【第十五夜】淡い想い人との夜
華姫を辞した時に、身の回りの整理を終えていた為、嫁入り支度もそれほど手間がかからなかった。
数少ない持参品である露草の花紋入りの小箪笥から、大切な菊水の櫛を取り出し、丁寧に自分の髪を梳く。
今は肌に馴染んだ寝衣に着替えたけれど、一日身につけていた空色の華やかな色打掛は、衣掛を使って部屋での目の保養になっている。
新鋭の絵師の図案そのままに、淡紅の牡丹と小ぶりの白い胡蝶蘭が随所に咲き、季節の草花が描かれた短冊紋の刺繍に、控えめに散らされた金銀の細かい摺箔が本当に美しい。
「 ……そんなに、気に入った?」
背後で障子戸がぱたりと閉まる音がした。浴衣に着替えた源様が、私の隣へと静かに腰を下ろす。
「 自分で身につけている時よりも、少し離れて見た方が、美しさを堪能できますから。」
「 これは、"藍花"に着てもらいたくて作った打掛なんだがなぁ。……こうして並んで愛でるのも、まぁ良いか。」
遠過ぎず、近過ぎず。
二人の間に座布団を一つ置けるくらいが、丁度いい距離ではあるのだけれど。
後ろ手に体を支え、如何にも寛いだ様子の源様は、私の夫になった自覚はあるのだろうか?
私は萌葱に嫁入りをし、若旦那の妻として、今。初夜を迎えている筈なのに。
以前この部屋で目覚めた時には一人分だった布団も、再び足を踏み入れた夜には、きっちり二組。隙間なく並べて敷かれていた。
「 あの、源様………閨事について、ですが…」
「……うん?」
「 じょ、徐々に。慣れていきます、ので……今夜、は…その。」
ーー何故、自分から話を持ちかけておきながら、じわじわと申し訳なさが込み上げてくるのだろう?
伝えようとする意思よりも焦りが先立ってしまい、何が言いたいのかさえ、わからなくなってくる始末。
俯いて視界に入った自分の両手は、寝衣に軽くシワが寄るほど握られていた。
慣れない雰囲気からの羞恥と沈黙の気まずさに顔をあげられずに居ると、ぷっ、と吹き出したような軽い笑い声が耳に届いた。
「……螢はこんな時でも、真面目だね?祝言を終えたのを理由に、俺が迫るとでも思っていた?」
違うのだろうか、と思わず面を上げ、此方に向き直っていた若旦那の顔を正面からまともに見てしまった。
昼間迎えてくれた時と変わらぬ爽やかな笑みを含んだ表情に、優しげな瞳。
「 大切にする、と告げたはずだよ。
螢が俺を夫に選んでくれた理由も定かではないし、俺にしてみれば、閨事より先に心を許してもらった方が嬉しいからね。
朝から忙しくしていて、今日は疲れただろう?今夜は、もう寝ようか。」
今度は別の意味で内心焦りながら、大事な想いを自覚した日の、記憶を辿る。
源様に嫁ぐ事を決めた理由……何と言ったら伝わるのだろう?
覚悟を決めて、あの時の志津音さんとのやりとりで"殺し文句"だと指摘された事を、そのまま言うしかない。
「……源様といると、なんだかほっとして…安心、します。
萌葱に匿って頂いた翌日、志津音さんに"五年、十年後を想像して"と言われてーーその頃には"家族が欲しい"と思いました。」
「 そうか……俺は子供の父親として、及第点だったと」
「 っ!?そういう意味では、なくて…!!源様となら、温かい家庭を築けるだろうなと……!」
「 あぁ…いや、誤解させたようだけど、どちらにしても嬉しいよ?
流石に……共に暮らしながらも、夫婦になるまで五年待てるか、と聞かれたら直ぐには頷けないけどね。
ただ、そういうことなら螢の心が決まるまで、俺は気を長くして待っていようとは、思う」
こうして、と褥に横になった源様は、私に向かって両腕を差し出した。
ーーまさか毎晩……腕枕で、心の距離を測るつもりなのだろうか。
私は今夜、どの辺りに頭を乗せれば良いのかしら…?
