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武道屋の心得

 鉄馬と岩城。沈黙の中、2人は対峙している。

 しかし、彼らに目立った動きはない。

 攻めようとするでなく、無論逃げるわけでもない。

 もし注意深く観察していたならば、彼らが少しずつ互いの距離を縮めていることには気がついただろう。

 武道屋同士の戦い。

 これはたとえ素手での立会いであれ、単純な殴り合いではなく、どこか剣術の応酬のような様相を呈する。

 それはこの戦いがいわゆる「実戦」であることに起因する。

 実戦という場であれば、互いにあらゆる手を用いて戦うのが常識。

 柔道家だからといって打撃を使わないとは限らない。

 空手家だからといって組み付いてこないとは限らない。

 それどころか、実は短刀の一つも隠し持っており、うかつに近づけばその餌食になるかもしれない。

 目の前の敵にばかり警戒していたら潜んでいた伏兵に背後から奇襲されるかもしれない。

 かように「実戦」という場は試合や道場の組手とは全くその機微が異なる。

 故に彼らは容易に攻めない、容易に近寄らない。

 相手と周囲を観察し、起こりうるあらゆる可能性を考慮しながら相手と対峙する。


 しかし、互いの距離も次第に縮まる。

 鉄馬と岩城、互いの距離は約3歩分。

 その場では突くことも組み付くことも難しいが、大きく踏み込めばそのどちらでも可能な境界線。

 先に動いたのは・・・岩城だった。


 岩城の両手は握るでもなく開くでもない形で持ち上げられている。

 これは掴み、打撃、そのどちらにも瞬時に対応できるよう備えた彼なりの工夫だろう。

 その手が不意に動きを見せる。


 突きか掴みか?


 次の岩城の動作を見極めんとする鉄馬の視界の端で何かが大きく動いた。

 それが何であるかも理解しないまま、彼は自身の経験と直感に従い一歩退く。

 次の瞬間、鉄馬が居た場所の足元を颶風が走る。

 その正体は岩城の右足・・・足払いであった。

 右足、左足と矢継ぎ早に繰り出される足払い。

 その勢いはもはや蹴りに近い。

 当たれば身体ごと持っていかれる。それほどの勢いを感じさせた。


 岩城がまだ用心棒稼業に身を投じる前、彼がまだまっとうな柔道家だった頃、彼が得意としていたのはその恵まれた体格を活かした大外狩りであった。

 用心棒となってからもその技のキレは健在であり、多くの敵が彼の大外狩りの餌食となった。

 しかし、ある時彼は思わぬ不覚を取る。

 相手は取るに足りぬチンピラ。

 体格もさして大きくなく、技もない。とりえといえば無鉄砲、無思慮なその気性。

 無論、岩城の敵となるような相手ではない。

 事実、岩城は相手を軽々とあしらい、早々に大外狩りで投げ飛ばしていた。

 投げ飛ばされた相手が沈み、勝利を確信したその瞬間。岩城を突然の激痛が襲った。

 激痛の元は脇腹。

 何ごとかと見下ろすとそこには小さなナイフが腹に突き刺さっていた。

 投げると同時に相手が突き出していたのだろう。

 幸い傷は急所を外れており、大事には至らずすんだ。

 しかし、この経験は岩城の考えを大きく変革することとなる。

 「投げ」と言うものは相手に近づき組み付くことで初めて技を仕掛けられる。

 一度掴んでしまえばその有利は計り知れないが、実戦の場では近づいた際、思わぬ形での攻撃、奇襲を喰らう可能性がある。

 岩城は考えた。いかなる相手と争うかわからぬ用心棒稼業の中で自分はどのように戦うべきか。

 その答えが足払いだった。

 引き手を用いず、やや遠間より放つ足払い。

 当てて倒せれば良し。倒せずとも敵の体勢を崩せればすかさず次の技を仕掛けられる。最悪、防がれ、かわされても相手との距離を稼げるので腹を刺されるような不覚は取らない。

 彼は自分の戦い方を組み立て直した。

 不用意に近づかず、距離を取った上で相手を崩し、勝機を狙う。それが用心棒・・・柔道屋 岩城 玄蔵としての新たな戦い方だった。

 元より岩城の柔道家としての実力は高い。そこに実戦の機微が工夫として加わったのだからまさに鬼に金棒といえた。

 大抵の相手は足払いだけで片がつき、それ以外の技を使うことなど最近では5人に1人といなかった。


 鉄馬は矢継ぎ早な足払いをかわし続ける。

 蹴りの如き威力を誇るそれは、当たれば鉄馬の身体を根こそぎ吹き飛ばしたことだろう。

 しかし、「蹴り」を相手することに関していえば、鉄馬はまさに専門家だった。

 鉄馬の前足を狙う左の足払い。

 先程まではかわしていたそれを直前まで引き付ける。

 命中まであとわずかというところで鉄馬の足がひょいっと持ち上がる。

 上体にゆるぎなく、足裏で反対側の足の腿を叩くように持ち上げたその動作は空手で言うところの「波返し」という動作だった。

 目標にかわされ足払いは大きく空振る。

 体勢を立て直し、すかさず右の足払いを繰り出そうとしたところでそれは起きた。

 持ち上がっていた鉄馬の足が着地する。

 着地したのは岩城にとっての左前方。それはこれから放たれる右の足払いにおける軸足の位置だった。

 左の足払いを繰り出す為の踏み込み。しかし踏み込む予定地点を鉄馬がいち早く押さえている。

 想定していた位置に軸足を置けず、岩城の身体が一瞬揺らぎを見せる。

 鉄馬はその好機を逃さなかった。

 波返しによる踏み込みを利用して彼我の距離を詰める。

 距離を詰めると同時に繰り出したのは左の掌底。

 下から振り上げるように繰り出されたそれは予備動作も少なく、さしもの岩城も反応しきれない。

 掌底は岩城の顎に当たりそのまま振りぬかれる。

 一見すればビンタのようであるが、踏み込み,転身の勢いを載せたこの掌底は重さ,威力共にビンタの比ではなかった。

 乾いた音が響き、鉄馬の手には充分な手応え。

 尋常の相手であればこれで充分に勝負を決しえただろう。

 しかし、柔道屋 岩城は尋常な相手でなかった。

 顎を打ち抜く強い衝撃。しかし持ち前の太く強靭な首がそれに耐えさせる。

 用心棒 岩城 玄蔵の強みは卓越した柔道の腕に加えて、もって生まれた身体そのものである。

 恵まれた体格は力強く、とりわけ打たれ強く、頑丈なその身体は多くの用心棒達の中でも最高峰のものと言えた。それこそが用心棒岩城 玄蔵の通り名『玄武岩』の所以でもある。


 掌底に耐えた岩城がすかさず鉄馬を攻める。

 そうはさせじと鉄馬がかわす。

 しからばとばかりに岩城の足払いが飛ぶ。


 息をつく間もない攻防が再開される。

 空手屋 本部 鉄馬と柔道屋 岩城 玄蔵の戦い。

 その決着、容易くはつかなかった。

 

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