16、散りゆく花弁
それから暫くは、思考に霞がかかったようなままで日々を過ごした。背の発疹は広がりはしなかったものの、痒みが治ると時折疼くような痛みがあった。
今はもう、軟膏も必要無いだろうと思うくらいの瘡蓋になっている。
あの夜、楼主に切り出された今後については、意外にも簡単に答えが出たように思う。
私にとっての"幸せ"が何かまで気付けたわけではないけれど、"華姫はこういう者だ"との自分の思いに縛られていたのは確か。
後は一つ一つ、自分にとって必要だと思えるモノ、馴染んでいるモノを思い浮かべてみたのだ。
横になっている時間が長いと、忙しく過ごした日々の事まで思い返すもので。
源様一人に披露したきり、"かごめ唄"を肝心な双子へ伝えていなかった事や、部屋通いを始めたきっかけを源様から聞きそびれてしまっている事も。
甲斐甲斐しく食事の度に此処まで膳を運んでくれる双子に、半日過ごせる時間を作ってもらった事だし、今後の事も二人に伝えてしまおうと心に決める。
「失礼致します。藍花姉様、よろしいですか?」
「さすがに二張は無理なので…美月の箏を持って参りました。」
そろり、と寝所と居間を隔てる襖が開くと、此方を伺うように望美と美月が揃って顔を覗かせた。
「無理を言って御免なさいね。唄を作ったのだけれど、二人に覚えてもらいたくて。」
「いいえ?これで堂々と藍花姉様の部屋に居座れます。」
「楼主様が過敏過ぎるのだと思います。皆に"見舞いはするな"なんて。
私達だって毎日側に寄れるわけではないのに、"具合はどう?"とか"顔色は?"なんて姉様方に聞かれるんですよ?」
美月の言葉に、思わず首を傾げてしまった。花娘達が万が一、水痘に罹ると悪いからではないのだろうか?
「最近では落ち着いたと思っていたけれど、花娘達は夜宴でも忙しいのかしら??」
「個々の贔屓客というか、通い出したお客の月下美人に見初められた姉様方は、それぞれ愉しげに過ごしていますよ?
勤めとは別で、皆普通に藍花姉様が心配なのだと思います。」
"普通に心配"と言われるまで、勤めに支障があるのかとしか考えていなかった自分に気付き、思わず苦笑してしまった。
「"有難う、もう大丈夫"と言っていたと伝えてもらえる?それにしても、貴女達の見立ては凄いわね。宴が増えただけでなく、姉様方の縁結びに繋がったのだもの。…そうね、今から奏でる唄も今の華苑に丁度いいのかもしれないわ。」
源様の解釈のかごめ唄であれば、もう少し凝った華やかな曲調でもいいのかもしれない。
双子には居間で代わる代わる練習してもらい、私は自分の箏を寝所に据えての稽古となった。
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「……燎殿。」
「名で呼ばれるのは好まない。華苑の楼主で十分だ。」
「では、楼主。華姫の容体はどうでしょう。落ち着いたのならば、見舞いを許して頂きたい。」
ーー急に改まって名を呼んだかと思えば、藍花の話か。
この呉服屋の倅は、何処で聞き及んだのか華姫が患っていると知り、華苑に客として訪れるのは控えているようだった。
今日とて最近通い出した新規の客からの注文の品を、陽が沈む前に花娘が身に付けられるよう直接届けに来ているだけだ。
勝手に華姫の奥座敷まで訪ねられるよりは、幾らかマシだが。
すい、と視線を向ければ目の前の男は真っ直ぐな瞳で此方の返答を待っていた。
「…時に、呉服屋の。水痘には罹っているか?」
「水痘?いや、幼い頃から流行病には罹った覚えがありません。体は丈夫な方で、他人から風邪ももらわないので。」
「ならば、華姫への見舞いは断る。呉服屋の大事な跡取りが病をもらったとあれば、此方の評判に傷がつくからな。」
「藍花が患っているのは…移る、病なのですか」
「童の頃であれば大事には至らないのがほとんどだか、若人が罹れば高熱が続き、子が望めなくなるらしいからな。」
医師が言うからには、告げておくに越したことはない。何の因果か、呉服屋の倅は藍花とは正反対で体質に恵まれているらしい。
年の頃も近く気質も似通っていると思い、人知れず会わせてみたのだが。一年以上も通い、呉服屋の倅がその気になったらしい事は"華苑の客"として訪れた事で知れる。
ただ今となっては、華姫の勤めに支障が出るほど、虚弱な自身をひたすら取り繕うあの娘には酷な相手かもしれない。何にせよ、枯れ落ちぬよう夜の庭からは外そうとは思ってはいたのだ。
「…内密な話になるが、あの娘は華姫としては潮時だ。愛でるなら別の花娘にする事だな」
「華姫が潮時…?藍花はどうするのです」
「そろそろ本人の意向を聞く時期ではある。裏方に回るか、花街を出るかは定かでは無いな。」
「"想い人"として意識した事は無い、と一度は藍花に断られましたが……華姫としての勤めを終えるなら、身請けの選択肢も加えて頂きたい。」
「病が治った後も、再び発疹が出ないという保障はない。現に、藍花は二度目で医師を呼んだのだ。
嫁ぎ先で隔離部屋でも与えておくか?其れとも、触れられぬ嫁を飾っておくか。……源殿、呉服屋の跡継ぎはどうする?」
この若人は、自身の本気さえ届けば万事上手くいくと思っていたのだろう。世間知らずの箱入り息子か。
恋焦がれ、愛を交わした相手に嫁いだにも関わらず、悲惨な日々を送る者もいるというのに。
嫁入りといっても親類縁者の後ろ盾は一切無く、花街の外には相談相手の友人の一人も居ない。
故に、華姫は想い人を"唯一の人"と呼ぶ。
身請け話を持ちかける男とは、そもそも覚悟の度合いが違う。
「悪い事は言わぬ。華姫と客の関係だったと割り切るのだな。」
先程の問いがよほど堪えているのか、呉服屋の倅は項垂れたまま緩くかぶりを振った。
"せめて、文を"と蚊の鳴くような声が耳に届く。頭痛を覚えるのは此方の方だというのに。
「…それで気が済むのなら、止めはしない。」
これ以上、苛立ちを覚える相手と交わす言葉は無かった。
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甲斐甲斐しい→手際よく、健気に
因果→不運な様。
倅→他人の息子をくだけて呼ぶ様。若輩者の事。
若人→若者、青年。
気質→気だて。気性。
潮時→物事を始めたり終えるのに適当な時期。
悲惨→見聞きに耐えられないほど傷ましい事。
後ろ盾→影にあって力を貸し、助けてくれる人。
かぶりを振る→頭を左右に振って不承知、否定の意を示す。




