第12羽 メッセージ ③約束 -1/3-
三月三日。
ノアはシカゴに来ていた。
出発予定は三月一日だったが、目当ての家族が見つかるまでに少々時間が掛かった。
現在のベス両親の家は、中心街からやや離れた場所にある。
背の高いビルが立ち並ぶシカゴ中心街を、黒塗りの車が六台進む。
時刻は午後二時すぎ、街中は大勢の人で賑わっている。
前から二番目の車両にイアン、ノア、運転手。
イアンは右側の助手席。ノアは後部座席の右側、助手席のイアンの後ろだ。
今日のイアンは黒いスーツで、緑のネクタイにサロンのネクタイピン。
ノアは白いTシャツにウィンドブレーカー、ジーパンと言う、ほぼいつも通りの格好だ。
ノアはできれば事情と来訪を伝えてから…と思い、意を決して電話したが、通じなかった。
もちろんうろたえた。
『…落ち着け。住所は分かっているんだろう』
『えっと……44番地、確か4号室』
『…本当に合っているのか?』
イアンが舌打ちしつつノアの言ったコンドミニアム―集合住宅を調査させたところ、そこは空振りだったらしい。
『どうしよう…!』
イアンの後日報告にノアは冷や汗をかいた。
『慌てるな。まだ報告がある。そもそもこの国では―』
ノアは全く知らなかったが、アメリカではライフスタイルの変化に合わせ良く引っ越しをするらしい。
イアンは、この国では、子育ては郊外の庭付きの広い家でのんびり、子供が巣立った後や、老後は管理のしやすいタウンハウス、または集合住宅に住んだり。もちろん広い家にずっと住む者も居るし人それぞれだが、一カ所に定住という感覚はあまりないのだ――とノアにわざわざ説明した。
『それはいいから!報告って!?』
ノアは椅子から身を乗り出した。
『だから慌てるな』
――ベスの両親は住まいの管理人や、隣人達に引っ越し先を伝えていた。
―現在はシカゴ近郊のタウンハウスにいる。
イアンの報告を聞いて、ノアは心底ほっとした。
『…なんだ超よかった!きっと、ベスが戻って来た時の為だね』
そう言った。
『ああ。おそらくはな』
イアンは言った。
イアン曰く、以前の住まいはかなり治安の悪い地区だったらしい。
イアンはベスがネットワークへ『巣立った』事により引っ越しができたのだろうと語った。
『そうなんだ…』
ノアはかつてベスから聞いた、彼女の家族の事を思い出した。
―ベスの家は平均よりもかなり貧しく、彼女はよく銃声が聞こえる下町に住んでいた―。
父親は電気技師をしているが事故で足が悪く松葉杖で、あまりできる仕事は無い。だが精一杯、それなりに稼ぐ。
ふくよかな母親は働いてはいるが、万事おっとりしていて。おまけに糖尿病を患っている。
高い医療費がベスの家の悩みの種。それなのに子だくさんで、子供は四人。
ベスは上から二番目。一つ年上の兄がいた。三歳になる弟と、生まれたばかりの妹、いつも騒がしくて…とベスは苦笑していた。
もちろん、それは十年以上も前の事だ。
…現在はどうなっているのだろう…。
ノアは窓の外を見た。
車はノアを乗せて市街を進む。
シカゴはミシガン湖という巨大な湖の側にある大都市で、中心街には背の高いビルが建ち並ぶ。市内を流れるシカゴ川にはいくつもの桟橋がかかり、観光船、水上タクシーが行き来する。
そのうちに、摩天楼からは少し離れた。
通りはビルが減り、少し落ち着いた。
この通りには、入り口、つまり玄関がずらっと並んでいる。
…隣の家とどこかの壁を共有する、こう言った形式の家をタウンハウスと言うらしい。
それが続き、所々に大きなビルや立派な建物があって…。また進む。
――集合住宅、タウンハウス。ビル。どこにも山ほどある。
「ねえ、どれがその家?」
ノアは身を乗り出して、イアンに尋ねた。飽きるほど待ったが、中々着かない。
「もう少し先だ。ん?――君、クルスはどうした?」
