その18 天照も気を抜けば唐に当たる
カラス広場には見知れた男女が向かい合い笑っていた。僕らが来たことにも気付かず。それは幸せそうに、心を満たすような微笑ましい光景であった。にじみ出るような仲のよさだ。この2人に遠距離だとか中距離だとかそういうことは関係ないのだろう。そんな非現実的なことを現実に思わせてくれるのがこの2人。
伊佐那実、横前香美。
2人は本当に仲が良い。それは付き合いだしてからずっとだ。
那実と香美が付き合い始めたのは中学2年生の頃。
恋愛に対して幼い考え持つ僕は、一体中学生同士の恋愛にどのような必要性があるのだろうと、悩み倒していた。しかしこの2人の醸し出す幸福感はそんな僕の悩みをうやむやにさせるくらい奇跡的なものだった。そりゃ喧嘩だって、しただろう。いや、しょっちゅうだった気もする。那実の機嫌がすこぶる良いときはほとんど香美ちゃんと喧嘩中という合図だった。少し変わっているが、那実とはそういう男なのである。どこかで幸せと不幸を零にしないといけない性分というかトラウマに近いものがあり、機嫌がいい日は携帯の着信音は鳴らず、また今にも八つ当たりしてくるのではないだろうかという目をしている時ほど、携帯の着信音は頻繁に鳴るのだ。
そのことを考えると香美ちゃんと付き合ってからの約3年は、いい日が5割、悪い日が2割、残りの3割は普通ってとこだ。
2人はどれだけ喧嘩の数を重ねても別れることはなかった。
いつか忘れたけど、あんまりにも機嫌のいい日が続いたので僕は那実に、そんなに喧嘩するのなら別れればいいじゃないか、と無責任なことを言ったことがあった。
すると那実は、「嫌いだから喧嘩をするなんて、お前はバカか?」と呆れ顔で言った。
今思うとあのときの僕は本当にバカだったと自伝にも書いていいくらい今は認めている。
なので僕は恋愛対象外ってわけだ。この場合は、恋愛が僕を拒絶するという意味だけど。
そんなどうでもいい思い出はこいつらの結婚式の祝辞まで置いといて、久々に合う香美ちゃんに挨拶と、変人達の紹介をしないとな。
「久しぶり香美ちゃん。元気してた?」
「もちろん! そっちこそ元気そうやな」とニマーと笑う彼女。
オレンジのキャミソールにハーフのジーンズを履いて、薄めの化粧の彼女は、どうやら見た目は中学卒業後とそれほど変わりない様に見えた。もう少しくらい変わっていてもいいだろうと思う反面、ほっとしたのも事実。変化したのは艶のいい黒髪が肩辺りまで伸びたくらいだ。
香美ちゃんは左手を変人どもに向け、「その人たちが学校の友達? 那実の彼女です、ってこんなこと言うのも恥ずかしいな。どうもよろしく」と浅く頭を下げた。
「紹介するわ。この人が崎野心花さん」そう言って、すぐ斜め後ろにいる彼女を右手で示す。
「よろしく。これまた可愛い人やな、ちょっと驚いたわ、へへ。今日一日よろしくね。というか仲良うしてなぁ」崎野さんは右手を差し出し、それに香美も答えるように左手で右手を握り、「そうやね、よろしく」と、愛嬌よく答えた。
「そんで、この黒猫と戯れてるのが天照沙希さん、そしてその横が上筒先輩、そんであのお姉さんが歴史を担当してる沖田先生」と崎野さんの紹介より簡潔に行ったことをわざわざ説明する必要があるだろうか? 答えは否だ。
「今日はよろしくお願いします」
そう言ったのは香美ちゃんではなく、意外な人物、天照だ。
先ほどまでローテンションガールっぷりを発揮していたのに、今では気持ちのいいくらいの笑顔で香美ちゃんを見つめている。一体どういうことだ? さっきまでの仏頂面はどこいったんだ? お前の表情はそれじゃないだろ、はやくのっぺらぼうの面を被れっての。
でも空気が和やかになることを、僕はガリガリ君が当たるくらいには望んでいたことだし、意外や意外だけど、取り越し苦労だったというなら、そんな苦労は昼食前に無くせてよかったよ。
