6、箏の音色
心の琴線に触れる、とはよく言ったものだ。
花娘達が奏でる弾き物の調べを聴いて、"習うなら箏がいい"と私は迷わなかった。
爪弾いているのは目の前の絹糸であるのに、自分の心と対話しているように思う。
まだ本調子ではないと。
弾き慣れている曲であっても、音が堅いのが分かる。
伸びやかに、遠くまで。
己の心の音を、響かせるようにーー。
ふ、と耳に残る余韻を確かめる。重なり合う音色、響きあう最後の一瞬を聴く。
この子達にも伝わるだろうか。姉姫から花娘へ、暗に継がれてきた想い。
箱庭に咲く花や、硝子鉢の金魚の様な暮らしをしていても、"心だけは自由"だという誇り。
かつての姉姫達が奏でる調べは、見よう見まねで弾いたところで、真似できるものではなかった。
それでも、いつか"自分の奏でたい音"が自在に弾ける日が来る事を願い、箏に向かう。
「やっぱり恋文…じゃなくて、藍花姉様にとって良い文でした?」
望美と美月に覚えてもらいたい二重奏を中心に、練習していたのだけれど。急な話題に戸惑い、つい問い返す。
「どうして?」
「病み上がりなのに、時々キラキラしてるというか…フワフワしていました」
「…調べに波があったのね。今度は気を付けて弾き直すから、どこか教えてもらえる?」
「え〜と、そういう意味じゃなくて…」
「望美が言っているのは、箏の音色?藍花姉様の表情を見ていたのでしょう?」
美月の発言は助け舟だったのかもしれないけれど、流石に演奏中の自分の表情は確かめようがない。
…今度、畳に懐中鏡を置いてみようか?
「美月も、そう感じたのね?」
「はい。何となく、ですけど。」
いい機会、そう思い居住まいを正す。
手紙の内容、両親のこと。二人はどんな反応をするだろう?
「…二人に、お話があります」
「「……はい」」
対照的な見た目と性格なのに、こういう時は双子らしく声と動きが揃う。
「私が伏せっている間、二人宛に匿名で届いた晴れ着は…貴方達の両親からの贈り物。華姫:胡蝶蘭だった、千鶴姉様の見立ての品です。
中でも、桜楓文様の帯は季節を問わずどんな着物にも合わせられる柄なのよ?
私がもらった文には、"気に入ってくれるといいのだけれど"と控えめに書かれていたわ。
それを知らずに見た時も、私の目にはとても楽しかった。二人で一揃いのお人形に…」
「藍花姉様っ!その文、私達にも読ませて頂けますか!?」
「贈り物……胡蝶蘭…母様から、どうして?」
…見えて、と言えなかった。
身を乗り出すような勢いで、望美に続きを遮られ。片や、呆気にとられて不思議そうな美月。
語る順番を間違えてしまったよう。
聞けば、自分達が胡蝶蘭の娘だと幼い頃から耳にしていたと。私がかつて胡蝶蘭付きの花芽であった事も。
"華姫の恋物語"は皆知っているけれど、誰に聞いても自分達の出生が含まれていないので、"羅甲屋の若旦那"は父ではないだろうと考えていた事。
「…藍花姉様が一度も口にしない事だったので、聞けませんでした。」
「そもそも"胡蝶蘭付きの花芽"だったっていうのも、伝え聞きで…」
ね、と顔を見合わせる二人。
私と同じ年頃の花娘は殆どが八年前に流行った水疱が元で、亡くなっている。幼い花芽達は症状が軽くて済んだ病。
他に当時を知るのは、嫁いだ姉姫達くらいだろうか。
「…そうね、"胡蝶蘭付きの花芽"であったのは七つの時から三年だけ。千鶴姉様は病弱だった私にも、とても優しくしてくださったのを覚えてる。
今はもう外へ嫁いだ方でも、華姫なら文を誰に宛てても良いでしょう?
近頃益々、二人が千鶴姉様と千亀様に似てきた事や、息災である事を文で伝えたの。」
「私達"名前も揃いの双子だ"と言われた事もありました。常連の方からは、胡蝶蘭の面影がある、とも。」
「…私達、性格と色は正反対だけどね?」
クスクスと美月が肩を揺らす。
舞い手を勤めた宴で、母似だと言われた事が望美には嬉しかったよう。
「…千鶴姉様は、白金の髪に空色の瞳。千亀様は、黒髪に深緑の瞳。二人とも顔立ちは千鶴姉様譲りだけど、半分ずつ似ているのよ?
望美は千鶴姉様より色味の濃い蜂蜜色の髪に千亀様より淡い瞳の色だし、美月は千亀様譲りの黒髪に、千鶴姉様より濃い蒼玉の瞳だから。」
「…もっと早くに、藍花姉様に聞いておけば良かった。」
「寝てる望美を眺めれば、殆ど母様って事ね?」
お互いの頬に手をやり、確かめ合うように見つめ合う二人。
「…そう、花娘が語り継ぐ恋物語の二人が貴方達の両親。千鶴姉様が懐妊の折には、身請けの話は決まっていたわ。
ただ、外に嫁ぐ前に二人はここで産まれた。花街で産まれた者は花街の者。見世の者の処遇は、主人が決めるものなの…」
途端に、向き合っていた二人の表情が凍り付いてしまった。そこからは努めて静かに、過去の出来事をとつとつと口にする。
「…あの頃、花紋の品を贈られたばかりの姉姫達が居て、皆胡蝶蘭を頼りにしていたの。
宴での華姫としての振舞いや、昼の奏に舞いの出来…花街一の胡蝶蘭に、教わる事が沢山あったのでしょうね。
千鶴姉様も自身も、身重の身体が落ち着く頃に嫁ぐから、と。」
ーーーあの時は笑っていて。
変わらず責任感が強くて、皆に優しくて。時折、幸せそうにお腹を撫でていた。
告げられていた月よりも早く産気付き、母となった胡蝶蘭。双子の女児が生まれ、一時は騒然とした華苑。
ここで産まれたからには"羅甲屋の娘"ではない。"花街の者"だ、と皆の前で告げた楼主。
華姫としての最後の勤め、花嫁行列でも千鶴姉様は、雨に濡れた花のようだった。
双子を乳母に託してからというもの、はらりはらりと零れる涙が止まる事はなく。
千亀様から贈られた純白の花嫁衣装に身を包んで、華姫:胡蝶蘭は花街の外へ嫁いでいったのだ。
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・箏→13弦で、柱を立てて爪で弾いて弾く。竜に似せて作られている。合奏用に17弦、20弦、30弦もある。
・琴→7弦で左手で弦を押さえ、右手で弾いて弾く。
どちらも中国大陸から伝わった楽器で、流派は生田流、山田流があるそうです。日本での一般的な"こと"は箏の方なんだとか。
一度は触れて……どうせなら弾いてみたいです。