その26 ヒーローはいつもピンチから
眼が覚めると僕は布団の中にいた。
眼が覚めたといっても、まだ眼を開くまでには至らない。辺りは何故か騒々しい。
「それにしてもホンマに大助かりやったでぇ。ハヤくんには感謝やわ」
「これくらいなら御安い御用。いつでも頼ってくれよ」
毎日耳から離れない声と忌々しい声とが重なり合って、輪唱しているようだ。まぁダンボールを思い切りぶつけられたら脳震盪くらい起こすだろう。その後遺症が輪唱か。
……ダンボール?
僕はその言葉を脳内にインプットすると同時に掛け布団を勢いよく舞い上げた。
「お前! まだおったんか!?」
僕は眠気眼なのに鋭く睨みを利かせる。どこか矛盾している気がするのは僕だけだろうか。
「やっと起きた。よっ! 特技は一次妄想さん」
「誰が一次妄想や! てかどういう意味や」
「それでもツッコミのつもりか? 大阪はお笑いの町と聞いたけど大したツッコミしないね、知識も足りないし」
こいつは僕にダンボールをぶつけた挙句、唯一の特技であるツッコミまで侮辱するのか。
「せやでな、薙くんはどっちかと言うとツッコミよりボケやでなぁ」
崎野さんまで僕のことを……。同じ関西圏なら僕のツッコミのすばらしさを理解してくれると思ったのに。って僕は生まれてこの方、ボケたつもりなど一度もないのだけれど、それはどういう意味だ?
「って、ここはどこや」最も重要なことをすっかり忘れていたよ。
きっとあれから僕と崎野さんはさらわれて、この部屋、つまり魔法使いの秘密基地に収容されたのだろう。そして僕らの持つこの特殊能力はこれから色々な悪事に利用されてしまうのだろう。例えば地球征服だとか、宇宙征服だとか、なんとかに。
「お前も大体わかってるはずだろ? 俺は魔法使いだぜ」そう言ってニヒルな笑みを浮かべた。
――やっぱりそうか。
「いい加減にしなさいと何度言えばわかるの? この馬鹿」その声が鼓膜に響いた瞬間、ピシャンと、肌と肌が触れ合う高い音が響いた。触れ合うという表現を間違ってることは言うまでもない。
「また殴ったな」先ほどのニヒルな笑顔はどこへやら、涙をためて赤くなった頬を押さえながら魔法使いは三月さんに問いかけた。
「まだ殴って欲しいの?」
「なんだと!? 俺がお前に負けるとでも――」魔法使いはそう言い返すが次第にボリュームを下げていく。僕はフェードアウトする元を一瞥し、咄嗟に眼を離した。背中に悪寒がした。こりゃ魔法使いの判断が正しい。
「薙さん、もう体調はいいの?」と先ほどの雪女の如く、冷ややかな表情とは打って変わって最上級の温雅な笑顔を向けた。
「ええ、どこも痛くないです」そんな顔をされると、お前も敵なんだろうとは言えない。
「そういえば自己紹介まだだったわね、ほら、ハヤ」
「おっ、おう。そうだったな」魔法使いは立ち上がり、腰に手を当てた。
別に座りながらでも自己紹介などできるだろう、という言葉は胸に秘めておこう、これも彼のポリシーなのだろう。
「俺は特別能力開発科の二年、竹須佐速雄。またの名をトリックスターと呼ぶ」
たけすさ? どこかで聞いたことがあるのはハヤという名前だけではない気がする。その珍しい苗字を僕は脳内の検索機能を用いて探すが、いかんせん立ち上がって数分だ、僕の脳は高性能とは言えない為、もうしばらく『たけすさ』という名を思い出すのに時間がかかりそうだ。
「あなたがハヤさんですか」
「おう、これからはトリックスターと呼んでくれ。天然ツッコミ師」
天然という言葉が引っかかり、返事をしようかしよまいか考えていると三月さんが口を開いた。
「トリックスター? ややこしいのよ横文字なんて、それにしつこいから却下よ」
「ガーン」
口に出して言う奴を初めて見た。効果音など口に出す奴の脳内が正常な訳がない。