無理強いはしないのに、断りきれない源様の計らいは、私にとってある意味、試練。
それでも、嫁入りしたにも関わらず、私に合わせてくれるのが嬉しくて。
ーーこてん、と。夫の前腕と枕に半分ずつ頭を預けた。
「 重たく、なったら避けてくださいね?」
「 此方を向いたまま寝てくれるのか?てっきり"背の君"になるのかと」
「 大切な人への挨拶は、目を見て言うもの、でしょう?」
ーー今、気づいてしまった。
自分が、少し離れて源様の胡桃色の瞳や、優しげな表情を見ていたい事に。
夫婦としての距離を縮める事よりも、源様が親愛を先に示してくれているのが嬉しい。……だってこれは、安心感のある"添い寝"だもの。
「……急かすつもりは無いけど、この隙間が無くなったら、抱き締めて寝ると思う」
「 …………お、お休み、なさい…?」
「 お休み、ほたる」
畳の上に伸びる影も美しい、竹製で凝った細工の角形行燈の灯りが落とされた。
安心感のある……添い寝、ではないの?寝入り間際にそんな事を囁いた私の旦那様は、狡いと思う。
ーーでも、望美と美月に相談した甲斐があった。どんな状況でも、素直に本音を伝えてみるものね。
源様は、"私を"わかっていてくれたもの。私も、夫の要望を受け容れられる妻になろうと、思う。
源様に一晩中抱き締められたままで、寝られるかどうかは、わからないけれど……。
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それから毎晩少しずつ距離を詰めて、辿り着いた源様の腕の中は、不思議と安堵感があった。
何より、腕枕をする本人が嬉しそうなのだもの。その様子に、私の胸の奥も自然と温まる。
このひとの香りに落ち着く、と思うのと同時に、浴衣の合わせから覗く鎖骨の窪みや、素肌の近さには少しだけ動揺する。
今晩から抱えられて寝るのか、と緊張で体が僅かに強張ったのが伝わったらしく。
夫の左手が、さらりと後ろ髪を分け入る様に差し入れられた。次いで、額の少し上の辺りに、ゆっくりと何かが優しく触れる。
「……次は、こちらの距離だね」
少しだけ掠れたような、艶の混じる声でそう、言い含められた。
夜な夜な、源様から受ける口付けに慣れていくことが、妻としての私に課せられた次の試練のよう。
今の時点で胸がきゅうっとなった、私の心臓がどうか……明日も耐えてくれますように。
"気長に待つ"と螢には言いながらも、源の【緩やかな夫婦計画】は、着実に日々【明るい家族計画】に向かって進んでいる事を、この時の螢はまだ知らない。
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ーー六年後。
若旦那である源が呉服屋:萌葱を継ぐ頃には、父親に似て体の丈夫な息子が二人と。螢のお腹にもう一人、授かっていた。
ーーこんなにも満ち足りた日々を送っているのに、三人の子の母になれるとは。
"幸せを有難う"と。
昔、千鶴姉様がそうしていたように、自分のお腹の上から、我が子を撫でる。
「 この子はきっと、女の子よ」
「 名前は…そうだな。"美琴"にしようか」
源様が考えてくれる子供達の名は、音の響きも爽やかで好きだ。
ーーまだ幼い二人の兄にも、妹の名を覚えてもらいましょう。
「旬一、奏也。来月には、貴方達に妹が産まれるの。"美琴"をよろしくね?」
胡桃色の柔らかい髪をした頭をそっと私のお腹に寄せて来て、翡翠色の瞳を閉じ、妹の音を確かめようとする長男の旬一。
奏也は、源様の腕に抱かれて眠そうに胡桃色の瞳を擦りながら、ぼんやりと此方を見ている。この子は、お義母様に似てサラサラの黒髪だ。
「 美琴は、誰に似るかしら?」
「 螢にそっくりな娘だったら、嫁に行かせられないかもしれない…」
「 私は、美琴の成長が楽しみですよ?……"この娘にとっての幸せ"を、一番に考えてくださいね?源様。」
・*・* 御開き *・*・
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ここまで読んでくださって、ありがとうございました。m(_ _*)m↓深々。
飛んで火に入る姫ホタルは、楼主の火に焦がされて絆される螢の話の予定でした。(←アレ?)
でも楼主は、花街風の自分本位な恋愛関係だろうなとか、源は自分の想いより何より螢を大事にするだろうな、と近づけてみたら自然と源×螢になりました。
楼主が闇夜を照らす炎の燎なら、源は温かい陽だまりの"陽"ということで。
*露草【藍花、蛍草、月草】の花言葉*
・尊敬、変わらぬ思い→千鶴へ。
・なつかしい関係、僅かの楽しみ→双子姉妹と。
・小夜曲、豊潤、恋の心変わり、敬われぬ愛、密かな恋。→源、楼主との間に。
露草の花言葉が、螢の相関図になっていれば本望です。(*´ω`*)




