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一人稽古

 ある日の午前。

 日差しは明るく、涼風が頬を撫でる。

 暑くもなく寒くもない気候と風の心地よさが思わず眠気を誘う。

 そんな中、思わずこぼれそうになる欠伸をかみ殺しつつ、ギンはその場に座っていた。


 場所は貧乏長屋の裏手。

 そこは空き地となっており、住人たちはそこで洗濯やら雑用を片付けている。

 そして同時に、そこは長屋の用心棒 『ボロ鉄』 本部 鉄馬の日々の稽古場所としての役割も果たしていた。

 

 昨晩遅くまでかけて仲介屋の仕事を片付け、今日は盛大に朝寝を楽しんだギン。

 今日はこのまま休業と決め込み、兄貴分である鉄馬を昼食にでも誘おうとして部屋を出た。

 しかし、部屋を訪ねたところ、鉄馬は生憎の不在。

 通りがかった長屋の住人に居場所を聞いたところ、長屋の裏手にいると聞き、彼もそこまで出向いてきたのだ。


 長屋の裏手に出たところでギンは情報どおり鉄馬を見つけた。

 声をかけようとしたところで、兄貴分の緊迫した雰囲気に気が付き思わず口をつぐむ。

 空き地で1人構えを取る鉄馬。

 しかし、その様子はまるで今まさに敵と対峙してるが如き様相だった。

 重い沈黙・・・そして不意に鉄馬が動き出す。

 虚空に向かって突き、蹴る。そしてギンには見えぬ攻撃を警戒するようにかわし、捌く。

 そうしてひとしきり動くと立ち止まり、何やら考え込む。

 しばらく考え込んだ後、何か思いついたのか再び虚空を相手に動き始める。


 そんな鉄馬の様子をしばらく眺め、ようやくそれが稽古であることにギンは気が付いた。

 ギンの知る限り、鉄馬の稽古内容は日によって違い、けっして一様ではない。

 ある時は何百、何千とひたすらに同じ技を繰り返す。

 ある時はひたすらに型を打ち続ける。

 またある時は特に動くでもなく構えたまま、じっと立ち続けていることもある。

 武道の心得のないギンにはそれらの行動がどういう稽古なのかまでは完全には理解できていない。

 しかしそれらが、鉄馬なりの考えや課題に基づいて日々自身に課しているということだけは気付いていた。

 今日の稽古はおそらくボクシングで言うところの「シャドーボクシング」という奴だろう。

 鉄馬のあまりに真剣な様子に声を掛けるのが躊躇われたギンはそのまま地面に腰掛け、鉄馬の稽古が終わるのを待つことにしたのだった。




 ギンの予想通り、鉄馬は目の前に仮想の敵を描き、それを相手に攻防の稽古を行っていた。

 己の眼前に敵の姿を鮮明に描く。

 描く敵の姿はその日の課題によって違うが、その日鉄馬が描いていたのは日本刀を持った剣術家の姿だった。

 身長は鉄馬より高く、日本刀を正眼に構えた状態で対峙している。

 言うまでもないことであるが、武器を持った人間というのは素手の人間に比べ格段の強みを持つ。

 一つは間合い。

 日本刀という武器は槍や棒に比べれば間合いの狭い武器だが、それでも素手と比べれば格段に広い間合いを持つ。

 相手との距離は約5歩。

 あと2歩も進めば相手の間合いとなる。無論こちらの攻撃はまだ当たらない。

 ここから相手の攻撃を掻い潜り、如何に己の間合いまで踏み込むか。それが鉄馬の課題でもあった。

 しかし、それはけっして容易いことではない。

 武器の二つ目の強み、それは殺傷力。

 如何に鍛えた拳足とはいえ、所詮は生身の身体。触れただけで敵を害するというわけではない。

 しかし、武器・・・とくに刃物は違う。使い手の意思、技の有無とは関わりなしに触れれば斬ることが可能なのだ。

 無論、敵を斬るには確かな技と力が要る。