「回答が遅れたわね、ごめんね薙さん。ここは特別寮、あなたの部屋よ」
ということは、僕と崎野さんは魔法の国などに連れて行かれず、事なきを得たということか。でも、目の前には魔法使いがいるしあなたもいる。どういうことなのか全く理解不能だ。
「――もしかしてまだハヤのこと魔法使いだとか思っているんじゃないでしょうね?」下から覗き込むように僕の顔を見つめる三月さん。その表情には先ほどの冷たさが残っている。
「い、いや、そんなこ、とないっすよ。うん。今日からここが僕の部屋か、思ったより狭いな」
「ははっ。まだハヤくんのこと魔法使いやと思ってるんや!」と手を叩いて喜ぶ崎野さん。あなたを笑顔にできたのなら、僕の天然にも意味があったのですね、実にすばらしい。
ちなみに三月さんのことも疑ってましたよ。
「こいつめちゃ動揺してるっ!」
うっさい、元はと言えばあんたがあんな三文芝居をするからこんな目にあったんじゃないか。それに引っかかった僕にも問題があるのはこの際無視しよう。都合が悪すぎる。
「遊びのつもりだったのにさ。でもお前気に入った、はい」と竹須佐さんは僕に手を差し伸べた。一体何のつもりなのかわからないけれど、なんとなく場の雰囲気で僕は彼の手を握った。
「はい、仲直り。いやー実に単純明快だね人の心は」
何を言っているのか全く理解できない。人の心ほど複雑で理解できないものはないぞ。
「さっきのご無礼をお許しください。ってことでコンビ二行こうか?」
どういうことなのかはさて置き、僕は昼飯も食べていないこともあり、腹は限りなく小さな音を立ててギュルルと気味の悪い音を鳴らしている。これは非常警鐘といって違いない。しかし、僕がこの場を離れると、崎野さんはきっと帰ってしまうだろう。うーんどうしよ。
「おごってやるからさ、行こうぜ」
「どこまででも」
そういうことで僕らがコンビニへ行くことにすると、案の定、崎野さんと三月さんはゴーホーム。男二人、コンビニへ向かうことになった。僕は三月さんに手渡された部屋の鍵を指でクルクル回しながら校門をくぐる。
「僕、あんたの名前をどこかで聞いたことあるんやけど……、誰でしたっけ」
「どういう質問だ? 俺は誰でもない、竹須佐速雄、通称ハヤだ、それにト――」最後の辺りは無視して、そりゃそうだけど、と言い、僕は彼の名前を、記憶に重ねることをやめた。これだけ考えても出てこないのなら、はっきりって思い出すことは無理だろう。
「にしても、お前本当に俺を魔法使いと思ってただなんて。傑作だ」
「お褒め頂きありがとうございます」僕は過剰に、不機嫌そうに答える。
「そのお陰で香代にビンタされたけどな」彼はまだ赤く染まる頬を右手でさすった。
心の中でいい気味だと思いつつ、僕は、「天然ですみません」と自重した。まあフリだけど。
僕はコンビニまであと少しというところまで来ても、鍵を指で回しながら歩いていた。この落ちれば鍵がコンクリートと衝突し、欠けるかもしれないというスリル感と、指の周りをなでる金属の感触がなんともいえない。それになんかカッコいいだろ?
ただ回すだけだと飽きてしまうので、指を上に向けたり横に向けたりしながら難度を上げながら歩みを進める。
とコンビニを目で確認した瞬間、鍵は僕の目前でペットボトルロケットのように、綺麗に斜め前へ上がった。その放物線上、約一メートル半という近い距離に竹須佐さんがいる。こりゃ後頭部直撃だな、と思ったが、竹須佐さんは少し歩く速度を速め、後ろで鍵の位置を確認することなく、腰を少しかがめ、背中でキャッチした。いや掴んではないか。そして、腰を上げる反動で鍵を僕のほうへ放り返した。
なんて器用な真似をするんだこの人は。大道芸、いやサッカー選手か。
――サッカー選手?
