【第十四夜】夜からの巣立ち、空への道行き
ほんの数ヶ月間寝起きしていた三階の部屋を後にして、華苑の皆に一人一人挨拶を済ませると、最後に三年ほど暮らした華姫の部屋を訪れた。
もう、ここに訪れることは本当に無いのだ、と佇んで暫く感傷に浸る。
"迎えが来た"と声を掛けられ、朝からずっと側に付き添ってくれている望美と美月を伴って表へと向かった。
玄関先には、黒の五つ紋付き羽織をさらりと着こなした、袴姿の源様が待っていた。
いくら呉服屋の息子だからといって、正礼装が似合い過ぎではないだろうか?
源様の人当たりの良さそうな柔らかい雰囲気に加え、黒の羽織で男性らしい直線的な肩や背が際立つ。
こんな日に、初お披露目というのも反則だと思う。
ーーその紋付袴の立ち姿でさえ、胸が高鳴るというのに。
今でも真っ直ぐに見つめ返すのが難しい、優しい胡桃色の瞳を少し細めて、此方に片手を差し伸べているなんて。
双子の目の前で、自分からあの手を取るのが恥ずかしい。
近づいてから、土間に揃えられた白い草履を履くのに手を取らせてもらえば自然だ、という事に気付いた。
ちらりと短く視線を交わし、軽くうなづいてくれた若旦那の左手にそっと、自分の右手を重ねる。
草履を履く僅かな間に、なにやら背後に見守っているかの様な沢山の視線を感じ、居た堪れないような、くすぐったい気持ちがこみ上げてきた。
ふぅ、と息を一つ吐き、桜色の紅を差した唇に笑みを乗せる。
本当なら常の志津音さんのように、花嫁の唇には艶やかな紅を引くのだろうけれど。
此れは【奏姫】と呼ばれた頃に双子に勧められ、自分で買った思い入れのある紅だもの。
それに、今日の習わし破りなら、歴代の華姫も驚くかもしれない。
奏把様と春香様から頂いた、祝いの豪華絢爛な生花を、馴染みの髪結い師が、いくつか髪の装飾に使ってくれたり。
本人曰く、"文金高島田に綿帽子ばかりもつまらない"らしい。
結い上げた髪には、柔らかい乳白色をした芍薬、薄紫色の大輪の天竺牡丹と。ころころと丸みを帯びた小ぶりの夏菊に、白金の結い紐まで合わせてくれた。
……なんというか。自分の後ろ髪を土台に、花を生けてもらったような?
確かに、頭に花が咲いたように感じる日ではあるけれど。
華姫の花嫁道中は、白無垢に綿帽子で行うのが伝統。華苑から花街の大門まで、着飾った花娘達が、笑顔と共に色とりどりの花弁を周りに振りまくのだ。
その色鮮やかな祝いの道を、花嫁は朱い和傘の下しずしずと歩き、大門から先は嫁ぎ先まで籠に乗って行く。
私は既に華姫を辞めているし、花嫁道中で衆目を集めるのは本意ではない。
嫁いだ後も花街で、箏の師範代を勤めるのだから。
源様が私の為に作っていてくださった、初夏の早朝を思わせる淡い空色の色打掛を着て。
これから萌葱まで若旦那と二人、連れ立って行く。
その後に控えている祝言も緊張、の一言に尽きるけれど、私の隣には若旦那が居てくれるから、きっと微笑みを絶やさずにいられると思う。
見送りに集まってくれた皆に向き直り、万感の思いで、いつもより長く礼をした。
私が言うな、と笑われてしまいそうだから、そっと心の中でーー皆が達者でいてくれますようにーーと願った。
少しだけ踵の高い、真っ白な草履を履いて、一歩一歩進んでいるつもりなのだけれど。
重ねた衣が重く、外を歩くのはなかなか大変だ。
そうして華苑を出てから少し歩んだところで、隣で手を引く源様が急に足を止めた。
どうしたのだろう、と同じ様に振り返り、真っ直ぐに若旦那が見上げる視線を辿った先は、私が使っていたあの奥座敷だった。
其処には、窓枠に背を預けるように寄りかかって腕を組み、此方を見遣る楼主の姿があった。
玄関先でもそうしてくれた様に、若旦那は華苑の主人に向けて、綺麗に腰を折る。私も源様に習い、ゆったりとした動きで頭を垂れた。
「 源様。いつ、彼処に楼主様が居ると気付かれたのですか?」
「 ……刺さる様に剣呑な視線を、背で感じたからね。
螢の晴れ姿を高みから見送っていただけかもしれないが、今まで螢を護ってくれていた父の様な、兄の様な楼主でもあるだろう?」
ーーだから、敬意を込めた挨拶のつもりで一礼をした、と歩きながら教えてくれた。
あの冷たい美貌の妖艶な楼主を、父兄に例えられるのは、若旦那くらいだろう。
思わず顔を背け、声に出して笑ってしまった。
「ーーっ貴方は本当に……不思議な尺度を、持っていますね?」
「 念願が叶う日くらい、誰でも寛容になるさ。………尺度、といえば。その打掛の直しは必要なかっただろう?」
真面目なこの人には珍しく、悪戯っぽい表情でそう言われ、以前にも疑問に思った事を聞いてみた。
「……源様は、どうやってこの色打掛を誂えたのですか?」
「 簡単に言えば、目測。身長と裄丈、後は……体格的な腰回りがわかれば仕立ては出来るんだ」
「………目、測。」
自分の肩幅、腕の長さ、腰回りまで寸分違わず見透かされている……らしい。
呉服屋の息子としての"審美眼"の話は以前耳にしたけれど、曝け出す前から既に全て暴かれている気がして、無意識にふるりと身震いをしてしまった。
そこは笑顔で武者震いです、と誤魔化したけれど。
萌葱に着くまでの間。
手に手を取り合った男女が礼装姿で歩いていては、やはり人目を惹いてしまったようで、道行く人の表情が柔らかい。
視線を感じて、ふと目が合うと、微笑まれていることが何度かあった。
優美な色打掛だけでなく、髪にまで大輪の花を咲かせているのが、珍しかっただけかもしれないけれど。
花嫁衣装の私を気遣って歩調を合わせてくれる源様と、たわいない話をしながら並んで歩むのは初めてで……
外界と花街を隔てる赤い大門をいつ過ぎたのかも、うろ覚えなくらい、とても楽しい道行きだった。
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文金高島田→婚礼用の高く結い上げた髪型。
天竺牡丹→ダリアの和名。
万感の思い→一瞬で心に浮かぶ様々な感情や思い。
剣呑な→危険な感じがする様。
尺度→①物事の評価、判断基準。②長さを測る道具。
寛容になる→心が広く、人の言動を良く受け容れること。欠点を責めない。
誂える→自分の思い通りに作らせる。
武者震い→重大事を控えて心が奮い立ち、身体が小刻みに震えること。
辻が花→墨注で繊細に描かれた草花の絵に、絞りを基調とした文様染め。刺繍や摺箔も加えたもの。室町〜桃山時代に存在したものの、製作年間が短い幻の染め。(白・茶・藍・紫が主体)
摺箔→布に貼り付けた金箔銀箔。
*源が絵師に頼んだように、【草花の手描きの染め】が着物の文様で過去に実在していたのには調べてて驚きでした。(ノ∀`*)ンフ。




