【第七夜】安息のひと時
志津音さんには、全てお見通しだったのかもしれない。
私が華苑から衝動的に逃げて来たのも、話を聞いてもらった事で、少しは落ち着きを取り戻せたことも。
それでもまだ、楼主と二人きりで相対するには難しい。
自分でも無意識だったけれど、一時的にでも楼主の居る日常から離れたくて、志津音さんを頼ってしまったのだと思う。
いくら何でも、呉服屋の奥様と源様の申し出には甘えられない、と思ったけれど。
此方の状況を慮って心強い味方になってもらったように感じ、"此処に居ていい"と匿ってもらえるのは、とても嬉しかった。
感情とは別のところで、不安もある。
なにせ、初めて訪れた呉服屋:萌葱に身を寄せるなんて、自分はどうすればいいのだろう?
今後を考えて身を固くしていたせいで、脱兎の如く部屋から姿を消した志津音さんを、咄嗟に追いかける事も出来ず。
萌葱の奥様も源様も、急な展開に心の整理がつくまで、私をそっとしておいてくれた。
「 あの、本当に申し訳ないのですが……御厄介に、なります。」
半日の間に身に起きた事が多過ぎて、更に楼主の仕置き覚悟で一人華苑に戻る気力なんてもう……残って無い。
そんな自分を情けなく思いながらも、目の前に座る源様と萌葱の奥様に、深々と礼をした。
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夕餉の席で初めてお会いした呉服屋の旦那様は、胡桃色の髪と瞳ではあるけれど、息子である源様とはだいぶ印象が違う。
銀縁眼鏡の似合う、落ち着いた雰囲気の方で、"身内だけの食事の席ですので、どうぞ気を楽にしてください。"と最初に此方を気遣ってくれるような、優しい方だった。
……その声は少しだけ、源様に似ている。
旦那様の隣で奥様は、終始上機嫌で居られるし。
思い切って"何か、私にお手伝い出来ることはありませんか?"と聞いてみたけれど。
"一度はお箏を聴かせてもらいたいけれど、ここに無いのが残念だわ。……そうね、源さんの話し相手でもしていただこうかしら?"と奥様が言うなり、私の隣に座る源様が盛大に咽せた。
斜め向かいの旦那様は、汁物の椀を傾けながら苦笑されていて。
ーー微笑みながら料理に箸を進める奥様が、冗談を言ったのだろうか?
私は取り敢えずその場で二つ返事をし、皆から顔を背けるようにしてゴホゴホと苦しそうに咽せる源様の背をさすりながら、水を勧めたのだった。
*
「……試されているとしか、思えない」
「私が源様の話し相手を務めること、でしょうか…?」
「いや、螢ではなく……俺のこと、だよ」
はぁ、と珍しく脱力するように溜息を吐いた源様は、なかなか此方を見ようとはしない。
"今日は疲れたでしょう?"と奥様に勧められて、先程立派な檜風呂を借り。
湯上りでパリッと糊付けされた、縞柄の浴衣を着ているせいかもしれない。
一応、湯冷めしないよう花菱柄の半纏も羽織っているのだけれど。
「 ……勝手なことを言ってすまないが、明日は別の浴衣を用意するから、それを着てくれないか?」
「 私は構いませんが……良ければ理由を、教えてください。」
ーーーせっかく奥様に用意していただいたのだもの。
少しだけ決まり悪そうに口元に手をやりながら、呉服屋の若旦那は自分の発言の補足をしてくれた。
「 半纏の花菱柄は"良縁・結婚"の吉祥文様で、その浴衣は子持ち縞柄。"子宝祈願"の意味があるんだ……
母の差し金ではあるが、なんと言うか。居た堪れない、な。」
昨年の夏、"いずれは嫁に"との想いを告げられているのだ。
そんな私が知らぬ事とはいえ、結婚や子宝を意味する装いで目の前に居ては、確かに意識してしまうのかもしれない。
ーーでも。奥様の想いは、源様が思うものと少し違うのではないかしら?
「 奥様は、子供好きでいらっしゃいます?」
「 ん?……ああ。よく萌葱に来た親子連れには、菓子を渡しているな。
"俺にどうだ"と勧められた見合い話も母は断らないが、昔"娘が居れば…"と零していたのを耳にした事はある。」
「 この浴衣はきっと、そういう意味ではないでしょうか?」
ーーーそう。
奥様が用意してくださったこの浴衣と半纏は、何も私との仲を揶揄しているのではなく。
家族が増える事を、楽しみにしているのでは無いだろうか?