もしかしてあんた、竹須佐速雄!! 思わず僕は声を張り上げてしまった。
「だから、何回言ったら覚えるんだ?」
いや、覚えてるけど、この場合思い出したんだ。
「何を?」
「僕、あんたのファンでした。いや、でしたじゃない、です」僕は進行形で彼を心底好いている。もちろん恋愛方面ではない、生憎僕にはそういう趣味はない。
「おっ、珍しいな、俺のこと知ってる奴なんて久しぶりだ」竹須佐さんは得意げににやける。
彼はアイドルでも、歌手でも芸能人の息子でもない、かといって僕を見事に騙した演技力で俳優業なんてできるわけがない。
竹須佐速雄、彼はサッカー日本代表だ。正確には「だった」というべきだろう。当時僕は十三歳、その頃、十七歳以下のサッカー世界選手権がテレビで放送されていた。その頃の日本はなかなか強く、予選リーグを突破し、準決勝までコマを進めるほどの活躍だった。その立役者がこのすぐ目の前にいる竹須佐速雄。彼は十四才なのに一世代上の代表チームに所属し、スーパーサブとして重宝された。実は言うと、決勝リーグは全て一点差の逆転勝ちであり、その全ての逆転ゴールを決めたのが彼なのだ。まさにありえないの一言だ。それも含め、中学二年生が高校二年生と一緒に試合をするなんて僕の中では考えられないことだった。それくらいこの時期の三年間は大きい。
「まさかこんなところで出会うなんて思ってもなかったです」
「いや、別にさっきまでの話し方でいいぞ、敬語は好かないし」
そんなこと言われても、いざ憧れを目にすると、なかなかタメ口や中途半端な敬語など使えなくなる。
彼は僕の憧れだった。
竹須佐速雄は右サイドハーフだったのだ。彼のドリブルにはスピードがあり、手でボールを操るよりも華麗に操り、かといって当たり負けなどしない。そんなドリブルが好きだった。それに彼の唯我独尊振りは異常で、ボールを持つとほぼ八割以上ドリブル。相手にファールをされるか、タッチラインにボールを蹴りだされるかしない限りボールが彼の足元を離れることはなかった。もちろんシュートはちゃんと打つ、人並みの上手さだけど。
そしてワールドカップで五人抜きした選手が彼に付けた名は、サッカーボールに取り付かれた少年だった。
しかし今はその呪縛から解けているようだ。だってこの学校に来たのならクラブなんてやってる暇などないだろう、しかも超能力者だし。
「昔の話は恥ずいからまた違うときにしよう」
竹須佐さんはコンビニのドアを押した。
コンビニに入り一番最初に耳にしたのはいつも有線から流れてくるミュージックではなく、いつも授業中に聞く声だ。
「苺大福なんでないのぉ」
「で、ですからお客さん、今は七月なので在庫がないです。申し訳ないですが」
コンビニの店員は理不尽なクレームに対し、真摯な対応で深く頭を下げた。
「ぷー。だったらいいわよ、自分で作るから! あんた、あたしの作った苺大福のおいしさで他の食物を食べれないようにしてあげるんだから」とブランド物のカバンを大げさに振りながら肩にかけ、大きな足音を立てながら大またで歩き、入り口付近にいた僕の右肩と見事にぶつかった。
「痛い! どこ見てあるいてんのよ!」
どうやら怒りで周りが見えていないようだ、って苺大福ごときでそこまで昂ぶるなよ。
「――どけって言ったのが聞こえないの?」
あれ? まだ気付いてないのか? こりゃ重症だな。
「薙ですよ、付き合いは浅いですけれどさすがに覚えてるやろ」というか、本日二度目の再会なんですけど。
僕の眼をじっくり見つめ「なーんだ薙くんか」と溜め息をついたかと思えば、もう一度見つめなおし「ラッキー。ちょっと外出てくれるかな?」一体どっちなんだ。
「何で? 今から僕は昼食を買うんですけど」
「すぐ終わるから。一分もかからないよ」
「ならここで話せばええやんか」
「超――」僕は慌てて沖田先生の口をふさぐ。こんなところで何を言い出すんだこの女は、余計頭が痛い奴だと思われるぞ。親から貰ったそのすばらしき容姿を台無しにするなんて真似はしないでくれ……。って、手遅れか。
僕は竹須佐さんに、手のしわとしわを合わせながら、また暑い外へ出ることになった。
「なんのようですか先生」
「ちなみに苺大福は関係ないよ」そんなことはどうでもいい、というか夏間際の苺大福にそれほど魅力を感じない。
「超能力者、伊佐薙」
沖田先生の瞳の色が変わる。それと同時に回りを包んでいた苺大福オーラも消え、この空の下は暑いはずなのに、鳥肌が全身を包む。
「第一任務よ」
一体何をすればいいのだろう。まだ得体の知れないこの超能力、それを用いてどのような世界の悪の根源と戦うのだろう。僕は本当に迫り来る非現実に少したじろいだ。
しかし今更拒否しようなんてもう遅い。
僕は――異端者なのだから。
覚悟を決めて、口の中に溜まってもいない唾を飲み込んだ。
「あなたには明日から三日間安田太助になってもらうわ」
――もちろん僕には理解できなかった、その人物が誰なのか。もっと一般的に言ってくれればいいのに。
シャーロック・ホームズとかね。それだとかっこよすぎるか。
第4章おわりです。