第8羽 ノア ④百億 /日本円換算 -7/7-
──それから、三日後。
扉が開いた。
「―、ハヤミ!!」
気を失ったままの速水が、エリックに運ばれてきた。
ベッドに寝かされる。
「大丈夫なの!?」
ベスが言った。
「ええ。…ただ、拘束され閉じ込められていただけのようです。鎮静剤を打ったと医師から聞きました。移動の最中、暴れるといけないので眠らせておいたと…!」
エリックは、怒りに震えていた。
しかし、丁寧な手つきで、シーツを掛ける。
「勝手な事をっ、勝手なっ。そもそも奴らが―っ」
エリックが、花瓶を割った。水と花が飛び散る。
この花瓶は、彼が持って来た物だ。
「ハヤミはどこも悪くない!狂ってなんかいない!あのクソ医者!!ゴミ医者が!!」
エリックがドクターバックを壁に叩き付け、叫んだ。
「静かに!ハヤミが寝てるのよ!」
ベスが言った。
「―っ、…ハヤミ…」
そしてエリックはガクリと、膝をついて泣き出した。
「エリック、コイツ、何処が──」
レオンが尋ねた。
「…もう、全て、洗いざらい、―お話します。計画についても…」
エリックは観念した様子だった。
「計画?」「何から、お話しましょうか…」
エリックが言った時。
「ハヤミ!!」
ノアが身を乗り出した。
「―?ノア…?」
「ハヤミ、大丈夫ですか!?」
エリックが詰め寄る。
「…エリック。…無事だったのか…!!」
速水はまずそう言った。
手を伸ばし、良かった!よかった!と泣きながら日本語でつぶやく。
レオンは、泣けてきた。
言葉は分からない。でも分かる。
…自分がヤバイのに、エリックの心配をしてたのか。
「ハヤミぃぃ…っ心配したっ!!」
ノアがハヤミに抱きつく。
「わたし、私もっ!ばかっ―」
ベスも抱きついた。
「―、皆、ごめん…」
速水は笑った。
「お前、いい加減話せよ。本当に大丈夫なのか?」
「…ちょっと、やばかったけど。カラスが鳴き止んでくれた。…もう、話したほうが良いのかな…」
速水はうつむき、その表情は浮かない。
「お前、何の病気だ?」
「医者の診断では…『総合失調症による幻聴』って」
速水は正確に英訳して話した。
「──幻聴っ!?」
レオンが繰り返した。
「幻聴?って…?」
ノアが聞いた。
聞いた事の無い単語だった。意味は何となく分かるが──。
ノアが見ると、レオンとベスは絶句していた。
「ありもしない会話や、音が聞こえる病気…」
ベスが言った。
「お前っ!!もっと早く言えよ!!それかなりヤバイ病気だろ!!?」
レオンが速水を、大声で叱った。
「ごめん…。やっぱ言いづらくて」
「どうヤバイの?」
ノアの問いに、レオンは俺の認識も間違ってるかも知れないが……と、前置きした。
「―ありもしない声が実際に聞こえて、自分を嘲笑しているように感じたり、命令しているように聞こえたり。あげく自分がそう思ってるように勘違いしたりして、殺人を起こしたり自殺したりする事もある、心の病気だ…。お前、…ハァ」
そして、レオンは呆れた様子で、言葉を続けるのをやめた。
「精神…の?」
ノアが速水を見た。
速水は困った様な顔をしていた。
「…お前、入院とかしてたのか?」
レオンがテーブルから椅子を引き、ベッドサイドに移動させ座った。
「いや。そんなに酷くない」
速水は苦笑した。
「…普段はたまに、鳥のさえずり?とかが聞こえるくらい。体調が悪いと少し酷いとか、そのくらいで、薬もほとんど…要らない」
そして、ふと目を伏せた。
──呼吸が乱れ出す。肩が震える。
はあ…はぁ、…、ハァ。
「ハヤミ?」
ベスが訝しむ。速水は耳を塞いだ。冷や汗が落ちる。
呼吸がひどく荒い。顔が赤い。
「…けど、いらないのに、苦しくて、ずっと飲んでた…踊らないと、駄目だから」
彼は頭を押さえた。
「…ジャックが死んで、酷くなって、けど俺が踊らないと、皆が死ぬ…!支配人は自殺しようとしてた!リサも何処かへ消えた!ロブだっていない!!他にも──!!次は俺だって、どこかで思ってた!!危ないって思ってた!…けど踊らないと、俺がしっかりしないと…っ!!」
速水は泣き出し、額をかきむしった。
背を曲げうー、と唸り、ぼろぼろぼろ、と涙がこぼれる。
「おまえ…っ」
レオンは絶句した。ジャックの死後。
まさか、そんな前から──!?
