君と始まり
彼女と出会った日は今とは真逆のアイスが3秒で溶けてしまうほど暑い日だった。夜になってもその暑さは変わらなかった。真っ白なレースのワンピースを身にまとった彼女は川辺に一人仰向けに寝そべっていた。真っ暗闇のなかそのワンピースはあまりに白く、輝いていたがその雰囲気はどこか白装束を思い起こさせた。気がついたら、声をかけていた。
「こんな時間に女の子一人で寝てたら危ないよ。」
彼女は僕の方を全く見ずにこたえた。
「あなたは、襲わないの?」
「僕はあいにくだか欲求はこと足りているんだ。」
彼女の雰囲気に飲み込まれてしまわないよう、僕は精一杯にこたえた。
「そう。残念。」
「襲われにここに寝ているの?」
「そんな女に見える?」
彼女はふふっと笑って言う。僕はこたえなかった。出会ってこれほど短時間で彼女をはかるのは間違いだと思った。
「ウェディングドレスなの、これ。彼が結婚するって聞いたから。とびきりの綺麗なわたしを彼に見せたかったの。大人たちは言ったわ、『常識のない子だ』って。知ってるわよ、結婚式に白い服は花嫁さんがかすんでしまうから着ちゃいけないことぐらい。わたしはそれを目的に結婚式に行ったんだもの。だってわたし15よ?シワもシミも一つもないし、体力だってある。わたしの方があの花嫁さんの何倍も彼を満足させられる。でもね、わたしを見た花嫁さん、こう言ったのよ。『とっても綺麗ね。』って。なにも疑わないいっぱいにシワをよせた笑顔で。ねえ分かる?わたしがその時どんな気持ちだったか。そのシワが不覚にも羨ましくなってしまった。初めてよ、あんな気持ち。周りを全て鏡に覆われた世界で自分の子供じみた姿を強制的に見せられた感覚。消えたかったのよその場から、なんのあとも残さず。だから全力で走ってきたの。そしたらね、気がついたら全然知らないところにいるんだもの。ねえあなたここどこなの?」
彼女はまた僕の方を一目も見ずに流れるように話し出した。僕は、第一声はなんと言えばいいのか分からず、困惑していた。
「ねえ聞いてるの?」
初めて彼女と目が合ったと思った瞬間、彼女の顔はわずか3センチ目の前にあった。元からそこにあったかのようにただそこにあった。シワひとつない透き通った百合のように白い肌に高い鼻、はっきりとした二重に長く天をむいたまつ毛、その黒目は光を全く許さない深い闇であった。僕は彼女と目を合わせたこの瞬間のみこまれたのだ、抜け出せない闇に、彼女に。
「君とその花婿さんはどういう関係だったの?」
「そうね、育ての親、とでも言うのかしら。血縁関係で言えば伯父にあたるわ。小さい時に両親がいなくなって、わたしは施設に入れられるはずたったのを、望さんが引き取ってくれたの。優しい人なのよ、ほんとうに。困ってる人は、ほっとけなくて、他人の頼みは断れなくて、いつもズレてくる黒縁のメガネをカチャって上げながら、困ったように笑って『いいよ。』って言うの。望さんになんでも教えてもらったわ。洗濯の仕方も、料理も、掃除も、キスも、セックスも。全部わたしから頼んだのよ、教えてって。そしたら望さん、いつだって笑って『綺麗だ、上手だ。』って褒めてくれのに。」
僕はなんだかそれ以上聞きたくなくて、彼女の足元に目線を外した。
「片方の靴はどうしたの?」
「逃げてくる途中でなくなっちゃったみたい。」
「シンデレラみたいだ。」
「王子の来ない、ね。」
彼女の目をもう一度見ようとしたが、彼女の目線はもう僕の方にはなかった。白装束に見えたのは、彼女の心が死んでしまっていたからなのだと思った。
君を送っていく、帰ろうと言ったとき彼女のまつ毛が月明かりで光っていたのには気づかないふりをした。