【第三夜】故意に、逢いを交わす
美月と茶会の後。しっかり螢の主張は楼主まで届いていたようですw
箏の稽古の無い日。珍しく昼前だというのに、楼主が部屋を訪れた。
長くなるのかと思い、茶を淹れようとしたけれど、"それ程長居はしない"と言われ、心なしかホッとしている。
今はお互い花七宝柄の、柔らかな珊瑚色をした座布団に座り、膝を揃えて向かい合っている。
美月が座っていた時は、とても可愛いと思ったけれど、暗い色ばかりの着物を着る楼主には対照的過ぎて、違和感を感じるばかり。
今日の楼主は渋い柚葉色の羽織に濃紺の着流し姿。昼だからこそ色味が分かるのであって、日が沈めば闇に溶け込んでしまうかもしれない。
かといって、楼主が薄い色の着物を着ている姿は想像するのも難しいけれど。
暗い濃紺と明るい珊瑚色の取り合わせから徐々に目を逸らしながら、畳の目を見つめながら話に集中しよう、と思った。
「"箏の師範として、一方的に囲われているようなものだ"と。確かにそう、耳にしたのだが。……不満のようだな。」
「………不満、など。」
あの時は、美月に誤解して欲しく無い一心で、そもそも楼主に手折られるような関係では無いと、強い否定の感情のままに事実を述べただけなのに。
楼主にまで聞こえてしまったらしい。
「身の振り方に関しては双方、同意であった筈だが?」
「ええ。ですから、何の不満もございません。……ただ、楼主様は確かに仰いました。"囲う事にしたのだ"と。」
ーー今現在の"身の振り方"に関して不満は無いけれど。
肌を晒したまま、髪の手入れを七日に一度の頻度で行うようになった事だけは、直ぐにでも辞めて頂きたい。…とは常々思っている。
「解せんな。その様に囲った覚えが無い。」
「………。」
「ただ箏が上手いというだけで、この華苑に居候を許すと思うか?何故、お前に個室が与えられているのかも、考えが及ばぬ様だな。」
「それ、は。」
「"囲う"とは、あくまで"保護"という意味だ。環境を変えずに、自身の好む箏の勤めだけならば、心身への負担もあるまい。
大方、見世への借金の話が出た時に、払い終えたのが"自分でも想い人でも無い"と、拘ったのだろうが。」
「………。」
「…その上で、何を"交わしていない"と抗議していたのだ?」
「こ……」
売り言葉に買い言葉。
危なく素直に"恋や愛"と、答えてしまうところだった。
それでは、"借金を完済する前、華姫のうちに恋愛をしたかった"と楼主に言っているようだし。
それでも花芽の頃から、恋をして、愛する人が居て。身請けで花街から出るものだとばかり思っていた。
「"こ"?
年若い蕾には声高に宣言しておいて、主人には言えない、と?」
「…………恋も………ぁ…愛も、交わしていない、と…。」
「此れほど促してやって其れとは。……先が思いやられるな。」
相手の善意や好意を発端とする"借り"というもの(?)は、恐ろしい。
これならば、確実に目に見える形で返していける借金の方が気が楽だったのでは、と今更ながら思う。
同じものを、いや、"それ以上のものを返せ"と言われているような気がするのは、私の心が狭いから、なのだろうか。
ーー確かに、言った。
"借金を払ってもらったとはいえ、楼主とは恋も愛も交わしていない"と。
それがどうして"私の不満"だと捉えられ、"これから恋愛すれば良い"になるのだろう?
無理が祟らないよう、心身の保護という名目で囲われているらしいけれど。
それでもこれは、華苑の箏の師範としてでも、楼主の妾扱いでも無いと、言い包められているだけなのでは?
「恋や愛を交わすなど、お前次第なのだが。………なぁ、螢?」
ーーー何だろう。
例えるなら、気づけば一人高所に居て、これ以上ないくらい足場を削られていて、腕を広げた楼主に"飛び降りろ"と下から脅迫されているような心地がする。
自分の立場の危うさも、楼主に受け止めてもらうのも、同じくらい怖さを覚えるのだけれど。
"お前次第"なんて、選択肢があるような物言いで、実際は楼主を慕うか、恩も省みず、囲われているのを引け目に思いながら過ごすしかないのに。
ーーそれとも。慣れて、いくのかしら。
楼主に髪を梳かれ、香油を使われる夜の手入れに。
背の印は伸びた髪で隠れる今でも、確かめては"薄くなった"と同じ箇所に二つ、付けられてしまうし。
未だに顔に熱が集まってしまうし、身体の内側にゾワゾワとした痺れるような感覚が走る事も。勝手に漏れそうになる声を堪えている事も。
楼主に、いつ気付かれてしまうかと思うと気が気ではない。
「…楼主様。
確かに、片想いならば一人で"恋"も出来ますが、"交わす"となると二人共……互いに想い合う事です。"私次第"ではありません。」
「………。」
「?……楼主、様?」
「華姫であれば、身持ちが固い事は美徳。……だが、呉服屋の倅には同情する。」
「同情、ですか」
「難攻不落の城だとしても、周りは既に固めてある。
このままゆるりと開城を待ってもいいが、この調子では攻め落とす方が容易だな。」
笑み、といえるのだろうか。
楼主の口角が片方だけ僅かに上がり、少しだけ目が細まる。
獲物を定めた狩猟者は、こんな表情を見せるのかもしれない。
やはり、"私次第"では無い。既に色々と攻めてきているくせに。
嫌な予感しかしないけれど、楼主にとって今までの事は、ほんの小手調べなのかもしれない。
それでも、一矢報いたいとは思う。
「楼主様にとっての"恋愛が何か"は、測りかねますが。相手の意にそぐわない事をしても、頑なに嫌われるだけです。」
これ以上は話すつもりは無い、とばかりに目を伏せ、ツンと顎を上げた。
私だって、そういう機会に恵まれていないだけで"心惹かれるひと"を選びたい。
静かだな、と反応の無い楼主をチラリと見ようとした矢先の事だった。
片膝を立て、腰を上げかけた楼主は向かい合って座っていた時よりも距離が近い。
私の上げていた顎を、長い指が掬うように捕らえた。
たったそれだけで"目を逸らすのは許さない"とばかりに、顔を固定されてしまう。
「……お前の"意"とは何だ」
千載一遇の好機とはこの事だろうか?
