その10 ルールと夕陽
公園の近くまで駆け寄って見てみる。やっぱり天照だ!
確実に助けを手伝ってくれるだろう人間を呼ぶ。
「那実、やっぱり天照さんや」そう言って振り向くが彼はいない・・・。どこいったんだ?
見つけた。
なんと那実は走ることもなく、いつもの下校時と変わらない速度で寮の方向へ歩いている。こいつは何を考えてるんだ?僕は怒りのオーラをまとい急いで那実に近づく。
「何考えてるねん?早せな天照さんボコボコにされるぞ!」
「それよりもやばいコトされるかもな。それには俺も興味あるし影から覗こうかな」
冗談を言ってる場合じゃない、なぜこいつがこんなに悠長なのか意味がわからない。
「あの男、前に薙が言うてた、天照沙希に振られた不良もどきやろ?」
「そうや、だから助けたらなあかんやろ」こんな話しをしている場合じゃない、1秒を争うんだよ。
「天照沙希が悪いんや、この際、あいつの変な性格を治してもらうべきや、自業自得」
その言葉を聞いたときに思い出した。あれは確か中学2年のころ、2人で電車に乗って服を買いに行った帰りのことだ。
その日の電車は日曜の夕方だというのにやたらと混んでいた。
確か終着駅の近所で有名歌手のライブがあるとかそんなところだった。
そのとき那実は、運良く座席に座ることが出来たけれど、その目の前には年老いたおばあさんが、四方八方から押し寄せる人の波に埋もれて、苦しそうに、「うぅ・・・」とうめき声を上げている。その姿は、弱り、年老いた野良犬がエサを求めているようにも見える。
「那実、席ゆずれよ」僕は、一般的な優しさを示す方法を、那実の耳元で囁いた。
すると那実が、憤りを感じさせる表情で「この席は俺が手にしたんや」
何言ってるんだこいつは?
「この電車に乗ったときから、イチバン最初に降りるかもって奴に目ぇつけて、それが当たって手にした座席や、何で譲らなあかんねん」
おばあさんがしんどそうにしてるからだろう。誰が見たってそう言うよ。それに年寄りだし。
「年寄りやからって、優遇なんて気に食わん。自分の体が不自由と思うんやったら、人が減るかもしれへん次の電車に乗るべきや、それかタクシーか何かに乗るか。あのおばはんは自分でこの満員電車に乗ることを決めたんや」
そのおばあさんの勇気に免じて席を譲ってやれよ。僕がそう言うと、那実は「こいつはバカなのか」という目つきで
「甘やかしたらあかんやろ、そんな甘えに浸ってたら、いつか偉い目にあう。薙が言うてることは嘘の優しさや。そんなこと言ってるから戦争が起こるんねん、差別がなくならんのや」
最後、話しが飛びすぎだろう?
今まで教えられた道徳を、正面から崩す、那実の言葉は耳を離れることはなかった。2年経った今も。
「天照沙希なら大丈夫や、お前が行っても無駄なだけ」
こいつに何を言っても無駄ということを思い出し、僕は公園へ走り出した。
公園に近づくとわずかに声が聞こえる。男子生徒が何か言ってるがよく聞こえないので、走りながらも耳を澄ます。
「この前のことを謝れよ、さもないと、この黒猫どうかしてまうぞ」黒猫が無邪気に「みゃー」と鳴く。
あいつら、黒猫を人質にとるなんて。どうしようもない人間だ、一緒の種族だということに悲しさを覚えるよ。天照も黒猫が気がかりなのか、声を出さずに男子生徒を睨んでいる。
すると、また男の表面から悪意がかもし出される声で、「上の服脱げよ、ほら、ほら、早くしないとこの猫、踏みつけるぞ」
あいつらはそういうと気色の悪い高笑いを響かせた。マジで最低だ。
でもプライドの高そうな天照のことだから、脱がないだろう、と思っていると。肩にかけているカバンを下に置き、制服の上着に手をかけた。
僕はさらに加速する。そんなことをすれば相手の思う壺だ。これでも那実は傍観者でいるつもりなのか?
そんなことを考え、後ろを振り返ろうとした瞬間、天照が思いがけない行動を起こした。
反撃開始。
まず足元に置いてあるカバンを思い切り蹴って、左にいる男子生徒の股間に命中させた。当然そいつはうずくまる。そして手にかけていた制服の上着を、あの日天照に振られて、今は黒猫を抱いている生徒の頭に投げつけ、そいつが上着を頭から取ろうとする隙に黒猫を奪った。
まるでアクション映画のようだ。
すると那実が駆け寄ってきた。今更なんの用だ?
