【第五夜】謝辞の逢瀬
花街を隔てる関所の様な朱塗りの大門を過ぎ、幾らも歩かないうちに【萌葱】と太字で染め抜かれた長暖簾を掲げる大店を見つけた。
志津音さんは慣れた様子で、店番をしている売り子の一人に声を掛け、誰かを呼んでもらっているよう。
店先には上品な柄の太物や、無地の反物が整然と並べられ、紫檀色で統一された大きな箪笥が所狭しと並んでいた。
"双子へ布小物を"なんて考えていたけれど。
呉服屋:萌葱は、お得意様の上質な着物の特注や、格式が高く、歴史ある大店にしか許されない御用達が主な商いなのかもしれない、と感じた。
百聞は一見にしかないものだな、と。
しがない村娘から、隔たれた花街の娘として生きてきた自分の感覚が、特殊である事に今更ながら気付く。
源様から人気の絵師の図案を見せてもらって、既に半年程が経っている。
何か商品になっている物はないかと、自然と店内の反物を眺める事に夢中になっていた。
「……藍、花?」
九年間呼ばれ続けた源氏名にぴくり、と体が先に反応を示す。
そのまま振り返ると、其処には"信じられない"といった表情の源様が、腕に反物を抱えたまま佇んでいた。
「お久しぶりです。源様。……お変わり無い、ようですね。」
「……藍花は、何故此処に?病はもう、良い、のか?」
「はい。体に障る華姫の勤めを離れ、今は志津音さんの元で、箏の師範代を勤めさせていただいております。
文も、素敵な着物も。
有難う御座いました。文を渡す機会が無くて、御礼を伝えるのがこんなにも遅くなってしまいましたが…」
「そう、か。良かった。
まさか贈った品を着込んで、わざわざ店に来てくれるとは思っていなかったから。……よく、似合っている。」
文も返さないまま、会うのは半年ぶりだというのに、源様は相変わらずだった。
腕に反物を抱えたまま、昼の勤めで忙しかったのではないだろうか?
そうはいっても、視界の隅に入った志津音さんは、萌葱の奥様と思しき方と和やかに談笑中だし、右も左も分からない私は、着物を仕立てに来たわけではない。
「あの。商いで忙しい時に、お邪魔したのではありませんか?」
「いや、此れは、奥で反物の出来を確認していただけなんだ。それに、こうして新作を身に付けて店頭にいてもらうだけで、客寄せになる。」
華苑の行灯の下でばかり会っていたから、気付かなかったけれど。
源様の胡桃色の髪が陽に透けると、さらに明るく柔らかい色になるらしい。
こうして優しく微笑みながら、陽の下に居るのが似合う人なのだな、と感じた。
「もしや、探していたかもしれないが。あの絵師の図案を使った反物や着物は、まだ店頭には置いていないんだ。
季節毎に品数が揃ってから、出す事になっていてね。藍花さえ良ければ、春物や夏物を眺めてみないか?」
「ええ、探してました。眺めるのは目に楽しいですけれど、今日は私の着物を、仕立てに来たのでは無くて……」
志津音さんはどの位呉服屋に居るつもりなのだろう?と思い、源様の肩越しにひょいと覗いてみると。
なんと志津音さんはすでに畳の上に上がり込んで、熱心に絹織物を選んでいた。隣に座る奥様も、ニコニコしながら次々と反物を広げている。
「ああ、母と志津音さんはああしていつも拘るから長くかかるよ。大丈夫、快気祝いに少し楽しんでもらいたいだけだから。」
やはり志津音さんと居るのは源様の母様、呉服屋の奥様だったらしい。
髪や瞳は黒だけれど、優しげな笑顔も、少し垂れ目気味の細面も源様とそっくりだったから。
私では声を掛けるのを躊躇う雰囲気だったのにも関わらず、慣れているらしい源様は、二人に"藍花に新作の反物を見せてくる"と断りを入れ、私を店の奥へと案内してくれた。
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秋の終わりには紙の上に収まっていた華やかな彩りが、こうして目の前に反物や着物の柄として在ることに、少なからず感動を覚えた。
着物地の色味や風合いも影響しているのかもしれないけれど、思わず手に取ってしげしげと眺めてしまう。
「……藍花はやはり、"花"を好んで選ぶ」
「鶴や扇は、姉姫様や舞手を連想するものですから。
………源様、今更ですが、"藍花"はもう散った華姫の源氏名。今は、両親のつけてくれた"螢"だけが私の名です。」
「螢?そうか。瞳の色、だね」
じっと。真っ直ぐな胡桃色の瞳が、"螢"の名の由来になった私の目を見ている。
その間に耐えられず、ぱっと手元の着物に視線を戻してしまった。
ーー急な私の動きは、不自然だったかもしれない。
「"今更"というのなら、此方も言いそびれていた事がある。
……通い始めたきっかけになった梅雨の夜のこと、だ。
華姫という立場で、弱音や悩み事を見世の者に言えずにいるのかと。顔見知りであっても"客"では無い俺になら、気負わずに話せるかもしれない、とふと思っただけなんだ。」
"雨夜の詫びしげな理由は、嫁いだ姉姫への懺悔文で解消したのかと、気になってはいた"と。源様はそう続けた。
華苑の客と華姫として初めて会った夜には、聞けずじまいだったこと。
「 覚えて、いてくださったのですね。
………"詫びしい"というか。雨夜にみる夢で、忘れられない過去があったのです。何も出来なかった自分を、いつまでも悔やんでばかりでした。
でも、それは私一人がいつまでも気に病むような事ではなくて。
あの時の文がきっかけで、現在の私に出来る事をすれば良かったのだとも……気付きました。
だから、もう、解消したようなものです。」
千鶴姉様の涙を止めたかった、なんて。十の童女では無理。
あの雨夜に綴った文を出して、千鶴姉様も千亀様も喜んでくれたこと。
今、本当の妹のように思う双子の笑顔が見れること。
離れて暮らしていたのに、互いに思い合う親子もいるのだな、と知った。
「"今の自分に出来ること"……か。
品納めで華苑を訪れても、会わせてもらえないようだから、また志津音さんと萌葱に来てくれると嬉しい。」
「道に迷うような事は、ありません、よ?」
「……螢一人では、誰かに捕まえられてしまいそうだから。」
少しだけ言いにくそうに、苦笑まじりで言われてしまった。
そんなにも私はフラフラしている印象があるのだろうか?
「それに、誰かの"付き人"の体でないと、花街からの足抜けに間違えられてしまうかもしれないだろう?」
「足、抜け。」
「…螢?」
"志津音さんとのお出掛け"は、気晴らしになるとしか考えていなかった。
元はと言えば、自分は華苑から。
むしろ、あの楼主から逃げて来たのだった。
「……仕置き、されるの、かしら…」
髪の件で逃げ回った時、夜這いされかけたのを思い出してしまい、目の前に源様が居るのにも関わらず、自然と表情が強張る。
もしそういう状況になったら、教えてもらったお呪いの効果に縋るしかないけれど。
借金だけではない"借り"がある楼主から距離は離れたけれども、私が帰る場所は華苑。
これからも暮らしていくのは、あの三階の一人部屋。
花街からの足抜けと、楼主の居る部屋からの脱走は、同じようなものに思えてしまった。
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しがない→みすぼらしい、貧しい
太物→綿織物や、麻織物など太い糸の織物。布地の総称。
呉服→絹織物のこと。
着込む→衣服をきちんと着る。
風合い→手触り、質感。




