その30 三日目の決意
三日目の朝は沖田先生のモーニングコールで目が覚めた。初日と同じセリフとテンションで、僕を眠りの淵から救ってくれた。
確か今日で任務は終わりだったよな、三日間って言っていたから。でも最終日だからと言ってもやる気など出るわけがなく、気が滅入る一方だ。せめて尾行する意味さえ知ればもう少しやる気が出るってものだけど。結局最初から最後まで意味がわからないまま終わりそうだな。
僕は横目で見たニュース番組の占いが、七位だということに少しほっとしながら部屋を出た。
追尾すべき少女は昨日、そして一昨日と同じ時間にホームに来て、同じ車両の電車に乗り、ほとんど同じ時間帯で学校に着いた。
無事に最後の尾行を終え、思ったよりも感慨深くもなく、思ったよりも何もなかったことに少し拍子抜けをした、そんなところだ。このことを二日前の自分に言っても信用してもらえないくらい普通だったよ。
報告のために職員室へ歩いていると今最も会いたくない人と会ってしまった。無視しようと思ったけれど、そこは僕の愛が許さない。なんてな。ただ、無視する度胸もないだけだよ。
「おっはよ、薙くん。尾行は順調?」
「そんな大声で言ったらやばない? 崎野さん」
「あっ、そうやな。ごめんごめん。コノカ危機感なさすぎやな」
てへっ、という効果音が聞こえてきそうな笑顔を向け、いつも通りの天然具合を垣間見る辺りは、昨日の深夜のことは覚えていないってことか。ここで確認の為に踏み込んだ話しをしてしまって、また絶叫されるのも嫌だしあえてスルーするとしよう。
「薙くんは職員室に用あるん?」
「いや、ちゃうよ。沖田先生に朝の報告を」
「そっか尾行のね。じゃ、しっかりせなあかんなぁ」
そうですね。と言いたいところだけど、尾行はNGワードだって。
「心花ちゃんごめん待たせた? 行こっか。あっ伊佐くんおはよ、じゃね」
「がんばってなぁ」
そう言いながら手を振って崎野さんは脇に学級日誌を抱え、クラスの女子と教室の方へ歩いて行った。日直のやり方でも教えてもらっていたのだろう。あの様子だと男子以外とも仲良くやれてそうで良かったよ。初日の男子からの人気振りから妬む女子もいるだろうと思ったけどそこまで精神年齢は低くなかったか。
ちなみにクラスの女子がなぜ僕のことを下の名前で呼ばないのかと言うと、単に仲が良くないとかそういう理由じゃなくて、僕と那実の見分けがつかないからだ。少し残念だけど仕方ないよな、似てるんだし。
職員室には毎度おなじみ沖田先生の姿はなく、お決まりのように隣の教室へ向かった。
「おっはー、薙くん。調子はどう?」
「ちょっと古くないですか? その挨拶は」
「何? いいじゃない、あたしが大学生の頃はすごく流行したんだから」古くても流行に乗ってなくてもいいか、挨拶してくれているのだから。
「はいはい、おはようございます。ちなみに今日の朝も特に変わった様子はなかったで」
「そうなの、そりゃ残念」と言ってるわりに、顔から『何もなくて当たり前よ』と読み取れたのは僕の気のせいだろうか。
「それより崎野さんのことやけど」
昨日からずっとあの発作のことが気になっていて、どうすれば少しでも症状を和らげることができるだろうと考えた結果、やっぱりこの人しかいなかった。ちょっと癪だけど。
「昨日崎野さんの変な発作を見たんですけど、何であんなことになるんですか」
「あら? 見ちゃったの。前に言わなかったかな、あのクラスは傷者の集まりだって」
「言いましたけど、あんな精神科に行かなきゃ行けないようなレベルのものと思ってなかったんですよ」
沖田先生は面倒そうに頭をかきながら「精神科に行ってもダメだからここにいるんじゃないの。いざとなれば精神安定剤でも飲んだり打ったりしときゃいいのよ」と吐き捨てた。
「なんちゅうこと言うねん、人を物みたいに言いやがってアホか」
「失礼ね、物なんて思ってないわよ。あなた達はこの世で一番大切な仲間よ」
さっき吐き捨てた言葉を聞いて、誰がその思いをを信じれるというんだ。
「さっきもコノカっちもらいに来たの、精神安定剤」そう言って沖田先生はポケットからピルケースを取り出し錠剤を慣れた手つきで出し、手の平に転がした。
「これさえ飲めばある程度は収まるの。でもどうしてもって時は、ちっと痛いけど注射しなきゃだけどね」
「でも薬って副作用とかあるんじゃないですか?」
「もちろん、当然。まだ今はどういう副作用があるかわかってないけど、体には良くないでしょうね」
「そんな危ない薬与えていいんですか?」僕は必死だった、何でだろう。精神の不安定が薬を飲んで治せるならそれでいいじゃないか、例え体に支障があったとしても。それはそれでしょうがないじゃないか、それくらい重度の精神障害だというのなら。そんなことはわかっている、だけど……。
