第4話 変調 -2/5-
二階、B室。
そこに速水は初めて入った。
場所的には、ランニングルームの隣。ここは硝子張りのランニングルームと違い、全く中が見えないようになっている。
ワークに必要の無い部屋はロックが掛かり、入れない。
「ここは競技会とかフェスティバルとかの練習用。合同ワークでも使う」
レオンが扉を開けて言った。
「なんだ、スタジオあるんだ」
速水は部屋に入った。くるりと見回す。
舞台、まあまあ広いフロア。音響設備。
「何だ、あるんだ!音原は?」
彼は目を輝かせた。
「こっちだよ、CDがある」
速水はノアの方に駆け寄った。
壁に備え付けられた棚に、CDやレコード盤がぎっしりと収まっている。
「この端末にもデータが入ってるが、これは時間外は使えない」
レオンが備え付けられた端末を叩く。
「あ、これ!…おお…、でどうするんだ?」
速水は子供のようにそれ手にとって見る。
「今日はこれで流そう」
レオンはロッカーからコンポを持ち出し苦笑した。
「なんだ、あるんなら、もっと早く来たら良かった…!どれでやる!?何踊る?」
…こいつ、本当に速水か?
速水のいまだかつて無いほど嬉しそうな様子に、ノアとレオンは面食らった。
「お前大会では、何踊ったんだ?」
「ええと、課題曲なら多分ある。あった。ジェームズ・ブラウンの…」
速水が探す。
「あ、それ知ってる!」
ノアが言う。
「あとジャックと出た時のは…DJ・W・ヒルトンの…あ、あった!」
「ハヤミって、B-BOYだよね?」
「ああ。メインは。でも即興で色々やる」
速水はとん。とん、と軽く跳ねた。その動作は軽やかだ。
「バトルする?」
それを見て、ノアも乗って来たようだ。
「オーケー!じゃあやるか。レオンは審判な」
速水が言う。
「レオン、適当にかけて!」
ノアも言う。
「ってなぁ。メジャーなので良いか?」
ここにある曲は、どれもノアが昔から良く踊っている曲だ。
ブレイクダンスを踊るときにかけるブレイクビーツも、もちろん有名どころは用意されている。
外でプロだったレオンから見ても、ノアはブレイクダンスもプロレベルだが、速水はどの程度のレベルなのだろうか。
そこでふとレオンは気になった。
「おい、速水お前、他に大会は?」
「?」
速水は首を傾げた。
質問の意味が分からなかったらしい。
「お前、だって今十七歳だろ?ジャックと優勝したのが十六だろ?それまでに幾つか大会に出たのか?」
ダンスを、特にブレイクダンス、ヒップホップ―、それらをやる人間は、とにかく早熟だ。
五歳くらいから始めて、才能があればすぐに天才と呼ばれ。十一、二歳にでもなれば、大会の優勝、入賞を幾つも経験する。
プロになるなら、場数を踏むのは大切だ。
ショウビズの世界で食っていくにはもっともっと多くの経験、最低でも名のある世界大会での優勝―、実績、人気が必要だが、まさかそれまでに大会に出たことが無いという事は無いだろう…。
「それか…どこかのチームで踊ってたのか?」
レオンは言った。
あるいはその可能性もある。
ソロで無ければ、速水は有名、又は無名なチームのクルーで、たまたまジャックの目にとまった。
と言うのも自然だ…。
「ああ、そういうことか」
そのさわりだけで速水は納得したらしく、苦笑した。
『え?今まで大会出なかったんですか?一つも?』
『―、それはすごく遅いね』
彼はいくつかの企業との契約の際に、よくそう言われていた。
ジャックの友人達にも、必ずと言っていい程、大会出場経歴を聞かれた。
「俺はジャックに会うまで大会出るとか、考えた事も無かった。あ、一回、十歳くらい?にダンススクールで内輪のトーナメントに出たけど。その時は別に出ただけで、入賞もしなかった。日本じゃ普通だと思うけど、他じゃ、遅咲きだってよく言われる」
この世界、ダンスの上手い奴はごまんといる。
みな実力伯仲の状態であるからこそ、無名と有名の差が大きいのだ。
「そうか…。ま、日本はそうなのかもな」
レオンが聞いた話だと―、速水はジャックと組んで世界大会で優勝した。
毎年四月に行われる、かなり有名な世界大会だ。
ジャックはその大会の常連で、生ける伝説と言われるほど有名なプロだし…、それで無名だった速水も一気に注目されたのだろう。
それまで大会に出なかったというのが不思議だが、確かに、それなら十六でも遅くない。
だが、彼はその翌年一人で出場し、準優勝している?
