【第八夜】志津音の鬼退治
旧知というより、くされ縁(?)の二人。
「いやぁね、本当に来たわ。」
「……面と向かって言う事が其れか?」
ーー面と向かって言う事に、意味があるんじゃない。
いくら私でも、誰彼構わずこんな事は口にしないわ。
此方は螢を呉服屋に預けて二、三日は様子を見ようと思っていたのに。
この楼主ときたら、無断外泊に目くじらをたてる、年頃の娘を持った父親のよう。
これでは、せっかく安全な処を見つけた螢が可哀想だ。
「残念ながら、貴方が大事に大事に華苑の奥で愛でていた、ヒメホタルは此処には居ないわよぅ?」
「……螢は何処だ。この女狐。」
「貴方ねぇ。長年、華苑の花娘達へ箏を教えて来た師範に、その聞き方は無いのではなくて?
悪戯に女を口撃するのは悪い癖ねぇ。いつの間にそんな子になっちゃったのかしら…」
ーー昨日の今日で、早くも修羅場を迎えてしまいそうね?
ほんの一言二言交わしただけで、いつにも増して楼主の機嫌が悪いのが分かる。
かといって、楼主ばかりが螢を独占して良いわけがないし、花街の外で暮らす呉服屋の若旦那にだって、螢を擁護するくらいの権利はあるはずだ。
「お前に育てられた覚えは微塵もない。無駄口を叩く暇があるのなら、床の掃除でもしたらどうだ?」
「あら、上がって家探しされるなんてお断りよ。
……でも、本当に招かれざる存在には効き目があるのねぇ?
本当は玄関先に撒こうと思っていたのだけれど、先に床に溢れてしまったの。」
「………。」
ーー土間と板間の高低差で、普段とは目線の位置が逆なのはいいわね。
胡乱げな楼主の視線が、再び床へと向けられる。
昨日帰宅して早々、玄関先や土間に撒こうと少量握っていた片手を緩めた途端、パラパラと床にまで落ちてしまったのだ。
外は既に藍色に染まり始める時刻の事で、来客の予定も無かったからつい、そのままにしていたけれど。
「何か分からない?塩よ。塩。
丁度、魔除けの小豆もあるから豆も撒きましょうか??
豆は流石に勿体無いかしらねぇ?貴方がマメになったら、螢も私も困るもの。」
「…………。」
「フフフ、鬼は〜そと!福は〜うち!ってね!
螢が下駄も履かずに、息を乱して駆けて来た時は驚いたわぁ。私の可愛い愛弟子を苛めた罪は、重いのよ?」
あの時、螢が少々涙目だったのにもすぐに気付いたけれど。
其れを指摘して、何があったか問い質せば、螢がそれまで我慢してきたのが台無しになると思い、何食わぬ顔で聞き役に徹したのだ。
何をしたにせよ、一回りも歳下の乙女を泣かせるような男は、玄関先で鬼扱いするくらいが丁度いい。
「……苛めたつもりは無いが。」
ーーそんな事だろうと思った。
だから、暫くは思い知って頭を冷やしていれば良いのに。
これだから予想通りな事は、全く面白みが無いわぁ。
「……貴方の構い方では、貴方に気がある女でもない限り、喜ぶ女の方が少数派だと、覚えておきなさいな。
心を乱す様を楽しむにしても、初心な螢には刺激が強過ぎるわ。
あっちもこっちも……足して割ったら丁度良くなるでしょうに、ねぇ。」
「……今、彼方と言ったな?」
「あっちのみ〜ずは、あ〜まいぞ♪こっちのみ〜ずは、に〜がいぞ♪ほ、ほ、螢の恋♪」
誰も楼主に苦言や助言なんてしないでしょうから、私が伝えてあげようじゃない。
変に不器用なところは、お互い様なのかもしれないけれど……似ているとすれば其処だけね。
私には、若旦那の水辺の方が、螢が暮らすには合っている気がするのだけれど、ねぇ。
「……相変わらずだな、女狐。嘘は吐かない処も昔と変わらないようだ。この無駄なやり取りが、だいぶ此方の気に触るが。……何をしている?」
「え?ちょうど出掛けようと思っていたのよ。萌葱の奥様に会いたくて。
貴方には…そうねぇ?
土埃で駄目にした子に一足譲ったばかりだから、新しい足袋でも買ってもらおうかしら。
詫びる気があるのなら、豪華な織りの袋帯でも良いのよ、楼主様?」
こんなにも早く、楼主に行動を起こされては敵わない。
先に呉服屋の奥様に報せなくては。
可愛い愛弟子の見目や立ち居振る舞いが、殊の外お気に召していたようだからきっと、よしなにしてくれるだろう。
「……お前が関わると、ろくな事が無い」
「そんな事言って、後で感謝しても遅いんだから。後腐れがないように、今のうちに強請ってあげているのよ?
私は先に行ってるわねぇ♪」
幼少の頃は蜜姫だった母に似て、少女に見紛う程愛らしかったのに。
言葉少なに口が悪くて、無表情なところなんて先代にそっくりだ。
楼主との間に起こった事が痴話喧嘩だったにせよ。
文も渡せない程、隔たりがあった呉服屋の若旦那と螢が、天帝に引き離された彦星と織姫の様だったにせよ。
「……想いは、強さの優劣じゃないのよねぇ。向けられた想いの種類の問題、かしら?」
普段は外を歩く上で、自身の姿に気を配ってはいるが、少女の頃に戻ったような心地のまま、今日はカラン、カランとわざと高く下駄を鳴らしながら。
志津音は一人、萌葱へと向かった。
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胡乱げ→疑わしく、怪しむ様。
マメになる (方言)→強かで抜け目なく、丈夫になる。




