第8羽 ノア ④百億 /日本円換算 -2/7-
ついにこの『呼び出し』来たか、速水は冷静だった。
まあ、別にいいか。俺だけ免除ってフェアじゃ無いし。くらいに思っていた。
「…ハァ」
レオンが溜息をついて、自分の封筒を開けた。雑に読む。
「…」
ノアは無言で開ける。中を読み、少しホッとした様子だ。
「ハヤミ…」
ベスが速水を見た。
白い封筒と金の装飾のある白い封筒。
速水はまず、ただの白い封筒から開ける。
「…明日、昼からか…」
速水は呟いた。
「女か?」
「ああ」
速水は溜息を付いた。相手は女…要するに、ただのデートだ。
「…」
ノアはじっと速水を見ている。ベスも。
速水はとりあえずもう一通、装飾付きを開けた。
上から下へ、あまり多くは無い文面を読む。
「…ハァ、まあ、もう良い」
嘆息する。
「…代わるぞ?」
レオンが速水に言った。
「良いって。…ノアはどうする?貯金使うか?」
そして速水はノアに聞いた。
「俺は、今回は受ける。まあ良い人だし」
ノアは言った。ノアの封筒も金の装飾付きだ。
「…良いの?」
ベスが言う。
「うん。まともな方」
ノアは頷いた。
「レオンは?」
ベスが聞いた。
「俺は昼だし。別に良いな。…あとは…」
レオンが速水を見る。
「昼のは受ける。夜のは…」
速水は溜息を付いた。
「見せて、いくら?」
ノアに言われ、速水は手紙を渡した。
「―げ…」
ノアが呟く。向かいの──速水の左隣のレオンに回す。
「うわ!?…お前、ふっかけられたな…」
レオンは頭を押さえ、端末を取り出す。
「足りるか?」
速水が端末をのぞき込んで聞いた。
ノアも立ち上がって移動する、ベスもレオンの後ろに来た。
そしてレオンが端末をいじり、貯金を確かめる。
「──、ぐ、呼び出しは何日だ?」
レオンが唸った。
「今月の十三日」
速水が手紙を見て言った。今日は四月一日だ。
『お誘い』は月初め、または月の真ん中あたりで良く来る。予定の関係だろう。
「…ギリギリ…足りるんじゃ無い?」
ベスが言う。
レオンが頭を掻いた。
「チッ。いや…。微妙に足りないかもしれない──、予算合わせしやがったな」
レオンは呟いた。
「うわ…最悪…。っていうか、コイツまた?俺にも言ってきたのに。しかも金額、ちがいすぎ…!ムカツク!!」
ノアが憤った。
「ハァ…」
速水は溜息を付いた。
今回の客は、以前ノアが断った相手だった。
そして今度は速水を呼び出す気らしい。
ダンス以外のここでの仕事の一つ…。
人気商売、地下の──と言えば、あって当然。ない方がおかしい。
ネットワークは金が欲しい組織。
要するに、気に入りのダンサーを呼び出すことが出来るのだ。
それが目当てで、大枚はたいて会員になっているやつも多い。
だが、強制では無い。
ダンサーは断ろうと思えば、貯金、つまりダンスで稼いだ金を支払って断れる。
メンバーは任意の金額でネットワークに申し込み、ダンサーに断られたら、ダンサーが支払った同じ金額を詫び金として受け取る。が、そのうち三割はネットワークの懐に入るので、メンバーに戻るのは七割だ。
申し込み前にはネットワーク管理のヘルスチェックが義務付けられていて、それに引っかかったメンバーは弾かれる。あくまでショービジネス、と言いたいらしい…。
当然相場と言う物がある。
デートは一日、大体、日本円にして五億~十億円程度。
それ以外は一回だいたい二十億~多くて五十億程度。
一度断られても何度か熱心に頼めば、貯金の関係でダンサーもなびく事が多いし、毎回ダンサーが支払った詫び金の七割は戻ってくるので無茶を言う客は少ない。
何度かデートして、自分を覚えて貰ってその後で、という客もいる。
このシステムの残念な所は、貯金が無いチームは誘いを断れないと言う事。
そしてダンサーには金を払って断る権利があるだけで、全く得が無いと言う事。
しかし、良いスポンサーを見つける手段にはなるので、物は使いようかもしれない。
そのスポンサーに大金で身柄を買って貰って出る、と言う裏技も存在するとかしないとか…。
メンバーが、ダンサーに『お誘い』をどうしても断られたくない場合は、予算合わせ──つまり情報を手に入れ、チームの支払い能力を超えた金額をふっかける。
ただしこれは、その金を余裕で出せてなおかつ品位とステータスなどがあると判断された、上位のメンバーにしかできないらしい。
これは一応、明らかな悪意のある申し込みからダンサーを守る為だ。
こうして見ると、悪いなりにフェアなシステムに思えるのだが…。
このシステムには…さらに大きな落とし穴がある。
「この金額、百億って…一人のメンバーかな…?」
ノアが呟いた。
メンバー。つまり共同出資でも良いのだ。
…全くもって、嫌なシステムだった。
「さあ…。が、しつこい奴には違いないな。あの蠅叩きをすり抜けるなんてな」
レオンが言った。
蠅叩き、そうレオンが言ったのは物の例えだ。
「確かにハヤミのスポンサーは強力だけど…。セーフキャッチャーが効かないって、やっぱり一人か?」
ノアが言う。
セーフキャッチャー。つまり、お気に入りのダンサーに手垢が付かないように、金を払って保護する。…スポンサーになることも出来る。
大抵は…そのダンサーが外に出た後で、自発的なお礼をしてもらうのが目当てだったりする。
下心の場合は、身柄──良い例では結婚。その後の離婚例も多いらしいが。
下心の無い場合は──専属契約。こちらはそれなりに珍しい。
要するに今まで、速水には謎のスポンサーのおかげで…全く、金の装飾つきのお誘いが来なかったのだ。
普通の白便せんは何度も来た。別にそれは良いので適当にこなした。
スポンサーは、通常は本人に名を明かすのだが…速水のそれは全く何も言ってこない。出る時か、出た後に言うつもりなのかも知れないが…エリックに聞いても『名を明かすのは禁止されています』の一言。
…おかげで全くの謎だ。
速水は仕方無いので隼人に心から感謝している。
──そして速水は今後の覚悟もしている。
速水のためにスポンサーがつぎ込んだ金は、かるく百億を超える。
それが善意だけであるはずが無い。
「…ハァ」
彼はテーブルに両肘を付き、溜息をついた。
…スポンサーが何にせよ、もう一生、俺に自由は無い。
短い人生だったな。もっと遊んでおけば良かった―。できれば最後に抹茶が飲みたい。
和菓子も食べたいし──。それくらいの自由は貰えるのだろうか。
外出は出来るのだろうか。ダンスは―?日本へは―?