速水は伏せて、シーツを握り、肩を震わせる。
ヒックと言う嗚咽が漏れる。悲しそうなすすり泣き。
「駄目…、だって…わかってた。俺は駄目だって、っ、もう、駄目だって、…もう踊れないってずっとずっと…!!でも踊らないといけない──」
ピタリと、泣き叫びをやめ。
日本語で何か呟きだした。
…ノアが、蒼白になった。
そしてガタガタ震えて、泣き出した。
「―ハヤミ!!もういいから!!いいからっ!!──!!!」
叫んで、速水に抱きついた。まだ速水の口は動く。
ノアが泣いている。
「何を」
レオンとベスには日本語が分からない。ノアは少し出来る。
レオンは、固まったエリックを見た。
「…、…」
エリックは何か言おうとしたが、言葉にならないようだった。
「エリック?」
レオンが言う。
「…」
エリックは涙をいっぱいに貯め、目をそらした。すん、と鼻をすする。
「──、ハヤミ、暫く休みましょう?」
エリックが、優しく言った。
「…」
速水は答えなかった。
「ほら…、大丈夫です。聞こえますか?横になって、これを付けて、目を閉じて…目は開けてはいけませんよ」
震えた優しい声で言われ、速水は大人しく横になった。目を閉じ、耳栓をする。
「私は少し、付いていますから、皆さんは…」
言われるまでも無く、皆がカーテンから出た。
ノアは、彷徨うようにして、ベスの個室の扉を押し開けた。
入って、すぐに床にどっと膝をつき、堪えきれないように、だが、口を押さえ。声をもらさないように、ひっぐ、としゃくり上げ。
「ぁあ…、あああっ、うぁあっ、うぁあっ」
堪えきれずに泣いた。
「ノアっ…、どうし―」
「ぁあ…、あああっ、っ、うぁあっ…っうあぁあっ…はやみっ…」
ベスがノアの背を撫でる。
「どうしたの…、ハヤミ、何て言ったの?」
ノアが、ずっと泣いている。
「珈琲を煎れましょう、って言った…」
ノアは床に額を付けた。
「カラス、が鳴いたら、お家に帰る!スズメは鳴いて、も、──ぁあ…ごめんっごめんハヤミっ」
ノアは泣きながら、分かった部分を繰り返した。
──珈琲を煎れましょう。
カラスが鳴いたら、お家に帰る。スズメは鳴いても大丈夫。
…お母さん。ツグミが鳴いたら休みましょう。カッコウが鳴いたら、洗濯物をしまって下さい…。雨が降りだします。
「俺──!!俺っ…ベスっ。俺…っ」
今まで、何やってたんだ!!
ノアはそう叫んだ。
ノアはひたすら床を叩いて泣き続けた。
ベスもわっと泣き出し、レオンもほぼ同じ様子だった。
余りに酷い心境で、言葉が出てこない。
出て来るのは涙だけだ。
「…っ…」
レオンは顔を手で覆った。
後悔と、馬鹿だったという思い。言ってくれれば、という悲しさむなしさ。
それで何が出来たという虚無感と少しの安心感。
言われた所で、きっと嘲り、異常者扱いして、遠ざけた…。
踊れているなら、問題無い──?勝っているなら、大丈夫?
