ハングマンズノット
死のうと思った。
生きているのがつらかった。
死んでしまえば、もうこれ以上辛い思いをせずに済む。そう思っていた。
理由はありふれているんだろう。あえて言うまでもなくいじめだ。誰も気づいてくれないし、気づいたとしても、見て見ぬふりをする。誰も彼もがいじめを恐れて、その主犯格を恐れて、見て見ぬふりをする。誰だって、自分の身がかわいい。
教師も保身ばっかり考えている。親にも相談したけれど、よくあることだ、気のせいだろう、それより学校に行きなさい。そんなことばかりだ。挙句の果てにはいじめられる側が悪いとまで言い出した。
私は悪くない。絶対、悪くない。そりゃ、気に入らないことの一つや二つあるかもしれないけど、私は悪くない。その程度で、どうして上履きがなくなる? 机の上に花を置かれる? 体操服にカッターの刃を入れられる? カツアゲされる? 売春を強要される? そんなことがあってたまるもんか。私は悪くない。100パー、いじめっ子が悪い。
もう、いやだ。生きているのに疲れた。逃げてるだとかなんだとか、そんなことを言われようが知ったことか。どうせ、言われるのは死んだ後なのだ。そんなもの、どうでもいい。今すぐ、苦しみから、解放されたい。それも、楽な方法で。
みんな心配してる? 迷惑をかける? 知ったことじゃない。少なくとも、私が心配することなんかじゃない。それだけは確かだ。反省してる? 友達になりたかった? そんなこと、どうだっていい。死の間際にしか手を差し伸べない友情なんて、友情じゃない。だったら、もっと早く助けろよ。あんたたちが生きようが苦しもうが、死ぬ人間に関係あるわけないじゃん。
死んでしまえば、苦しみから解放される。それがすべてだ。だから死ぬ。そこに異論も反論も認めない。あんたたちなんかに、私の気持ちがわかるわけがない。
できるだけ、楽な方法で死のう。そう思った。飛び降りは嫌だ。高い所は怖い。何度も突き落とされた記憶がよみがえるから。
電車も嫌だ。痛いのはもう嫌だから。これ以上、もうつらい思いはしたくない。怖いことをしたくない。死ぬのに苦しみたくなんかない。
リストカットもやめた。ネットで、リストカットでは死ににくいって聞いた。もっと確実に、楽に死ねる方法じゃなきゃ嫌だ。
紆余曲折の末、睡眠薬で死ぬことにした。アルコールを取ると肝臓の働きがどうのこうので死にやすいらしい。確か、父親がここぞという時に飲むウイスキーがあったはず。それをあおろう。
その結果、算出した睡眠薬の必要量は60錠。5ダースだ。それくらいあれば、足りるはず。
万が一にも止められてはならない。そうしたら、死ぬことすら許されなくなる。逃げ道をふさがれる。だから、死ぬその瞬間まで、悟られちゃいけない。睡眠薬を買うとしても、薬局で自殺することがばれてはいけない。
だから、薬局は1ダースごと、5軒回ることにした。多少遠くもなるが仕方ない。そう思っていた。
馬鹿だった。回る件数が増える分、知り合いに遭遇する確率は上がる。そのことも考えておくべきだった。唯一救いがあるとするなら、同じ高校じゃないことか。小中と同じだったが、高校になって疎遠になった。そんな関係のやつだ。
「あれ、西本? なんでこんなところに?」
「え、えっと、ちょっとね、それより、増田こそ、どうして?」
できることなら、隠し通したい。増田とはそこそこ仲良かったけれど、進学校に行ってからは連絡とってなかったから、隠し通したい。まあ、怪しまれたくはないけど。
「僕は、処方箋を受け取りに。高校入ってから睡眠薬が手放せなくなってね。ちょっと恥ずかしいけど」
「そっか。そりゃ大変だね」
それだけ言って愛想笑いを浮かべる。出来ることなら、気づかれる前に、ここを後にしたい。ここはまだ2軒目だから。そう思っていた。だけど。
「あれ、西本も睡眠薬買ったのか?」
「え、あ、うん。ちょっとね」
