第12羽 メッセージ ③約束 -2/3-
「ハァ」
近頃のノアは溜息をついてばかりだ。
育った環境のせいで、ひねくれていると言う自覚はあった。
…神様の馬鹿!って言いたい気分…。
ベスの為って、頑張ってきたのに…。
ノアは、年上のベスに好かれようと、恥ずかしくないようにと。
精一杯…陳腐な言い方だが男を磨いてきた。常に紳士であろうとしていた。
娘のエリーが居なかったら、自ら命を絶ったかもしれない。
…分からないけど。
ああ、かみさま。
どうしてベスを救ってくれなかったんだ?
やっぱり俺は昔から、君の事が大嫌いだ。お祈りも…今はしたくない。
いっそ他の宗教に鞍替えするか――?
…実は、ノアの鞍替え候補はもうある。
ダンスの神様教。
――つまりレオンの宗教だ。
レオンが信じているそれは彼の地元に伝わる秘教で、宗教名を他人に言ってはいけないらしい…。だからノアもよく知らない。
知っているのは、元々はキリスト教のセクト…派生宗教だった、という事くらい。
――酷く排他的な宗教らしいので、簡単に入れるかは分からない。
ただ、アンダーで…レオンと同じあのネックレスをした、それらしい者二人と会ったことがある。彼等はレオンがそれと分かると、途端にフレンドリーになった。
ダンスの力と、ダンスの神様を信じるって、俺に合ってそうかも?
けどどんな教義か、しっかり知らないと…実はヤバいカルトだったとかあるかも。
ノアはそう考えた。
速水は仏教。けど多分何も信じていない。不思議だ。日本人だから?
ノアはハヤミの不安定さは、もしかしたら、宗教を持っていないせい?と思っていた。
ノアにとっては、例え微妙でも、宗教は絶対に必要な物だった。
なぜなら、死が怖いから。
――閉じた世界でのソレは、何よりもの恐怖だった。
そして今では――ベスが消えたと思いたくないから。
…彼女は、天国、極楽、遠い星、そう言った所にいると信じたい。
アンダーで、速水、ノア、ベスの三人で…人は死んだらどうなる?
そんな暇つぶしの会話をしたときがあった。
ノアもベスも、当然、天国へ行くと答えた。
『仏教なら、確か…ええと、ゴクラクジョウド?』
ノアは乏しい知識からそう言った。
速水の回答は。
『さあ…分からない。けど隼人は、人は死んだら「鳥になる」って答えた。それは信じてる』
と、また隼人。…あれはもう隼人教なのかも知れない。
なんでそんなに隼人が好きなの?とノアが聞いたら、昔、自殺しかけたところを助けられた。と珍しく喋って。それきり黙り込んだ。
ここまで、と明確に線引きされたようで。ノアはそれ以上は聞けなかった。
ノアはその時と同じく舌打ちした。
それって良くないぜ!と思う。
アンダーの時は、『ごめん』と気遣いが返ってきたが…結局速水は譲らなかった。ノアは彼の目つきにたじろいだ。
――やっぱり速水は、たまに目つきがイかれている。
アンダーで色々あって、理由は分かったが。
彼は、たまに聞こえる鳴き声から、その鳥を探している。どこにいるのかと。
放っておけばいいのに気になるらしい。鳥たちが好きなのだという。
――速水は、変人と紙一重のヤバイやつ。
彼はちょっとおかしな、不思議で不均衡な世界に生きている。
…あの速水に比べたら、まだイアンの方がまともな気がする。
ノアは初め、イアンと速水、二人の雰囲気が似ていると思った。
…だが性格は正反対だった。全然似てない。イアンは意外におしゃべりだ。
イアンはアラブ出身らしいが――。イアン…?