それとも絶体絶命の窮地に陥っている??
今なら、聞いてもらえるかもしれない。
でも顎を離して欲しいし、眉根を寄せて剣呑な光を宿した瞳で睨むのもやめて欲しい。
しっかりと顎を固定したままの指が気になり、震えそうになる唇をどうにか開く。
「……背に。印を付けられるのが嫌、です。髪の手入れも、自分でしたいのですが。」
「何故?今まで大人しくされていただろう」
"大人しく"ではなく。
声に出さぬよう、静かに堪えていただけ。
"何故"とは、理由が思い当たらないということ?
「楼主様に、触れられると。緊張の為に動悸がします。
今までは……堪えて居りました。室内とは言え、いつまでも背を出しているのも、風邪をひきそうで…」
「黒炭ならば、好きなだけ使え。
……背を出しているとはいえ、顔は赤かったように思うが。」
「な、な…!?」
「何の為に、鏡を据えていると?」
手入れされている髪の状態を、私が確認できるように、ではなかったのか。
私の表情を見る為に、楼主はわざわざ畳に鏡立てを置いていた、と?
手持ち無沙汰に口元を両手で覆っている私を、赤く染まる表情を、今まで鏡越しに見ていたと……!?
「百面相、とまではいかないが。満足そうに澄まし顔をする遊女とは違って、見ていて飽きない。」
ーー楼主は、他の見世の遊女の髪まで同じ様に手入れをしているらしい。
途端にスッと心が冷えた心地がして、それまでの動揺も治る。此方の反応を愉しまれるなんて、真っ平御免だ。
「…それ、その様に。瞬きの間に表情を変えている自覚は無いのか?」
そういう楼主こそ、単に不機嫌なだけだったのか、険しい表情から先程の狩猟者の表情に戻っているのだけれど。
ニヤリ、とした物騒な笑みが、至近距離にある。
「急かすつもりは無いが、瞳を詠むまでもなく、表情は何を語っているのだろうな?」
瞳を、詠むまでもない…?
不意に、千鶴姉様が千亀様から頂いた簪を眺めては、表情をくるくると変えていた事を思い出した。
ちりめんの白い翼を広げて、色取り取りの花の上を飛ぶつまみ細工の鶴に、ほ〜っと見惚れていたかと思えば、切なそうな溜息をしたり。優しく微笑んだり。
"簪に"だけれど。
それが不思議でじっと見つめていた私に、「千亀様に、心を奪われてしまったのよ」と。
"贈ってもらった此れの所為で、思い出してしまうの"と恥ずかしそうに照れ笑いしてーーー。
ーー違う!違う!!
恥ずかしくて、声やら緊張やらを堪えているから、顔が赤くなったり動悸がするのだもの!
楼主に触れられなければ、百面相なんてする筈がない!
もう自分が今どんな表情をしているかも分からず、ぎゅ、っと顔面に力を入れる。
一度気合いを入れれば、少しは緊張が解けーー。
ふにゅ、と。
唐突に、花芽であった頃楼主からもらったマシュマロのような感触が、した。
これは、知っている。
背を喰まれた時と同じ、だから。
ぴしり、と何かにヒビが入り、壊れたような幻聴がした。一瞬のうちに、寒さで氷漬けにされたような心地も。
表情を誤魔化そうと気合いを入れ、緩んだところで瞼を半分開いた時には、楼主に唇を奪われていた、なんて。
「………」
「これで放心するとは、新鮮だな。もう一度すれば気が付くのか?」
あ、今度こそ喰われる、と感じた。
鼻が当たらないよう、少しだけ顔を傾けて唇が少し開いてるのだもの。
目の、前で。
パシッと軽い音と共に、顎に添えられていた手を払いのけた。
重たい色打掛とは違って、付け下げの方が幾らか動きやすい。
スパァン!と大きな音を立てて開け放した襖もそのままに、私は脇目も振らず、楼主の居る部屋から駆け出した。
楼主に。
唇を、奪われてしまった。
私の心はまだ奪われていないと……良いのだけれど。
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一人、部屋に残された楼主はというと。
急に防衛本能が働いた野生動物 宛らの俊敏な動きで、螢が部屋から走り去るのを、妖艶な笑みを浮かべながら眺めていた。
「…何だ、また"鬼ごっこ"でもしたいのか」
ーー過剰な反応を見せながら、逃げられれば逃げられる程、追いかけたくなるというのに。
「…さて。」
獲物をわざと逃した狩猟者は、居住まいを正すと楼主の勤めへと戻った。
誰も居なくなった部屋には、珊瑚色の座布団が二つ、そのまま残されていた。
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花七宝柄→中心に花を添えた、円弧が連なっている伝統柄。円満、調和の吉祥文様。
剣呑な→危険な感じがする様。
黒炭→火鉢用の暖をとるための炭。
手持ち無沙汰→する事が無くて間が持たないこと。




