第8話 不可思議親近感
ねえ、かなちゃん。
かなちゃんが今話した中で、わざと話さなかったこと、きっと、たくさんあるよね。
かなちゃん、それならあの雨の日に、言ってくれればそれで良かったのに。
だって、そうしたら、わたしは今頃あなたのことを、笑えないくらい好きになっていたのに。
なんて。
ねえ、かなちゃん。
かなちゃんは、わたしをどうしたいの?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
話し終わる頃には真っ暗になっていて、今更わたしは、家に連絡しなきゃって気づいた。
今までこんな時間まで帰らなかったことはなくて、機会がなかったから家の連絡先すら入れていなかった。基本、家と本屋の往復しかしないし。
「私のこと、嫌いになった?」
ちょっと声が震えている。可愛いなって思った。でも、視線は窓を見ている。
「なんで?」
確かに凄い執念だとは思う。3年もの間、かなちゃんはわたしのことをずっと追いかけていたのだ。
ちらと時計を見ると、6時を過ぎていた。さすがに連絡しないとまずい。
「あ、かなちゃん、えっと…お家に連絡、入れていい?」
突然流れを断ち切ったから、かなちゃんはびっくりしている。
「え?あ、うん」
手が離れた。そそくさと立ち上がって、部屋を出る。廊下は暗かった。ちょっと、寒い。
ポケットからスマホを出すと、着信が入っていた。家の固定電話からだった。アドレスを登録しなきゃいけない。
「あ、もしもし…母さん?わたしだけど、今日、帰り遅くなるから…」
『お友だちといるの?』
明らかに疑っている。まあ、わたしに友だちがいないこと、母さんはよく知っている。
「う、ん…お友だちの、家」
電話越しに、母さんの顔が変わったのが伝わった。
『さえ、お友だち出来たの?!いやだわ、挨拶しなくちゃええと、ええと、なんて言えばいいかしら?』
今日帰ったら、質問攻めにあうことは間違いない。帰るのが面倒になった。
「こ、今度うちに、呼ぶ、から…」
「ちゃんと呼ぶのよ!」
ブツッと切れた。用件は、言えたはず。
近いうちに、かなちゃんを呼ばなきゃ。そのためには、この局面を乗り切らなければいけないわけで。
今までの話は、わたしへのラブコールととらえていいはずだ。結構、はちゃめちゃだけど。
でも、だからこそ言うべきだろうか。
わたしは、入学式の日、一見、確かに桜を見ているように見えただろうけど、別に桜なんて見ていない。ただ、考えていたのだ。
自己紹介、やっぱり駄目だったかなって。
それだけ。ほんとうに、それだけ。桜の精なんて可愛らしいもんじゃない。だって、最初からわたしは、ただの人間だから。
風には確かに気づかなかったし、あの傘がかなちゃんのものだって今日まで知らなかったけど、わたしは別に、桜は好きじゃない。だって花が散ったら毛虫の楽園だし。
ところで、わたしは傘を返すべきだろうか。3年間そのまま使い続けてしまって、普通に馴染んでしまったのだけど。
でもそれは、後で聞けばいい話だから、今はまず、かなちゃんに答えを出さないと。
かなちゃんは賢い。今の状況を3年かけて作り上げたひとだから、当たり前といえば当たり前だけど。わたしはかなちゃんの視線に気づくことなくここまで来た。それはかなちゃんがそうしていたから。
かなちゃんは、わたしに拒絶される確率を下げるために人気者でいたのだ。孤独になればなるほど、わたしが差しのべられた手を振り払う可能性は低くなる。それがたとえ、わたしに恋愛感情を持っている同性の手だったとしても。
必要がなくなった、というのはそういうことなのだ。わたしの中にはかなちゃんしかいないから、かなちゃんは人気者でいなくて良くなった。自分に視線を集めなくたって、わたしが他の人に目を向けないから。まあ、わたしに興味を持つひとなんてかなちゃんくらいなものだから、考え過ぎなのだけど。
入学式の日に言っててくれたら、わたしはもう少し楽しい学校生活を送れていたかもしれない。でも、修学旅行は二人で班は作れないから、同じだったかも。
かなちゃんにとって、わたし以外に大切なものはあるのだろうか。これは思い上がりとかじゃなくて、純粋な疑問。もし、わたしに拒絶されたら、かなちゃんはどうなっていただろう。
今、女の子同士なんて気持ち悪いって、大多数の正義をぶつけたら、かなちゃんはどんな顔をするだろう。
意外と、わたしへの興味がさめるかもしれない。そうなったら、辛くなるのは、わたし。
