13、嫋やかな月下美人
恋愛の好き、じゃないけど嫌いじゃないからどうしよう….の藍花w
ーーやはり、豪華な着物は見慣れているのでしょうね。
連日新規の客ばかりの宴渡りをこなすうち、ようやく華やかな打掛を纏う自分に慣れてきた。
最初のうちは花娘達の大袈裟な反応も、常連客からの褒め言葉も、ひやかしに思えて仕方なかったのだ。
約束していた結い直しの席でも、美月の意見に髪結い師が気を利かせてくれたのか、何通りも髷を試してくれ。
更には双子の推しに負けるようにして、月に一度だけ華苑に訪れる小間物屋から、新しく桜色の紅まで買ったのだ。
受け身ではあるけれど、本当は憧れていた事や欲しいと思っていた物を手にして恐縮している、というか。
自分に相応しいかどうか、まだ自信が持てないというか。
会う人会う人皆、予想外の反応をするあまり、源様にも一人で会うには気が引けた。
今夜は花娘達が宴で総出だった事もあり、双子と四人で茶会が出来そうだと分かった時にはホッとしたのだ。
二十の頃から三年勤めているはずの華姫が、装いを変えただけで精神的にこんなにも違うとは。
自分はまだまだであった、と実感する。
短期間の変化で精神的なくすぐったさを覚えるのに加え、この頃では時折胸の痛みまで感じていた。
心臓がギュッとするような、時と場所を選ばないこの感覚は何だろう?
無意識に胸に手を当てている所を花娘の一人に見られ、どうしたのかと心配されてしまった。もちろん何でも無い、と笑顔で返したけれど。
今夜はその不思議な痛みを感じる事なく、宴渡りが出来た。
度重なる箏の合奏で、花娘達の腕も上がったように思う。
源様と望美が会ってすぐ打ち解けていた様子にも、ほら、警戒するような方ではないでしょう?と微笑ましく思った。
望美と私が先に気を許してしまったからか、美月の機嫌が悪くなってしまったのは誤算だったけれど。
今宵は客と華姫として会っていても、お茶を飲み、菓子で語らうのも今までと何ら変わらない。
双子の前だからか、源様の顔も赤く染まってはいないし。
その代わりと言ってはなんだが、以前よりこちらに向けられる眼差しが穏やかに感じるような。
久方ぶりの茶会に加え、巷で人気の絵師の作品とあって、畳の上はどれも心惹かれる絵図で賑やかだった。
同じ曲でも奏手が違えば表現が異なる様に。絵師独特の色使いの柄や、生き生きと描かれた動物は、着物の伝統を損なう事なく新たに人気が出るように思う。
華やかな打掛を纏ううちに、色柄や模様を選ぶ感覚も少し変わっていたのかもしれない。
幾つか選んだ後に、源様から"仕立てた試作品が気に入るようだったら、贈らせてもらいたい"と言われ、素直に嬉しいと思える自分がいた。
酒に弱い方では無いし、宴渡りを終えて此処まで来るのに歩みも確かだったはず。
ーーそれでも、何だか足元がフワフワするような。
調理師達の渾身の作である華菓子を、源様は友人への土産にしたいそうで。
何でも、共に行くと言い張る幼馴染を振り切ってきたと。珍しく一悶着あったらしい。
「…花娘達も居りますし、次はお二人でも構いませんよ?」
「いや、幼馴染は口が上手い上に酒にも強い。年頃の娘には百害あって一利も無いような奴なんだ。」
隣で聞いている分に、実際二人のやりとりは楽しそうだろうなと思ったのに。
広げていた絵図を全てまとめ終わると、今夜も有意義なひと時だった、と源様は腰を上げた。
「…花街で噂になっている、"夜に咲く月下美人"は藍花の事だろう?
皆に広まってしまったのは、そこはかとなく悔しいが"装い"に関して審美眼が無ければ、呉服屋は勤まらない。」
思わず返す言葉を無くした私に追い打ちをかけるように、"採寸はしない。直しも必要無い時は、そのままもらってくれ"と有無を言わさぬ爽やかな笑顔で言われてしまった。
呉服屋の若旦那は仕立てに携わるものなのかしら?
それよりも、目測だけで着物を誂える事は普通、出来るのかしら??
ほんの二月の間でも、自分は色々と変わった気がしていて、久方ぶりの茶会は想いを告げられる前となんら変わらないように感じてた。
それでも源様は婚約話を無かった事にするつもりは無いのだと、別れの際になって思い知らされる。
残暑厳しい葉月の頃に、"周りに言い囃されて流されそう"と美月が言っていたのを唐突に思い出す。
華姫の装いに浮つきながら、きっぱりと"唯一の人ではない"と伝えたはずの相手に、自分は正攻法で流されそうになっているのかもしれない。
ーー源様が色打掛を持参した時、袖を通さなければ良いのだろうか?
想いに応えられないから、気持ちのこもった物は受け取れないと言って。
皆で食べたもてなしの菓子のようには、いかないのだ。
それとも華姫らしく、自ら選んだ柄や模様を楽しんで、"美しい打掛が出来て嬉しい"と贈り物を素直に受け取れば良いのだろうか。
ーーあの、穏やかな眼差しの源様を前にして?今までの姉姫達は、両想いになる前にどのように振舞っていたのかしら。
なんというか、繁盛している華苑の勤めの面でも、想いを向けられる恋愛の面でも、華姫として正念場を迎えている気がした。
どちらも私の手に余るような現状で、今までが平和過ぎたのか、とも思えてくる。
源様を"唯一の人"として意識した事は無いというのに、これからどう接すれば良いのか、という点で源様の事ばかり考えてしまう。
箏に向かって自分の心の赴くままに表現するのは好きなのに。
今は向けられる言葉に揺らいでばかりで、自分の心が分からない。
そもそも私が考えているのは、華姫としての行動?それとも、螢としての??