「なら薙くんが精神安定剤の代わりになってあげなさい」
「えっ!?」
「あなたの超能力を上手に活用すればきっといい結果が生まれるはずよ」
そんなようなことを昨日も聞いた気がするけど。
「僕の能力って、超能力って一体何なんですか?」
僕の発した言葉がよほど不思議だったのか、沖田先生は目を丸め、その大きな瞳で僕を捉えて言った。
「まだ気付いてなかったの? てっきり気付いているものと思っていたのに。ちょっとびっくり」
その表情はちょっとどころじゃないだろ? 驚愕の域まで達していると見受けれるが。
「それじゃ教えてあげる」
えっ、教えてくれるの? ちょっと待って、まだ心の準備とかできてないから。
「あなたは一般的に言われる予知能力者よ」
………。
一瞬空気が止まったけれど、そんなものを止めている場合じゃない。
「よちのうりょくしゃ?」
よく聞く言葉だし、超能力の中でも一番知られている部類の能力じゃないか。でもその中では胡散臭い度ナンバーワンだけど。
「ある人はあなたの持つ能力のことを先見とも呼び、また予言とも呼ぶわ」
「はぁ」
「何? ボケーっとしちゃって。すごいじゃない! 人間国宝なんて目じゃないくらいすごいの能力なのよ? その辺わかってるかな薙くん」
「でも今までにもいたんじゃないですか? ノストラダムスとかモーセとか」
沖田先生はその言葉を聞くと一気に表情を固くした。
「そんなの信じてるわけ? ちなみにモーセは預けるほうの預言者です。」
いや、そんな本気で怒らなくても、確かに予言書や預言書なんて信じてませんけど。
それにしても予言と預言の違いがいまいちよくわからないけど。
「預けるの預言って何が違うんですか?」
「神の啓示を受けるとか、そういう感じのことを言うの。薙くんは超能力使ったときに何か聞こえた? 聞こえないでしょ、聞こえたらあなたにもこの錠剤をプレゼントよ」授業中の二倍程目を輝かせながら自慢げに言う沖田先生は、幼稚園児のようにかわいらしくもあり、憎たらしくも見えた。こんな表情をするのは、僕が超能力者だと教えてくれた日以来かな?
「もっと自分の能力に自信を持ちなさい、これ以上の超能力をあたしは知らないわ」
「はい、わかりました」全くわからないけど。
「超能力者で人助け。いいじゃない。あたしも超能力欲しかったな……」その言葉を吐いた瞬間、勢いよく僕の瞳を見つめた。
「あたしに超能力がないってわけじゃないのよ、あるんだから。あるけど、あなたのような能力が欲しかったなって言う意味よ? わかった? わかったでしょ」
そんな勢いに任せて言われるとわかったとしか言えないだろう。この人はまだ自分が超能力者だという嘘がばれていないとでも思ってるのか? でも思ってなきゃこんな真似できないか。
「わかりました、当たり前じゃないですか沖田先生は超能力者ですよ」
「その通りあたしは超能力者」と言って、手を強く丸め胸を誇らしげに叩いた。
「そういえば、今日で初任務終了ね。ご苦労様」
沖田先生は右手を僕の方に差し出してきたので、あわてて僕も握り返す。
「いえいえ、あまり実感はないのですけど無事に終わってよかったです」
沖田先生は僕の手を離し、大きく腕を前に伸ばしドッチボールでアウトを取った少年のような顔をしながら親指をグッと立てて、「上等上等計算道理。後は任せておいて! 本当におつかれさま」
「は、はい。お疲ーー」と最後まで言う前に予鈴が鳴った。本当に間の悪いチャイムだ、いやもしかして間が悪いのは僕か? なんてことを考えていると、先生は僕の横を颯爽と歩き、軽く優しく頭を二回叩いて職員室へ戻っていった。
本当にこれでいいのかな、僕の初任務は。
その思いは四時限目が過ぎても拭うことはできず、崎野さんのことと絡み合い余計にわからなくなり、授業なんて聞いている余裕なんてなかった。休憩時間も机に頬をつけ眠っている振りをして、クラスメイトからのコンタクトをさけた。そんな僕を見かけて気になったのか、僕の前に鏡のように映したあいつが弁当を持って一言「中庭行けへん?」と誘いをかけてきた。
兄弟仲良く昼ご飯なんて年齢じゃないだろうと思いつつ、あのことを相談できるのはこいつしかいないと思い、僕はカバンから駅の売店で買った弁当を取り出し後に続いた。
中庭に出ると、穏やか日差しと一定して肌をなでるような風が吹いていて心地よかった。昨日より天気がいいってことはないけれど。
あまり広くない我が校の中庭は道がレンガのようなもので覆われていて、その真ん中に花やら木などが植えられている。ベンチなどは全くないので、ほとんどの生徒はビニールシートを敷いて昼食を食べている。が、もちろん僕ら兄弟が、そんな準備がいいわけがなく、そのままレンガにあぐらをかいて座った。