買い物袋の中をのぞかれる。そうだ、こいつはこんな感じで空気を読まないやつだった。
「人の中見ないでよ」
そう言って増田の元を離れる。誰にも、死ぬまで、知られるわけにはいかない。知ってしまえば、止めようとするだろうから。ちょうど呼ばれたので睡眠薬を受け取りに行く。
「死ぬ気なのか」
耳元で囁かれてぞくっとした。いつの間にか近くに立って、私の手元を見ている。
バレた。
いや、まだ、そうと決まったわけじゃない。かまをかけただけかもしれない。睡眠薬を飼っていたから自殺だなんて安易な発想だ。それに、増田も睡眠薬を受け取りに来ていた。隠し通せるはず。
「え、なんでそんなこと聞くのさ?」
「さっきから顔が青ざめてる。それに、そのビニール袋、他の薬局のものだ。わざわざ別のところで同じ薬を買う理由なんて、その薬を大量に購入したことを知られたくないから以外にない。違うか?」
「な、え、でも、そう。そうよ、最初の薬局には1ダースしかなかったの」
「薬局には1ダースしか薬がないなんてことはありえない。特殊な薬ならともかく、睡眠薬くらいグロス単位であるはずだ」
だったら、どうすればいいっていうんだ。知られるわけにいかないのに、なんて言えっていうんだ。増田は何も考えずに死ぬのを止めに来るだろうし、死なせてくれないじゃないか。どこまで私を苦しめれば気が済むんだ。
「あんたに、あんたなんかに、何がわかるのよ」
「さあな、とりあえずここは人の目がある。場所を変えないか」
そう言えば、ここは薬局だった。
もう、何にすがればいいんだ。死んで楽になろうとしてもそれすら許されないなんて。私は、何をすればいいんだ。何をさせる気だというんだ。もう嫌だ。苦しみたくない。痛い思いは、怖い思いはしたくない。もう、何が何だかわからない。
「全部、ぶち明けてくれてかまわない」
公園に連行されたところで、増田は言った。犯されるのかと思ってしまった。もう、自棄だった。
「別にいいでしょそれくらい! 私が死のうがどうしようが私の勝手でしょうが! なんなのどいつもこいつも私を苦しめて、好き勝手していじめて! 自殺すらさせてくれないの! あんたはそうやって私を止めようとするの! 私の気持ちなんてみじんもわからないのに! あんたにはわかるの! 虫の味知ってるの! 吐きそうになるくらい苦いんだよ! 生理的に無理とか言われて、洗面台の中に顔突っ込まれて溺れさせられたことがあるの! 大っ嫌いな男に無理やり犯される痛みがあんたに分かるの! いじめられるってどいうことなのかあんた知ってんの! わかるわけないでしょ! わかるならわかるって言って見なさいよ」
いつの間にか両目から熱いものが零れだしていた。そうだ、わかるはずなんかないんだ、絶対。いじめを受けたことがないやつに、いじめられっ子が悪いなんてそんなこと言う権利なんてないんだ。死にたいなんて言葉を否定する資格なんてないんだ。わかるわけがあるか。わかってたまるか。
「そうだよな、わかるわけ、ないよな」
「ほら、あんただってそうやって自殺の邪魔を……、え!?」
聞こえてきた言葉に一瞬ぼうっとする。それを補うかのように、増田は語った。
「わかるわけない。所詮、いじめなんて他人事だもんな。他人の苦しみがわかるくらいなら、いじめなんて最初からないわけだし」
え、どういうことなの。こいつは、私を、止めようとしないの。自殺するのを、普通は止めようとするよね。こいつは一応元クラスメイトだし、そこそこは親しかったんだから。
「死にたいなら、死ねばいい。そうだよな。自分の問題なんだし。一番大切なのは自分自身なのに、その本人が死にたいなんて意思を無視してまで生きろなんて、それは周りのエゴだよな。優しさじゃなく、ただのエゴだ。本人の意思を無視した、な。そう思うよ」
「増田は、何が言いたいの?」
こいつは、自殺を肯定してるの? 普通なら、死ぬなと言うのに。増田は、何を言っているのだろうか。自殺しても構わない、と?
