その20 心花が万事
今起こった出来事が気のせいならいいのに、ドッキリだったらいいのに、なんなら夢、妄想の類ならもっといい。なんて考えたところで、プラカードを持った芸人が出てくるわけがない。押されたときに残った、天照の手の温もりがしっかりと感触にあるので、そんなことは毛頭ない。なら残った選択肢は二つだけ。
昨日、天照と不良がケンカしたときに見た幻想、いわゆる自分の持つ超能力が危険を察知してその光景を見せたのか、あるいは現実か。
どちらも認めたくない事実だけれど。
でも、そんなことは考えなくても僕には答えがわかっている。こんな余計なことを考えているのは、ただ、現実逃避をしたいだけなんだ。いつも現実は卑怯なくらい、思ったとおりに進んではくれない。
乗り遅れた電車、テストの日に限って遅刻、好きな人に恋人がいる事実、自分の才能がわからない苦悩、いざという時に発揮できない超能力。
最愛の人との間に授けなかった命。
その言葉が脳内に巡った瞬間、僕は正気に戻った。
ただ驚いた。自分の行動に。
右手と左手で天照の胸倉を掴んでいた。
どうやらこの状況を見ると、僕は無意識のうちに天照を殴りつけようとしていたらしい。
その行為だけみれば、自分の温厚な性格からすると驚愕な事実であるけれど、この自体の重さを感じれば別段驚くこともないだろう。むしろ必然だ。
今更後には戻れないので、僕は天照の体を両手で力いっぱい前後に揺らした。天照の表情は『無』意外何も無い。
「何でこんなことしたんや!」僕は結構冷静だった。後日談でこんなこと言うと信じてくれる人は少ないだろうけど、ここまではそうだった。
表情を変えずに天照は答えた。
「仕方のないこと」そう。ただ、その一言が許せなかった。
僕は、彼女の胸倉を掴んだまま電車の端へ追い込み、閉じたドアに体を押し付け、右手を強く丸めた。
心の隅でこいつなら避けてくれるだろうとか、ガードしてくれるとか、あるいはカウンターなんて決めてくれるかもしれない。なんて奇妙な期待をしながら右手を振りかぶった。
しかし、僕の予想に反し、その右手は見事に天照の頬を打った。殴った。
その瞬間、彼女の頬の骨、柔らかい感触が手に響き、刹那に鈍い音が電車内を覆った。
どうやら僕の渾身の右ストレートは天照にヒットしたらしい。
でも本当に当たってしまうなんて思ってもなかった。多分みんなも驚いてるだろう、けれど僕が一番驚いていると自信を持って言える。ほら、情けないことに足が震えているし。
不良を三人まとめて退治する程の武術の腕前を持つこいつなら、僕のパンチをかわす事なんてバナナの皮を剥くくらい簡単だろう。けれどこいつはそれをしなかった。
天照は唾を吐くようにして口内に溜まった血を吐き出した。
「これで十分? もっと殴りたいなら殴りなさい」
まだ言うかこの女。
僕は再度胸倉を掴もうと天照の側に寄ろうと右足を踏み出した瞬間、右後方からタックルさながら、腰を両手で押さえつけられた。
「やめて、もうやめてよ、二人とも!」
どうやら僕の暴挙を止めてくれたのは崎野さんのようだ。その声を聞くことで、やっと正気に戻れた。
「酷い色してる。薙くんもなーくんも沙希ちゃんも。だからもうやめて」
そう言って崎野さんは両手で顔を覆いながらうずくまった。……色?
