第4話 変調 -3/5-
変調があったのは、その翌日だった。
「ふぁ」
レオンは目を覚ました。今日も合同ワークか。
まあ楽と言えば楽か。
あの後、レオンが殴って、ようやく落ち着いた速水と部屋に戻り。
速水はさっさと寝た。彼は一言も喋らなかった。
まったく、どこまでガキなんだ。
レオンは溜息を付いた。珍しく今日はまだ寝ている。そろそろ時間だ。
「…、おい?起きろ」
レオンは声を掛けた。
「…」
反応が無い。すねているのか?
「?おい、起き…、げっ」
レオンは顔を覗き込んで、げっ、と言ってしまった。
速水が、ベッドの中で頭を抑えて、しんどそうにしている。
…どう見ても熱を出している。
「おいお前…」
レオンは舌打ちした。どんな軟弱だよ!
「悪い。エリック呼んでくれ。頭痛薬もらう…」
「分かったよ。ちっ。ワークは休めないからな」
「ハヤミ…あなた大丈夫?顔色悪いけど」
朝、二階のランニングルームで走った後、ベスが聞いて来た。
「…何とか」
「ペナルティ喰らうなよ」
「…何とか」
レオンの言葉に速水は同じ言葉を返した。
「ねえ、ハヤミどうしたの?風邪?」
ノアが速水でなく、代わりにレオンに聞いて来た。
「風邪か、知恵熱か。全く。とんだ子供だ」
「でもダンスは凄い…。レオン、俺、今日から居残りする。ハヤミに負けたくない」
ノアは言った。
「まあ、負けてるって事は無いぞ?」
レオンは言った。実力は同じくらいだ。
「俺は勝ちたいんだ!」
ノアは怒って出て行った。
「…ハァ…」
そして速水は、何とかその一日をペナルティ無しで乗り切った。
乗り切っただけで、ランクアップは出来なかった。
どさっとベッドに倒れ込む。
「大丈夫か?」
「…何とか」
また速水は同じ事を言った。
■ ■ ■
そんな事もあったが、速水は翌日には回復し、順調にランクを上げていった。
しかし。九月三十日、月曜日。
「…」
レオンはうんざりしていた。
速水に肩を貸し、二人は部屋に戻ってきた。
「いって…」
速水はベッドに倒れ込んだ。
「お前、座学は相当駄目だな」
レオンが心底呆れた口調で言った。
今彼が言っているのは、今日の音楽の座学1に関する事だ。
今、速水の主なペナルティはほぼ、ゲテモノ──ことウルフレッドによる、下品で暴力満載なスパルタナイフ講座になっている。
…もちろん、これは異例の好待遇だ。運営はとにかく必死らしい。
下手に速水にペナルティを課してへばられるより、どんどん上に上がって貰って、そしてあわよくば交流戦に勝って、実績を作りたいのだ。
しかし、ゲテモノっぽくても実は人間。ウルフレッドにも当然休みはある。
月、水、木、がウルフレッドの定休日だった。
彼はレベル10からの選択ダンス、―キングタット、C-walk、タップダンスを教えるトレーナーなのだが…。
レオンは、あえてそれを選ぶ奴は少ないし、結構暇なんじゃないかと言っていた。
「…」
速水はおもむろに起き上がって、キャップを脇に置き、靴を脱いで、ベッドの上に正座した。
そしてベッドサイドに立つレオンを悪い目つきで、本人的には神妙に見上げる。
実家が茶道の家元なので、彼は説教と言えば正座だと思っている…。
速水が座学を落すのは二回目だった。
一度目はウルフレッドにナイフを教えてくれと言った日。九月二十三日の月曜日。
速水はもはや、強引にサラを巻き込んで、自分の好きなようにカリキュラムを組み、ダンスの科目については、今も着々とランクを上げている。
Bブレイクは加減しているらしく、11のままだが、その他は5、4、5、4。
時折ペナルティは受けるが、皆が驚くほどのハイペース。
あと五日で彼が勝手に宣言した二週間なので、それは無理かも知れないが…この分なら本当に一月経たず7まで行くだろう。