そうか、増田は見逃してくれようとしてるんだ。そう思うと、少しだけ心が落ち着いた。人を信じることを、少しだけ思い出したかもしれない。
「西本は、いじめられてるのか?」
その言葉に、小さくこくんと頷いた。また涙が止まらなくなる。もう泣かないって決めなくちゃ。なんども、そう決めたはずなのに。
「いじめは、なくならないよな。僕のクラスにもあるよ。いじめをしてるやつは楽しくて仕方がない。だから、いじめようとする。そこに、被害者の意思は関係しない」
「あいつらに、私の思いがわかるわけない」
「そうだな。それに、いじめが見つかったとしても、別の新しいいじめが始まるだけだ。主犯格だけが叩かれて、他はなかったことにされる。当然、獲物に植えた加害者たちは次の獲物を探す。悪循環だ。全部が晒されない限り、例えば被害者が自殺して公にでもなるか、それ並に大きな出来事でも起きない限り、いじめが終わるなんてことはない。そして、被害者だけが貧乏くじを引かされる。死ぬ以外に、道なんてなくなる」
増田は、淡々と語っていた。そうだ、死ぬしか、楽になる方法なんてないんだ。そうだよ、それを否定して、それでも私に生きろなんて、どうかしてる。
「いじめを受けたことがない僕が言えた義理じゃないかもしれないが、そういうものだよな」
そうだ、そういうものだ。いじめはなくならないし、そこから逃げようと思えば死ぬしかない。視野狭窄なんて異論は認めない。死ぬ以外に楽になる方法などないのだ。
「増田は、増田は死にたいってことを否定しないの?」
「そうだな。否定はしたいさ。でも、結局、人間は自分が一番大事だよ。本人が悩みに悩んだ挙句、その上で出した結論なら、それを尊重するべきだろう。それを否定するなんて、ただのエゴだ」
ポーカーフェイスを気取ってはいても、増田は辛そうだ。でも、それが何になる? 私が死んで、誰かが悲しんだところで、死んだ私に何の得になる? 何にもならないじゃないか。だったら、おとなしく死なせてくれ。
「ただ」
やっぱり、あんたまで、あんたまで私を否定するのか。私を楽にさせてくれないのか。
「ただ、ブロチゾラムはやめとけ」
そう思っていたところに帰って来たのは予想外の返答だった。
え?
「睡眠薬はやめとけ。酔い止めで耐性ができてることがある。西本は車酔い結構したよな。ならやめとけ。途中で飲みきれなくなるかもしれないしな。それに、万が一死にぞこなった時の後遺症がやばすぎる。最悪意識だけ残って体は動かない。死にたくても死ねない状態になるぞ」
増田から聞かされたのはそんな台詞だった。どうやら増田は私に助言をしてくれてるらしい。
「それと、練炭もやめとけ。途中で体は動かないのに意識だけ残って苦しむことになる。後遺症も酷いしな。それと、水死も苦しむからおすすめはできない」
「それじゃあ、どうしたらいいっていうの?」
「おすすめは首吊りだ。あっという間に意識を失う。睡眠薬も併用すれば楽かもな。ハングマンズノットって結び方がある。教えようか?」
「あ、ありがと。よく、そんなの知ってるね」
そう言うと、増田は苦笑で返した。
「昔、荒れててな。自殺系サイトに入り浸ってたことがあって、それで」
笑えるはずなんてなかった。そんなブラックジョーク、ブラックすぎる。でも、無理やりにでも笑った方がいいような気がした。
「それじゃあ、ホームセンターにでも行くか。ロープが切れちゃ大変だからな」
その笑顔を、あいつがどうとったのかは知らない。
家に帰って、増田から教えられた内容を思い出す。ハングマンズノットの結び方だ。あいつはこう言っていた。
『まず、わっかを作る。長い方と短い方。短い方は50センチくらいかな。それを10センチくらいのところで折り返す』
そう言いながら、あいつは手本を見せた。こうだ。3重になる場所ができる。これであってる。次は、どうだっけ。
『折り返したら、こんな感じで、わっかの上端からくるくるくると、6周くらいかな。これはドラマとかで見覚えがあるんじゃない。それで、最後に』
そう、この形だ。確か、増田の雑学曰く、処刑人の結び方。確かに、見覚えのある形だ。
『最後は、余った先をくるくるくると巻いたわの中に突っ込んで、長い方を引っ張れば完成。天井に結ぶ方は普通の片結び2回もしくは3回でいいんじゃないかな』
「出来た」
形は完璧に、増田に教えられたとおりだった。それを、鴨居に3回結びつける。完成だ。
ロープは増田が選んでくれた。ちぎれにくいロープだ。思いっきり引っ張ってみたが、ちぎれる様子など、みじんも見せなかった。時間も大丈夫だ。親も帰っては来ない。帰って来たときにはすでに私は死んでいる手はずだ。
椅子をセットする。睡眠薬2ダースを水で飲みこんだ。クラっというめまいに一瞬襲われる。
本当に、これでいいんだろうか。そんなことが頭をよぎる。別れ際の、増田の寂しそうな表情も。あいつは、本当は私に死んでほしくないのではないのだろうか?