「この中で一番悲しい思いしてるの薙くんでもなーくんでもないの」
「天照さんが一番辛いっていうんか?」
僕が尋ねると崎野さんは涙を流しながらうなずく。
「なんでそんなことがわかるねん?」
誰がどう考えてもこの中では那実が一番心に傷を付けたって考えるだろう。だいたい天照は加害者だ、何故加害者の方が辛いんだ? いつも奈落の底に落とされるのは被害者の方であって、突然の不幸を起こす加害者が辛いはずはない。
「それは……あたしの……」
崎野さんが何か言いかけるのを遮るように沖田先生が、「こら、こんなところで何をぶっちゃけようとしてるの? 公共機関の中じゃそういう話は禁止よ」
「大丈夫です、もう車内に人はいません」とテンポよく、そして久しぶりに上筒先輩が口を開いた。
「どうやら先ほどの騒動のお陰で少ない乗客が隣に移動してくれたようです。さぁどうぞ、続きを」
上筒先輩はあくまで冷静に、そして冷徹な目で崎野さんを見つめた。
当然、両手で顔を覆っている崎野さんはそんな彼の目には気付かず、ただ、「ありがとうです」と。
「あたしの能力は……、人の心の色が見え…るの。うれしい気持ち、悲しい気持ち、そういうのが色で表されるの。……どれだけ隠してても」
そんな超能力を聞いたことがない。テレポーションや千里眼、ハンドヒーリング、あるいは念力なんかはTVや漫画なんかで見たり聞いたことはあるけれど、人の感情を色で表す超能力なんて……。
「今、薙くんは灰色。沙希ちゃんのことが憎くて許せないみたい」
ビンゴだよ、崎野さん。でもそんなのこの状況を見れば誰だってわかるだろう。
「なーくんは…こんな色初めてみたよ。でもわかる、うん。黒と黄色が混ざった色。でも本当キレイに混ざってるの、ありえないけど」
そりゃそうだよな、ありえない。白以外の色は黒が入ってしまうと完全に混ざり合うことは無理だ。黒は全てを飲み込む。
「なーくんは、どこか諦めた感じ。これが正解やって無理やり思い込もうってしてるけど」 「ホンマか? 那実」
「コノカの能力を信じてないのはこの中でお前だけや」と虚ろな目を向けた。
すごい。まるで占い師だ。
「沙希ちゃんは…」
「や、やめて。言わないで」
と天照は崎野さんの心理診断を遮った。酷く怯えている様子だ。
「これはケジメなんだ」天照をかばうように、渋々那実はその言葉を吐き出した。
「何がどうケジメなんだよ?」
「超能力に目覚めたら、組織に関わったら俺自身に危険が迫ることは承知や」
そんなこと、僕は承知した覚えがないんだけど。
「でも危険は俺に親しい人にまで及ぶんや」
「なんで?」
「理由なんて要らんやろ? それだけ危険やと思われてるんや、俺たち超能力者は。平和の源を潰したいんやろ」
平和の源か。
そんな大それたものなのかな超能力って。
「だから天照沙希はああいう行動をとったんや。俺が甘えてしまったんや。すまんな天照沙希」
「なんでいいことしたのに誤られなくちゃいけないの? 良いことしたのに、そういう時はありがとうございます。でしょ」
「ありがとうございます」
那実は丁寧な礼をした。
「言われてから言ったんじゃ意味ないわ、それにこいつの誤解を解くなんて行動しなくていいからね。ただあたしがあんたに好意を寄せてないってわかればそれでいいんだから」
こいつって僕のことか。別に誤解なんて解かれたってお前への評価は変わらないけどな。
するとドアが開いた。って駅に着いたら開くに決まってるよな。
僕らは快速に乗り換えるためその駅で降りることにした。
△マークの後ろに並ぶ僕らを尻目に、天照はスタスタと駅の改札の方向へ歩いていく。
僕は思わず上筒先輩に訊ねた。
「天照どこいくんですか?」
「この空気じゃ一緒にいると疲れるだろ? だから私たちとは別で帰るんだよ」
確かにそうですけど、もしかして先輩も、「そうなんですか。って先輩もなぞなぞみたいに話さなくなりましたね。疲れました?」
「君があまりにも難しそうな顔をするからね。それにそんな状況じゃないだろ、今は」
なるほど、意外と常識をわきまえてるんだなこの人。たしかに那実は最愛の人と別れ、柄にもなく酷い落ち込みようだ。崎野さんもさっき能力を使ったのでお疲れのようだし、天照に限っては言うまでもない。まともに話せるのは上筒先輩と沖田先生か。ん? 沖田……先生?
「沖田先生って車で来たのに何で電車で帰ってるんですか?」
僕がそれに気付くと同時に沖田先生は駆け出し、
「本当だ、あたし車だったよね。やっちゃったよ。あとよろしくね上筒くん」
答えるように上筒先輩は左手を肘から上で振った。
そういうことだったのか。
何だか全てがキレイに廻っている気がする。
これから天照はきっと沖田先生の車に乗って帰るのだろう。
先輩のホームレスのフリ、天照が黒猫を連れて来た理由、遅刻した崎野さんと沖田先生、スペシャルゲストが香美ちゃん、合流時間が遅れると言って怒らなかった那実、香美ちゃんと合流してから急変した天照の態度、崎野さんと沖田先生が車で帰らなかった訳。そしてピクニックの場所が大仙公園だった理由。
つまり、僕だけが最初から知らされてなかったのか、このこと。
何だか除者にされたみたいで嫌だけど、この集団ならいくらかその気持ちも和らぐ。
わからないことは、おにぎりに唐辛子が入ってたことくらいかな?
僕は何だか忘れている気がしてならなくて、胸をモヤモヤさせながら愛しき故郷へ別れを告げた。
理不尽な運命によって引き離された恋人。
僕はまだ他人事だった。例え兄弟であってもその辛さを知ることは不可能だ、想像してみてもそれは所詮妄想と同じことであって、現実の出来事には程遠い。
思いを巡らせるうちに、電車は京都駅に到着した。
上筒先輩は帰り間際に最後のひとことだと言って呟き、微笑んだ。
「アメーバは時に失明させる危険性もあるのだよ」
第三章の終わりです。
もしよろしければ感想などいただければうれしいです。