1.
その男と三日連続して出会ってしまった。
一回目は土曜日の夜、塾が終わり自転車で家へ急いでいる時だった。
十月に入り随分と日が暮れるのは早くなり、午後九時を回ると住宅街はかなり暗い。
街灯に照らされた道路を見ると、赤い染みが転々と続いている。
自転車を走らせていると、前方に雫を垂らしながら歩いている大きな男が見えた。
「大丈夫ですか?」
怪我をしているのかと思って思わず声をかけた。
大男が振り返る。いかつい顔と鋭い目の男だった。そして、白い半袖のシャツの前は真っ赤に染まっていた。
「何でもない」
男は早足に去っていった。
あれほどの出血をしてあの動きができるはずはない。
あれは他人の血に違いない。
私はあまりのことに、自転車を止めその場で呆然としていた。
二回目は翌日の日曜日、本屋の帰りに寄ったファストフードの店。
本はゆっくりと選びたいのでいつも一人で出かけている。新作のパイとコーヒーを頼んで買ったばかりの文庫本を読んでいたら、こんな店には不釣り合いの大柄な男三人組が入ってきた。その中の一人が昨夜出会った血だらけの大男だった。
もちろん怪我をしている様子はなく元気そうだった。
顔を見られないように俯いていると、男たちは後ろの席に座った。
「殺し」
「銃」
「血だらけ」
「目撃者」
所々聞こえてくる言葉はものすごく不穏だった。とても堅気とは思えない。
私は目立たないように顔を下げたまま息を潜めて本を読んでいた。楽しみにしていた小説なのに、頭に全く入ってこない。
三人の男が出ていって初めて息ができたような気がした。
私はその夜、近くで殺人事件が起こっていないか検索したがヒットしなかった。
そして、今日は月曜日、転校生として紹介されているのはあの大男だった。
とても高校二年生とは思えない大柄な男は、乾明と名乗った。二文字なので簡単だろうと口角を上げるが目は笑っていない。その鋭い目は私を見ていた。
幸い私の席は前から二番目、隣が空いているなんてことはなく、乾明は一番後ろに机と椅子を置いてそこに座った。
しかし、ものすごい視線を感じる。振り返るとやはり乾明がこちらを睨んでいた。
乾明の意図がわからない。もしかして殺人を目撃されたと思って探りに来たのだろうか。
しかし、初めて会ったのは土曜日、それから私の通っている高校を調べて月曜日に転校できるとは思えない。
たまたま転校したところが私の通う高校の私のクラスだったのだろうか。
それならばなぜ、乾明は私を睨んでいるのだろう。
たまたまこのクラスへ転校してきて、私に出会ったから?
私は逃げ出した方が良いのか、学校にいた方が安全か思案していた。
私が通っているのは普通の県立高校。偏差値は真ん中ぐらい。本当に目立たない学校だけど、セーラーの制服が可愛いと評判になっている。私も家が近かったのと合わせて可愛いセーラー服が着たくてこの高校を選んだ。
冬服も白い色で青い襟、学年ごとに色が違うリボンが可愛い。小柄な私には似合っていなこともないかなと自分で思っている。
男子は普通の学生服で、乾明には全く似合っていなかった。初々しさのかけらもない。
家に帰る言い訳も思いつかず下校時間になってしまった。
授業内容は全く頭に入っていない。とにかく駅前にある塾に行って今日の復習をしようと校門を出ると、乾明が待っていた。
「佐々木さん、話がある」
私の名前は佐々木結奈、乾明は間違いなく私を待っていた。
断れるものなら断りたい。しかし、乾明の鋭い目がそれを許さなかった。
周りを見渡しても知り合いはいない。
逃げても運動音痴の私ではすぐに追いつかれてしまう。
そして、家を知られてしまったら逃げようもない。
私は乾明の意図を知るために話しをすることに同意した。
私が頷くと乾明が歩き出した。私は後に続く。
駅の方に向かって歩いて行くので、通行人が増えていく。乾明は人より頭一つ分高く、私は頭一つ分低い。
見失うことはないけれど、後についていくのが辛くなってきた。脚の長さの違いは如何ともし難い。
私は諦めて立ち止まろうとしたら、乾明が振り返って開いていた距離を一気に縮めた。
「佐々木さん、ごめん。俺は早く歩きすぎた。早く話をしたくて焦ってしまった。隣を歩いていいかな」
乾明は私が逃げようとしたことがわかったようにそう言った。
私は頷くしかなかった。
「駅前のハンバーガーショップでいいかな?」
それは昨日乾明に会った店だった。
もう二度とその店に行くことはないかと思っていたのに、翌日に行くはめになってしまった。
「おごるからなんでも好きなものを言って」
乾明は店に入るとそう言うが、今日クラスメートになったばかりの乾明におごってもらうのは嫌だった。ただより怖いものはない。
「自分のものは自分でお金を出します」
私がそう言うと乾明は少し残念そうにしていた。
私はバニラシェークを頼んで席に座る。
乾明はボリューム満点のハンバーガーセットを頼んでいた。
夕飯に障るのではないかと思ったけれど、私が心配するることではないので黙っていた。
「土曜日の夜会ったよね」
乾明はいきなり核心に迫ってきた。
私は答えに悩んだけれど誤魔化し切る自信がなかったので、小さく頷いた。
「変だと思ったでしょう?」
そりゃ血だらけで歩いていたら、変に思う。
「まあね」
どう答えていいのかわからないので、曖昧に返事した。
「あれは忘れてほしいんだ」
眼光鋭く乾明はそう言った。とても嫌だと言えない。そして、私も忘れたい。もしかして被害者がいるのかもしれないけれど、そんなことを追求して私が被害者にはなりたくない。
「わかった。忘れることにする。話しはそれだけ?」
まだシェークは残っているけれど、歩きながら飲めばいいかと店を出ようとした。
「待って、俺と付き合って欲しい」
睨みながら乾明がそういった。とても告白する雰囲気ではない。私の監視のために付き合おうとしているのだろうか。
私は乾明の真意がわからず、思わず頷いていた。
「本当にいいのか?」
驚いたように乾明が言う。
「断ったほうが良かったの。それなら断るわ」
私は席を立とうとした。
「待って、断らないで欲しい」
「はぁ」
私は曖昧に頷いた。
「塾があるからもう帰るね」
シェークを飲み終わって私は席を立った。乾明は大きなハンバーガーと大量のポテトを完食していた。
「送っていく」
乾明も席を立とうとした。
「塾はこの近くだから大丈夫」
私はカップをゴミ箱に捨てて店を出ていった。