「イアンって、本名?ダンサーなの?」
ふと気になって、ノアは尋ねた。
「ん?」
「イアンってこっちの名前だろ?…ええと、君の宗教の、お祈りとかしなくていいの?それとも仏教?」
イアンは、一般常識テキストに書いてあった、定時のお祈りなどはしていないようだ。
「ああ…」
説明しておくか、と呟きが聞こえた。
「俺は、ニーク氏が持つブレイクダンスチームに所属している。キースもそうだ。ニーク氏のサロンの中ではダンサーは俺と彼だけで、他のダンサーは外部と呼ばれる。俺はサロン所属のブレイクダンサー…いや、サロンが主で、副業がブレイクダンサーという感じだ」
「あれ?じゃあプロなの?」
ノアは言った。
「そう言って差し支えは無い。俺は君の世話を任されたせいで、今回の大会に出られなくなったんだ。キースが留守がちなのはそれのせいだ。エンペラーのお決めになった事には従うが…全く。とんだ貧乏くじだ」
――お小言が来てしまった。
「そっかゴメン」
「、いや…、いい」
だがノアはイアンの言葉にそう言った。イアンは少し戸惑ったようだった。
イアンは腕を組んで話し始めた。
「…俺の国では、プロダンサーになる唯一の方法が、ネットワーク、またはサロンの力を借りる事だったんだ」
「?…どういうこと?」
ノアは首を傾げた。
「俺の妹は、脳に腫瘍があって…長くは生きられないと言われていた。親父は元々プロジェクトに出資してたから、そのツテで、プロジェクトの優れた女医達に診て貰えた。だが…そうで無かったら、きっと満足な治療を受けられなかった。俺の故郷では、女性が男性の医師に診察されることは出来ないんだ――、分からないって顔だな」
「うん…。ゴメン、難しそうな所は飛ばして。それで?」
イアンは少し微笑んだ――フロントミラーに微笑みが映る。
「妹は、病気の身でも教えを守っていた。…だが俺は、本名を捨てて、ここで生きる事を選んだ。つまりそういう事だ。俺は、ダンスを選んだんだ…」
「だが後悔は無い」
イアンが呟く。自分に確認しているようだった。
「妹や母親とは今もメールでやり取りはしているが…父親とは喧嘩したな」
イアンはもうどうでも良い、と言う口調だった。
世界がひっくり返りでもしない限り、俺があの国に戻ることは無い。イアンはそう言った。
「俺は、妹も、ずっとジャックのDVDに夢中だった。俺は幼少からダンスの英才教育も受けていた。…建前では、そう言った物は禁止されてるが、…もう、本当に建前だな。百年以上前から、ネットワークにとって、中東エリアは上客だ――」
イアンの妹は、色々、異国の医者から聞いた情報を、父親の居ないところでイアンに語った。
遠い遠い国、自由の国、アメリカ。
「??えっと?上客とか、よく分からない」
ノアはまた長くなると思ってそう言った。
イアンが現状の身の上に満足しているのは分かったが、上客とかその辺りの事はノアにはサッパリだった。
「難しいか。そのうち、嫌でも分かるさ。ネットワークは、すでに世界を覆っている…逆らえば、消される」
ふう、とイアンのため息が聞こえた。ドアに肘をついて、窓の外を眺めている。
「俺はサロンに、エンペラーに借りがある。…だから、一生この網の中で生きる。君も、おそらくハヤミもそう言う運命だ。…連中は、一度目を付けた人間を逃さない」
「ハヤミ…?が、」
――ハヤミ。
ノアはスクールで速水が『外に出たい』と言って泣いた時の事を思い出した。
ノアにとって、突然現れた速水は、外の世界そのものだった。
初めは何とも思っていなかった。
だが、その生き方にノアは衝撃を受け。嫉妬し、憧れた。
…よく喧嘩もした。
病気に気が付かず、悪い事もした。やっぱり喧嘩もして。
そして、今では大切な『フレンド』だ。
今現在、彼はどうしているだろう…、監禁され…、薬漬け?
酷い。絶対に許せない。
…その思いだけで人を殺せそうだ。
ノアは特に口にはしなかったが、ネットワークに対する怒りは、幼い頃からあった。
自分の境遇に対する怒り、不満、憎しみもあった。ただ、殆どあきらめていた。
だからこそ、万事がストレートな速水に驚愕したのだ。
言ってしまえば、『なに、こいつ?』という――。
「ネットワーク…、どいつもこいつも、最低だ」
ノアは、拳を握った。
速水は、逃げられなかった、典型?
逃げられない、典型?
俺も?
これから…ずっとサロンの手下?
アンダーで、ノアは外に出てプロになりたいと強く思った。
…プロとは何を指すのかよく分からないが。速水はプロだ。レオンも。
やっぱり俺は馬鹿だ。そんな事を思う。外へ出て、自分は何をしたかったのか。
ノアは速水がなぜネットワークに反抗するのか。彼にとってダンスは何なのか、どうしてダンスを始めたのか。今更だが、もっと話をすれば良かったと思った。
――けどハヤミは、口が硬い。シャイって言うか、もっと…。コミュ障?
ハヤミとは『トモダチ』。でもハヤトは親友だって、何で?
俺は、親友にはなれないのかな。―ムカツク!