これにはレオン、ノア、ベスも驚いた。確かに傾向と対策はみっちり教えたが…。
速水は意外に、ダンスの素養がある奴だったのだ。
…駆け出しとは言えプロだから当然かも知れないが、てっきりレオンは出来るのはブレイクダンスだけだと思っていた。
速水が言うには一応、子供の頃から、家の近くにあったダンススクールに通っていたらしい。そこで一通り教えて貰って、後は独学とか、ジャックに基本を教わったのも結構ある、そう言っていた。
「―で、なんでそこまで出来て、音楽の座学1がサッパリなんだよ。サボりか?」
レオンは溜息を付いた。
「…さぁ?」
速水は見上げたまま曖昧に笑い、レオンの長い足で蹴飛ばされた。
「いって!」
「さあ、じゃない。教養はともかく、基本リズムとか、メロディーラインとか、裏拍とか。あと楽譜起こしか?まあそれはお前には無理かも知れないが──そんなの簡単っていうより、初歩の初歩だぞ?お前、それ無しで今までどうやって踊ってたんだよ!」
「…どうって、別に、そのまま。それに、音楽座学とか音楽教養はサラが言った中に入って無い。…まあ、やるけど!やるって!」
次は首を絞められたまま、速水は言った。
ちなみに月曜はまとめて座学の日で、他に語学、数学、スポーツ医学などもある。
そちらはさほど問題無いらしい。
語学は、速水は英語ができるので他の言語を──興味があったスペイン語を選択したが、それもまずは初歩のつづりから。
数学1は、日本なら小学生一、二年レベル。ダンス馬鹿や子供も学ぶので難易度は低めだ。
しかし今週から開始予定だった、スポーツ医学はまだ始まっていない。
今朝エリックが伝えたこの変更は、それより音楽の『お勉強』をもっと頑張れと言う運営の声に違いない。
おそらく速水の点数を見た運営が、急遽音楽の座学、音楽の教養を増やし──まあその結果が久々のペナルティだった。
「…今日は何ポイント取った?前より上がったか?」
一週間前、医務室から戻り目を覚ました速水から聞いた点数を、レオンは思い出したくない。
音楽1と音楽教養1。
「116と…32ポイント」
速水は少々項垂れた。
もちろん、700でクリアだ。
レオンは天を仰いだ。ほんの少し上がったが…もうこれは駄目だ。絶対的に無理だ。
何で月曜はウルフレッドが休みなんだ…!
速水より、速水の世話するレオンがそう思っている。…運営やリンチ役の紙袋も、こんな馬鹿の為に出勤とは気の毒に。
先週わざわざ部屋まで運んでやったのを、レオンは心底後悔している。
「次は落とすなよ!!いいか、ダンスくらい死ぬ気でやれ!!!…ハァ…」
レオンはもう役立たずのトレーナーよりも、俺が教えた方が早いんじゃ無いか?とさえ思っていた。
「…そうする」
速水はエリックにわざわざ頼んだ日本製のシャーペンを持ち、日本製のノートを開いた。
まだ彼はベッドの上だ。
そして速水はノートに一、二行ほど何か書いた後、よし、と言ってそれをパタンと閉じた。
「ヤレよ」
「もうやった」
「うそつけ。ふざけてるのか」
レオンはノートを速水から取り上げた。
バラバラと乱暴にめくるが、やっぱり、余白が多い。こいつ、紙を無駄に使うタイプか?
どれもページの半分ほどで取るのを止めている。
レオンは日本語が読めなくて苛々した。ページを速水に向け開いて指を差す。
「読んでみろ。ここ何が書いてある?」
その様子を見て速水は首を傾げた。
「…レオンは日本語、勉強しないのか?」
そして逆に尋ねれらた。
「…もう知るか!」
レオンは匙を投げ、ノートを床に投げ捨てた。
それでも一応拾って気にするあたり、レオンは面倒見が良い。
「ちっ…お前、一応プロだったんだろ?勉強しなかったのか?」
「したけど。そんなに好きじゃ無かった…、っていった!」
速水はノートで頭を思いっきり叩かれた。