第11羽 速水 ①ジョーカー -2/4-
「散らかってるけど」
速水は机の上の薬を全て片付けた後、来客を迎えた。
「悪いないきなり」
「ほんと、いきなりだ。連絡くらいしろよ…」
ちょっと呆れる。
「いや。丁度こっちに来る予定があったから、レオンに聞いたんだ。渡したい物があったしな」
ウィルは笑って言った。
「へぇ?ああ、そこに座ってろ。丁度珈琲を煎れてるとこだったから。何が良い?とりあえずエスプレッソ、カプチーノ、カフェオレ、カフェモカ、ソイラテ、アプリコットがある」
速水は食器棚からカップをもう一つ取り出した。あまり食器は無いがこれだけはある。
「お、タイミング良いな。じゃあとりあえず、カプチーノでももらうか」
ウィルはキッチンテーブルに座った。
「分かった。ウィルはラッキーだ。丁度ケーキがあるから」
ウィルは甘い物が好きだった。
速水は珈琲を煎れ終え背を向けて、冷蔵庫を開けて、ホールのチョコレートケーキを取り出し、コンロの横で切り分ける。
「おお、いいな。ところで、最近具合は良いのか?」
ウィルが多分笑って聞いて来た。
「うん…、まあ」
速水は濁した。
鳥の声と、さわさわと話し声が聞こえるが無視した。
こっちで入院するって事、言った方が良いんだろうか。
エリックの知り合いの医者…。
レオンに言われるまでも無く、うさんくさい医者に決まっている。
本当はもう日本に帰りたい。けど…。
…速水の状況を知ったらウィルは何と言うだろうか。
レオンにも帰国の相談をしておくべきだったかも知れない。けどそんな状況じゃ無かったし…。
「…」
速水はふと、手を止めた。
ウィル…?
ここを…レオンに聞いた?
…レオンは今ごろ、エンペラーに会っているはずだ。
「…お前、何しに来たんだ?」
速水はウィルが視界に入らない程度に顔を動かして聞いた。
「何って、新曲のPVが完成したから、まず見せなきゃって来た。パソコン借りていいか?」
「何だ。そんな事か。発売はいつだ?」
速水は笑って、盆に珈琲とケーキをのせ、リビングに移動した。
「三月四日だ。DVDも出るし、お前、一気に忙しくなるぞ。マネージャーも探さないとな。あてが無かったら、誰か紹介してやろうか?」
速水はリビングテーブルの上に盆を置き、ウィルの分のケーキと、自分の分のカフェオレとケーキを置く。チョコレートは甘さ控えめ、コーティングの下には生クリーム。生クリームとスポンジとのバランスにこだわった逸品だ。
「そうだな…」
マネージャーか。エリック…はどうだろう。…微妙かも知れない。
速水はソーサーに載ったカップをウィルに直接渡した。もちろんラテアートを施した。
「お。相変わらず器用だな。ありがとう」
ウィルは一口飲んだ。
そして溜息を付く。
「…、うまいな…。こっちに置いていいか」
「ああ」
速水は頷いた。
ウィルがパソコンテーブルの片隅に珈琲を置く。
邪魔だったらリビングテーブルに置けばいい。
PVの再生が始まる。
ネットワークと関わる前に速水が出演したのは、ウィルの手がけたブレイクビーツのPV。
要するに、このブレイクビーツはこう踊るんですよ、と言う見本を兼ねたプロモーションだ。
ジャンルとしてはマイナーなので一般的な知名度はさしてない。
今、ここでケーキを食べているウィルこと『W・J・ヒルトン』はEDMアーティスト。彼の手がけるEDMは発売される度に各国のチャートの一位を獲得する。
彼は、毎年新曲を発表し、そしてそのジャケットとビデオクリップに新進気鋭のダンサーを起用している。
これはこの世界のEDM系アーティストの間では主流の、サウンドイメージアイコンと言われる手法だ。
アーティストは自分達のプロモの代わりに、自分の曲をダンサーに踊らせる。
それは曲と同時に発売され、大々的に曲の宣伝に使われる。
ウィルくらいのレベルになると、CDショップは二代目ジャックのポスターや動画であふれかえるだろう。もっと言えば、アメリカ中の街中でも。世界各国でも。
駆け出しだった先代ジャックも、ウィルでは無いが、この仕事で一躍有名になった。
画面の中の速水は、ヒップホップを踊っている。
彼はもちろん振り付けも自分でやった。
地下鉄…やっぱり何でだ?…気恥ずかしいので、速水はとりあえず珈琲を飲む事にした。
「なんだ、見ないのか?」
「後で見る…」
速水は言って椅子に座る。
「お前、今は耳はどうなんだ?…これから振り付けの仕事も山ほど来るだろうから。いずれはそっちを目指した方が良いかもな…」
ウィルは心配そうに言った。
「―」
速水が答えようとしたとき、ウィルの携帯が鳴った。
「あ、悪いな」「ん」
ウィルが言って、速水は自分のケーキをフォークで切り分けた。
今日はエリックが、薬はまだ飲まなくて良いと言った。
だから具合が良くて、レオンに会う前に焼いたのだ。
今できる楽しみはもう料理くらいしか無い。…レオンに持って行くのはさすがに馬鹿らしくて止めた。
「ああ。良いぞ。もう十分だ。引き上げてこっちに来い」
切り分けたかけらを口に運ぼうとして、速水は動きを止めた。
引き上げろ?
こっちに来い?
「――ウィル?」
「水くさいな、ジェスターって呼んでくれって、言っただろ」
ウィリアム・ジェスター・ヒルトン。
「…なんだよ、いきなり」
彼が近づいて来たので、速水は立ち上がった。
カラスが鳴いている。ここから出た方が良い。
物音がしたので、速水は入り口の方へ目をやった。
そこにはエリックがいた。今日は買い出しに行くと言って、結局何も買わずに戻って来たらしい。
その後ろには、なぜか歌手のルイーズがいた。
彼女は今日はスーツを着ている…雑にまとめた髪がかえってだらしない印象だ。
三人に囲われる形のまま、速水は一歩後ずさった。
背後はウィル、正面にエリック、そしてルイーズ。
「…エリック…お前――」
速水は何が言いたいのか自分でもわからない。ただ酷くいやな事が起こるとは予感できた。
ウルフレッドはどうしている?
「外で寝てるわよ」
ルイーズが言った。
「―なっ?」
速水は何も言っていない。
「あの犬はお前にやるよ。どうやったか知らないが、お前の方が良いんだとよ」
ウィルのその言葉で、ようやく全てが分かった。
「…ジョーカー…」
こんな近くに。




