第10羽 追徴 ①サロン /12月24日 -1/4-
速水朔は珈琲を煎れていた。
ここはレオンの部屋だ。
古びたコンクリのアパートメント。四階建てで、その二階。
2LDK、中々贅沢な造りだ。
地下から出ておよそ三週間が経っていた。
今日は、十二月二十四日。
速水の周囲は十二月…つまり出て来てからずっと浮かれまくっているが、正直速水はそこまででも無い。
速水はキリスト教徒では無いので、この国のこのイベントに対する情熱にはちょっとついて行けない。
それでもレオンが色々準備してくれと言ったので、一応それなりに用意した。
多分、これは近頃とみに沈みがちな速水への気遣いだろう。
…このアパートメントに速水はレオンと仕方無く一緒に住んでいる。
レオンはどうやら速水を監視しているらしい。
──つまり、ノアの言う所の自殺をしないか見張っているのだ。
「カラス…?」
速水は耳を澄ます。後ろを振り返ってみる。
うん、鳴いてない。今日はスズメだけ。
AM9:00、なんらおかしい事は無い。
が、この街にスズメがこんなに居るのかはちょっと分からない。
…可愛い鳴き声だな。
速水は笑う。今日はイブだからか、沢山で楽しそうに歌っている…。
その時、近くで…正直に言えばリビングの片隅から、別の鳴き声がした。
速水は少し驚きそちらを見た。
──鳩もいたのか。
もちろんこれは幻音で、速水がキッチンから見たリビング、ツリーの側には何もいない。
けれど実際にそこに居たような鳴き方だった。
部屋の中まで来るのは久しぶりだな。
速水はそう思った。
珈琲を煎れているとそういうことがたまにある。
匂いに誘われて来るのだろうか…?いや、そんな訳無い。俺がおかしいだけだ…。
―多分、この鳥の鳴き声は自分の心境を反映しているのだろう。
カラスは精神の危険信号…それだけでは説明が付かない事も多いが、速水はとりあえずそう考えていた。
速水はこんな風なので、おかしいと思われないように普段から気を付けている。
速水からすれば、『実際に木の上にいる鳥』も姿は見えなくて声が聞こえるだけだし、『実際にいないが、速水には聞こえる鳥の鳴き声』と聞いた感じは、大した変わりは無いのだが…、もし速水がうっかり「あ、フクロウが鳴いてる」と言うと、周囲は何だこいつ、と言う反応をする。
鳥だけでは無い。たまに聞こえる虫の鳴き声はほとんどがニセモノだ。
小学生の時、蝉の大合唱が聞こえて五月蠅かったので、今日は蝉がうるさいね。とクラスメイトに言ったら、それはトラップだったと言う事もあった。
人の声は、本当にたまにしか聞こえない。でも体調が悪いとやたらよく聞こえる…。
砂糖を入れたエスプレッソのカップ持ってリビングへ行く。
リビングテーブルの上には黒のノートパソコンがある。
速水は椅子に座り、それを開いた。
メールソフトは隼人の勧めで『Mozilla Thunder bird』。
年末と言う事でイギリスに帰国中の圭二郎からWEBメールが来ている。
相変わらず無駄に長い。うっとうしい本文はもう読まずに、添付された写真だけを見る。
…ノアとベスの子供、エリーだ。
可愛らしい寝顔や、愛くるしい笑顔に思わず微笑む。
次に隼人からのメールを見る。隼人は先月日本に帰国し、また磐井の店で働き始めた。
メールの内容は…日本はどうとか、いとこが今日も可愛いとか。…いつも通りだ。
寿の実家にいるエリックからも、こちらは分かりやすい育児日記のようなメールが送られてきている。
サラの行方は依然分からぬままなのに、彼はよくやってくれている。
速水はエスプレッソをゆったりと飲み終えた。
レオンは朝からホームに行っていて、今はいない。
彼は日々様々な人物に会い、さらに仲間を増やしている。
…地下から出る時にネットワークが渡してきた速水のパスポートには、O-1ビザが添付されていた。これは、要するに有名なミュージシャンが全米ツアーなどをする際に取得する卓越能力ビザだ。
速水のそれはご丁寧に、誘拐された日に出国、そして監禁中はずっと仕事をしていたと言う扱いになっていた。