いや、そんなことどうでもいいんだ。そうだよ、今まで何度騙されたんだ。何度、情にほだされて痛い目を見てきたんだ。そうだよ、そんなの今考えることじゃない。私はもう苦しみたくはないんだ。人間なんて自分本位。他人のことなんて知ったことじゃない。
遺書は書いていた。いじめを苦に自殺する。そんな陳腐な内容だ。でも、それで十分だ。
涙が出そうになる。泣きだしそうになる。でも、もう泣かないって決めたんだ。楽になりたいんだ。そうだよ、もう、いいじゃない生きるのは。
覚悟を決めて、椅子を蹴る。
『大体30秒くらいで意識を失うらしい』
最後に私の頭の中をよぎったのは、増田からの助言だった。
さやさやという風の音がする。
え!?
一番最初に思い浮かんだのは、困惑だった。私は、死んだはず。首を吊ったはず。それなのに、どうして音が聞こえるんだ? 死んだはずなのに。
はっとする。瞼が動く。手も、足も、体に力が入る。これはなんだ。どういうことなんだ。私は死んだはずじゃなかったのか。
「あ、佐奈! 起きたの!」
視界を取り戻すと、そこには両親がいた。すごく心配したようにこっちを見ている。ここは、まさか病院なのか。
「佐奈! 無事でよかった!」
父親が心配そうにこちらをのぞき込むがすぐにぼやけた。
流さないと決めた涙が零れ落ちていた。
心配なんてことはどうでもよかった。ただ、私の頭の中にあったのは一つだけだった。
死ねなかった。確実に死ななきゃならなかったのに、死ねなかった。ただそれだけだった。
医者が来て、いろいろと質問された。警察も来た。そして、両親から事の顛末を聞かされた。
私の自殺は、失敗したらしい。そう悟った。
私が自殺を図った日、母親が帰宅すると私は首にロープを巻いたまま倒れていたらしい。ロープは呼吸を圧迫するほどではなく、結んでいたところも解けていて、私は眠りこけていたらしい。母親はすぐに警察に通報、私は一命をとりとめた、らしい。
親は、何度も私に謝っていた。佐奈、辛い思いをさせてごめん、軽く見ていてごめん、気づかずにいてごめんと。違う、そんなことが聞きたかったんじゃない。私が聞きたかったのはそんな言葉じゃないんだ。ただ、辛いときに寄り添ってほしかった。私の仲間になって欲しかった。味方だって言ってほしかった。私が望んだのはそんなことじゃなかった。でも、わかるはずもなかった。
警察や、学校からはいじめのことを聞かされた。私が受けた仕打ちはどう考えても犯罪レベルであること。よって、主犯格たちは全員つかまり、少年院送りになるだろうこと。見て見ぬふりをしたクラスメイト達も、お咎めを受けて、罰なしなんてことにはならないだろうということ。担任が懲戒免職になったこと。教育委員会が動いたこと、校長他私の通う高校の教師すべてが何らかの処分を受けるだろうこと。
そんなことを、ぼーっとしながら聞いていた。私が欲しかったのは、あいつらへの罰じゃなかった。ただ、楽になりたかった。それだけだった。あいつらがそうなって当然だという思いはある。でも、私はそれを望んだわけじゃなかった。ただただ、楽になりたかった。死にたかった。それだけだったんだ。
名前を変えるように勧められた。転校するよう勧められた。復讐してくるやつがいるかもしれないから。有名人になってしまったから。ほとぼりを醒ますように言われた。
どうでもよかった。死ぬと決意したのに、死にたいと心から願ったのに、死ねなかった。死にぞこなった。それだけがすべてだった。そのことしか、頭になかった。他のことは、どうでもよくて、ただ虚無感だけが私を満たした。
死ねなかった理由は、簡単だった。結び方が間違っていたのだ。あの結び方じゃ、最初に折り返した部分がすっぽり抜けてしまう。そう、あとで知った。最後に通す部分が違った。ハングマンズノットは未完成だったのだ。あの結び方なら、死ねるはずがなかった。増田は、嘘を教えたんだ。
どうして、嘘を教えたんだろう。そう思って、はたと気がついた。
『例えば被害者が自殺して公にでもなるか、それ並に大きな出来事でも起きない限り、いじめが終わるなんてことはない』
そう、増田は言っていた。私はこれを、死ぬしかないという意味で取った。けれど、増田の本心は違ったのだ。つまり、自殺に準じること、つまり自殺未遂でも、いじめは終わる。そういうことだったんだ。
