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螢の小夜曲 *奏姫*  作者: 如月 宙(そら)
・:*+.月下美人の奏姫.+*:・
1/34

1、花一匁(はないちもんめ)

舞台は花街ですが、花魁というより歌、舞、演奏が売りの見世の話。(芸妓さん風の仕事)






シトシトと降る雨で(けぶ)る、花街特有の(あけ)の灯火。

初めて目にした七つの頃は、等間隔に並んだ灯篭(とうろう)の光に照らされた、常盤色(ときわいろ)の瓦屋根や朱格子の色鮮やかな街並に見入ったものだった。



窓辺に寄りかかるようにして、あの頃から変わらぬ雨夜の景色をぼんやりと眺める。

歳を重ねた分、夜はさして苦手ではなくなったけれど、雨夜となると今でも気が滅入ってしまう。



気づけばつと、記憶から零れるように唄の節を口ずさんでいた。




「勝って 嬉しい 花いちもんめ……負けて くやしい 花いちもんめ……」


藍花(あいか)姉様?わらべ歌、ですか??」




使い終わった茶器を整えてくれていた手を止め、不思議そうにこちらを向く美月(みづき)

(よわい)十二を数えたばかりのこの子に、言うべきか否かーー



花街で育った娘に憂いはつきものだが、ここでわらべ唄を口ずさんでしまうのは、きっと自分だけ。

少しだけ目を伏せ、言葉を選んだ。




「そう。これは………凶作の度に現れる人買いと親のやりとりを真似た、村での童の遊び唄。実際、幼い子が1束の花ほどの安値で取引されていたそうよ。

もともと貧しい村で育ったけれど、私は七つの時に華苑(カエン)の者になったの。」


「…今の藍花姉様は華姫様(はなひめさま)ですから。この見世を埋め尽くす数のお花でもきっと、足りませんね?」


「ふふっ。この見世(みせ)の部屋中、(ろう)や外観全て色鮮やかな花で埋め尽くしてもらえるなら、私も一度でいいから見てみたい。」




蒼玉の瞳を細めてニコニコと微笑む美月に、懐かしい姉姫の面影が重なった。

本当は一面野に咲く素朴なたんぽぽや、満開の桜の下で見上げる花吹雪を、この子達に見せてあげたく思う。



無邪気に話す美月に心を(なご)ませながら、ふと思い出し、小箪笥(こたんす)に入れたままにしていた小瓶を取り出した。

昨夜招かれた宴席で"(こと)の上手い華姫に"と贈ってもらった品で、この辺りでは珍しい星の形をした金平糖が、ぽっちゃりと丸みを帯びた可愛らしい小瓶に詰められている。




「……ありがとう、美月。こんな昔話を楽しい語らいにしてくれて。"花"ではないけれど、昨日"星"を頂いたのを思い出したの。望美と二人で分けてね。」


「ありがとうございます。キレイなお菓子…」




掌に収まる大きさの小瓶を、部屋の灯りに(かざ)すようにして眺める様は、見ているこちらが嬉しくなる。

一粒一粒可愛らしい星型で、淡い黄色や桃色、水色の甘いカケラはきっと双子の姉妹の楽しみになるはず。




「……さぁ、明日の稽古に響くと悪いから、もう休みなさい。」


「はい。では、失礼致します」




背筋をピンと改め一礼すると、大事そうに小瓶を両手で持ち直し、美月は部屋を辞した。

大人びた所作は周りの教育の賜物なのだとはわかっているけれど、陰ながら成長を見守ってきた自分としては、少しだけ寂しさも感じてしまう。




「……今夜は千鶴姉様に、文を書いてみようかしら」




私用の文を書くのは初めてだけれど、今は半紙も墨も好きなだけ使える身。

例え返事が届かなくても、花街一と謳われた華姫:胡蝶蘭であった千鶴姉様に、近頃ますます似てきた娘達の成長ぶりをふと、知らせたくなった。



すでに花芽達が寝静まる時分。

花娘達や華姫は、来訪者に(きら)びやかな時を過ごしてもらう為、泡沫(うたかた)の夢のような調べを奏で、甘やかな恋を魅せるのが勤め。

ただ、この雨では普段よりも客足が遠のくだろう。



今夜は宴のもてなしに呼ばれる事もないかもしれない、と。

久方ぶりに漆黒の文机(ふづくえ)に向かい、サラサラと筆を滑らせるようにして文を(したた)める。



望美と美月の見目や気性(きしょう)、二人の特技や好きな食べ物に至るまで。まだ十五に満たない"蕾"の双子姉妹は、心根が真っ直ぐであると。

思っていたよりも随分長くなってしまった文を何度か読み返す。墨が乾くまで、もう少しだけ時間がかかりそうだった。




「…まるで自己満足な懺悔(ざんげ)の文、みたいね。」




最後に記したのは華姫の源氏名である"藍花(あいか)"ではなく、両親が名付けた(ほたる)

