第8話 ノア ②ワイルドカード /KRUMP -1/6-
「…アンタに、頼みがある」
約一週間ぶりのナイフ講座。速水はウルフレッドにそう言った。
今、二人はナイフを手に、対峙している。
「あら?」
今日はゲテモノは赤白水玉模様の軍服に、赤いベレー帽を身に付けている。
そして肌は黄色にペイント。
相変わらずとんでもないセンスだ。
初めは一方的に切られるだけだったが…人間、生きるか死ぬかになれば何とか出来る物だ。
しかし速水はまだまだ全然、ゲテモノに敵わない。
…多分、ここで、今このゲテモノより強い人間はいない。
「俺がアンタに勝てたら――」
そう思った端から、速水は自分でも無茶だと思う事を言った。
今は出来る事は、全てやるしか無い。
…その後、自分がどうなろうと知ったことか。
俺は長生きできない。いつも彼はそう思っていた。
■ ■ ■
昼間からの夜、速水はようやくベッドに倒れ込んだ。
『―まだまだね。けど、結構良くなったじゃないの』
やはりまだ勝てない。
「…」
と言うか、本当に死ぬかも知れない…。
「また、派手に…」
エリックは呆れ気味だった。血を拭くためのハンカチを速水に渡す。
「浅いから大丈夫」
ゲテモノは一応加減しているし。ダンサーだからと、顔や見えるところは傷付けない。
…もうこのくらいの切り傷は当たり前になってしまった。
が、この先…ナイフなんか使うのだろうか…。俺は何処へ向かっているんだ?
速水は自分の選択を少し後悔していた。
そしてとりあえず、ジョーカーをぶっ飛ばす為という事にした。
「なあ、エリック」
速水は何とか起き上がって、エリックに話かけた。
「エリックって、前はジャックと居たんだよな」
速水はエリック本人から、先代ジャックを世話していたと聞いていた。
「ええ」
ここへ来てからも、エリックはパンストだ。
「どうしてジャックのマネージャーにならなかったんだ?…何か事情があるのか?」
外へ出る時は、世話役はマネージャー兼監視役になるのが通例だ。
「…私は希望しましたが、外されました。ある計画に関わりがあったので」
「?…計画」
「すみません、この計画については…継続中なので、お話は出来ないんです」
エリックは申し訳無さそうに俯いた。
「いや…」
エリックも運営の人間だ。言えないことはあるだろう。
「ハヤミ」
治療を終えたエリックが、速水に話掛ける。
「何だ?」
速水はTシャツを着ながら答えた。
「ウルフレッドとあまり関わるのは、止した方が…」
そう言ってきた。
「何でだ?」
速水は聞き返した。
「――私はあの犬が嫌いです」
どうやら、個人的な感情らしい。しかしハッキリ言う。
「犬?」
速水は聞き返した。
「ええ。ウルフレッドはジョーカーの犬で、いつもジョーカーにしっぽを振ってるので、あまり相手になさらないように」
やはりキッパリ言う。
…生理的に無理です、とエリックの顔に書いてある気がする。
「―あ」
速水はピンと来てしまった。
ウルフレッドがジョーカーの犬だというなら、エリックの感情は…同族嫌悪か?
何となくだが、速水に対するエリックも犬っぽい。
…言ってみようか?と速水は思った。
ちょっとしたイタズラ心が芽生えてしまった。少し微笑む。
しかし速水は『エリック、同族嫌悪なのか?』とストレートに聞くのが憚られるくらいには、エリックを気に入っていた。
「…分かった。そうする。エリックはジョーカーを知ってるのか?」
なので素直にうなずき、違う事を聞いてみた。苦笑気味なのは仕方無い。
エリックは少しバツが悪そうだ。…嫌悪感の正体に気が付いているのだろう。
速水に言い含めたのをちょっと後悔しているのか、コホン、と軽く咳払いをした。
「…私は、まだ一度もジョーカーに会った事はありません。運営の中でも、ジョーカーに会えるのはごく数人なんです。幹部とそれに続くトップが絶大な権力を振りかざし、それをジョーカーがキングのように支配する――それがグローバルネットワークです」
キングのくだりは、やけに回りくどい表現だった。
速水は変わった言い回しをするな、と思った。
エリックは続ける。
「ウルフレッドはトップの一員です。しかもジョーカー直属の…。ですから、自由が利き権力も強い…」
それにしても、エリックは良く話してくれる。
「…エリックは、俺に協力して大丈夫なのか?結構、俺の我が儘聞いてるけど」
速水は尋ねた。
…かなり無理を言ってきたと言う自覚はある。
速水の問いに、エリックは楽しげに笑った。
「私も、末席ですが…。…先代ジャックの功績で少し自由が利きます。世話役は、自分の担当者の功績によって、待遇が上がりますから」
「つまり、エリックもトップの一員か?」
速水は少し驚いた。
「ええ…本当に端の端ですけど」
だから、強い希望通りに選ばれてこちらに来た、と言っていた。
…要するに速水を追ってきたのだろう。
「ふぅん…」
「―ですが…、それすらも…奴らの手の内でしょう。…何をたくらんでんでいるか、分かりません。お気をつけを」
エリックが、子供に良く言い聞かせるように、ゆっくりと言った。
「…そうか。ありがとう。今日はもういい」
明日はまたステージだ。
「はい。ではハヤミ。おやすみなさい」
エリックがカーテンを閉めて出て行く。
エリックは運営の一員だが、速水は彼を信用すると決めた。
それは比較的最近のことでスクールにいたときでは無く、こちらに来てから。
これまで何となく、そうかなと思ってはいたが…確信が持てなかったのだ。




