その思い
それから彼女は毎日宏光くんと帰っていた。
だから僕は帰り道一人だった。一週間、彼女がいない帰り道を歩いた。
その一週間経ったあとで、変わったことが三つあった。それは、僕への哀れみの目がなくなったこと、前の席の櫻木さんが、僕を琉くんと呼ぶようになったこと、彼女と宏光くんが別れたこと。
なんで別れたかなんて、僕は聞く必要なんかなかった。噂は耳を傾けなくとも入ってきたし、その噂は彼女の不利になるように捏造されているのは明らかだった。嘘の乱用は、少数派の意見を、封じ込め、見殺しにする。そして、どちらの優位になるのかは、人脈によって左右されている。彼女にはその、優位に立つための人脈がなかった。唯一僕だけが、彼女のその噂に立ち向かう権利を持っているわけだが、僕がその権利を行使することは無かった。これまでだってずっと、噂が消えていくのを、横目で眺めるだけの僕だった。きっと、これからも。
別れたその日には、彼女は僕の教室に現れ、
「帰ろ、琉。」と笑いかけるのだった。
ヒソヒソと話す声が僕達を見送る。その中に、
「琉くん!また、、、明日ね」
櫻木さんはまた、目を合わさずに言った。
帰り道彼女は案の定別れた彼の話をした。
「あの人、極度のマザコンだったの。びっくりしない?」
僕は知ってたよ。と言うと彼女は少しだけ目を大きくさせて、そうね、琉ならって笑ってみせた。僕は人を見る力は他人より優れている。こういうと聞こえはいいが、悪く言えば、人が必死に隠している部分を見つけてしまうという、やっかいな特技だ。
「それで、マザコンが嫌だったの?」
僕は尋ねた。彼女は人をそんな理由で判断する人とは思っていなかった。
「だって私には、分からないことだもの。一生、親がいない私には。私の、望さんへの気持ちとはどうやら別の次元のようだし。分からないものを分かろうとするほど、心を窮屈にするものはないわ。」
望さん。その言葉に僕は胸が締め付けられる思いがした。彼女のその言葉には彼女そのものの、美しさがみえる。
「だからわたし、苦しかったの。宏光くんを分かろうとするほど、近くにいるほど。望さんへの思いを、親への愛情へ、そうできるんじゃないかと思って。一緒にいる時、ずっとずっと考えてしまって。」
でも、苦しいからやめよって。そう彼女は言って黙ったまま僕の半歩先を歩いた。
「そんな事は無意味だよ。」
とだけ僕は言って、彼女の半歩後ろを歩いた。彼女は少しだけ振り返って、眉をひそめて笑った。
君のその思いは僕が一番よく分かっている。何にも、置き換えることなんてできないんだ。僕達は、その思いに、縛られ、生きていくのが、運命なんだ。
「ねえ、今願いが一つだけ叶うとしたら、何をお願いする?」
恒例の質問だ。
「明日の学食はカレーにして欲しい。」
「それは最高だね。」
もし願いが、叶うなら。君がその思いから、ほどける日が来ますように。