その5 水も滴るいい女は沖田薫
留守電のことを那実から聞き、朝から少し憂鬱な気分になった。そら見ろ、こういう日に限って雨が降る。
雨は嫌いだ。なんといっても気持ちがどうしようもなく暗くなってしまう、それに僕のテンパが余計激しくなる。
気分の盛り上がらない学校は、時の流れを遅くする効果があるらしく、登校3日分の疲労感が降りかかる。その上、あの怪しげな学校の先生と会わなければいけないとは、正直しんどい。昨日、あんなことがあるんなら、あの道は通らなかったし、面接にも行かなかったのに。
未来はいつも僕の期待を裏切る。早くタイムマシンが出来れば良いのに。
それはどんな想いよりも切実だ、好きな人に好きと言えないもどかしさに似ているかもしれない。
「タイムマシンなんか完成したら、世界は終わるで」
そんなことないだろう、未来がわかればどんな災いも未然に防ぐことが出来るんだ。これほど素晴しいことはない。
子供を見るような目で那実はこう言う、「そんなん作ったら、みんな自殺するわ」
何を言ってるんだ? 人を救うのになんで自殺しちゃうんだよ、わけがわかんない。
そんなことはいいとして、遅い。待ち合わせをした当事者が遅れるとはどういうことだろう。あの先生は本当に。まだ綺麗だから良いものの、もし森三中みたいな不細工だったら、説教してさっさと帰ってやるのに。
「森三中やったら帰ってるわ」と那実が鼻で笑った。
たしかにそうだな、ここに来た理由は第一に先生を見ること、その次に昨日の話しをするために来たんだから。まぁ僕は第一に昨日のことだけど。
それにしても本当に遅い。猫舌の僕だけど、コーヒーを半分は飲み終えた。那実は二杯目を注文しようとしている。
すると、「ガシャーン」という破壊音と共に、髪と足元がかなりの湿度を誇る美人が現れた。誰か言わなくてもわかるだろう。
「ごめんなさい、遅れた」
そんなこと言われなくても、時計を見れば遅れた事はわかる。
にしても良い大人だなと思った。どうしようのない大人なら、ここで謝らずに言訳から入るだろう。一応礼儀として遅れた理由を聞いておこう、肩で息をしたからには、相当急いできたんだろう。責める気はないですよ。
「学校でトラブルが起こっちゃって、でも急げば時間には間に合いそうだったから連絡しなかったの、でも駅までついたら道に迷っちゃって」
いやいや、道に迷うって、ここ駅前だから。迷う意味がわからないし、ここに来いって言ったのは沖田先生だろ?
「わたし、ちょっと方向音痴で、一度来ただけじゃ道を覚えられないの」道を覚えるとか方向音痴とかそういう問題じゃないだろう。この人とまともに話は出来ないな。
さっさと事を済ませたいので、昨日のことを聞いてみる。僕が聞くんじゃなくて那実が聞くんだけど。
「昨日のことなんですけど、あれ……、先生が僕達に対して知っていること、全て言ってもらえますか?」
「でも、ここは人が多いし」
確かに人が多い、ここの喫茶店はコーヒーが美味くて有名だから、いつも結構込んでいる。その上、今日は雨で、家からの迎えを待ったサラリーマンや高校生でにぎわっていた。
「いけますよ、こんなに人がいて騒がしかったら、俺らの声なんて聞こえてませんし」
逆転の発想か
「そうですか……では、あの、話しますね」そう言っておどおどする沖田先生は小動物みたいで可愛い。
「あの……あなた達2人は、本当は双子じゃないってこと、お母さんが違うのよね。那実さんのお母さんは今一緒に住んでいる人で、薙くんの母さんは産んだ後亡くなって」
そして大きく息を吸って、唱えてはならない呪文のように、僕達に聞こえるギリギリの声量で話す。
「たまたま同じ日に生まれて、顔も似ていることで、親戚が双子だって勘違いしたのが始まり。あたしが知っているのはここまで。あってるかな?」
意外とよく知っているので正直驚いた。でも、僕らが産まれた頃のことしか知らないのか。
「他に聞きたいことありませんか?」なぜか半泣きの沖田先生がそう言った。
何で泣きそうなんだ? 僕達の話ってそんな可愛そうか? というかここで泣かれるのはまずいんだけど。ファッション雑誌から出てきたような美人が双子の中学生に泣かされている図を想像する。
思った以上にやばい。
またそうやっていらないことを考えてるうちに那実が結論を出した。
「ありがとうございます。これでスッキリしました」
それは誰が聞いてもスッキリ、といえる声質だった。那実はこのとき炭酸飲料を越えたね。
「よかった……」
カウンターに千円札を置いて、慌しく、帰る用意をする沖田先生。もう帰るのか? 来てから二十分も経ってないよ。
「ごめんね、学校にまだ仕事残してるの。ここはあたしのおごりにするから、今日のお礼も込めて」
そして口元に人差し指を伸ばした仕草で、「それから今日のことは絶対秘密。お願い」
おそらく、その仕草と話し方で秘密をバラす男性は世の中にいないな。それくらい素敵だった。
そうやって一度店を出た沖田先生が、すぐ戻ってきて、出入り口付近から、思い出したといわんばかりの大声で、ひとこと言って帰っていった。
僕達は沖田先生が帰ってからもしばらく話しを続けた。内容はもっぱら、沖田薫が最後にした可愛らしい仕草についてだった。でも気になるところがある。
先生が最後の最後に慌てて叫んだひとこと、先生からすれば結構重要だと取れる言葉だと思う。那実に聞いても意味がわからないらしい。
「ヤギにはならないでね」
「水も滴るいい女は沖田薫」を読んでいただきありがとうございます。
その5まで読んでくれて、あなたはすっかりはまってる気がします。
そのままの思いでいてくれるとうれしいです。
沖田先生のことを知ってもらうことを考えた話しです。
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