でもなんでだろう、天照は那実のことを相当嫌っているはずだ。それならその彼女のことも嫌うだろう。なんて考えは安直過ぎたか。さすがにそんな精神年齢の低い高校生はいないよな。
「今日は保護者としてきたけれど、堅いことは言わないわ、お酒でも何でも飲んじゃいなさい、ってな感じの先生だけどよろしくね、えーっと……、ごめん何ちゃんだっけ?」
さっき自己紹介されたのにもう忘れたのか? それとも聞いてなかったのだろうか。ねじの一本外れた人間の考えてることが僕にはわからないので、この二択じゃないかもしれない。
「面白い方ですね、初めまして香美と呼んで下さい、沖田先生」
そう微笑みながら返す香美ちゃんは人として出来てるなと改めて感じさせる。
「ごっめんねぇ、名前忘れちゃって。良い名前だね香美ちゃん、よろしくねぇ」
良い名前なら忘れるなよ。少しくらい香美ちゃんのこと見習え、どの部分でもいいから。
「ところでもうあたしお腹空きまくりなの、香美ちゃん? ちょっと早いけどお昼にしない」
「ええ、いいですよ。けど他のみんなは」
「もう許可はもらってるの。さぁ食べましょう! 薙くんブルーシート」
はっ! 殿。てな感じで右手に持っていたブルーシートを広げた。そのブルーシートは文字通り青く、かわいいモンスターやうさぎや猫、犬など描かれてはいない。いわゆる安物だ。
けれどそのブルーシートは安かったわりに大きく、今いる7人ちょうど座れるくらいだ。もちろん弁当を真ん中に広げた場合。
「ナイスシートだね薙くん!」
「いや沖田先生、それ選んだの那実です」
「そう? どっちでもいいや。グッジョブ!」と親指を突きたてナイスガイなポーズをとった。
僕的には猫なで声で一言「うれしい」とかなんやら可愛く言ってくれる方がよかったりするのだけど、そんな器用さを持ち合わせていないのが沖田薫。そこがよかったりもする。
「はい、たーんとお食べ」とさっきまで僕が背負っていたリュックから、崎野さんはノートパソコンサイズのお弁当を2つ取り出した。これが遅刻するほどの力作か。少し、いや大分楽しみだ。
ふたを開けると、一つ目のお弁当箱にはおにぎりがビシッと敷き詰められていて、もうひとつにウインナーやら玉子焼き、ミートボール。日本人が選ぶ弁当のおかずランキングがあるとするならば、1位から10位までを引き抜いた。というくらいありふれたおかずだった。
現在の風習で個性的なものが、意味もなく評価される場合があるけれど弁当は別だ。そこに意外性は一切不必要なのだ。もしも白身のフライの変わりに鯛の御頭焼きが弁当に詰められていたらどうする? プチトマトではなく普通のトマトが丸ごと入っていればどうする? ゆで卵ではなく生卵が入っているとどうなる?
どうもしない。ただ周りの人間から家庭事情について不信に思われ、そして笑いものになるかあるいは引かれるかどちらかだ。
なので世界で弁当ほど普通を愛される代物はないだろう。
そういう考えの持ち主なので、ついつい言葉に出てしまった。
「ここまで完璧なお弁当は久しぶりに見たで」
「えへへ、そうかな? そこまで言われると作りがいあるわぁ。ありがとぉ」
少し褒めすぎたかな? 崎野さんは真っ赤な顔で満面の笑みを向けた。
「沖田先生と共同作業?」
僕が崎野さんに尋ねると、崎野さんは沖田先生と顔を見合わせて、「それは言われへん」と悪戯な笑みで2人は僕を見つめた。
その言葉の意味を考えてみるが、想像がつかない。この弁当に何か裏があるのだろうか。弁当に裏? そんなの存在するわけがない。毒味かもしれない、けど2人が作ったのならそんな必要はないだろう。もうよそう、そんなことを考えながら食事を行うと八百万の神に罰を与えられそうだしな。
僕らはそれぞれ、適当に弁当を囲んで座った。
僕から時計回りで、崎野さん、上筒先輩、那実、沖田先生、香美ちゃん、黒猫、天照。あ、黒猫は余計だったかな?