その夜は自分の在り方について深く掘り下げて考えるあまり、布団に入っても一向に眠気を感じなかった。
ようやく意識が途切れ途切れになったかと思えば、すでに外は明るくなっていた。
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美月の話によると、朝餉でも皆揃って上の空で、夜の客足が落ち着くまで昼の稽古は三日に一度まで減らすらしい。
客の前では笑みを絶やさず、楽しんでいるようでも、こう連日連夜忙しくては花娘達にとっても大変なはず。
今夜に備え、私も昼間はなるべく横になって過ごさせてもらう事にした。
双子に大丈夫なのかと問うと、裏方の中居仕事は睡眠時間にはそれほど影響せず、いつも通りだと笑顔を見せてくれた。
望美はすでに許してもらえたようで、美月の機嫌は直っている。
「望美は昨日、"美月じゃなくてよかった、姉様方が不在の部屋に入るなんて危ないから"……なんて言うんですよ?
自分が淹れた緑茶が冷めるよりも早く、絵図に夢中になって若旦那に詰め寄ってたくせに。」
「絵図のままでも、ちょっと欲しかったなぁ、あれ。」
たまに、二人の会話がズレているような気がするけれど、これもいつもの光景。
望美が危惧するのも無理はない。気の強そうな華やかさのある望美よりも、儚げな雰囲気でお淑やかな美月は見るからにか弱い。
「華苑には身元の確かな方しか来れないはずだけれど、いつもと違うなと感じた時は、一人で対応しなくていいものなのよ?」
「新規のお客様でしたら、姉様方を呼んでいたかもしれません。
でも、呉服屋の若旦那はお酒どころか、料理もそっちのけで絵図の前に座り込んで居て…華姫様が参ります、と伝えてようやくこちらを向いてくれました。」
「夢中になって若旦那に話していたのは、望美じゃない」
「あの時はっ!選んだ絵図の理由を聞かれたから、美月と藍花姉様にどうかなって話していたの。」
意外にも、望美の方が昨夜の事を気にしているよう。
口下手で型通りの接客しかできないよりも、好奇心旺盛で話し上手の方が向いている勤めなのに。
「でも、藍花姉様の装いにも華菓子にも。褒めるでも無し、華姫の特別なのかと聞くでも無し。
あの茶会が楽しいのであれば、若旦那は今まで通りなんでしょうね」
何故か美月はふう、とため息を吐くとつまらなさそうな表情になった。
別れ際になって、"噂の月下美人は藍花だろう"と。"そこはかとなく悔しい"と言われた事は、今まで通りではないのだけれど。
源様は、双子の前ではわざと口にしなかったのだろうか?
「…あの後、"選んだ柄の試作品が気に入ったら、贈らせてもらいたい"と言われたわ。菓子とは比べ物にならないくらい高価な物だから、今から気が引けてしまうけれど。」
「藍花姉様?今から考えているんですか??」
「気に入ったら貰って、一度試着しただけならその場で返しても良いと思いますけど…なんてったって呉服屋だから困らないだろうし…」
何故か二人共不思議そうな顔でこちらを見ながら、言葉を選ぶように語る。
ああ、と美月が何か閃いたようで、軽くポンと手を叩いた。
「藍花姉様は、若旦那を"華苑の客"として見ていませんね??」
どういう事だろう、と思わず目を瞬く。
「"唯一の想い人"ではなくても、茶会友達なのか気の合う方なのか曖昧でも、若旦那の好意を無下に出来ないのでしょう?」
「なんていうか、美辞麗句の無い方で私達の前でも自然体でしたし、ね。……普通の客より手強いかもしれない」
好意を無下に出来ない?
そうかもしれない。私の為に用意する、と押し付ける訳でもなく"よかったら"と選択の余地があるし。
いや、でも"直しが必要なければそのまま贈る"と言うからには、既に仕上がりに自信があるということ?
寝不足気味の頭で考え抜いた末、出した結論はというと。
当初のように、〈華苑が贔屓にしている呉服屋の若旦那と華姫の間柄〉に落ち着いた。
「客と華姫として会っているのですもの。評判の絵師の図案の着物なら、花街でも評判になって、呉服屋の利になるかもしれないわ。
二人には華菓子でも手伝ってもらった事だし…何か欲しい布小物はあるかしら?」
にこにこと微笑みながら提案する藍花に対して、双子はヒソヒソと小声で語る。
「わざとだと思う?若旦那の話、逸らされてる??」
「藍花姉様お忙しいから…割り切ったのね、きっと。この話題は、しばらくそっとしておきましょう?」
藍花自身にも分からない心情は、双子にも測れないもので。
勤めに真面目な華姫に、二人は労わりの眼差しを向けたのだった。
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審美眼→美を的確に見極める能力。
正攻法→正々堂々とした攻め方。定石通りの方法。
正念場→その人の真価を問われる大事な場面。
美辞麗句→美しく飾り立てた、内容の乏しい言葉。真実味のない言葉。




