【第十二夜】螢の寄る水辺
八重咲きの椿を模したような、ころんと丸みを帯びた花に、一羽の蝶がとまっている髪飾り。短い下がりが二本、控えめに付いているのも可愛らしい。
望美には赤い花に若草色の蝶、美月には白い花に紺碧の蝶を選んだ。
髪飾りは色違いの物が二つずつ綺麗に盆に並べられ、明るい黄色や緑、爽やかな白や青が目を惹く。
その細やかな気遣いに、若旦那の仕事ぶりを垣間見たような気がした。
ーー今更ながら、女性の好みに精通しているというか。
昨晩"母は見合い話を断らない"と言っていた位だから、呉服屋と縁続きになりたい親世代も、萌葱に訪れる女性客も、源様を放っておかないのでは、と考えてしまった。
自分から商いの勤めを優先してほしい、と言っておきながら。
店頭で年頃の女性客に、着物を見繕いながら談笑している若旦那を想像しただけで、胸に何かが支えているような感覚がする。
どうして私は一人で選んでいるのだろう、と思ってしまい、きゅっと口元に少しだけ力が入った。
「 ……螢、居るのなら返事をして頂戴?」
「 はい?……志津音、さん?」
ハッと聞き慣れた声に気づいて、手にしていた髪飾りを盆に戻すと、急いで廊へと続く障子戸を開けた。
「 客間に居なかったら、若旦那の部屋だろうって聞いて驚いたわ。螢ったら……若旦那にどこまで許しているの?」
「 許すも何も…」
"昨夜は、源様を待つ間に部屋で寝入ってしまっただけ"と言うのも恥ずかしく、思わず口籠る。
それに加え、今の志津音さんは楼主の事を相談した時よりも、何故か楽しそうに見えた。
「 そうよねぇ。構いたがりの誰かさんとは真逆な若旦那だもの、どうせ何もしてこないのでしょう?
……それは良いとして。
螢を探して、華苑の主人が萌葱に来ているの。言伝を預かっているのだけれど、その前に聞かせてほしい事があるのよ。螢は何方がいいのかしら?」
「 "何方が、良い"というと…?」
「 そろそろ、あの二人に向き合っておあげなさいな。
楼主にとっても、若旦那にとっても貴女は特別なの。
ん〜そう、ねぇ……
とりあえず、今の良し悪しではなくて。五年、十年先を考えた時に、自分の隣に居るだろうな、居てほしいなと想像出来る方、かしら。」
ーー五年、十年先を考えた時、に…?
自分は幾つになっても、箏を奏でているだろうとは容易に想像出来る。幼い頃に惹かれた、好きな事は今までずっと変わらないから。
「 あの、志津音さん。
私が楼主様に心乱されるのも、源様に心安らぐのも、この先もあまり変わらないと思います。
ただ、きっと周りは……変わります、よね?」
「 華苑の花娘達は身請けで嫁いだり、新しい花芽の子が入ったりするのではない?勿論、お箏を習いに来る蕾達の顔ぶれも変わるでしょうしねぇ。
呉服屋は…どうかしら?その頃には若旦那が萌葱を継いでいるかもしれないわ。
もしかしたら、螢の側には幼子が増えているかもしれないわよ?」
ーーそう、これはあくまで可能性の話。
箏を弾いてみたい、と思った時も【奏姫】と呼ばれる華姫になれるとは、思っていなかった。
「 私、は"ーーーーーー"。」
「 本当は決断を急かすような事ではないのに、周りが放っておかないのも困るわよねぇ?
でも、螢にとって明るくて楽しい、将来が一番よ。」
志津音さんの、こんなにも優しげな瞳は初めて見たかもしれない。八の字に下げられた眉に、今日も紅い唇は少しだけ、微笑みを形作っていた。
「 でもね、螢。それをあの二人の前で言ったらダメよ?貴女がそれを言うと、殺し文句になってしまうから。」
「 花街では通用しない殺し文句、ですね。」
「 花盛りの娘達が、春を売る街ですもの。
……そうそう、楼主からの言伝は"このまま戻らなければ箏を処分する"ですって。大切なお箏を引き合いに出したりして、貴女の泣き顔でも見たいのかしらねぇ?」
何故かこの時ばかりは、気づいてしまった。私は不意打ちの口付けが本意ではなかったけれど。
楼主も、私が一晩経っても華苑に戻らないとは思ってもいなかったに違いない。
かといって、あの楼主が心乱してる様は想像し難いけれど。困惑からの苛立ちは、周りにも隠さないかもしれない。
「 ……大人しく身を隠している場合では、無いですね。」
微笑から苦笑に表情を変えた志津音と共に、先程選び終えたばかりの髪留めの乗った盆を静かに持ち上げた螢は、自ら店頭へと向かった。
*
明るい陽射しの中だというのに、向かい合う二人の間には、冷ややかな空気が漂っていた。
冷たく整った容姿の楼主は、普段通りといえなくも無い。それに比べ、いつになく真剣な面差しで相対している若旦那は珍しかった。
ふと、源様の手元の着物が目に留まった。色とりどりの花と、白い翼を広げて何羽も飛ぶ鶴が刺繍された、黒地に金箔の籠目柄。
ーーかごめ。煌びやかな囲いの中の、籠女。
「……源様。
望美と美月への贈り物は、此方の二つの髪飾りに決めました。
楼主様に、箏を処分されては敵いませんから……私は今日、華苑に、戻ります。」
「……螢が、そう、決めたなら。………いや、その大切な箏を嫁入り道具に、華苑から萌葱に嫁いで欲しい。
俺は、これからも……螢に、隣にいてもらいたい。何かあったら力になりたいし、螢が疲れた時は側で支えるから。」
"想い人として考えてくれ"と、かごめ唄を初めて披露した時のように、若旦那の瞳は真摯な光を宿していた。
ーー"支えるから"と言われたのに、"抱えるから"と聞こえたように思った自分は、なんなのだろう?
