第3話 自決 (後編) -2/2-
そして日曜日。
「…ハァ」
カフェテラスで、レオンは溜息を付いていた。
レオンにとっては、待ちに待った安息日。
カフェテリアで、ゆっくり誰にも邪魔されずに、珈琲でも飲みながら、朝食でも。
速水はまだ部屋だった。
つい先程。部屋にノアとベスが来た。
この二人は、速水がまたペナルティを喰らったと聞いて、朝食前に様子を見に来たのだ。
そこで心底くたびれた様子のレオンを見たベスが、「ノアと先に行って。起きたら連れてくから」と言った。ノアは速水にかまうなと言ったが、我が儘言わないの、と彼女にキス付きで窘められた。
「ノア。行くぞ」「…」
ベスのおかげでレオンは、やっと速水のお守りから解放された。
しかし、そうそう上手くは行かないようだ──。
「完璧に…速水のせいだね。俺、言ってくる」
レオンの隣でノアが言った。ベスが速水についているので、辛辣だ。
身を翻し出て行く。
レオンも同意見だった。
カフェテリアの移動式ホワイトボード三枚、…これは交流戦まで置かれたままになるようだが…三枚、三台か?とにかくそれの真ん中のやつ―。
その中心に、久々の『欠番表』が張り出されていた。
■ ■ ■
欠番表はすぐには張り出されない。
ミサを行う日曜を待って張り出される。
「ハヤミ!起きてる?」
ノアが部屋に入ってきた。
速水は起きていた。
テーブルに着いて、朝食ついでに出すのか、エリックへのメモに何かを書いている。
ノアは簡易キッチンのあたりに居たベスを無視し、まっすぐに速水の方へと詰め寄った。
「ノア?」
速水は首を傾げた。
「この、人殺しの最低野郎!!」
突然ノアが速水に叫ぶ。
「ノア、何!?いきなり」
ベスが近寄ってくる。
「…欠番だ!!」
ノアは速水の襟首を掴み、ベスに向かって叫んだ。
「それも、二人!お前のせいだ!!」
「欠番…?二人?」
速水が呟く、空きが出来たと言う事は。まさか?
「──自殺だよ!!」
「…!!」
ノアの言葉に、ベスが絶句する。
「…っそんなっ、自殺!!?」
ベスがノアに詰めよる。
自殺は、クリスチャンにとっては、絶対にしてはならない事だ。
「…!?自殺?…俺のせい?」
速水はノアから見れば、何も理解していない顔で聞き返した。
速水は状況を理解しようとしていた。
欠番。すなわち死亡。──金曜のミーティングの時は、全員そろっていた。土曜もおそらくいたはずだ。
ベスは食事前にこちらに来たため、知らなかったようだ。
どういう仕組みで死が報告がされるのか、速水はそれを聞こうとした。
「この馬鹿!!」「がっ!!」
その前にノアが速水の顔を全力で殴り、速水は椅子から転げ落ちた。
「ノア!!止めて!」
ベスがまた殴ろうとするノアを止める。
「自殺…?」
頰を抑え、速水はその言葉を反芻した。
ノアは興奮し、激昂し、速水を指さした。
「お前はここがどんな所か、全然分かってない!!…っ今朝と、あのミーティングの後だって、アメリアとキャシーが言ってた。死んだのはレイと、お前が言った、薬付けの男、トーマスだ!アメリアは泣いてた!!」
レイと言うのは最年長の老人。
アメリアというのは、その老人の孫で速水が、いる、とだけ認識していた子供だった。
そしてトーマスは、かつてジャックに負けた男。
「金曜…ラストにトーマスが居なくても、誰も気にしてなかったけど…」
ノアがチッと舌打ちする。トーマスが遅いのはもういつもの事だった。
単に薬で死んだのかもしれない。見た者はいないのだ。しかし。
「レイが死んだって…?しかも自殺?どう考えても、お前のせいだよ…!!」
ノアは肩を振るわせた。
レイは自殺した、そうアメリアが言っていた。
速水は、ノアを見上げた。
速水は戦力外であろう彼等を、完璧に意識の外に追いやっていた…。
「夕飯で、ミサをするけど、お前は来るな。本当はやっちゃいけないけど、俺たちはファミリーだ。ベス、行くよ!」
ノアが吐き捨て、先に部屋を出て行った。
「…」
速水は呆然としていた。
「あなたが悪いわ。私だって、皆だって、ここで必死に生きてるのよ。悪気は無かったのは分かるけど…」
ベスが静かに言った。ベスはノアを追い部屋を出た。
■ ■ ■
残された速水はベッドに腰掛けた。
そしてひたすら自問をする。答えなんて分からない。
間違いなく、確かに、俺のせいだ。でも。
ファミリー…。
だったら、なぜ、もっと早く助けてやらなかった?
どうして皆、あきらめる?どうして皆、怒らない?
契約だから?