増田は私に生きていて欲しかったんだ。そう思う。でも、私は死ぬつもりをしていて、それはいじめが原因だった。だから、その原因をなくそうとした。でも、いじめをなくすには大きな事件が必要で、なおかつ、私は死ぬ意思を固めていた。誰が見ても自殺を図ったとわかる状況にあって、そして、なおかつ私を死なせないようにしなければならなかった。その結果が、あのハングマンズノットもどきだったのだと思う。
不思議と、増田を恨む気にはなれなかった。たぶん、増田だけは、私のことを理解できないとわかった上で話を聞いてくれたからだと思う。代わりに残ったのは、『どうして』の4文字だった。
どうして、私を生かしたのか。どうして、私を生かそうと思ったのか。死なせてくれなかったのか。あいつなら、死にたいという気持ちを否定しないあいつなら、わかってくれると思っていたのに。
会いたいと思った。直接会って、話をしたいと。どうして、私を生かしたのか、その理由をあいつの口からききたいと思った。でも、それはできそうになかった。
「あの、増田君って今どこにいるかわかりますか?」
「ああ、彼ね。彼は、ちょっと今、面倒なことになっていてね」
警察の人は言った。
「彼は今、自殺幇助罪に問われているんだ」
あいつは、檻の中にいた。
しばらくして、私は退院した。もともと体の方は別に異常はなかったのだ。後遺症もなかった。問題にされたのは、私の精神状態の方だった。
面倒な手続きは母親が全部やってくれた。こういうところは腐っても親なんだなあと思い知らされた。
もう二度と死のうとするんじゃないと言われた。どうでもよかった。重要だったのは、私は自殺に失敗した、それだけだった。その結果いじめがなくなって私に非日常が訪れたところで何かがあるもんか。
何も気力が起こらなかった。死ぬ気力でさえ。死にたい、楽になりたいと思ったはずなのに、心の底から願ったはずなのに、何だが自分がばらばらになってしまったみたいだった。
もし、一つやりたいことがあるとすれば、増田に会うことだった。増田に直接会って、問いただしたい。何もやることがなくなって、その思いは日に日に強くなっていった。そして、私はその話を聞いた。
警察の人によると、増田は厳重注意で、不起訴処分になるらしかった。理由としては、罪状がなかなか罪に問いにくいということ、それから、本人が反省していること、また、緊急避難に該当するとかそんな話だった。
そっか、増田は罪に問われないのか。そう思うと、何かほっとしたような気がした。あいつが嘘を吐いたのはたぶん私に生きていて欲しいからで、そのためには仕方なかったことなんだろう。なぜか、増田には罪に問われて欲しくなかった。
増田が釈放される日、私は拘置所まで出かけていった。平日だったけど、学校はゴタゴタあってまだ通ってなかった。
増田は、いつも通りひょうひょうとしている、ように見えた。
「ごめん」
第一声がそれだった。
「違う! 私はそんなことが聞きたかったんじゃない!」
そうだ、私は謝って欲しかったんじゃない。ちゃんと説明してほしかったんだ。どうして私を生かしたのか、その理由を説明してほしかった。それだけだ。
「ごめん、エゴだって知ってるけど、それでも西本に生きていて欲しかったんだ!」
「違う! 私が聞きたかったのはそうじゃない!」
そう叫んだ。なんで、増田! あんたまで、そうやって謝ってくるの! 謝ればすべてが許されるっていうくらいに。そんな言葉が欲しいわけじゃない。そんな言葉が欲しくて自殺を図ったわけじゃない。
「そうか、そうだよな。楽になりたかった、ただそれだけだよな」
そう言うと、自嘲気味に増田は笑った。
「ねえ、増田。教えてよ。なんで、なんで私を生かしたの? 非難はしないから、ちゃんと説明してよ」
「説明責任を果たせ、か。そうだよな。いいよ、教えるよ」
そう言って増田は近くのベンチに座り込む。隣を開けてここに座れとでもいうみたいに。
「別に、西本のことが異性として好きだとか、そういうわけじゃないんだ」
それは、何となくわかっていた。たぶん増田のこれは言うなれば、なんてことない誰にも向けられるような優しさなんだろう。私一人に向けられたものじゃない。でも、それでも温かいものは温かい。
「それに、西本に生きて欲しいってのが、僕のエゴでしかないことも知ってる。西本の意思を無視して生き続けさせるなんて、ただのエゴだって。だけど」
結局、増田は最後まで、涙を流すことはなかった。
「だけど、それでもさ、知り合いが、誰かが死ぬなんてことは、悲しいことなんだよ」
完