子供の嘘がばれたらどうしよう。いや、もう知ってるのか?意外に寛大だな、よかった…。
でもやっぱり土下座くらいはしないと駄目か…。無駄金使わせたって事だしな…。
「……」
さらに速水はがっくりと項垂れた。
自分の今後を考えた所で、むなしくなるばかりだった。
もう隼人とたまにメールが出来ればそれでいい。俺は元気で踊ってますって言うんだ。
他は全てあきらめよう。
もはや、隼人だけが心の支えか──?
…やな人生だな。
彼は自分でもそう思っていた。頭を押さえ項垂れる。
―外に出たら友達作ろう。さすがに俺はこれじゃ駄目だ。
今までの自分を頑張って変えて行こう…―。
速水は俯いたまま密かな決意をした。
「ええと…、ハヤミ…大丈夫?」「ああ…」
ベスがそんな速水を不思議そうに見て言った。速水は適当に返事をした。
「ううむ…」
一人か?と言うノアの問いに、レオンは唸った。
複数の場合でも、記載されるのは代表の名だけで、しかも偽名と決まっている。
「それは、分からないが…こいつ、よほどしつこい奴なんだろうな…。ハヤミ、来ちまったのは仕方無い。金が足りなかったら、…どうする?」
レオンは言った。
今回の速水の客への詫び金は、日本円で約百億。
以前なら余裕で払えたが、少し前…ペナルティバトルで負けて、ペナルティを受ける代わりに気前よく支払い、貯金が百二十億円ほどごっそり減ってしまった。
それからまた増え今は七十億ほど。
──しかし、この大金を、実際に目にしたことは無い。
もしかしたら、ただの数字なのでは無いだろうか?
もしくはビットコインのような、架空の金…?あるいは証券?
速水は、レオンも、皆そう思っていた。あまりに桁が多すぎて、実感が湧かないのだ。
「金が足りても―、また来たら困るし…もう俺が行くしか無いだろ」
速水はきっぱりと言った。
つい先程、丁度前向きになったところだ。何事も経験だろう。
それに、今ここで百億失うのは痛い。
またペナルティバトルで負けないとも限らないし…。
「よせ」
聞いておいてレオンは言った。
「…よせって。レオン…聞いたくせに」
さすがに速水は呆れた。
「…お前、具合はどうだ。今日も寝てただろ。どこか悪いのか」
レオンが言った。
「…いや?別に」
速水は首を傾げ言った。
「…いい加減、話したらどうだ?」
レオンが言った。
「―何を?」
速水は言った。
少し俯く。
テーブルに置かれた封筒を見る。目を閉じ溜息を付いた。
「…俺だけずっと免除なんて、フェアじゃない」
速水はそう言って、二通のそれを手に取る。
「おい──」
レオンが速水の腕を掴もうとする。
「レオン、行くって言うならそれで良いだろ」
ノアがそれを止めた。
ノアはテーブルに手を置いたままの速水を見る。
「ハヤミはズルイ。最近休んでる理由、言ってくれてもいいのに。それこそフェアじゃないぜ…!」
ノアは言った。口調は押さえているが、怒っている。
「もし…」
本当に駄目なら、俺たちが──。
ノアは口ごもった。避ける方法は他にもある。
チーム、というのはつまりそういうことだ。
『〇〇は来られなかったので、俺が代わりに来ました。下見です』
『じゃあ今度は〇〇さんをよろしく頼むよ』
いわゆる、すっぽかし、サボタージュ、と呼ばれる方法。それならチームは詫び金を払わなくて良い。
申し込んだメンバーは、それで文句を言ってはいけない事になっているが、…頭に来るのは仕方無い。
あまり相手を怒らすのは良い方法では無いから、お互い次につなげる──要するにその場しのぎだ。次、誰につなげるかは交渉次第でもある。
だがノアはそこまでする気は無い。
「ノア。俺はどこも悪く無いし、別に平気だ」
速水はキッパリと言った。
「──っ!!」
ノアは速水の、この態度が気に入らないのだ。
「おい!」
掴みかかろうとしたノアを、レオンが止めた。
「速水、お前、馬鹿だろ!」
ノアに日本語で言われ、速水ははっとした。
「…」
「馬鹿で、けどずるくて狡猾。お前はそう言う奴なんだ!!ムカツク!!」
ただ、怒鳴られた。
「ノア…。大丈夫だから」
速水は顔をしかめて言った。
―そんな表情をした為、速水はノアに殴られた。