それとも。力が足りないから怒れない?俺だって、たいした力があるわけじゃない。
ただ、とにかくここが気に入らないんだ。許せないんだ。
ジャックは。彼なら──。
彼でも?何も出来なかったのか。
深く俯く。
「…、馬鹿だよな、俺」
ただ一つ分かる。
ダンスで世界平和なんて無理だ。
■ ■ ■
祈りの後の夕食は、静かな物だった。
速水は部屋にずっと居る。レオンはノアに引き留められて、戻るに戻れない。
仕方が無いので、カフェテリアで本を読んで時間をつぶした。
カフェテリアの端には幾つかの本がある。ダンスに関する物が多い。
…普段の日曜には皆で軽くカードをしたり、珈琲を飲んだり、雑談をしたりと結構騒がしいのだが、さすがに今日は静かだった。
欠番はよくある事といえばそれまでだが…いきなり二人。
トーマスは若干微妙だったが、レイは最年長者として慕われていた。
「ノア、いい加減、むくれるな」
レオンは言った。
「ふん!ハヤミは最低だ」
ノアはずっと怒っている。
確かに、速水もマズかったと思うが、あの二人にとっては、良い潮時だったのだろう…。
レオンを初め、ここにいる皆、それは分かっている。ノアでさえそうだ。
レイはここで一番の古株だった。特に才能があったわけでも無いが、皆に慕われていた。
この中で、結婚し、子供が出来て、子供は優秀で外へ出て、外からまた孫が入って来て。
…レイの現役時代、ネットワークはまだまともさを残していたらしい。
「神父を呼び、結婚が出来たのがその証拠だ。それが二、三十年ほどで、ここまで悪くなるとは…思わなかった」
レイは時折そう言っていた。
──家に帰る事も無く、ひたすら踊る。
『こんな人生はおかしい』
彼は心のどこかでそう思っていたに違いない。…思わない訳は無い。
レオンだって、ノアだって、皆だってそう思っているのだ。
だがもう慣れてしまったのだ。
「まあ、速水はちょっと変なんだろうな」
レオンは言って、速水を思い出す。
レオンは、『日本ってのは、平和な国じゃなかったのか?』と速水に出会って思った。
―自分以外の人間は、全く信じない―
目を覚ましてからずっと、速水はそういう目をしていた。
レオンは俺達は違う、敵じゃないと主張はしてみたが、こき使われるだけで終わった。
「速水は、NYのカラスみたいな奴だな。それか逞しい野良猫。人間になれないんだ」
「…」
ノアは黙ったままだ。
周囲の空気が変わって、レオンは顔を上げた。
速水がカフェテリアに入って来た。
アメリアが、連れて来たようだった。
速水はホワイトボードの前で帽子を取り。欠番表を見つめ。
「―」
異国の言葉で、厳かに何かを呟いた。
そこにいる誰も、その意味を理解出来なかった。
「冷めないうちに食べよう」
速水はアメリアにそんな事を言った。アメリアは微笑んでキャシーの隣に座り、祈りを捧げ…速水だけがこちらに向かってきた。
ノアと一言も口を利かず、レオンの前にどかっと座る。
「おい。レオン。食べ終わったら、予習に付き合え。こうなったら二週間で7まで終わらせて、あとは交流戦の特訓をする」
彼はそう言った。
「は?」
ツーウィークと言うのは、聞き間違えでないのか?
「ハヤミ、あなた怪我は」
「なんとかする」
ベスの心配を遮り、速水はひたすら食べている。
彼は痣だらけだし、包帯だらけだし、テーピングもして、顔は腫れているし。
酷い有様だった。
その速水がふと顔を上げた。
見ているのはレオンで無くて、その隣のノアだ。
「ノア。お前は俺が嫌いかも知れないけど、俺はそうでも無い。暇だったら、予習手伝ってくれ。…出来ればベスも一緒に」
笑うなよ、そこで。
レオンとノアは心底イラッとして、…ベスは少し赤くなった。
すぐにベスはクスクス笑い、いいわよ、じゃあノアも一緒に。と言った。
そう言われて、断れるノアでは無い。
ぶつくさ言いながら、結局、暇だったらね、と呟いた。
■ ■ ■
「…、で、結局こうなるのか。お前、ホント何なんだ?馬鹿か?馬鹿だろ!!」
翌日、23日の月曜日。懲罰室で、レオンはあきれ果てていた。
しかも、音楽の初歩の初歩、座学1を落とすとは。
「…何なんだろうな」
速水はそう言った。
レオンは少し眉を上げた。今までの反応と何かが違う気がする。
どう違うか考える間もなく、すぐにドアが開き、…、ゲテモノが入って来た。
「無理言って変えて貰ったの!!さぁ、====を殺すわよ!!」
なんてルンルンで言われても。
運営は前回で懲りたらしく、速水の後ろに二人、赤い仮面の男を控えさせている。
…どうあっても、速水に死なれては困るらしい。
「今日のペナルティは水責め!!優しいでしょ!!頑張って考えたの!!====!死ね」
ゲテモノが知恵を絞って考えたようだ。が、まだ根に持っているようだった。
運営が速水の後ろに付き、手錠を掛け、ゲテモノが足で速水の頭をでかい水槽に容赦無く沈める。一分ほど。
「がはっ!!」
速水が息を継ぐ間もなく、また沈められる。
それを延々と繰り返した。一見地味だが、本人は苦しいだろう。
かじかじと頭を踏みつけ、時折顔を思いっきり蹴り飛ばす。ゲテモノは乗っている。
レオンはもはや放置されていた。
彼はする事が無いので、部屋の隅に座って待っていた。
「ゴホッ、…」
今日の速水は大変素直だ。抵抗もしない。
彼の肩を抑える運営も心持ちホッとして、嬉しげにさえ見える。
ゲテモノが飽きたら、すぐに終わりそうだった。
しかし。
ゴホッ、げほっ、カハッ。がッ!!
運営に起こされた所をしたたかに、ゲテモノの足で蹴飛ばされた速水の目を、レオンは見てしまった。
口が切れ、頭から血がにじみ。顔は真っ赤の濡れ鼠。しかし。
「…この前は悪かった。俺、あんたにナイフを教わりたい」
はっきりとそう言った。
―ああノア、お前が正しい。俺は馬鹿だ。
―こいつはジャック。
レオンはそれを理解した。
〈おわり〉