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誘い

 鉄馬と岩城、2人の技の応酬は果てしなく続いた。

 岩城が攻めかかれば鉄馬がそれをかわし隙をみて一撃を加える。

 その様子はまるで牛若丸と弁慶の戦いの如し。

 しかし、横で見ている巴は感じ取っていた。

 この勝負が鉄馬の劣勢であることに。


 攻撃をかわし軽やかに一撃を加える。

 確かにその攻め様は華麗と言えるだろう。

 しかしそれは、相手に主導権を握られた後手後手の動きだとも言える。

 攻撃をかわすための移動は体力を消耗させ、次の瞬間逃げることを前提に放たれる打撃には重さがのらない。

 一見、華麗な鉄馬の動きもそうして見れば張子の虎・・・・・・それが巴のこの戦いに対する見立てだった。

 岩城も同様の意見なのだろう。

 既に何発か喰らっているにも関わらず、その動きは健在。

 焦りを感じさせないその表情はむしろ己の勝利を確信しているようでさえある。

 対して鉄馬の様子は芳しくない。

 気難しげなその表情こそ当初と変わらないが、その動きは始めと比べてやや鈍い。

 その様子から察するならば、今のような動きは後幾らもできないであろうことが予想される。


 鉄馬が不意に後方目掛けて強く跳ぶ。

 岩城と充分な距離を取り、腰だめに拳を構える。

 今までとは違う動きに岩城は一瞬警戒を見せるが、その行動の意図に気付き僅かに笑みすら浮かべる。


 とうとう限界がきたのだ。

 僅かに上下する肩は鉄馬の消耗を強く物語っている。

 腰だめに構えられた拳の意図も明白。

 このままではジリ貧と見て取り、起死回生の一撃にかけるつもりなのだろう。


 岩城は自身の勝利を確信した。

 なるほど、このままではジリ貧と見て取ったのは正しい。

 しかし、それに対する行動が余りに安直に過ぎる。

 これから放たれる拳が如何に威力を誇ろうとも読みきられた動きに怖さはない。

 受けるのも避けるのも思うがままだ。

 しかし、ふと岩城は思い直す。


 いや。あの拳喰らってやろう。


 これは岩城にとっても好機である。

 起死回生の一撃。それを打つ瞬間だけは確実に鉄馬は岩城へと寄ってくる。

 その瞬間こそが投げを仕掛ける最高の機だといえる。

 岩城はこれまでの戦いで充分に測っていた。

 鉄馬が凶器の類を持っていないこと。

 そして、一撃程度であれば自分の身体は充分に耐え切ることができることを。


 距離を置いて向かい合う2人。

 その様子は戦いの始めを思わせるが内情は別。

 すでに戦いの趨勢は決し、後は結末を待つばかり。

 一瞬の静寂。

 そして勝負は動いた。



 先に動いたのは鉄馬。

 真っ直ぐに駆けるその速さはこれまでで最速と言ってよい。

 武器は構えた右拳。

 拳は彼我の最短距離を最速にて走る。

 岩城は胸中でほくそ笑む。

 己の予想と寸分違わぬ鉄馬の行動に。

 拳の狙いは腹。

 起死回生を狙う拳は全身でぶつかるように岩城に叩きつけられた。

 腹から全身へ広がる重い衝撃。

 わかっていてなお強いその一撃だが岩城の堅い腹筋と脂肪はその一撃に見事耐え切る。

 尋常の人間であれば充分に倒れていただろう。

 しかし、その一撃に充分耐えるだけのタフネス。それこそが『玄武岩』 岩城 玄蔵の本領であるといえた。


 腹に刺さった右拳をすかさず掴み取る。

 もはや足払いによる牽制も必要ない。

 このまま大外狩りを仕掛ければ、そこで勝負は終わる。

 岩城は掴んだ鉄馬の右腕を強く引き込む。

 後は襟を取れば投げは完成する。

 岩城は勝利と共に鉄馬の奥襟を





 掴めなかった。


 奥襟を取りに言った岩城の右手が虚空を掴む。

 その事実がまず岩城を驚愕させる。

 子供の頃より何千、何万と繰り返した大外狩りの型。今更それをしくじるなどありえないことだった。

 そして第二の驚愕は鉄馬の軽さ。

 腕を掴み引き込む。しかしその時、岩城の左腕にはほとんど重さが感じられず、鉄馬の身体はまるで羽の如く軽かった。

 最後の驚愕は己の懐。

 見下ろした先には鉄馬の顔。

 己の予想より遥かに近い位置で鉄馬は立っている。

 そこまでを認識したところで岩城は気付いた。

 「嵌められた」と。


 タネはいたって単純である。

 岩城に腕をつかまれた瞬間、鉄馬は逆らわずにむしろ自分から相手の懐に飛び込んだ。

 ただそれだけである。