って―、ちょっと待て。レオンは再生ボタンを押そうとして指を止めた。
「おい。待て。速水、先に踊れ」
「?先攻か。分かった。早くしろよ!」
速水はすぐにでも踊りたそうだ。
「…ジャックと出た時の、優勝した踊りできるか?」
「そりゃ出来るけど、さっきのアルバムの頭の曲だ。でもアレは二人用の振りだけど、アレンジは?」
速水は気づいていない。
「そのままでいい」
「…」
ノアは、気が付いたようだ。
「ノア、大丈夫か?」
「レオン、俺…」
ノアが心配そうに言った。
ノアは、四歳でここに入り―、もうずっとここから出たことが無いのだ。
「大丈夫だ。ノアはハヤミにも負けない…はずだと思う。俺が保証する」
実際、ここのレベルは高い。
そんじょそこらのプロが入って来て、全くついて行けないと言う事もある。
レオンも幼い頃から天才と呼ばれていたが…ここに入った当初はかなり苦労した。
ここの七番以降のメンバーは、十八歳当時のレオンより上だろう。
ノアはレオンと並び、ここのトップだし、過去の交流戦でもかなり上のクラスだ。
ここはダンスの精鋭を育てるスクールでもある。むしろそれが主だ。
10からは合同で戦うし新曲はかならず踊らされる…。
しかし。速水は、…踊りたくて踊っているのだ。
外の世界で。自由に。
プロの世界で。すでに──。
…それで、運営は速水を攫ったのか。
速水を踊らせる前に気が付いたのは、僥倖だ。
「―じゃあ、かけるぞ」
レオンは厳かに言った。
「ああ」
──そこに居たのは、知らない人間だった。
エントリー、フットワーク。
パワームーブ。
技だけなら、ノア、ベス、レオンも同じくらいは出来る。
踊りも、負けない自信はあるし、実際、実力は伯仲しているはずだ。
だが──決定的に違う。
違いすぎる。
そして、フリーズ、…フィニッシュ。
「―凄い」
ノアが言った。
「ふう。…」
速水は、浮かない顔をしている。
「良いじゃないか。どうした?」
レオンは控えめに褒めた。まさかこいつがこれほどのモノだとは…。
「…外に出たい」
速水は、そう呟いて──、涙を流した。
「外に出たい…」
彼はガクリと膝を付いた。
「俺、こんな狭いところに居たくない…。むりやり変な授業して、―俺はなんでこんなトコにいるんだ!?外に出たい!!出て、出て、踊りたい!!」
速水は床に伏せて泣いた。
彼にとって、ダンスは人を喜ばす為にだけある。
機械相手に、得点を稼いだり、ペナルティを避けるために頑張ったり。そういう物では絶対無いのだ。
もっと、自由で、でも苦しくて、でも楽しくて。
皆が喜んでくれる―!!広い世界の。ステージの。
「もっと練習しないと、遅れる!!全然駄目だ!!こんなトコじゃ何も出来ない!」
「ハヤミっ、おい落ち着け!!」
レオンが暴れる速水を抑えようとするが、何を言っても速水は出せ出せと叫び続けた。
ノアはそれを呆然と見ていた。