話を聞いても、かなちゃんじゃないと駄目な理由はまだ見つからない。でも、かなちゃんの中のわたしは、思ったよりもわたしだった。
一人歩きしたと思っていたわたしの、背中が見えた気がした。もう少し走れば、顔だって、きっと見える。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
部屋に戻ると、かなちゃんがわたしを思い切り抱きしめて来た。時計を見ると、5分以上経っている。帰ってしまったのかと、思ったのかもしれない。
力が強くて、抜け出すのはわたしには無理だ。とりあえず、恐る恐る腕を背中にまわした。
思った以上に、かなちゃんは怯えていたようだ。心臓の音がはやい。手が、いつもより冷たい。
「…帰ったかと、思った」
まあ、なんて痛々しい声なのかしら。かなちゃんは、わたしのこととなると、こんなにも不安定になる。
「ごめんね、ちょっと、考え事してて」
抱きしめる力が強くなった。ちょっと、痛い。
「考え事って、なあに?」
「わたしがかなちゃんのこと、気持ち悪いって拒絶したら、どうするのかなって」
痛い。苦しい。でも、そんな言葉は言えない。
「どうして欲しい?」
こちらを、試すような声。かなちゃんはじっと、わたしの答えを待ってる。
きっと、かなちゃんはわたしに拒絶されることをおそれている。でも、ほんとうに拒絶したら、辛いのはわたしかもしれない。わたしは弱くて、ずるい。だから、手を離してあげられない。
「わからないけど、でも、わたしのこといらなくなったら、やだ」
まあ、なんてわがままなんでしょう。でも、これがわたし。
「じゃあそんなこと、聞く必要無いでしょ?」
ちょっとだけ、安心したようだった。
「そう、だね」
かなちゃんは分かっている。わたしが、かなちゃんの手を取った理由を。ひとりが嫌で、さみしかったから、だから、手を取った。お友だちからでいいなら、無条件でわたしのお友だちになってくれる。お友だちって、こういうものじゃ、ないと思うけど。
「ほんとうは、怖い?同性から向けられる恋愛感情が」
「…わからない。でも、気持ち悪いとは、思ってないよ、ほんとうに」
嘘じゃない。だって、気持ち悪いと思っていたら、かなちゃんと手をつないだりなんてできない。
「どうして、気持ち悪いと思わないの?」
真剣な声だった。
でも、わたしはちゃんとした答えを、あげられない。だって経験値がない。
「たぶん、初めてだから。わたしに、初めて好きって言ってくれたから」
あとは、わたしが誰かを好きになったことがないから。
男の子を好きになったことがあったら、きっと気持ち悪いとか変だとか言うのだろうけど、そう言う経験が一度もない。初めてだから、前例がないから、拒絶するという選択肢がわたしの中にはないのだ。
「でも、かなちゃん。わたしはかなちゃんのこと、そういう目では見られない」
「知ってる」
「だから、これから一緒にいる中で、色んなこと、教えてね」
かなちゃんがどうしてこんなにわたしのことを好きなのか、分かった。なら、今度はお友だちとしてのかなちゃんを知って行かなきゃいけない。一緒に過ごす中で、かなちゃんとわたしのことがらを、作っていかなきゃいけない。
「…うん」
これからが増えていったら、かなちゃんはわたしのことをどう思うようになるだろう。わたしに告白する前に抱いていたわたしへの想いは、告白した今、どう変わっていくのだろう。
ねえ、かなちゃん。
これからのことは、あんまり、隠し事しないでね。だってわたしは、ちゃんとかなちゃんの隣を歩きたい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
家に帰ったのは7時半だった。帰り道に、部活帰りの子を何人か見た。
恐る恐る居間に行くと、良い匂いがした。今日は豚肉の生姜焼き。
母さんはわたしに質問すべくリストを作っていたようで、にこにこしながら食卓テーブルに手招きした。
夕飯は既にできていて、でも、質問に答えないときっとありつけないんだろう。
これで好きなひとができたなんてバレたら、きっとその時はえらいことになる。でもどうしよう、一番可能性があるのが現時点でかなちゃんなんだけど、そうなったら友だちと好きなひとどっちも同じひとになっちゃう。
「おかえり、さえ」
母さん、凄く良い笑顔。でもなんだろう、ちょっと怖い。
「ただいま、母さん」
「それで?お友だちはどんな子なの?」
わたしのただひとりの、お友だち。
羽根田かなは、どんな子?