速水は凄い奴だから──。ついて来られて当然。今日も勝つ。若いが頼りになる。
馬鹿だった。
──本当に、何でもっと早く聞かなかった!?
二人部屋で、あれ?と思う事があったのに。
踊って、倒れた日の真夜中、浴室から、すすり泣きが聞こえたのに。
…プライバシーとか、ストレスとか考えて。
ここが大変なんだろう、家に帰りたいんだろう、とかまるきり他人事で。
あえて聞かないと思った自分は馬鹿だ。
あの時、問い詰めていれば──。何とかなった?…そんな訳無い。今もって監禁中だ。
馬鹿野郎。
「…馬鹿だな。…運営は。世界平和なんて、無理だ…」
レオンが言った。
だが…運営よりもっと馬鹿なのは、俺たちだ──。
「あら。──そうかしら?」
かすれた低い声がした。個室の扉が動く。
レオン、ノア、ベスが振り返った。
「ちゃんとノックしたわよ?返事が無いんだもの!ハヤミは寝てるし、エリックはいつも私を無視するし!」
「―なんでここにいる!!運営のクソ犬が!」
レオンは睨み怒鳴った。
「―邪魔よ。帰りなさい」
ベスが言う。
「…」
ノアは何も言わなかった。ただ見ていただけだ。
「まあ、ずいぶんね」
「おい、ゲテモノ。お前…」
ノアは言った。まさか──。
「そう。あの子に言われた通り、来たのよ。自分が駄目になったら、チームに入ってくれって」
「―なっ」
レオンが目を剥いた。嫌な事を聞いた、と言う反応だ。
彼は、運営はすっこんでろ。見たくも無い!!そう言う心境だった。
「…一月、いえ、二月くらいかしら?休めば少しは良くなるんじゃ無い?それまで私が代わりに出るわ。何なら、外で入院させてあげても良いし」
「外で―?──出来るの!?」
意外な申し出に、ベスが詰め寄った。
「さあどうかしらね!まあ、前例は無いわね。さすがに無理かしら?」
ケタケタと笑う。
ノアが敢然と立ち上がる。
「ウルフレッドお前。何で協力する気になった?ハヤミの為か」
「いえ、世界平和の為に」
ノアはゲテモノの襟首を掴み歯ぎしりをした。
「真面目に答えろ…!!」
「アハハハカハ!!私はいつだって真面目よ。──ハヤミがナイフで一本取ったのよ。それで。お願いを聞いてあげたの」
…たかが一本、されど一本。ウルフレッドは感動した。
負けつまり死。約束通り、聞くことにした。
『俺が駄目になったり死んだりしたら、お前代わりにチームに入ってくれ。あと、お前達が目指す世界平和、多分、方向性が間違ってる』
速水はそう言った。
あら、そうかしら。ウルフレッドは顧みた。
『だって時間掛かりすぎ。ネットワークが出来て、何年だ?確か二百年って言ってたよな。それ、かなり遅いぞ』
確かに、もう二百年、全然進歩無いわね。
でも、ジョーカーだって、凄い案を考えてるのよ!まだちょっと、お金が足りないけど。
『へえ。何だ、ちゃんと考えがあったのか。じゃあ、世界平和だっけ?俺は俺のやり方で、ジョーカーよりも、もっと平和的に正しい方向性で今からやる。どうすればいいか、まだ分からないから困ってるけど』
あら、分からないの?
『だって今、考え始めたばかりだし。でも、二百年よりはマシだろ』
『──だから。もし、俺が正しい「答え」を見つけたら、こっちに寝返ってくれ』
―いいわよ。ってあら?いいのかしら?
『今すぐじゃ無いし、別にいいんじゃ無いか?』
「ってまあ、いけしゃあと。だから暇つぶしにダンスしながら、待ってみることにしたの。あ、私、ダンスそこそこ出来るから安心して!これから一緒に頑張りましょうね!!とにかく、世界平和の為に!」
「──、」
ノアは奇妙な顔をした。
そして、大声で叫んだ。
「お前、超馬鹿だろ!!」
〈おわり〉