 だが不用意に近づき、うかつに触れることあれば、ただそれだけで致命傷となり得る場合もある。

 武器とはそういう危険を含んだものである。

 間合いと殺傷力、その2つが勝る相手にどう対峙するか。それが今日の鉄馬の課題だった。


 鉄馬はじりじりとにじり寄り、2歩の間合いを詰める。

 鉄馬がその間境を超えた時、仮想の剣客は鉄馬目掛けて唐竹割りに斬りかかる。

 それを察知して同時に飛び込む鉄馬。

 やや斜め前方に飛び込み、斬撃から身をそらす。

 同時に繰り出した拳は剣客のみぞおちを狙い打つ。

 拳を伸ばしきった体勢で鉄馬は止まり・・・・・・そしてかぶりを振った。


 拳を打つにはやや間合いが遠かった。

 当たってはいるだろうが、当たりが浅い。

 そしてかわし方が足りず、おそらくは鍔元あたりで斬られている。

 相打ちといえないこともないが、武器と素手の差を考えれば、明らかに自分の負けである。


 それが鉄馬の自己評価だった。

 けっして楽観的な想像はしない。

 できる限り厳しく自身の動きを分析し、評価を下す。

 しばらく考え込み、再び仮想の剣客と対峙する。


 斬りかかられると同時に後ろへ跳び、後の先を狙う。

 ・・・・・・攻撃をかわし、跳びかかったところを突きで狙い打ちにされる。


 斬撃と同時に横へ跳び、側面を狙う。

 ・・・・・気付かれ、横薙ぎに刀を払われる。距離を取られた上、体勢も崩れる。


 あれこれと思いつくままに身体を動かす。

 全く駄目なものもあれば、改善の余地のありそうなものもある。

 これはと思う動きがあれば、しばらくその動作を繰り返して試行錯誤を試みる。

 数稽古などに比べれば、まったく大した運動量ではないが、それでも鉄馬の全身には大量の汗が噴出し、体力的にもかなり消耗していた。

 明確なイメージを持って動くことは漠然と動くことに比べて格段の消耗を強いる。

 しかし、その分得るものも多い。仮想敵を相手にした1人稽古であったが、それでも鉄馬の中では数多くの改善点と課題を見つけ出すことができた。



 その後もしばらく動き続け、そしてようやく動きが止まる。

 鉄馬は大きく息を吐き、心身を静める。

 少し前からギンが見ていることには気が付いていた。

 あまり待たせるのも悪いと思い、自分なりに一段落したところで稽古を止めたのだ。

 振り向きギンに声をかけようとしたところで、思わぬ音が響いた。

 音の方角はギンのいる場所より更に後方。

 ギンも驚いたのか、鉄馬と同様、背後を振り返り音の出所を探している。


 音の出所はすぐにわかった。

 ギンの後ろに立っている1人の男。

 男は両手を何度も打ち鳴らして乾いた音を響かせている。

 拍手である。

 年の頃は二十代半ば。茶色がかったやや長い髪とすらりとした長身。

 しなやかな体つきは彫像のように無駄がない。

 顔立ちもナイフで削いだような頬と鋭い目つき。

 体つきと相まってどこか野生の獣のような風格が漂う。

 しかし、その両手は今無邪気に打ち鳴らされ、口元には人懐っこい笑みが浮かんでいた。

 長身の男は拍手のまま鉄馬に近づき、笑みを浮かべて語りかける。


「よお、鉄さん!相変わらず良い動きだな!」


 彼は率直な賞賛を投げかけて、鉄馬の前で止まった。


「・・・これは芳樹さん。お久しぶりです。いつ以来でしょうか?」


「ヨシさん!どうしたのこんなところで?」


 鉄馬とギン2人の呼びかけを人懐っこい笑みで彼は受け止める。

 彼の名前は 白井 芳樹。

 鉄馬にとって数少ない同業の友人であった。

次話は二日後投稿予定です。

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