「…同じクラスで、背が高くて、可愛くて綺麗なひと」
「へえ!それで?写真とかないの?」
写真を一緒に撮ったことは今のところ一度もない。もしかしたら、かなちゃんはわたしの写真を持っているかもしれないけど。
「な、ないよ…でも、明日、来るから」
明日の勉強会の会場は、わたしの提案でここになった。これで母さんへかなちゃんも紹介できるし都合がいいと思ったから。
「来るって、なにウチに?」
「うん」
凄くびっくりしている。娘が友だちを初めて呼ぶからだろうけど。普通なら小学生の時に経験するはずのことだし。
「あらやだ!部屋掃除しなきゃ…何時に来るの?」
「お昼、過ぎ」
約束の時間は午後1時。たぶんかなちゃんは礼儀正しく5分くらい遅れて来るんだろう。
「どうしましょう、何もないわ…すぐそこのケーキ屋のでいいかしら」
「て、テスト勉強、するだけ」
目的はテスト勉強なのだ。学力テストで良い点を取れれば、織機への道が開ける。
「テスト?そういえば近いって言ってたわね」
「数学、もうちょっと頑張れば織機に行けるって」
明日は数学を中心に教えてもらう予定。かなちゃんは数学だけでなく、他の教科も満遍なく点を取れるから、凄く羨ましい。
母さんはというと、じと、とわたしを睨んできた。どうやらわたしが織機にこだわっているのに呆れているらしい。
「…さえ、そこまでして朝寝坊したいの?」
「だ、だって…」
「まあ、いいけど。あとは夕飯食べながらじっくり聞かせてもらうから」
「う…」
お腹を空かせた娘に、なんて仕打ちをするのか。でも、背に腹はかえられない。
結局、そのあとずっと質問攻めにあった。こんなに楽しそうな母さんの顔を見たのは、久しぶりだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
寝る前に、かなちゃんにメッセージを送った。既読の表示がつくと、ちょっと安心する。
『明日の1時に、待ってるね』
『うん』
『じゃあ、おやすみ』
『おやすみ、彩絵果』
やり取りは、これだけ。でも、どきどきしているわたしがいる。
かなちゃんは可愛くて綺麗。だから、見ていてどきどきする。そう、思っていたけど、かなちゃんに関することがらすべてに、わたしの鼓動は速くなる気がした。
かなちゃんはわたしなんかを3年間もの間追いかけていた。いわゆるストーキングをしていたのだ。普通なら怖いとか気持ち悪いとか思うのに、なんでか、なんとも思わない自分がいる。
ベッドの上で、考えた。
もし、かなちゃんとわたしの立場が逆で、わたしがかなちゃんにストーキングしていたら。
多分、凄く楽しかっただろう。
声をかける勇気はないけど、かなちゃんのことを知って行くうちに、他のひとは知らないことも知るようになって。
今更だけど、かなちゃんとわたしは、ちょっと似ているのだと思う。そんな気がする。
まだ、わたしの中にいるかなちゃんに、絶対的なものはない。でも、かなちゃんがちょっとだけ近くなった。
「ちょっと、恥ずかしいけど」
かなちゃんのあの笑顔を見て、顔をそらさない自信が、今はない。
もっと知ったら、手を繋ぐことも、さっきみたいに抱き締められるのも、きっとできなくなる。
まだ、わたしとかなちゃんはお友だち。ただの、お友だち。だから、手を繋ぐのも、抱き締められるのも、なんともないんだ。
そう、思わないとやってられない。
結局、この日もよく眠れなかった。