 それだけであれば岩城も充分対応できる範疇だった。

 しかし、重要なのはそこではない。

 むしろそこに至るまでの舞台作りこそが鉄馬の芸であり、この結末における要と言えた。


 武道、武術において「誘い」と呼ばれる戦術がある。

 一言で言うならば「己の都合の良い様に相手を誘導する技術」である。

 例えば相手が自分目掛けて攻撃を仕掛けてくるとする。

 如何に完璧な防御を行おうとしても、互いに腕二本、足二本の人間。

 確実に攻撃を当てることも難しいが完全に攻撃を防ぐこともまた至難である。

 故に完璧な防御と言うものは余程の実力差がある場合にしかまず成立しない。

 

 ならばどうするか?

 この問いに関する答えは武術、流派によって数多存在するが、あくまで一例としてあげるならばこれだ。


 「完璧であることを捨てる」


 完璧な防御を目指しても、どこかで破綻する可能性は無くしきれない。

 であればどうするか?

 答えは「あえて弱い部分をつくる」だ。

 例えば全身の防御を固めれば相手とてその防御を崩そうとあらゆる手を尽くすだろう。

 しかし、そこで一箇所、例えば頭部の守りだけ薄くしたらどうだろうか。

 これみよがしとやってはいけない。

 あくまで自然に、知らず知らずそうなってしまったかのように装う。

 すると相手はその頭部の守りの薄さにいずれ気がつく。

 単純な相手ならばこれ幸いと打ち込んでくるだろう。 

 もう少し慎重な相手であれば警戒するかもしれないが、それでもその後の行動はどうしても頭部を意識したものにならざるをえない。

 そうなれば相手はもはやこちらの術中。

 打ってくるにせよ、打たないにせよ、その行動は格段と読みやすくなる。

 そして動きが読めるならば、それを防ぐことは至極容易くなる。

 それを成す技であり、戦術。それを一部の武術、流派では「誘い」と呼んだ。


 広義で言えば、あえて腹を打たせた岩城の行動もある意味「誘い」であると言える。

 腹を囮とすることで相手を引き込み、必殺の投げを見舞おうとしたのだ。

 岩城の行動は充分に慎重であり、戦術的にもけっして間違っていなかった。

 故に強いて岩城の敗因を述べるならば、相手である鉄馬の戦術が彼よりも遥かに大規模なものであった為と言える。

 鉄馬の「誘い」は戦いの当初まで遡る。

 捕まれぬ様距離を取り、一撃入れては引くという彼の行動。

 これこそ、「鉄馬は掴まれるのを嫌がっている」と見せ付ける岩城に対する罠に他ならない。

 余談ではあるが、古い空手を修める鉄馬は「取り手」と呼ばれる掴み技、組技もそれなりに修めている。従って本来であれば仮に捕まれても一方的にやられるなどということはありえない。

 しかし、鉄馬自身はこれを不十分と感じた。

 鉄馬は岩城をけっして過小評価していない。相手は組み技の熟練者。相手の土俵で戦えば危険が生じる、そう考えたのだ。

 だからこそ、これ見よがしと捕まれるのを嫌って見せた。

 掴まれたくない。投げられたくない。そんな素振りを見せることで組み技が苦手であるかのように見せかけたのだ。

 そして次なる罠は鉄馬の消耗。

 鉄馬は動くごとに少しずつその動きを遅くしていった。

 自身の消耗を装ったのだ。

 そしておもむろに距離をとり、拳を構える。

 既に消耗しきって起死回生の一撃に賭ける他ない・・・・・・そう見せかける為に。

 結果的に岩城は鉄馬が用意した罠、その全てに引っかかったのだ。

 けっして彼が迂闊だったのではない。

 むしろ、戦いの最初から最後まで敵を「誘う」ことに徹した鉄馬の戦術勝ちといえた。



 鉄馬は今や岩城の懐深くに佇んでいる。

 肩の上下は止まり、その姿には微塵の消耗も見られない。

 岩城は鉄馬の腕を放し、慌てて飛び退こうとするが、既に遅かった。

 折りたたまれた肘でもって三枚と呼ばれる肋の急所を抉る。

 岩城は苦痛で立ち止まるが、返す刀で正拳突きを打ち込む。打ち込んだのは先程と同じ場所。如何に『玄武岩』岩城とはいえ立て続けの正拳は彼の岩の如き身体に見事ヒビを入れた。

 岩城の身体はくの字に折れ、顎が前に出る。

 彼が体勢を整え様とした時、強い衝撃が顎から脳天へと走った。

 振り上げの掌底打ち。

 充分な威力の込められた掌底は岩城の顎を打ち抜き、彼を大地へと沈めた。


 『玄武岩』はとうとう砕けたのだ。

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