とりあえず僕はキャミソール姿の天照を助けるために近づく。その距離残り10m。もう少しだ。
しかし、先ほどかばんを股間にぶつけられた生徒が怒りを前面に押し出し天照に襲い掛かる。すると天照は左右にステップを踏み、構え、黒猫を草むらに放った。・・・どこかで見たことのある構えだ。その構えはどんな攻撃もかわしてしまう気がするほど隙のないように見え、何よりも綺麗だった。
思ったとおり、襲い掛かった生徒が繰り出した大降りの右ストレートは空を切り、空振るコトで前のめりになった生徒に、天照はすごい勢いのアッパーを繰り出した。そしてすぐ隣にいるもう一人の生徒を回し蹴る。その回し蹴りは相手のこめかみを見事にヒットさせ、一撃で気を失わせた。
強すぎる。現実に起こっている出来事とは思いにくい。
しかしそれは実際に起きていて、僕はあまりの華麗さに見とれて足を止めていた。ただキャミソール姿というのが少しおかしかったけど。
最後の一人は殴ることをせず、相手の繰り出す蹴りを見事に左へ受け流し、軸足に足払いをした。
それは気持ち良いくらいの勢いで決まり、「ゴン」という尻と地面がぶつかる音が響く。
「天照沙希のやつ、パンツじゃなくてスパッツかよ」
何だいきなり? そう思い振り返ると那実が不謹慎なことをつぶやいた。いつの間にそこにいたんだ? 那実を一瞥して、天照のほうを見る。
まだ止めを刺していないのか?僕は思わず言葉に出てしまう、「マウントとれよ!はやく」
しかし一向に相手を覆いかぶさる様子がない。
それは一瞬のことだった。
相手は刃物を取り出し天照の体にぶつかっていった。天照の腹部にはナイフが刺さっていてる。赤い血が噴出する。
滴り落ちてなんていなかった、ドラマのように衣服ににじむこともなかった。噴水のように噴出す血液がこれほど綺麗だと思ったことはない。
僕はあまりの衝撃にこれ異常ない程の声で叫んだ。
「おい!薙、どないしたんっ」
那実のその声で気が付いた。瞬時に那実に問いかける。
「天照はどうなったんだ?」
不思議そうな顔で那実が言う
「まだマウントも取らんと相手を睨んでるで、見たらわかるやん」
どうなってるんだ?
正面を向くと確かに天照が、1週間前に交際を断り、黒猫を人質に取った生徒を睨んでいた。
すると、またさっきの走馬灯に似たものが思い出される。もう声に出さないでいられなかった。というより勝手に出た。
「天照!そいつナイフ持ってるで」
僕が精一杯の声で叫ぶと生徒は立ち上がり、1度こっちを見て仕方ないなという手つきでナイフを取り出した。
その瞬間が命取りだった。
天照はそれはそれは綺麗な曲線を描く一本背負いによく似た投げ技を繰り出し、止めを刺した。
投げ終わった瞬間、天照は携帯を取り出し、「すみません、洛南公園まで来て下さい。襲われました」
その落ち着きようは襲われた奴の言うセリフじゃなく、いたずら電話に間違われても仕方がないほど感情の変化はなかった。
「天照沙希はボクシングと何やったけなぁ?イギリスの伝統ある格闘技を習ってるんや」
まるで自分のことのように言う那実を見つめた。なんでこいつがそんなこと知ってるんだ?
「グリマよ、それに人のことをどうのこうの勝手に言わないでくれる?」電話を切りすぐに、那実を睨みつける。
「そや、レスリングみたいな奴やろ?」
「もういいわ」
那実の言葉を一蹴する。それはさっきの回し蹴りより美しい。
僕はひとつ気になることがあった、「どうしてマウントを取らなかったんだ?」
そうすれば一瞬で勝負は決まっていたのに。
「グリマのルールでそういう行為は反則とされているの」
そう言って、地面に落ちている上着を2〜3回手ではたいて、また着た。
「今は試合じゃないだろう」
これは正当防衛であり、悪く言えば喧嘩だ、そんなのにルールがあるなんて聞いたことがない。
「確かに試合じゃないわ、でもそういってる人はみんな弱いのよ」
彼女にそう言われるとそうかも知れないという、妙な説得力があるのは、さっきのボクシング兼グリマの試合というか、一方的な展開の喧嘩を見たせいだろうか。
「もうすぐ警察が来るわ、あなた達、巻き込まれたくなかったら早く帰った方が良いわよ」
天照はそう言うと草むらに投げた黒猫を拾い上げた。
最後に何故、主犯格と思われる告白をした不良に手を挙げなかったのか聞こうと思ったけれど、色々事情があるのだろうと思いやめた。
それに僕達は面倒事は嫌いなので(特に警察)さっさと立ち去ることにした。天照も、もう大丈夫そうだし。
僕が背を向けると、天照が忘れ物を拾うような声で、「なぜあいつがナイフを持っていることがわかったの?」
そんなこと僕も疑問だよ、本当のこと言っても信じてもらえないし。とっさ過ぎて言訳が思いつかない。
5秒くらいの間が空いて、感だよ。と言うのが限界だった。
すると天照がほんの少し微笑み
「そう、・・・そうしたら月曜日の放課後、空けといてくれるとうれしいわ」
特に断る理由もないし、彼女の初めて見せる笑顔に思わず、YESを出してしまった。これが過ちだったのかもしれない。
僕らは、天照を公園に残し、寮へ帰る事にした。
「だから大丈夫って言ったやろ?」那実の顔は少しこわばって見える、気のせいか?
「ホンマに強すぎやろ?あんなTVみたいなん初めて見たわ」
僕は少し興奮をしていた、そりゃあんなアクション映画もどきを目の前で見れば誰だって昂ぶるだろう。
「にしてもなんで、那実が何で天照が格闘技強いって知ってるんや?」
一瞬考えたような顔をした気がしたけど、いつもの変に自信のある声で、「俺を誰やと思ってるんや?クラスの情報通やぞ」
本当にこいつは・・・またつまらない事を言って、しかしその言葉は同時に安心感を与えた。
思い出したように後ろを振り向くと、天照が腰を曲げ、深くお辞儀をしていた。
「あれもグリマのルールのひとつか」
「そうかもな」
そう言って那実は夕日を見つめた。その眼は夕日より遥か先を見つめているようにも見えた。