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夜 と うどん と 看板娘

 黒木さんの坊やに夕飯を準備し、2人が長屋を出た頃には既に日はとっぷりと暮れていた。

 夜の街に明々と電灯が灯り「東京には夜が来ない」などと言われていたのは昔の話。

 僅かな電灯がポツリポツリと灯るばかりの町並みは夜闇に塗りつぶされておりひどく暗い。

 子供ならずとも不安を覚える暗い道のりではあるが、ギンの表情に不安の色は全く見られない。

 彼が見た目以上に肝が座っていることも理由の一つだが、それ以上に同行者で兄貴分である鉄馬の腕を信頼している部分が大きかった。

 鉄馬については言わずもがな、特に昼間歩く時と変わることなく平然と歩んでいる。


「しかしギン、仕事を紹介すると言うがいったいどんな仕事なんだ?」


「ああ、そうそうまだ説明してなかったね。鉄兄てつにいも屋台村のことは知っているだろう。」


 屋台村。

 それはもとを糺せばいわゆるヤミ市に端を発する。

 衣食住などと言う言葉を持ち出すまでもなく、人間は食わなければ生きていけない。

 戦中より物資不足により腹をすかせた人々はごまんといた。

 そして焼け野原となった東京には仕事を失い、生きていくために仕事を探す人々もまたごまんといた。

 需要(食料)と供給(求職者)がかみ合った結果、食い物屋を始める人間が一挙に増えた。

 食材さえ準備できるならば比較的特殊な技術も必要とせず、いつでも一定の需要が望めるということが多くの人を食い物屋へと駆り立てたのだ。

 無論、立派な店を構えるなんてことはできよう筈もない。しかし、ただ営業をするだけであれば立派な店など必要ない。ござ一枚ひいただけの露店でも、簡素な作りの屋台でも充分にその用を足すことができた。