恥ずかしさから思わず、ゆっくりと瞬きながら視線を落とす。将来の答えは、もう決めたのだから。
一度深く呼吸を整えてから、今の想いを静かに言葉にする。
「 今までもこれからも、私にとって箏は"かけがえのないもの"です。
華苑での養育費である借金を払ってくださった楼主様には申し訳ありませんが、源様の元に嫁ぐのを、許して頂けますか?」
「……そこで、許さない、と言ったら?」
楼主の漆黒の瞳が、此方を試すように鋭く睨め付ける。やはり、逃げたまま一晩戻らなかった私に、苛立っていたのだろう。
「 ……でしたら私も、昨日の事を許しません。箏の為に華苑に戻りますが、楼主様には心を許しません、から。」
きっぱりと言い切る形で、あの時不意に奪われた唇を引き結ぶ。
楼主には動揺させられてばかりいたけれど、離れていた間に恋しく思ったかと問われれば、否。
背に付けられた印や髪の手入れに関しても、私の意は、はぐらかされて仕舞いだったのだから。
呆気にとられている若旦那と、強い想いを瞳に込めて楼主を見返す螢。
その静けさを破るようにして、螢の後ろから志津音が現れた。
「 ……やぁねぇ。
どうせ萌葱から結納金をたんまりせしめる気のくせに。
人一倍手塩にかけて育てた螢が大事でも、いい加減 娘離れしなさいな?」
「 ……余計な事を。」
「 足抜けのように、いつか駆け落ちされるよりは良いでしょう?
お互い知らぬ仲でもあるまいし。仮に螢が若旦那に泣かされて華苑に戻った時は、貴方に縋ってくるかもしれないわよぅ?」
「 ……それは、あり得ません」
志津音さんの一言に反応したらしい源様は、楼主の前から悠然と腰をあげた。
私が手にしていた盆を預かるようにして畳に置くと、そっと自身の手で包むように私の両手を取った。
「 俺は萌葱に嫁いでくれ、と言ってしまったのに……螢に"源様に嫁ぐ"と言われて嬉しかった、ありがとう。……大切に、するから。」
人前というか。寧ろ店頭であるにも関わらず、私の手を取ったまま呉服屋の若旦那は耳と目元を僅かに赤く染めた。
その様子に気付いただけで、私の胸の辺りがほんのり温かくなる。私の心はこんな時でも、鈍感なのかもしれない。
やっと心を通わせたような二人を尻目に、結衣に包んでもらったばかりの織りの袋帯を抱えた志津音が、楼主へと近づく。
思案するかのように、なよやかな動きで爪化粧の施された片手を、自身の顎に軽く添えた。
「 既成事実でも作っておけば良かった、と後悔してる?」
「 ……頑なに心許さない女を、態々慰み者にする気は無い」
「 ふふふ、わかってるじゃない?
螢は燃えるような恋や駆け引きに翻弄されるより、温かくゆっくり育んでいく愛が欲しかったのだもの。」
「……五月蝿い。」
「 螢はもう華姫では無いけれど、花街から萌葱まで花嫁道中はするのかしら?この二人が主役なら人目を惹くわねぇ、きっと。」
*
その日は呉服屋の旦那様と奥様にしておきたい話もあり、志津音さんと私が揃って花街に戻ったのは、西の空は桃色の雲がたなびく夕焼け色に、東の空は宵闇の藍色に染まり始める頃だった。
紅白の水玉のような椿柄の着物のまま、双子への手土産を持って華苑へと向かう。華苑の窓辺からいつも見ていた花街の灯篭が、すぐ側で朱に灯った。
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胸が支える→心配や悲しみで胸が塞がったように感じる。
籠目→竹籠の網目文様。子供や男性の精神が浮遊するのを囲い止める。連続した六芒星にも見えることから、鬼が嫌う魔除けの文様。
仕舞い→今までしていたことを終わらせること。
せしめる→上手く立ち回って自分のものにする。まんまと手に入れる。
悠然と→ゆったりと落ち着いている様。