十二年も前に別れたきりだけれど、千鶴姉様ならきっと名前を覚えていてくれる、と思った。



確信のようなものがあったにせよ、過去の華苑での日々を懐かしく想うのは、自分だけかもしれなかった。

いつも優しく、笑顔だった千鶴姉様が見せたあの日の花嫁の涙は、千亀(かずき)様が止めてくださったのだろうか。

千鶴姉様には、幸せな日々を過ごしていてほしい、と想いを()せる。




「…懺悔の文など(つづ)らなくとも、引く手数多の華姫は、毅然(きぜん)としていて良いのでは?」




からかいを含んだような声音と共に、カラリ、と(ろう)と居間を隔てる引き戸が開いた。

断りもなく入ってきたのは、代々華苑に勤める娘達や客が贔屓(ひいき)にしている呉服屋の若旦那。



ーー前もって(しら)せの一つも無く、華苑の中でも最奥に位置する華姫の部屋まで、一体誰が通したのかしら?




「悪いひと。今のは独り言よ?」




振り向きざまに(かんざし)の飾りまでもが小さく揺れた様で、シャラリと耳元で(すず)やかな音を奏でた。

灯していた行灯(あんどん)で見えるよう、若旦那には少しだけ眉根を寄せ、微苦笑の表情を装う。




「急な訪問で申し訳ない。…して、その文は誰に?」


「外に嫁いだ、姉姫様へ。」


「"藍花は雨夜になると侘びしげだ"と。先刻まで会っていた楼主が気にかけていたから、品納めのその足で寄ってみたのだが…」




"既に嫁いだ華姫には、敵わないな"と、先程よりは親しみを感じさせる相槌を打ちながら、若旦那は引戸に近い、離れた場所に腰を据えた。



突然の夜の訪問にしては、(たも)たれている距離感と、何気なく交わすたわいもない世間話。

それまで気さくに話す様な間柄ではなかったものの、全くの初対面でも無い。たまに見世ですれ違えば、互いに笑顔で会釈をするくらいだ。珍しい事に、あの楼主から"侘しげだ"と聞いて、話し相手を買って出てくれているのかもしれなかった。



腰を下ろした畳の上でも、きちんと正座をしているところが育ちの良さを感じさせる。"それではあんまりだから"と幾分(いくぶん)声を(やわ)らげながら座布団を勧め、華姫の奥座敷に常備してある朱塗りの膳を寄せた。




ーーーそれにしても。

この時分に案内役の蕾の1人も付けず、身元は確かと言えど、客でもない若い男を部屋に寄越すとは。



楼主の思惑は推測するしかないけれど、呉服屋の若旦那と華姫である自分が懇意(こんい)になる為だとしたら、(しな)を作って寄りかかれば良いのだろうか。


それとも鬱々と気が滅入らないよう、話し相手を勤めてくれるというのなら、(しゃく)をしつつ語り明かしてみようか。



例え気さくな若旦那が底意で"華姫の想い人"の箔が欲しいだけだったとしても、この状況は楼主の根回し。


華姫の心の拠り所である"唯一の人"は(いま)だ、私には居ない。

今まで、客からの酒席の(ほの)めかしは、のらりくらりと(かわ)してきた事もあり、個人的に部屋まで訪ねて来られたのはこれが初めての事だった。



幸いな事に、目の前に居る話相手は特に悪い噂も聞かない呉服屋の若旦那だし、街で流行りの色打掛や金襴緞子(きんらんどんす)の話が聞けそうだ、と気を取り直す。



口元には微笑みを浮かべ、(さかずき)には薫り高い美酒を注ぐ。ここは華姫:藍花が咲く、夜の奥座敷なのだから。


ーー呉服屋の次期店主としての器、若旦那の"引出し"を、是非とも披露してもらいましょう。







花芽:7〜10歳

(主に手習や歌、礼儀作法の稽古期間。)


蕾:11〜14歳。

(楽器や舞の稽古、詩歌や盤上遊戯を習う)


花娘:15〜24歳まで。

(成人扱い。歌、舞、箏や三味線等、将棋など客のもてなし役。)


華姫:同時期に3人まで。楼主が選ぶ。

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