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螢の小夜曲 *奏姫*  作者: 如月 宙(そら)
・:*+.月下美人の奏姫.+*:・
2/34

2、雨夜の密か事

藍花が(とお)の頃。過去の夢と(うつつ)







……ああ、イヤだ。


みんな寝てしまった頃に、どうして一人だけ目が覚めちゃうんだろう。

薄い布団の中でモゾモゾと何度か寝返りを打ってみたものの、やっぱり長くは我慢できなかった。



毎日通っているはずの、磨かれた廊下は案の定暗闇に沈んでいた。

(おもて)に面した華やかな花娘達の部屋とは対照的に、幼い花芽(はなめ)達の寝所(しんじょ)は裏手にあり、ほとんど(あか)りが無い。



ぺたり、ぺたりと暗闇の中で聞く、自分の足音さえ不気味に思えてくる。

やっとの思いで(かわや)へたどり着いたせいか、いつもより長居してしまったよう。

再び闇色の濃い廊下に出た頃には、シトシトと雨音まで聞こえ出していた。





ーーあれ?さっき通った時は、暗かったのに。




廊下に一筋(ひとすじ)()れている(だいだい)の光は、普段使われることのない部屋から伸びていた。

確かここは薬師(くすし)時折(ときおり)訪れては、丸薬(がんやく)や塗り薬など、常備できる(しな)を置いて行く薬棚がある部屋だったはず。




「ーーーあの子が、欲しい」



「"あの子"じゃ、わからんが…」



「胡蝶蘭の、腹の子だ」



「まだ女子(おなご)か、わからん」




耳に届いたのは、わらべ唄のようなやり取りと、ポツリ、ポツリと(つぶや)語調(ごちょう)の低い声で交わされる会話。




「すでに嫁入りは決まっているが。父母のどちらに似ても、見目良く優秀な子だと分かるだろう?」



「取らぬ(たぬき)皮算用(かわざんよう)…だが、お主が言うと賭けにも聞こえんのが不思議だな。」



「逃がす魚はでかい。この際、乳飲(ちの)み子からでも養育するつもりだ。」



「なに、華姫にはまだはっきりと伝えておらぬし、赤子が早く産まれる事もあろうて。」




華苑の華姫様で、お嫁入りが決まっている千鶴姉さま。……お腹に、赤ちゃん!?

楼主(ろうしゅ)さまと薬師さまが言うからには、きっと間違いない!



明日、千鶴姉さまにこっそり聞いてみようと心に決め、はやる気持ちそのままに、トタトタと寝所まで駆け出してしまった。




「……誰ぞ」




す、と引き戸が静かに滑る。背後から聞こえた冷めた声音(こわね)に、自然と足が(すく)んだ。

こんな時に限って姉様方が"楼主様は怖い"とヒソヒソ話していた事まで、思い出してしまう。



ぎこちない動きにはなったものの、急いで振り向き、その場で正座をし、深く(こうべ)を垂れた。

"誰ぞ"と目上の人に問われたからには、きちんと答えなければいけない。




「ほ、螢です。楼主さま。」


「……こんな夜更けに(ろう)を走るものではない。寝付いた者が覚めてしまう。」


「……はい」




さっきよりは怖さを感じないけれど、消え入りそうな震え声を出すのが精一杯だった。

楼主さまと言葉を交わすのは、私が華苑(カエン)の者になった3年前ーーー"目利(めき)きの日"以来の事で、普段は見世で姿を見かけることも少ない、遠い存在なのだもの。




ふぅ、と頭上から聞こえた溜め息。


板目模様だけだった視界に差し出されたのは、楼主さまの(てのひら)と。

その上に見たことのない、白いもの。




「寝付く前に、これを。」




食べ物だろうか。それとも、薬?