このビザはアメリカに三年滞在が可能なので、残り一年半。申請すれば一年延長可能。
おかげで速水はいつ帰国しても全く問題が無くなってしまった。
レオンはネットワークとしては出国の際に、ダンサー達にいちいち問題を起こされては困るのだろう、と言っていた。
確かに約一年半興行し、報酬を受け取った。となると立派な労働と言えなくも無い…。
──誘拐で、強制で、最後にダメ押しで殺人付きと言う最悪な物だが。
憶測で数えてみても、ネットワークに関わりのあるダンサーはかなりの数になる。
そして、そのほぼ…全てが相手の大きさに泣き寝入り。もしくは仕方無く従っているのだ。
最後の契約が嫌で逃げたり、泣く泣く運営に入ったり、そのままネットワークに従って生きている、そう言う者も多いだろう。
レオンはそうした者達に直接話を聞いたり、対ネットワーク組織同士との繋がりを確保したり。そう言うことに奔走し出している。
…レオンと違い速水はほとんど表には出ていない。通訳としてたまにかり出されるくらいだ。
代わりに速水は人を使い、様々な事を調べ始めた。
世界各地のネットワークの所在…ダンサー達の監禁先。スクールの場所。
知れば知るほど、ネットワークはやっかいな組織だった。
資金は莫大。国家予算並み。
それを湯水のように貧しい国や地域に寄付し、逆にネットワークの活動の保証を取り付ける。
となれば当然、その土地の者にとってはネットワークこそが善。
ジョーカーは神。
これは気になって速水も見に行ったが、本当にそう言っている人達がいた。
健康な思考で。感謝の気持ちから──。
子供、老人、女性皆口をそろえ。『ジョーカーは私達の神様です』…確かにそう言っていた。
彼等はジョーカーに救われたと本気で思っているし、実際その通りだった。
速水は、『アンダー』を出てから…著名なミュージシャン、あるいはダンサー、歌手。
様々な人物達がネットワークを潰す画策をしている事を知った。
ジャックもその一人だった。
…この組織を、どうすれば潰せるのだろう。
ジャックの代わりに──。死んだベスの為に。
テーブルの上でマナーモードの携帯が振動した。
…レオンからだ。
「―何だ?」
『ああ。ハヤミ。今朝は具合はどうだ?』
レオンはいつもの文句を言った。
「だから、大丈夫。用が無いなら切るぞ」
速水は言った。
レオンは、朝起きれば具合はどうだ、戻って来たら変わりは無いか。何かあったらすぐ病院へ行け。…速水は孫に心配される老人になった気分だ。
『いや、用ならちゃんとある、ホームに来てくれないか。ずっと引きこもってないで、たまには外に出ろよ。親父が呼んでるんだ』
「……」
速水は少し渋ったが、久しぶりに外へ出る事にした。
出かける前に、エリックから貰った白い薬を一錠飲んだ。
■ ■ ■
午前中の街中を歩く。
今日は曇り。特に静かだ。
まだ道の片隅に寝ているホームレスとか、もう建物の前でたむろしている男達がいる。ごみだらけで治安最悪、といった感じだが。これでも昔よりはいいらしい。
…この街は『キング』の支配下で、だれも速水にちょっかいは出さない。
けどちゃんと用心はしている。
ここではレオンはキング。速水はジャック。
地下から帰って来たレオンと、それにくっついて来た速水は、この街の人々に熱狂的に迎えられた。
レオンの親父曰く、『俺達はお前達のダンスを見ていた』との事で、ここの街にはそんなダンス馬鹿ばかりが集まっているらしい。
レオンは親父に約束通り引退しろと言って、レオンの父親はそれを受け入れた。
…レオンの父親は、速水が思っていたより、まともそうだった。
『そう言えば、お前の兄貴は?何か情報掴んだのか?』
その際、速水は気になって聞いた。
『ああ…だがやっかいだ。某国で強制労働中だってよ』
レオンの言葉に、速水は呆れた。
…ネットワークはそこまでやってるのか──。
「よう、ジャック。ホームに行くのか?」
狭い裏路地で、ダンス仲間に声を掛けられた。
「ああ」
適当に返事をして、そのまま進む。
角を曲がって、さらに進んで。