那実はウインナーとご飯を口に放り込み、大げさに口を動かせなが飲み込みお茶を飲む。
僕も脳が少しでも働けるようにと願いを込め、箸を割った。すると那実が口を開いた。
「弁当を食べる前に少し話しがあるんやけど。胸に突っかかりがあると飯も旨ないやろ?」
「お前はもう食ってるやないか」
「俺は突っかかりなんて気にせえへんよ。それに、俺の弁当は寮のおばちゃんが作ったからうまい。けどお前の弁当はインスタントの方がマシって言うような程不味そうな弁当や。それ以上不味なったら食べ物ちゃうやろ」那実は口元に付いた米粒を親指で取り、舌で舐め取って言った。
売店弁当を侮辱しすぎだろう? そんなに不味くないぞ。
「だから何があったのか喋れ。ほら、出汁巻きあげるから」
僕は出汁巻き卵を弁当のフタの上に置いてから口を開いた。言っておくが出汁巻きをもらったから話すわけじゃないぞ。
「崎野さんが精神不安定なのはお前知ってる?」
「もちろん、組織に入った時期はさほど変わらんし。何回か狂ったところも見たことあるで」
あの崎野さんの姿を見たのにどうしてそうやって平然とした顔で話せるのかよくわからない。以前からこんな奴だったか? でもそのことは今関係ないな。
「僕やったらどうにかできるって。沖田先生ならまだしも三月さんにも言われたから、どうすればええんか……」
「何をどうするん?」
「崎野さんを不安定から救う方法や」僕は少し乾いたのどを潤わすために、那実の持ってきたペットボトルのお茶を口に含んだ。
那実はあごに手を当て少し考えてから話しを進めた。
「救うか……。オコガマシイな」
「はぁ!?」
「人の心の傷なんかそんな簡単に治せるもんやなんて思ってるんか? ましてやお前はまだあいつと出会って間もない。傷を治すにはそいつのそのときの痛みを十分知らんとアカンと俺は思う。お前にその覚悟はあるんか? ちなみに俺にはない」
「あるに決まってるやろ」当たり前のことを聞くんじゃない、アホが。
「あのときみたいになってもか」
その言葉を聞いた瞬間、にぎやかだった周りの音、心地よかった風の流れが消え、僕の鼓動だけが響いた。
あのときのような過ち、別れを繰り返すことになってもいいのか僕は。そんなことをするとあの子はもう僕を許してくれないだろう。
「ちょっと言い過ぎた、ごめん。でもあれや、お前の傷を知ってる俺も、お前の傷の治し方はわからん、血は繋がってるのに。ってことはそれくらい難しいってことや」
こいつが謝るなんて珍しいな。それくらい僕の顔には悲壮感が漂っていたってことか。あれからもう一年以上も経つのに、まだ忘れることができないなんて僕は本当にダメだな。
「それにこれがきっかけでお前の傷も少しはマシになるかもせえへんし」
「そうやな。オッケ。でも超能力を使ってどうやって崎野さんの傷を癒そう?」
「あー? まどろっこしい。そんなもんに力使うなよ。お前やったら多分普通にすれば大丈夫や」そう言って那実は腕を組む。
「普通?」
「そうや。お前考えるの苦手やろ? 直感や直感。もし超能力使って失敗したらそのせいにするやろ」
そりゃしないとは言いきれないよな。
「なら気持ちでぶつかるしかないやろ。お前やったら出来るなんて安っぽいことは言えへんけどどうにかなるやろ」
人の一生に関わるかもしれないことに『どうにかなるだろう』はないだろう? まぁお前らしいと言えばお前らしいけど。
「そやな、いちいち悩んでるのもアホらしいしな」
沖田先生の教えを無視することになるけど、やっぱり僕にはこっちの考えたかの方が賛同できる。超能力はもしもの為に取っておこう。それに必殺技は最後ってお約束だし。
「ちょっとくらいは考えて行動せえよ」
わかってるわ。何も考えないで行動に移せる程僕は肝が据わっていないよ。
「ほな、よっこいしょ」そう軽快に言い放って立ち上がり、弁当を片手に持った。
「どこ行くねん?」まだ食べ終わってないだろう? それに僕は一口も食べ物を口に含んでいないぞ。
「中庭で二人で飯食う男子なんかおらんやろ? それに似た顔が一緒に食ってたらドッペルゲンガーか! っちゅう話しや」それだけ言うと那実は教室へ戻っていった。
いやいや、誰もドッペルゲンガーなどとは思わないだろう。まぁ男子二人が中庭で昼食をつつき合っている姿は何かと誤解されそうだがな。
僕は先ほどのちょっとした緊張感を吐き出すように小さく溜め息を吐いた。
たまには一人で中庭で食べるのも悪くないか。僕はそう思いながら那実にもらった出汁巻き卵を口に入れて周りの景色を見渡した。
あれ一人で飯食ってる奴なんてここにはいないぞ? 普通に考えればそうだよな。一人で、しかも中庭で昼食って不自然すぎる、どれだけロマンチストなんだよ、詩人か?
僕は正気を取り戻し、慌てて弁当を持ち中庭から走り去った。