大人三人で静かに食事をするのも、少し寂しく感じていたのかもしれないし。
「 "早く可愛い孫の顔がみたい"という意思表示なのだとしても、母は螢を気に入ってしまったよ?俺が動く前に、何かと世話を焼いたりして。」
「 それはきっと、志津音さんの弟子だからですよ。お二人はとても仲が良さそうでしたし…」
「……螢は、嫌がらないんだね。」
「 何も、不快な想いはしていませんが…?」
「 母は、志津音さんの弟子だからというより螢個人を気に入って、"俺との仲を深めて欲しい"と夕餉の席で言っていたんだよ。
母といい、志津音さんといい……此方の気も知らないで。」
少し拗ねたような表情でふい、と下を向く源様がなんだか幼く感じて、この時ばかりは私よりも歳下に見えてしまった。
「 私は、客間に一人で居るよりも源様と話して居る方が落ち着く、といいますか……場所が変わっただけで、また以前のように夜の茶会をして居るようです、よ?」
「それは…良いんだが。
いや、俺には良すぎて少々困る。このまま前のように二人で語って、夢と区別がつかなくなるのも嫌だな。
……何か、呉服屋で気になる物や見たいものがあれば今、此処に持ってこようか?」
「…ええと。もみじ饅頭を頂いた夜に、同席していた双子の姉妹を覚えていらっしゃいますか?
二人に何かお土産を買いたいな、とは思っていました。」
「あの華やかな二人のことは、覚えているよ。ちりめん細工や巾着、筥迫なら何が良い?」
「でしたら、ちりめん細工の髪飾りをお願いします。」
"何点か持ってくる"と言い残し、源様は席を立った。
一人になり、ふぅ、と一息吐いたところで、自分が客間に居るよりも落ち着く理由が、源様だけではない事に気付いた。
ーーこの部屋は、春の畳替えをしたばかりなのかもしれない。
青々とした畳にそっと指を滑らせ、濃い飴色をした広い座卓に上半身を預ける。
そうして気を緩め、い草独特の清々しい香りを感じようと、ゆっくりと深呼吸を繰り返すうち。
螢は自然と両の瞼が降りてくるままに、寝入ってしまった。
*
「小ぶりなちりめん細工の髪飾りと、下りのついた華やかなつまみ細工の簪も有るのだが…」
あの双子の姉妹の瞳の色を思い浮かべながら、青や緑が入った可愛らしいものをいくつか選んで盆に乗せ、自室の襖を開けたのだが。
待ちくたびれたのか、螢は低めの座卓に寄りかかるようにして、すうすうと穏やかな呼吸をしながら瞳を閉じていた。
「………ほた、る?」
気づいてもらいたいような、起こしてしまうのは気が引けるような。
慣れないところでの緊張が、今になって緩んだのかもしれない。
そんな、安らかな寝顔だった。
「……無防備、だなぁ。」
"落ち着く"と言っていたのが嘘では無いのが嬉しいが、此処は自分の部屋であるのに、男として認識されていないようにも思える。
それでも、こうして螢がいつも側に居てくれたら、とつい都合よく解釈してしまう自分もいた。
起こすのも、このままにして湯冷めするのも忍びないと思い、離れた客間ではなく隣の空いている部屋に布団を敷くと、座卓に寄りかかりながら少し足を崩した体勢の螢を、そっと抱き上げた。
本人の意識が無い時に触れるのは、何だか悪い事をしているような気になってしまう。
それでも落とさぬよう、しっかりと抱え直し、敷いたばかりの褥へと静かに降ろした。
ここまで近くに寄り添ったのが初めてだったせいか、螢のふわりとした優しい香りと、浴衣越しでも支えている肩や膝裏の柔らかい肌を妙に意識してしまう。
半纏を着たままでは寝づらいだろうが、自分に出来るのはここまでだ、と布団を掛けてやる。
螢は今、どんな夢をみているのだろう、と。ふと寝顔を見ながら考えた。
朝目覚めた時に見覚えのない部屋では驚くだろうと思い、髪飾りを並べた盆を畳の上に置き、明日ゆっくり螢に選んでもらうことにした。
「……おやすみ。」
深く寝入っているのだから返事が無いのは当然なのだが、安らかな寝顔の螢に向けてその言葉を口にしただけで、少しだけ心が温かくなり、自然と頬が緩んだ。
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相対する→対等の立場で話し合う。
匿う→追われている人をこっそり隠す。
慮る→考慮する、心に留める。
務める→ある役割や任務を引き受ける。
居た堪れない→精神的な圧力を受けてその場にとどまっていられない。
揶揄する→相手を不快な気分にさせて喜ぶこと。