 比較的始めやすい商売ということでヤミ市から離れ、あちらこちらに店を出す人間が増えた。

 しかしその後、今度はまた別の問題が生じてきた。

 それは戦後東京の治安の悪さである。

 食い物屋には需要があり、そこには常に利益が生じた。

 利益というのは甘い蜜だ。蜜があるならば当然そこに虫は寄ってくる。

 そして戦後東京と言う場所には悪い虫が多く存在した。

 食い逃げなどの無銭飲食程度であればかわいいもの。謎の権利を盾に売り上げを強請ろうとする者、時には強盗に及ぶ者すら珍しくなかった。

 悪い虫に食い荒らされる人々、それに対する最初の対応は極めて簡単で原始的なものだった。

 悩まされる人達は自然と寄り合い。一つの群れ、集団を作るようになった。

 数の強みというものは単純だが、極めて有効なものでもある。

 「相手が集団である」というただそれだけで彼らの被害は幾分の減少をみた。

 そうして我も我もとその集団に加わっていった結果、いわゆる「屋台村」と呼ばれるものができた。

 そうして発生した屋台村は独特の存在感を有するようになり、今では東京の人々の生活にお馴染みのものとなっていた。


「屋台村か・・・たまに利用する程度だが。何分懐寂しいときが多くてな。」


 さらりと悲しい懐事情を述べる鉄馬。それに若干の悲しみを覚えつつギンが話を続ける。


「それで、最近この近くにも新しく屋台村が出来たんだけど、そこの人達が困っているようでね。」


「困っているとは?」


「まだ屋台村って言っても規模が小さくてね。まぁよくある話ではあるけどその儲けを狙ってよくない人間が寄り付くようになったみたいなんだ。」


「ふむ・・・だが昨今の屋台村なら早いうちに用心棒の1人や2人雇っているものだろう。まさかまだ雇っていないのか?」


 集団となることで屋台村は一応の守りを得ることができた。

 しかし、それで片付くのは小物の悪党ばかりだった。

 より性質の悪い悪党はその程度ではめげることなく、彼らを食い物にしようとする。

 それに対抗する手段としてこの頃の屋台村では用心棒を雇いその庇護を受けるのが常識であった。


「まだできて間もないからって言うのもあるんだけど、これまではどうにか対応する人間がいたんだよね。鉄兄、『うどん屋御前』って聞いたことある?」


「・・・・・・定食か?長らく食っていないが。」


「いやいや違うよ鉄兄。まぁそう呼ばれる人が居て、その人が屋台村を守っていたみたいなんだけどね・・・おっ。見えてきたよ。」


 ギンの指差す方向。そこには夜闇の中で明々と光を放つ無数の屋台があった。




 夕食時からはやや過ぎた時間であるものの、屋台は今だ盛況で店員達は慌しく飯を作り、客あしらいをしていた。


「ああ・・・まだ話ができる状況じゃあなさそうだな・・・しょうがない、鉄兄。俺達も飯でも食って時間を潰そうか?」


 黒木さんの家の夕飯は用意したものの鉄馬自身はまだ夕食をすませていない。特に異論も無くギンの提案に頷いた。

 ギンが選んだのは一件のうどん屋。

 手作りと思われる簡素な屋台、その回りにはボロイテーブルと椅子が備え付けられている。

 お世辞にも立派な店ではないがそれなりに客は入っていた。

 どうやら夫婦で営んでいるらしく屋台の中では一組の中年男女が慌しくうどんを作っている。

 鉄馬とギンが椅子に腰掛けると程なく1人の少女が注文を聞きにきた。

 顔立ちから察するに年のころは十代半ば、おそらく二十歳は超えていないだろう。女性にしてはすらりと背が高い。質素な服装で頭には三角巾を付けている。


「お客さん、何にします?」


 声色は明るく、注文を聞く表情は人懐っこい笑みを浮かべており、歳相応に充分愛らしい。もしかしたらこの屋台の看板娘なのかもしれない


「鉄兄、何にする?」


 メニューと呼べるほど種類があるわけではない。しかし料金をいくらか上乗せすれば、多少上にのる具が豪華になる、そういうシステムのようだった。

 鉄馬はさして考えもせず答える。


「決まっている。・・・一番安いのをお願いします。」


「鉄兄・・・・・・」


 兄貴分の懐寂しさにそろそろ本気で泣けてきそうだった。

 結局、ギンも同じものを頼むことにした。「あはは」と気まずげな笑いを残して店員の少女が去る。

 そしてしばらく後、少女はおぼんにうどんをのせ戻ってくる。

 早速食べようとうどんを覗き込んだところで2人は違和感を感じた。

 一番安いのはかけうどんである。しかし運ばれてきたうどんには目立たないが汁に沈みこむようにして卵が入っている。


「すみません。これは・・・」


 「間違いでは?」と鉄馬が言いかけたとき、少女は人差し指を口元にあてて悪戯っぽく笑う。


「お兄さん達、この店に来るの初めてでしょ。だから特別。おじさんには内緒ですよ?」


 おじさんとは店主のことらしい。


「もし気に入ってくれたら今度ともどうかご贔屓に。」


 そう言って彼女は再び仕事に戻る。

 押し付けがましくなく自然な態度には鉄馬も遠慮する暇がなかった。


「・・・いいだな。」


 そう言うと鉄馬はうどんをすすり始める。

 機嫌が良いのか眉間の皺も今はやや緩い。しかしその機嫌の良さの原因が看板娘のサービスによるものか、はたまた久方ぶりの豪華な食事によるものなのかはギンにも判断がつかなかった。


「まぁ・・・確かに良い子ではあるんだろうけどね・・・」


 ギンがぽつりとそんなことを呟くが鉄馬の耳には入っていない。どうやら久しぶりの外食に大層ご満悦のようだった。

 ギンもうどんをすすり始めてしばらく経った頃、ピークの時間を過ぎたのか客足も少しずつ減り始めた。


 そろそろ良い頃合かな?


 店主達の動きにも落ち着きが見られる。

 仕事の話をするにはちょうど良い頃合だろう。そう思ったギンが鉄馬に声をかけようとした時、それは起きた。


「またアンタ達?もう来ないでって散々言ったでしょ!」


 声の主は先程の看板娘のもの。

 注文を取りにきたときの愛想良さなど欠片も見えず、その声は怒りに満ちたものだった。

 突如響いた怒声に鉄馬も顔を上げる。

 そこで見たものは怒り心頭の様子の看板娘とそれに向かい合う3人の男の姿だった。

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