第8羽 ノア ④百億 /日本円換算 -3/7-
翌朝、ノアがベスの個室から出ると、レオンと話すエリックの声が聞こえた。
エリックはすぐ速水のスペースに入っていった。
「エリック…?」
ノアは眉を潜めた。レオンを見る。
「あいつが、呼んでくれってさ…。マジでヤバイかもな」
レオンが冴えない表情で言った。
カーテンの中から、エリックの声が聞こえる。
「…ハヤミ」
「ありがとう。もういい」
速水の声もする。
「はい…」
エリックがいつものドクターバッグを持って出て来る。
中が見えないようにカーテンの隙間から。
「おい」
レオンはエリックのパンストの先を捕まえた。
「偏頭痛です。いつもの事だそうですから」
エリックはそう言った。
「―、」
レオンは二の句を失った。
「最近、疲れているのでしょう。暫く寝ていれば治ります。今日は外出なので薬をお出ししました。邪魔をしないように」
エリックはさらによどみなく言った。
「―では」
そう言って、パンストの先をハサミで切り残し、去って行った。
「…」
ノアはカーテンの側に立った。
「レオン、偏頭痛って、ベスがたまに困ってるやつだよね」
そしてレオンに言う。
「ん?ベスはそうなのか」
「うん。結構つらいって言ってたけど…。ハヤミ。今日はデート、出られそう?」
ノアはカーテン越しに聞いた。
「──、ああ。多分」
そして昼過ぎ、迎えが来て速水は出て行った。
「…久しぶりに外に出たな」
戻った彼は普通だった。
「頭は?」
「薬が効いてた。でも少しだるいから寝る。これなら明日までには直りそうだ」
笑っている。
「ああ」
レオンはホッとした。なんだ、本当に偏頭痛持ちで、大したこと無いのか…?
いや…本当に、そうだろうか。
気にしつつも、レオンは自分のスペースに戻った。
その翌日、四月三日。ブレイクバトル。
速水は勝った。レオンも、ノアも。
リピートはノア。
ノアは調子を上げてきている──。
速水も大丈夫そうだ。
踊りが冴えている。
「やっぱり、最近、結構疲れてたんだな。…ノア、悪かった」
そうノアに言っていた。
「あともう一回で、何とか足りるか…」
部屋に戻り、早速端末を見てレオンが呟く。
ノア、ベス、速水も覗き込む。
…十三日の呼び出しまで、あと残り十日。
今日はどうやら速水のスポンサーが居たらしく…中継を見ていたのかもしれないが──、二十二億円の荒稼ぎ。
…おそらく、速水に粉がかかっているので、気合いを入れているのだろう。
「っとに…ハヤミのスポンサー、どんだけ金持ちなんだよ」
ノアが呆れて言った。
「一兆円くらい持ってるんじゃ無いか…?」
速水も呆れ気味だ。
速水のスポンサーがいる時は、掛け金が跳ね上がる。
現在の貯金は九十二億円。
支払金は、一人頭、約三億円。
…稼いだ金額はほとんどがネットワークの物になり、そのうち一部がダンサーに還元される。
「…これって…本当に支払われるのかな?」
ノアが言った。
「まあ、…親父も貰ったって言ってたから、貰えるんだろうな…。時代が変わって、使えない金かもしれないが」
レオンが言う。
「もう──俺、なんか、頭おかしくなりそう…計算出来ない。ベス、これで一体何がどれだけ買えるの…?」
ノアが途方に暮れたように言った。
「もう何でも買えるわよ。…ノアはお金、使った事無いものね」
ベスが少し悲しそうに言う。
「―あるよ!一回、シスターのお使いに!………」
言ってノアは項垂れた。無いも同然だ。
「…とにかく、十三日までにダンスはあと一回か?七日後、十日にクランプ…ギリギリだが…、それで何とか足りそうか」
レオンが言った。
今、九十二億円で、あと八億円。
これならスポンサーがいなくても何とか稼げるはずだ。
「ねえハヤミ、これからの予定はどうなってる?」
ノアが速水に聞いた。
「七日後…十日のクランプの、また七日後…十七日にブレイクバトル。その五日後、二十二日にクランプ。その五日後──、二十七日にショーがあるから、そっちの準備もしないと」
レオンの言葉に、速水が葉書程度の大きさの紙を見て返事をする。
…最近、バトルオーダーが、二・三枚まとめて来る。間隔が短くなり、ショーの準備と良くかぶるようになって来たのだ。
「払ったらまた稼がないとヤバイよね…。最近いきなり上位と当たるから」
ノアが焦って言った。
「ああ。二人とも、振りは出来たか?」
レオンが言ったのは、新しいショーケースの事だ。
振りはベスと速水が考えている。
「ええ。今回は良い出来よ」
ベスが頷く。
「ああ。今度は負けない。また練習しよう」
速水も頷いた。
前回、ペナルティバトルに『落ち』さらに負けた時は、ブレイクのショーケースで敗北したのだ。
その為、ベスと速水は直後から良く構成を練っていた。
外で踊るときは、同じ内容で完成度を上げても踊っても良かったが…ここではそれは通らない。常に新しいメニューを出さなければ勝てない。
「―悪いな。俺も振りが出来れば良いんだが…」
レオンが言った。
出来ない事は無いが、速水やベスに比べると劣る。
「レオンはクランプ取ればいいだろ―、曲、今から聞く?」
ノアが言った。
ノアの手には、ラベルの無いCDがある。
曲は、ノアが速水の意見も取り入れつつ、自由に曲を選び、スタッフと協議。
その後、それに速水とベスが振りを付ける。レオンとノアはサポート。
…最近はだいたいこのスタイルだ。
「ああ。今から聞いとくか」
会場が一番近い場所だったため、時間は午後九時を回ったところだ。
「―俺は…」
とここで、速水が難色を示した。
ノアが首を傾げる。
「ハヤミ、ねえ…ハヤミってさ」
ダン!と音がした。速水が、机にオーダー表を置いたのだ。
「俺は明日聞く。もう散々聞いたし。いいな?──風呂入ってくる」
「え、…まあ…いいけど」
ノアが答えた。
「…、悪い」
速水は痛かったのか腕を少し振って、着替えを取りに、カーテンの中へ消えた。
「何だ、別にいいじゃ無いか」
レオンは溜息をついた。
またか、と言う感じだ。
「こだわりがあるのよ…きっと」
ベスが抑えた声で言った。
速水はカーテンから出て風呂場に消えた。シャワーの音が聞こえてくる。
ノア、ベス、レオンは速水が書いた振り付けノートを見ながら、CDを聞く。
三人なのでヘッドフォンは使わずスピーカーから流す。
ハイテンポで心地よい音が流れる。
「―ねえ、ベス、レオン…」
ノアが途中で呟いた。
「何だ?」
レオンが答える。
「ハヤミ……」
ノアは何か言いかけた。しかし。
「──曲、どう?格好良い構成だろ?ハヤミも良いって言ってた!」
そう言って笑った。
「ああ、良いな」
レオンは頷いた。
「私も早く踊りたいわ…」
ベスがお腹を撫でる。
「ベスは絶対駄目!」
ノアが言った。




