第4話 変調 -5/5-
そして十月六日の日曜日。
速水はいつも通りに、B室を借りて踊っていた。
今日は安息日なので皆は踊らない。
…ここの生活にも大分慣れて来てしまった。
交流戦まで、あと二週間。この調子なら、すべてランク7まで行けるだろう。
『外って楽しい?』
ノアの問いには適当な事を言ってしまったが…速水にとっての安息は、踊っている事なのだ。
…ひたすら踊れば、周囲の、余計な雑音も気にならない。
「ふう」
汗をタオルで拭く。
ノアは、ダンスが嫌いでは無いのだろう。
踊っている表情を見れば分かる。ベスは、速水が来てから楽しそうにしてるのよ、と笑っていたが…。
ドアがノックされた。
「?開いてる」
速水は首を傾げた。
「…失礼します」
入って来たのは、サラだった。
■ ■ ■
「サラ?何か用か」
速水は聞いた。
「新譜です」
「ああ…、ありがとう」
CDの入った紙袋を受け取る。
そう言えば、頼んであった。
試しに言ってみただけだが、まさか本当に用意してくれるとは。
「…お話が」
ドアを完全に閉め、サラはそう言った。声を潜めて。
「あなたを逃がす手はずが整いました」
「──!?」
速水は目を見開いた。今、何と言った?サラを見る。
「私は、純粋な組織の人間ではありません。ある場所に所属する者です」
だが、所属は話せない。彼女はそう告げた。
「…な…」
「私は、あなたを保護するよう、そこから命令を受けていました」
サラが、静かに語った所によると。
グローバルネットワーク、その会員の上の方。つまり上客に、速水の身を案じている者がいる。
その人物が、速水の契約に横やりを入れていた。罰則規定はその為に付けられた。
「あなたを攫えと指示したのは、ジョーカー。ネットワークのトップです。あなたが私の所へ来たのは偶然ですが、内密に報告し、ようやく…。明日、朝食時、カフェテリアで。もちろんここにいる全員が保護されます」
「…サラ、この部屋、大丈夫か?」
速水は言った。
全員とは、思い切った事をする。
しかも明日とは…何となく、焦りすぎな印象を受ける。その計画は大丈夫なのか?
速水はそう思った。
「ええ。盗聴器その他、確認済みです。カメラはありません」
「サラ、俺は良い。仮にここで一生を終えるとしても、誘拐されたのが馬鹿だったんだ」
速水はそう言った。
そもそも、あの刑事にまんまと騙されたのがいけなかったのだ。
自己責任とさえ言えるかも知れない…あの刑事も、ネットワークも許す気は毛頭無いが。
「何を言っているんです…!」
サラは窘めた。
その時には速水はもう他の事を気にしていた。
俺が偶然、ここに来た──?サラのいる?
「サラ。俺が言うことじゃないのかもしれないが…、そのジョーカーってのは、やっかいな──」
相手なのか。
そう言おうとしたとき、バチ、と音がした。
「!?」
明かりが、消えた。
「…っ」
サラが、出口を確認する。ロックが掛かり開かない。ガチャガチャと音がする。
「サラ?」
「時間が無いんです!あなたたちが下に移されると言う情報が入りました。ああ、もうやはり…っ、ばれてっ、クソっ」
サラが自動拳銃を懐から取り出した。速水には音で分かった。
扉には窓も無い。防音も兼ねているからだ。
「あなたたち?アンダー?」
速水はサラに問いかけた。
「ここの上位四人です。ここは、ただのスクール。アメリカ各地に幾つもある―、『フェスティバル』に勝てば出られるというのは、都合の良い嘘です。今のジョーカーは、地下ダンスで世界の実権を握ろうとしている、危険な人物です!」
「ダンスで実権…って」
なんだそれ。
速水は今更だが思った。
しばらく、速水とサラは入り口を張っていた。
しかし、何も起きる気配が無い。
「ただの停電…なわけないよな」
速水は溜息をついた。
「ええ。我々を朝まで閉じ込めるつもりでしょう」
サラはそう言った。
朝まで…速水は最悪な気分になった。
「サラ、誰が俺をここから出そうとしたんだ?」
とりあえず座る。相変わらず何も見えない。
「言えません…ですが、…、…申し訳ありません」
サラは口をつぐんだ。
速水は何となく、分かった。
おそらくサラは、こういうことに不慣れなのだ。緊張しているのが伝わってくる。
だからといって速水が慣れている訳でも無いが。
「いや。…サラはどうして運営に入ったんだ?」
「…私は、ここの出身でした。…平和な時代の。あなたの協力者とは、元々、私的な繋がりがあって…。…それも調べられていたのでしょうね…。申し訳ありません」
サラの声は震えている。
「そうか…。前のジャックじゃ無いよな」
「ええ。彼ではありません」
その後、闇の中でサラとほんの少し、雑談を交わした。
ペナルティをどう思っているかと聞いてみたが、仕方が無いと言われては、それこそ仕方無い。
速水は、この組織からいつか出られるのだろうか──、そんな事を考えた。
ヘタしたら、本当に、一生?
「隼人どうしてるかな…」
速水はそう呟いた。
彼は頻繁に隼人を思い出すが、何の事はない。他に友達がいないのだ。
父、兄、祖父とは絶縁状態。
一緒に茨城の別邸で暮らしていた母と祖母は、すでに他界。
それからそこも飛び出して、ダンスばかり。
親しいと言えるのは、珈琲の師である磐井と、死んだジャック。
そして親友の隼人。…本当にそれだけだ。
ジャックが死んだ今、隼人は、速水にとって余計に特別な存在となっていた。
小学生の時に出会い…、それからの腐れ縁。もうほとんど兄のような感じだ。
別に本当の兄や家族が嫌いな訳では無いが…。
だが、幾ら特別とか言ってみても、所詮は他人。いつかは離れるだろう。
今でも隼人のバリスタ修行とかで、良く離れてるし。末永く友人でさえあれば良い。
老後とか、あいつと一緒に将棋でもできるような?