俺以外は何故恋人同士の那実と香美ちゃんは隣り合って座らないのだろうと、ちょっと疑問に思っただろう。普通に考えれば、恋人ならそうするだろう。いや、そうしないと2人は喧嘩、又はそれに近い状態ではないだろうかと考えてしまう。しかし、この2人にはその事柄が当てはまらない。2人は普通ではないのだ。2人で遊ぶときはその世界を大事にし、第三者の侵入を許さないけれど、多人数で遊ぶ場合は、その世界を壊し、那実と香美ちゃんは友達同士に戻る。 それがポリシーのらしい。理由は聞いたことないけれど。
崎野さんがお箸と皿を配り終え、「いただきます」
その直後、一番早く弁当に箸を付けたのはこれまた意外な人だった。結構な勢いで口の中にウインナーやら玉子焼きやら何やら放り込んでいる。
僕は崎野さんに出来る限り小さな声で訊いた。
「先輩って食に執着する人なん?」
「えっ!?」
僕の声が小さすぎたようだ、それにカラスの声のお陰で聞き取りにくいようだ。
「先輩ってよく食べる人なん?」
「声小さいよ薙くん。もっかい、言って」と、崎野さんが普通の声量で言うもんだからみんな僕の方を見てしまった。崎野さんには空気を読む能力が欠けているのかも知れない。
すると、隣からボソッと、「いつもはそんなんじゃないわ。ゆっくり食べる人よ」と天照が答えてくれた。続けて、「それに崎野心花が知っているはずないわ。彼女はまだ関わりが浅いから」
「関わり? 何の?」
僕がそう言うと、天照は上から覗き込むような視線で睨んできた。何か悪いこといったか僕?
「呆れるわ」
そう言うと天照はおにぎりを手に取った。
何が呆れるんだろう? 崎野さんが何かとの関わりが浅いことを、僕が知らないことで何で天照に呆れられなきゃいけないんだ。まぁいいや。
僕はお弁当箱の中で一番大きなおにぎりを手に取る。
やっぱり米がなきゃ食事は始まらない。米を食べなきゃ食事をした気にならないしな。
僕は勢いよくかぶりついた。
「ガリ」
何か米粒とは違う感触が歯に響いた、その瞬間、口の中全体に嫌な辛味が広がった。
「誰や、おにぎりの中に唐辛子入れたの」
恐らく僕は涙目だろう、そして汗もかいてるだろう、顔も真っ赤だろう、そんな気がする。
すると
「あったりぃ、コノっち。どうやらあたしが先抜けだよ」と沖田先生は大笑いしながら言った。
やられたか。たちの悪い悪戯だ。
「早く飲み物、飲み物は無い?」
「あれー、どうやら飲み物は忘れちゃったみたいだよ」と明らかに探すフリをしてわざとらしく言った。
このクソ教師め、その年になってこんな幼稚な悪戯するか?
僕は呆れて物も言えず、(というか辛さで舌が回らないから何も言えないんだけど)振り向き様に靴を履きダッシュでトイレに行くことにした。あそこなら水がある。
「いってらっしゃーい」
後ろに目が付いているわけがないので沖田先生の顔は見えないけど、恐らくものすごく輝いた笑顔で見つめているだろう、そして周りは状況を読み込めずポカンとしているはずだ。
「あなたもなの? バッカねぇ、いってらっしゃーい」という沖田先生の声が聞こえた。すごく上機嫌な声だ。きっともう1人僕と同じ目に遭ったのだろう。
そんな気の毒な奴を確認する為に後ろを向くと、
天照だ。
これは意外、あいつもキャラに合わないことをするもんだ。
「早く行きなさい! もう追いつくわよ」
必死の形相でものすごいスピードを出し僕の方へ走ってくる。
慌てて僕もギアをフルに入れなおす、が、ものの数秒で追い抜かれた。
「走りながら道案内して、あたし道わからないから」
どうやら僕を待つほどの余裕はないらしい。
「そこまっすぐ行って左行ったらあるから」
天照はさらにスピードを上げてトイレに向かって行った。もちろん僕も。
この公園にあるトイレは比較的キレイなので、口をゆすぐことにそれほど抵抗は感じなかった。というか、清潔かどうか選ぶ余裕なんてなかったけど。
口の中に水道水を放り込み、音を立てながら水を混ぜる。吐く。その行為を10回ほど繰り返すと、やっと舌の痛みが和らいできた。
戻ったらなんて言ってやろう? 怒ったフリをするのもいいかな? それともジュースでもおごってもらおうか慰謝料として。
そんなことを考えながらトイレから出ると、頬に水滴が落ちてきた。
「雨や」