(ろう)に片膝をついたままの楼主さまから、受け取らないわけにもいかず。

恐る恐る顔を上げ、白いものを口に運んだ。

噛んでみればフワフワ、モニモニした食感の、甘い菓子だった。




()れは、花芽の数には足りない品。

…聞こえていただろうが、華姫懐妊(はなひめかいにん)(きざ)しは皆まだ知らぬ事。


その上、胡蝶蘭は嫁入りを控えた大事な身だ。めでたい事は皆の前で、姉姫から直に聞きたいだろう?」




遠い存在である楼主さまから、自分は"貴重な菓子"をもらったらしい。

ついさっき耳にしたばかりの千鶴姉さまの話にも、思わずコクコクと頷いた。




「胡蝶蘭が自ら語るまでの短い期間なら、誰にも言わずにいられるな?……姉姫の娘は、年の離れた妹のようなものだ。」




"では、静かに寝所に戻りなさい"と告げられ、深く礼をしてから立ち上がった。


甘い菓子は、私の足元もフワフワにしたのかもしれない。

夜の廊下と楼主さまへの怖さも緊張も、いつの間にか感じなくなっていたから。



千鶴姉さまの赤ちゃんなら、すごくかわいいだろうな。ーーー私に、妹が出来る。








****




「お主が、食べぬ菓子を持参してる訳がようやく知れたわ」




ひとり薬棚に囲まれた室内で、成り行きを傍観(ぼうかん)していた薬師だったが、楼主の手慣れた様子に(あき)れたように肩をすくめた。




「花芽の童に、言い含めただけだろうが?噂好きの花娘達には効かぬがな。」



「花娘を(もく)する(すべ)の方が、お(ぬし)には容易(たやす)いだろう?皆に秘密の菓子で交わした口約束も、童女(わらわめ)には十分毒じゃが。」



「"花は大切に育て、()でるもの"と教わったからな。……皆からは毒婦と呼ばれた母に。」



「親が親なら子も子だな。ここの庭には毒を盛られた花ばかりかのぅ?」



「子供騙しの手練手管(てれんてくだ)が効かぬとあらば、華姫の(うつわ)。それこそ、本望(ほんもう)だ。」



(こわ)(こわ)や。()り手の(さが)は父親譲りか?」




楼主と薬師の密談は、夜更けまで続いた。

薬棚が壁一面に並ぶ部屋の戸は、今度は内側からピタリと閉じられている。

何事もなかったかのように、灯りを漏らす事もなく。








****




シトシト、シトシト。



決まって雨夜にみる過去の夢。

すでに顔も忘れてしまった、村の子達の声で響く唄。




…勝ってうれしい♪ はないちもんめ


負け〜てくやしい♪ はないちもんめ


あの子がほしい♪ あの子じゃ分からん


その子がほしい♪ その子じゃ分からん


相談しましょ♪ そうしましょ…






()のあるうちは季節を(うた)い、調(しら)べを(かな)で。夜毎(よごと)優美(ゆうび)に舞う。

高く結われた髪には、(ぎょく)(きら)めく(かんざし)と色鮮やかな花飾り。

緋色や桃色の(べに)を引いた唇。



そんな年頃の花娘達の中で、特に秀でた者が"華姫(はなひめ)"に選ばれる。

華姫の専属である"姫付き"に選ばれる事も、幼い花芽(はなめ)達にとっては憧れだ。




日夜(にちや)訪れる男達にも、高嶺(たかね)の花である胡蝶蘭は、さぞ眩しく(うつ)っていただろう。

私にとっては誰よりも身近な姉様で、花開くような笑顔が似合う、千鶴姉様。



月満ちて、(たま)のような双子の姉妹が産まれた日に、涙を見るとは思っていなかった私。

花娘達が口にしない"花街の掟"を知らなかったーーー幼い私。





雨夜に(わび)しげな藍花?


そうね。

あの2人の(みそ)(ごと)に居合わせなければ、何も知らなかったでしょう。

楼主との口約束よりも、千鶴姉様と話していれば千亀(かずき)様が、手を尽くしてくれていたかもしれない。

望美も美月も、羅甲屋(ラコウヤ)のお嬢様として、幸せに暮らしていたかもしれない。


花街の、外でーーー。





すっかり忘れていた、文机(ふづくえ)に広げたままの文。

もうとっくに墨が乾いただろう。

整った(きら)びやかな部屋も、灯りが落ちれば闇に沈む。耳につく雨音は変わらないまま。



ここは楼主が整えた庭なのだ。

いくら芸事に(ひい)で、華姫と呼ばれようと所詮は客を招く為だけに咲く華。

昼夜問わずに華苑(カエン)を訪れるほとんどの客は、物好きな金持ちや、日常に飽いた道楽者(どうらくしゃ)ばかりで。




ーー千鶴姉様。


螢は、雨夜になると決まって過去の夢の中、華苑(カエン)の闇を、彷徨(さまよ)っております。

ここでは楼主の甘言(かんげん)しか、聞こえませんーーー。






****



此方(こちら)甘水(あまみず)

彼方(あちら)苦水(にがみず)


闇夜に休める水辺を求め。

燐光(りんこう)(まとい)て舞う、夏の虫。


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