迷路のような道を通る。途中で速水はいつもの近道を通る事にした。
派手に破れた金網の隙間から、汚い排水路の上に出て、そこに渡された二本組みのパイプの上を通る。
ホームは、少し先に見える五階建ての、古いコンクリートのビルだ。
だが付近の道が細く入り組んでいるので、見えているのに中々たどり着けない…。
イライラし、色々試した結果、この道が一番早いので良く使っている。
カラスの鳴き声がして速水は振り返った。
かーかー!と言う高い声。──ハシブトカラス。ならまだ大丈夫だ。
…ハシボソカラスが、ガーガー、そしてもっと悪い物がギーギー鳴き始めなければ。
どこかで羽音が聞こえた。
何だ、本当にいたのか。速水は苦笑する。
落書きだらけのコンクリートの、さほど高くない塀を飛び降り、ホームに着いた。
入り口は開けっ放しで開店休業、と言った感じだが、中に人はちゃんと居る。
「ああ。来たな」
レオンがロビーにいた。待っていたらしい。
「急ぎだったのか?」
速水は聞いた。ゆっくり来てしまった。
「いや。…用事は夜からだ」
「出かけるのか?親父さんは?用って何だ」
速水はまとめて聞いた。
「上だ」
レオンは速水を促した。
「お前、ちゃんと飼い犬の世話しろよ」
建物の奥へ移動しつつ、レオンが言った。
地下へと続く階段から、小さなうめき声が聞こえる。
「もう犬だけど、まだ飼い犬じゃない。ジョーカーについて吐かないんだ」
速水は溜息を付いた。
「吐くまで放っておけば良い…」
地下へは当然行かずに、階段を上る。
「…と言ってもな…。一週間か…。まあそうするか」
レオンは頭を掻いた。
隣の速水を見る。
人の皮を被った悪魔がいる気がする…。
犬というのは、地下で拘束されたままのウルフレッドの事だ。
速水は、地上に出てからわずか二週間で、彼を捕獲する作戦を決行した。
決行というより、強行だ。
エリックにオフィスの場所を聞き、拉致監禁。そして再教育。
『エリック、こんな感じの薬作れないか?』
『やってみます』
速水は聞き、エリックは答えた──。結果、精神破壊に近い再教育が施された。
速水がやった再教育の詳細をレオンは知らない。むしろ絶対知りたくない。
そして可愛そうなウルフレッドは、犬となり──もともと犬だったらしいが。
速水を見ると『ご主人様!』と嬉しそうにする。速水が聞けばネットワークの事もペラペラ話す。
しかし、肝心のジョーカーについてはまだ理性があるのか口をつぐんでいる。
「お前、ホント…。ハァ…」
速水は変わったのか、もとからこうだったのか、それとも悲嘆に暮れているのか。
たぶんどれもが当てはまるのだろう。
二階を過ぎると、赤絨毯の豪華な内装に変わる。三階の廊下を進む。
ホームは意外にワンフロアが広い。
「…あいつ、たぶん…結構利己的な奴だから。自分の不利益になる事はしない。多分…俺に従う事が利になるって踏んだんだ。だからなびいた…?…エリックと言い、やな感じだな」
速水は呟いた。
「?エリック?」
レオンは首を傾げた。
速水の思考が意味不明なのはいつもの事だが、エリックがやな感じとは?
「…エリックも、何か隠してる。レオン、何かあった時は…エリックの動向にも注意を払ってくれ。サラが行方不明だし…心配だ」
速水は言った。
「お前、エリックが裏切るって思ってるのか?」
レオンは聞いた。
だが、確かに…もしサラが人質になっていたら…という可能性は、あるかもしれない。
「…いや…分からない。けど、エリックは俺の病気の事、絶対何か知ってる」
速水は言った。
「…?幻聴か?そりゃエリックは医者だったんだろ?」
「ネットワークの、医者だ。怪しいだろ…」
エリックと、彼の連れて来た医者の治療は的確で、速水は回復できた。
…うなされながら精一杯見たが…薬も、点滴も、おかしな処方は無かった。
つまり、日本で入院した時と大して変わらなかったのだが…。
何が引っかかるのか、速水にも分からなかった。
「ハァ…もう分からない。ややこしい」
何が引っかかっているのだろう?
「…まあ、それはまたじっくり話そう。親父」
レオンが扉をノックした。




