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螢の小夜曲 *奏姫*  作者: 如月 宙(そら)
・:*+.月下美人の奏姫.+*:・
5/34

5、深更の往訪

深更(しんこう)往訪(おうほう)→深夜、此方から人を訪ねること。





自ら布告(ふこく)した事ではあるが、()のあるうちは(ことごと)く常連から批難を浴びる。



たった五日、何故待てない?


華苑(カエン)を知る少数の常連だけならば、確かに夜も問題は無い。

ただ、華姫の采配(さいはい)無く酒宴が続けば、花娘達までもが(とこ)に伏せる事になる。



酒に呑まれた花娘など、赤子の手をひねるように、容易く手折(たお)られてしまうだろう。

きっかけはどうあれ、商家(しょうか)医家(いか)武家(ぶけ)への身請け話はまだ良い。

花街で厄介(やっかい)なのは身持(みも)ちの悪い男や、見栄を張る貴族達の気まぐれ。




不実(ふじつ)な男に関わり、下手に(めかけ)身重(みおも)になれば、花街の客は離れていくのが(つね)

ある妓楼(ぎろう)では一人の男を巡り、遊女同士で争った挙句(あげく)、死者まで出たらしい。




……()骨頂(こっちょう)だ。


双方(そうほう)仮初(かりそ)めの恋や(いつわ)りの愛だと承知の上で遊べば良い。

ここでは、()を結ばせる為に華を咲かせているつもりは無い。

見目好(みめよ)い娘が着飾り、春を売る見世(みせ)なら他に幾らでもある。




歴代の華姫から花娘へと。

受け継がれてきた"虫除け(男除け)"の仕来(しきた)りは、今の所守られている。




ーー自らの価値を知る事。


本心を知りたくば、(ひとみ)を読む事。


所作(しょさ)には育ちが、口癖には本性(ほんしょう)(にじ)むもの。


足繁(あししげ)華苑(カエン)に通い。


都度(つど)、華の価値に等しい品々や黄金(こがね)を納め。


華姫、花娘の目に(かな)(もの)ーー。




この庭で育てた華は皆、容易に手放すつもりは毛頭(もうとう)無いが。



元は一介(いっかい)妓楼(ぎろう)であった華苑の秩序(ちつじょ)

花街での見世の格だけでなく、訪れる客の(しつ)を上げて来たのだ。

結果として花娘同士の不和(ふわ)や、花柳病(かりゅうびょう)は無くなったが、それでも気の(やまい)流行病(はやりやまい)は防ぎようがない。









静まり返った(ろう)に、楼主の(たずさ)えた洋燈(ようとう)の光が(うつ)る。

白い壁や下がり模様の(ふすま)に描かれた淡い藤に、一人分の影が揺れる。



主人(あるじ)の居ない華姫部屋のように、藍花の奥座敷にも明かりは灯っていなかった。

楼主は躊躇(ためら)う事なく、桐箪笥(きりたんす)(こと)が並ぶ居間(いま)から寝所(しんじょ)へ続く(ふすま)を開く。




高枕(たかまくら)()けられ、紫紺(しこん)の髪が(しとね)から畳まで流れるように広がっていた。

藍花は深く眠っているようで、洋燈の灯りにも起きた気配はない。






よく夜中に熱を出す花芽だった。一人隔離部屋で療養していた幼い姿が重なる。



枕元に腰を下ろし、目元に触れてはみたが熱はないようだ。

蛍の燐光(りんこう)のような、淡い翡翠(ひすい)色の瞳も今は閉じられている。




「……あの水痘(すいとう)(かか)って生き残れたのだ。お前は、まだ枯れないだろう?」




化粧を落としているせいか、昔の面影そのままの螢。

虚弱(きょじゃく)な体質だが、繊細な琴を奏でる華姫として3年になる。

呉服屋の(せがれ)が、その藍花目当てに通い出して1年程になるが、まだ恋仲(こいなか)との噂は耳に入って来ない。




「…まだ、お前の"想い人"は胡蝶蘭なのか。」




普段より幾分白い頬に手を添えたまま、静かに問う。

些細な事を気に()んでいるから、身体に(さわ)るのだ。




(じき)に双子が花開く。夜宴(やえん)にも咲かせよう。それまでは…」




華姫はお前だけだ、と(ひと)()つ。





つと、それまで左頬に触れていた手が、螢の首筋を辿(たど)るように(おり)た。


軽く肌蹴(はだけ)襟元(えりもと)に覗いた、肩の(しるし)をスルリと指でなぞる。

十五になれば、肌に刻む花娘の(しるし)華苑(カエン)に咲く華である証。




十五を迎えた螢が自ら選び、刻んだ(しるし)は、源氏名でもある藍花(あいばな)だった。露草、月草、蛍草とも呼ばれる可憐な花。



付けた源氏名も、実名に(ちな)んだものにしたのだが。

夏の夜に舞い飛ぶ蛍にしろ、染料にも使われる藍花にしろ、その生涯(しょうがい)も美しい(とき)(はかな)い。




「……まだだ。まだ、散るのは許さない。」




再び手にした洋燈(ようとう)の灯りで、影が伸びる。

(わず)かに衣擦(きぬず)れの音だけを残し、楼主(ろうしゅ)は華姫の寝所(しんじょ)を後にした。










****





そっと頬に触れる指。

少しひんやりしていて、気持ちがいい。



緩々(ゆるゆる)と目を覚ませば、熱に浮かされた瞳越しに千鶴姉さまが居た。



宴の席を抜けてまで来てくれたのか、昼間よりも(あで)やかな着物。

錦糸のように繊細な艶のある白金の髪も結い上げ、左右対象に(はい)された()かし細工(ざいく)(かんざし)で、いつもより重そうに見える。

真紅の(べに)をさした唇が、微笑みの形になっても。下げられた眉と(うる)んだ空色の瞳は変わらない。




「昼はダメだと言われてしまったから、宴の渡りに内緒で来たの。…そろそろ喉が乾く頃だと思って」




千鶴姉さまに支えてもらいながら身を起こすと、宝石のように輝く切子杯(きりこはい)の水に、そろそろと口につけた。


子供心に昼がダメなら夜も来てはダメなのでは、と思った事は言わず。

見るからに高価な水差しと揃いのグラスは、"客用だ"と伝えてわざわざ用意してくれたに違いない。



ーーなんだか水を飲んだだけなのに、胸がいっぱいになる。


そのまま千鶴姉様の優しさに甘え、心細さを(まぎ)らわせるように短い会話をしたものの、いくらも経たないうちに(ふすま)越しに名を呼ばれてしまった。



勤めに戻る千鶴姉さまの後ろ姿の、(たもと)(すそ)に咲いていた紅白の胡蝶蘭が目に留まる。




確か、教えてもらった花言葉は"幸せが飛んでくる"ーー。


夢か(うつつ)曖昧(あいまい)でも、内緒の見舞いは嬉しかった。





……これも夢だろうか?


熱は出ていないはずなのに、誰かが触れている。


私の肌より少しだけ温かく感じる。


頬に添えられた、手。








****


身持ちの悪い、不実な男→浮気症。誠実ではない人のこと。


洋燈(ようとう)→ランプ


水痘(すいとう)水疱瘡(みずぼうそう)


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