないでしょう。ミズトの誘いを断って、放課後から夜まで工作した甲斐がありました。
彼らはお互いに会話をしていません。時折「ちるくん」と口にするのが気になります。
このことから推測されるのは景陽中学でオレの隣のクラスに在籍する「カザムチル」がオレの称号を狙って仕掛けてきたということです。可能性が高いのは〈最多〉あたりでしょうか。〈最多〉の手勢が「チル君」のために動いている。恐らく昼休みの騒ぎを見られていたのでしょう。
手詰まりです。
悲鳴を上げた時点で〈最短〉は発動しましたが、出た答えは「ゲームオーバー」でした。最初に〈最速〉と戦ったときと同じです。どうしようもないことが分かってしまった。
警察を呼んでもこの状況では無駄でしょう。
屋根に飛び移っても〈最多〉の手は街中に伸びているでしょう。
家を燃やしたって称号は残るから〈最多〉が笑うだけ。
称号を渡したところで見逃してはくれないと思います。
ミズトに助けを求めても――――――意味はない。
せめて楽な死に方を〈最短〉で検索しようか、と思ったその時でした。
下で声がし始めました。彼らが会話をしているのです。「ここはどこだ」「あなたは誰?」「なぜこんなことをしているの?」
やがて不法侵入者たちは一人残らず去っていきました。布団に隠れながら恐る恐る〈最短〉を使うと打って変わって明るい答えを提示してくれました。すなわち助かったのです。何らかの理由で〈最多〉の効力が失われたのでしょう。しかしいつまた同じ状況になるか分からないので、とりあえず移動することにしました。学校なら襲撃に備えやすいでしょう。
ミズトには朝一番に事の顛末を報告しようと思います。