14、罹患と自覚。
ーー痒い?
朝晩の冷え込みを感じるようになった、神無月のある朝のこと。
背中に違和感を感じ、そっと手を伸ばすが中々その場所まで届かない。やっと触れた、と思えば指の先でぽこぽこと小さい起伏があるのを感じた。
怠さを覚える身体で起き上がり、姿見の掛け布をパサリと上げる。
さらりとした肌触りの寝衣の両肩を落とし、藍花は自身の白い背中を露わにした。
蕁麻疹、かしら?
やっと手が届くような場所に、ポツポツと発疹が出ていた。確認しながらしばらく触れていると、ヒリヒリとした痛みまで伴ってくる。
この手の事は口外したくは無いのだが、放っておくのも憚れる。
何より季節の変わり目の影響か、多忙だった長月が過ぎ、ようやく客足が落ち着きをみせたと気が緩んだ反動かもしれなかった。
本格的な寒さが訪れる前に、軟膏の一つでも処方してもらおう、と医師に診せる事にした。
一応華苑にも病人が療養する為の畳部屋があるにはあるのだが、華姫個人の奥座敷でも大した変わりはないだろうと、診察は自らの部屋でしてもらえる事になった。
幼い頃から抵抗感のある医師だけではなく、今回は見習いだと女性の助手が同席している。
「痒みだけではなく、眠れぬほどの痛みも感じなかったかね?」
「痛み、というと…?」
「火傷を負ったような、人によっては発疹が治っても痛みだけ神経に残る場合がある。
普通、抵抗力の弱まる老年期に発症するものだが。
睡眠不足や疲労が祟ったのかもしれん。一度治りかけたところに再び広がっとる様だしの。」
"火傷のような"と言われ一時期、胸の痛みを覚えた事を思い出す。
ジワジワと、じんじんと、ズキズキと広がり、強まっていく痛みは一度寄せると中々引かないものだった。
ーーあれは、胸ではなく背中の痛みだったということ?
畳の上に広げられている助手の女性が持参した包みの中は、一見どれも同じような紙箱が入っていた。
助手の女性はその中の一つから迷う事なく白くつるりとした陶器を取り出すと、寝衣を着直している私へ差し出してきた。
「これをお使いください」
用は済んだとばかりに先程まで診察に使っていた拡大鏡を、丁寧に仕舞う医師から其れは軟膏だと告げられる。
「気休めのような塗り薬ではあるが、そのままにしておいても減るものでもないのでな。
水痘に罹っていない者に移さぬよう、暫くは大人しく身体を休めるしかあるまい。」
「はい、ご足労お掛け致しました…」
たかが発疹、と思っていたのだが。
これは以前罹った水痘の影響らしく、あの不思議な痛みもまたあるだろうとの事。
一応楼主への報告もしておく、と言い残すと医師達は早々に部屋を去っていった。
今現在自覚症状はほとんどないにしても、未だ罹った事のない者には痒みのある発疹や高熱の出る水痘が感染してしまうのだろうか?
大人しく休むしかない、と医師に言われてしまっては仕方がない。
一応双子には、治るまではなるべく部屋に入らないよう知らせなくては。
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一人で過ごす時間は、普段よりも長く感じるもので。
治るまでの"暫く"がどのくらいかもわからない事もあり、綺麗に結われていた髪も自ら解いてしまった。
すでに日は暮れていても、花娘達はまだ勤めの時分のはず。
私も眠気が訪れるまで箏でも弾いていようかと思い立ち、ゆっくりと上体を起こした。
ふと。静寂の中カタリ、 と廊と居間を隔てる引き戸が動く僅かな音が聞こえたような気がして、じっと耳を澄ましていると急に目の前の桜柄の襖が開いた。
「……起きていたのか。」
思わず何故ここに?と言いそうになった口を慌てて隠しつつ、急いで枕元の角形行灯に手を伸ばした。
楼主が持参した洋燈の灯りに加え行灯の灯りもあるのだが、場所が自分の寝所というだけでなんとなく心許ない。
居間に移ろうと腰を上げようとしたところ、"そのままで"と制された事もあり、今はひたすら布団の上で緩く組んだ自分の手を見つめていた。
ーーどうすれば良いのだろう。この、心臓に悪い見舞い(?)は。
どうにも落ち着けない、と一人悶々と考えているうちに楼主が口火を切った。
「医師からは疲労か睡眠不足であろうと。水痘に罹った事のない者は感染する事もあるやもしれぬ、と聞いたのだが。」
「はい、私もそう言われました…」
「一度治りかけた箇所に、再び広がっているそうだな。」
「以前痛みは時折感じていたのですが、今は…痒みを覚えるくらいです」
何故、医師から聞いたであろう事を私に問うているのか。
診察の事実確認というよりも、尋問されているような心地になるのは、夜分に聞く楼主の淡々とした低い声のせいかもしれない。
「……背を」
「……え…?」
背を。見せろと言われたのか向けろ、と言われたのか。
発疹の状態をこの目で確認したいという事だろうか?
自分ではそんなひどい状態ではない、と思うのだけれど。
確認するならばせめて明るい昼間、いやむしろ二人きりでは無く、診察時に同席してもらいたかった。
頼りない灯りしかない寝所で、楼主に背を向け肌を晒すなど考えただけで羞恥よりも緊張が先立つ。
ーーこれは緊張、なのだろうか?それとも恐怖?
ともすればカタカタと震えそうになる体を誤魔化すように、緩慢な動きで楼主に背を向けた。
此方は戦々恐々としているのに、背後からは呆れたような溜息が聞こえた。
「…そうか」
何が"そうか"なのだろう?
楼主の用はこれでもう済んだ、という事だろうか。背を"向ける"で良かったのだ、とホッとしたのも束の間。
シュッ、と短く布地が擦れる音がしたと思えば右側で結んでいたはずの帯が解かれ、緩く抜いていた衣紋を更に下に引かれた。
「…これか。」
独り言のような呟きは耳に届いていたものの、それどころではない。
前の襟は辛うじてはだけていなくとも、背の半分も見えてるのでは無いかと勘ぐってしまうほど、寝衣が下げられているのだ。
急に解かれた帯を、再び固く結び直すのにも忙しい。
こんな心臓に悪い思いをするなら、背を向けるのではなくて見せていれば良かった。
自分からというのも嫌だな、と心に引っかかるものが若干あるけれど。
楼主は私が動揺している事など、全く意に介さないようだった。
これは見舞いの訪問ではない、己の目で医師の話を確かめに来ただけだ。
俯くとさらりと前に流れてくる自分の髪が、せめてもの救いだった。
背を向けてはいるものの、楼主に顔を見られなくて済むのだから。
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・憚る→差し障りを覚えて躊躇う。
・戦々恐々→恐れてビクビクしている様。
・衣紋を抜く→和装の襟の部分。うなじから背にかけてゆとりを設ける着方。
・意に介さない→気にも留めない。
*ちなみに、藍花の症状は帯状疱疹です。
水疱瘡のウイルスが神経の深部で増えて悪さする病気。免疫力の低い乳幼児が患部に直に触れるでもない限り、人には移りません。
作中では胸キュン♡な痛み風に表現しましたが、実際は熟睡してても痛みで跳ね起きるレベルです。痛みで不眠という悪循環…作者は20歳で罹患しましたw(。pω-。)




