出会ってしまった二人
プロローグ
雨が上がり、地面の独特な匂いがする。その匂いを無理矢理掻き消すような鉄臭い匂いが混ざる。コンクリートの独特の匂いとその場の雰囲気にあまりにも不似合いな空気は私を包む。その匂いがどこから来ているのかと、しばらく感じることのなかった好奇心が私を覆う。”その匂い”は以外にも近くにあったのだと知る。あと少し、あと少し歩けば匂いの正体がわかる。使われなくなった公民館の角を曲がり、少し歩いた場所には草原が広がっていた。そこには髪の毛の一本一本に水が滴り、黒縁の眼鏡をかけ、地面を向く一人の女性と無惨にも大動脈から雨と混ざり薄くなった血を流す男がいた。あの美しい彼女の眼には何が写っているのか、男が血を流して倒れているという不思議な光景には気にも留めず、ただ、美しい彼女に夢中にさせられた。
完璧
私には家族がいる。6歳になり、中間反抗期を迎えたばかりで、なかなか自分とは話をしてくれない娘と、私などの身に余るほどの美人の妻である。妻は家事全般を全てこなし、完璧と言って良い。完璧な妻というのは自己主張が強く、完璧主義であるが故に、何かと口うるさいイメージがあるが、彼女の場合は穏やかな性格でいて、時々優柔不断な一面がある。娘の面倒も家事をこなしながら見てくれている。私は彼女に負担をかけさせないように休日には家族で公園に出かけるなどの家族サービスをする事で、夫婦喧嘩は無く、幸せな家庭を築き上げている。夫婦喧嘩をしないというのは、決して、互いの意見を出すのに遠慮し合っているわけでもない。かと言って、夫婦の口数が少ないわけでもない。不思議な事に彼女の意見には毎回説得力があり、反論する余地などはないのだ。
新商品の開発による多忙な時期が終わり、毎週恒例の家族サービスをした日だった。私は会社での疲れを家庭には持ち込まず、仕事は仕事、家庭は家庭といったメリハリをつけていた。公園に来ているのだから、家の中ではできない遊びをする。妻や娘と触れ合うのは多忙な日を生きる上で私を癒す、唯一の方法だ。家族サービスをするのには娘と妻との関係を深め、娘が成長して行くのを実感すると共に、疲れを取ってもらうという、多少身勝手な理由も含まれていた。
突然のスコールに見舞われ、屋根付きのベンチで雨宿りをしていた頃、尿意を感じ、公園内にある公民館近くのトイレを利用した。鼻を突くような在り香を感じ取った。鉄である。鉄と同じ匂いを嗅ぎ取ったのである。それも鼻の近くに寄せなければ嗅ぐことのできない、小銭のような匂いだ。普段から嗅ぎ慣れない匂いに私は興味を持った。”その匂い”は以外にも近くにあったのだと知る。あと少し、あと少し歩けば匂いの正体がわかる。使われなくなった公民館の角を曲がり、少し歩いた場所には草原が広がっていた。そこには髪の毛の一本一本に水が滴り、黒縁の眼鏡をかけ、地面を向く一人の女性と無惨にも大動脈から雨と混ざり薄くなった血を流す男がいた。あの美しい彼女の眼には何が写っているのか、男が血を流して倒れているという不思議な光景には気にも留めず、ただ、美しい女性に夢中にさせられた。しばらくの間、時が止まった。静寂をぶち壊したのは女性だった。