激しくむくれたノアには気が付かず、イアンは続けた。
「…俺は君には若干、期待し始めている」
「…それって、イアン。君は俺にネットワークを潰せ、って言ってるのか?」
ノアはケンカゴシ、で尋ねた。速水に教わった役に立つ日本語だ。
自分達、つまりサロンで先にやれ、と言いたい。
「いや。俺はネットワークはともかく、プロジェクトは必要だと考えている」
イアンはそう言った。
ノアはイライラした。プロジェクトは、どう考えても要らない。
「プロジェクト…って、結局何がしたいんだ?アカシックレコードの解明?…そんな物、本当に必要?超能力者を集めて?眉唾だろ?――あれ?そもそもGANプロジェクトが探してるって言う、『アカシックレコード』って何?」
「広義では、…この世界の過去、現在、未来、全ての情報が記された記録…。らしい」
ノアは馬鹿と言われるかと思ったが、イアンは真面目に答えた。
ノアはシートベルトを放って身を乗り出した。
「!?ぜんぶ?未来まで!?…そんな凄い物、どこにあるの?あっ、本とか、端末の中?」
イアンは助手席で数秒、抑え気味に笑った。
どうやらウケたらしい。咳払いの後、若干柔らかい声が返ってきた。
「眉唾だ。だが本の中には無いな。端末の中にも…ネットは様々な情報を網羅し、全世界に普及しているが、さすがに全ての情報は無い。おい、シートベルトをしろ」
「あ、うん。分かった」
手を振られ、ノアはシートベルトをした。
「アカシックレコード云々はともかくプロジェクトの医療技術は、やはり必要だ。それにレシピエントも、予備軍は年々増加している」
「え―増えてるの?」
「ああ、まあどいつも失敗だがな…。あれで成功する方がおかしい」
イアンは言った。
プロジェクトの薬は、精神を破壊する為に使われる。
それを乗り越えた先に、『神』との対話がある。
…そう言われている。誰が言ったのか知らないが。連中はそれを頑なに信じている。
…結果、失敗作、廃人の山。…馬鹿げてる。
「―」
ノアはその言葉に、悲鳴を上げそうになった。
■ ■ ■
その後は特に会話もなく無言だった。
やがて、車がある路地で戸惑う。
「――通れない?工事?」
イアンが車内無線に舌打ちした。
どうやら近くで工事が行われているようだ。この地区は開発中なのか、所々に建設中の建物、クレーンがある。
ノアは懸念をひとまず置き、ドキドキしていた。
けどもうすぐ着く感じだ。多分。
「そこだ」
それから一分ほど後、イアンが言った。
車の半分は裏へ回るようだ。三台が路肩に停車する。
ノアは少し手間取りシートベルトを外し、車外に出た。
曇り空の日差しに目を細める。
降りてきたイアン、ノア。ボディーガード三名がすぐにノアを囲む。
そのほかは周囲の警戒。
サングラスは無しだがやはり黒服。やはりどうみても堅気ではない。
午後三時、周囲には散歩していた人が居たが、皆目を丸くして各々の家や他の路地へ引っ込んだ。
あっと言う間に、人っ子一人いなくなってしまった。
それを見たノアは、この人数で押しかけたら絶対に迷惑だ、と思いイアンに尋ねた。
「イアン、こいつらもベスの家に入るの?」
イアンは眉を潜めて周囲を見ている。
「いや、外で待たせる。予定通り、俺は付きそう」
「ん」
ノアは生返事をしてイアンの後に続く。
レンガ造りの、のっぺりとした建物。レンガは赤みが強い。屋根は黒。
ノアはそのタウンハウスを見て、すごく横長なチョコケーキみたいだ、と思った。
一階に黒色シャッターのガレージ、その脇に少し階段があって玄関。左右の家と壁を共有している。
表にはカーテンの閉まった出窓が玄関横一階に一つ、二階に二つある。
ガレージと玄関、窓、この幅が一軒分らしい。
三階は無いようだが、屋根にも小さな窓があって、そこだけ三角に突き出ている。
奥行きはどうなっているのか分からない。
「ここだな」
そのうちの一つ、右端から二番目の家がそれらしい。
ベスの家族は、ネットワークの事は最低限は知っている。
もちろんベスが死んだ事、いつのまにか孫ができたことは知らない…。
短い階段を上る。
「…ここ?」
心臓が鳴っている。
ノアは玄関を見た。
イアンは一歩下がった。
「…ああ」
ノアは息を吐いて覚悟を決め、呼び出しベルを押した。