…我ながら閉じきった、狭くて酷い人生だと思う。
けど一人でも、俺には踊りがある。
言いかえれば踊りしか無い。
寄る辺もなく、ただ踊るだけ。
…滑稽だ。
「なあ、サラ…」
何となく速水は落ち込んで、サラに話かけてみたくなった。
彼女は見た目はクールだが、案外そうでも無いのか?
「え?」
サラに声をかけた速水は、顔を上げた。
ぱち、ぱち。
と電気が付いたのだ。
時間にして、停電から十五分ほどか?
「ただの停電だったのか?」
「…分かりません。ハヤミ」
サラは、速水の手をしっかり握った。
「明日、上手く行くかは分かりません。駄目な可能性も高いでしょう。…ですが、ですが…っ。あなたが地下に落とされても、必ず我々が救い出します」
速水はさっきから、サラが泣いていたのは知っていた。
…声をかけた方が良かったのだろうか。速水には分からなかった。
「どうか、ご無事で…」
サラが言う。
「サラも。…いつか、珈琲をごちそうする。俺、バリスタでもあるんだ」
速水は言った。微笑むしか無い。
笑わなければ、泣くしかないから。
■ ■ ■
「レオン、さっきここも停電したか?」
その後、部屋に戻った速水はレオンに停電があったかと聞いた。
「ん?いや別に無かったぞ。何だどっか停電したのか?」
レオンはそう言った。
停電はB室だけだったようだ。
レオンはベッドに寝そべり、速水が作った語学用のノートを眺めていた。よほど暇なのだろう。
速水はそれを取り上げて、机の上に置いた。
「B室にサラと閉じ込められた。ほんの十五分?くらいだけど」
「へぇ。良かったな」
レオンはおかしな事を言った。
速水は首を傾げた。
「全然良くない。…なあレオン」
速水はレオンに明日の事を言うべきか、少し考えた。
「レオンはここから出たいと思うか?」
そして遠回しな事を言った。
不自然な停電…明日の計画は上手く行かないかもしれない。
「そりゃ、…まあ、契約では、出る時に兄貴の消息を教えて貰えるらしいが…。色々複雑なんだよ。まだ先は長いってな」
ふとレオンが起き上がり、真剣な顔でこちらを見た。
「そうだ。…一つ、お前に言う事がある」
「何だ?」
速水は首を傾げた。
「俺たちは、まあ、中々悪く無いダンサーだと思う。上には上が居るだろうが、お前も生意気な事を除けば一応、戦力になる」
「…交流戦の話か?」
速水は言った。
「いや。まあ、そんなトコだ。それで、その先、俺たちが『フェスティバル』に勝って外に出ることになったとする。が、実はそれで終わりじゃない」
速水は、レオンの言わんとする事が分かった。
レオンは…やはり知って入って来たのだ。
「『アンダー』ってやつか?」
速水は言った。
「―、お前、何で知ってる?」
レオンが怪訝そうな顔をした。
「さっき聞いた。俺たちが、もうすぐそこへ行くことになるかもって…」
速水は靴を脱いで定位置にそろえ、ベッドに座った。
一方のレオンは信じられない物を見る感じだ。
「お前、…マジで落としたのか?サラがそんな事話すなんて!」
そう言った。
速水は帽子を取った。
「多分、もう避けられないと思うから言うけど──」
洗いざらい話してしまおうか。
速水には速水の知らない協力者がいて、サラはその知己だったと言う事を…。
だが…外の世界、ジャック、隼人、磐井、サラ、アメリア、ノア、ベス、レオン。
「…やっぱり止めた。なんか疲れた」
速水は向きを変え、ぐったりと枕に顔を埋めた。
色々な事がありすぎた。
…彼は以前の、開けたようで閉じた世界に、ずっといたかった。
近しい者だけと関わり。踊って…彼等が喜んでくれる…それだけで十分だった。
けれど、ジャックが死んでから、誰かの為に踊って。
踊って。休まず踊って。とにかく踊って。
そして気が付けばこんな所に…こんなだだっ広い世界に来てしまった。
なんか、すごく疲れた…。
「おい?」
レオンの声がする。
速水はちらりとレオンを見た。…別にレオンは嫌いじゃ無い。
ノアだって、ベスだって、アメリアだって。
気まぐれにナイフで速水を苛める、ゲテモノことウルフウッドだって嫌いじゃ無い。
所詮そう言う感じだ。
つまり──それ以上はもう関わりたくない。
もちろんサラもその中、一括りに入っている…。
速水は枕元に置いた帽子を少しいじる。黒くて、つばの裏が赤い。
この帽子、ジャックがくれたんだっけ…。
「ジャック…あいつ、どうして死んだんだ。事故だと思ってたけど。ネットワークとか…」
うつ伏せたまま、息を長くはいて目を閉じる。
一瞬、脳裏を過ぎるのは一年前…あの光景。血まみれの…。
笑わないと、泣いてしまう。
思考が働かない。あえて働かせない。
今日も踊って良かった…疲れて眠い…。
「おい…、俺の話を」
「どのみち、明日になれば分かる。俺たちが出られるか、そうじゃ無いのか…」
レオンが何かを言いかけたが、速水は四時に起こしてくれ、と言って意識を手放した。
〈おわり〉