振り返ったイアンが言って、ノアは首元に手をやった。
「え?―あ、しまった!忘れた…!」
首を触るがもちろん無い。ベッドボードに置いてそれきりだ。
「形見は持って来たか?」
「えっ!」
イアンに言われ、ノアは慌ててポケットを探った。
そこには、固い感触があった。
良かった…!忘れていない。
菱形のイヤリングが片方だけ。
白い縁取りがあって、中心はブラック。
「うん、これがあれば大丈夫」
取り出しそう言った物の、少し溜息がこぼれる。
これはベスの、唯一の形見。
ベスはこれを良く付けていた。さすがにダンスの時は付けていなかったが。
ノアはスクールで良く似合っている、可愛い、と言った記憶がある。
それ以来の気に入りで、アンダーに移された日も身につけていた。
…あの時、ベスが頭を打ち抜いて。
ノアは泣いていてよく覚えて無いが、すぐに拳銃は回収され。別室へ連行されて。
…片方しか拾えなかった。
それも無理矢理、ガスマスクに抵抗して拾った。
ノアは拾った事を少し後悔していた。
見る度にベスの事を思い出してしまうから…。
「君はクリスチャンでは無いのか?クルスも大切な物だろう」
眉を潜めてイアンが言った。
「うん、だけどあれは…別に神父様に貰った物でも無いし…ただのアクセサリーだ」
ノアは溜息を付いた。近頃良く忘れてしまう。
ベスがいたときはそんな事は無かった。ベスは律儀なところがあって、ノアがたまに忘れそうになると渡してくれた。
『ノア、忘れてる』と言って。
あの声が聞きたい。
にじんだ涙をぬぐって、ノアは後ろを向こうとしたが、速水では無いし…空耳さえ聞こえない。
「感心しないな。洗礼は受けているんだろう?」
イアンが言った。
「…あれ?そう言えば、受けてない…のかも」
ノアは言った。記憶に無いし、洗礼名も無い。
幼い頃神父様に聞いたら『もう少し後で授ける』と言われた。それで納得し、そのままスクールに…。
自分は正確にはクリスチャンとは言えない?
「信じてないのか?」
「いや、育った場所がチャペルだったから…なんとなく」
…成り行きで信じていたが、元々、あまりお祈りすらしていない。
いや、それでも信じていたのだが…。
「…いい加減だな」
イアンは備え付けの無線を取り、何かを話し始めた。
「…」
かみさまっているのかな。
ノアは幼い頃から思っていたその言葉を、また飲み込んだ。
ファーザー。
広義にすればするほど、神は存在する事になる。
…父親か。
ベスは俺の家族のはずなのに。なんで、殺したんだ?
父親がジョーカーだって?
しかも、そいつがウィリアム・ジェスター・ヒルトン?
「俺は…」
俯いて、ノアは語り始めた。
「初めてベスに会った時、綺麗な女の子が来たな、って思った」
四歳でスクールに入ったノアは、初めは寂しくてつらくて泣いた。
だが一部を除きスート『ダイヤ』のファミリーは皆、子供のノアに優しかった。
特にレイは孫のように接してくれた。
十歳までペナルティは無かった。…十歳からのソレもそのうちに慣れたが…。
スクールの勉強、ダンス――ノアにとっては簡単な内容で、ノアはいつしか暇だな、退屈だ、つまんない。と口にするようになった。
帰りたいと言わなかったのは、周りが帰られない人達ばかりだったからだ。
ノアは外に出たいとも言わなかった…それも無理なのが分かるからだ。
カフェテリアから外の光は見える。ダンスも嫌じゃない。それで別に良かった。
ノアはただ言われた通りに勉強し、ダンスのレッスンに明け暮れていた。
幸いダンスは性に合っていた。大いに楽しんだ。
そうして六歳になったある日――ガスマスクに連れて来られた十歳のベスを見て。
幼いノアはハッキリ言ってドキドキした。
見た事の無い赤い髪。金色っぽい目。
『暇だから。ダンスの練習、一緒にしようよ』
声を掛けたのはノアだった。
…ノアだったのだ。




