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第7話 レベル上げ期間、3年

「…その傘なんですけど、」


じっと、湯井彩絵果を見た。正面から堂々と。


この子は桜の精じゃない。私より背が低くて華奢な、女の子。


血が通っていることがちゃんと分かって、私は確かに安心した。そして、私はこの子がどうしようもなく好きなんだと改めて感じた。理性を凌駕する感情が、私の中で暴れ回っている。


「やっぱり、あなたのですか?」


きっちり折り目正しくたたまれた私の傘。でも、返す言葉ならとっくに決まっている。だって、これはチャンスなのだから。


「違います。私の傘じゃ、ないです」


てっきり私のだと思っていたのだろう。少しがっかりしている。かわいい。


「そうですか…わたし、この傘を置いて行かれた方の、顔も見ていなくて」


だってあなたはずっと桜を見ていたのだもの。気付くはずがない。


「もしかしたら、この学校の方のではないかもしれないですね」


昨日は入学式だったから、保護者や関係者が出入りしている。よって考えられる人物は広い。


「落し物として、学校に届けようかと思っているんですけど…確か、落し物って処分されますよね?時間が経ったら」


拾遺物は一定期間経つと処分される。特に傘は捨てられたり生徒に貸し出されたりでなくなりやすい。まあ、その傘の持ち主は私だけど。


「そうですね。あ、でも意外と、使っているうちに見つかるかもしれませんよ。それ、私のですって言って来る人が」


少し強引だったろうか。湯井彩絵果は考え込んでいる。でも、私はそれを預けられても引き取りに行くつもりはない。


「それも、そう…なのかな?でも、しまいこんでいるより、使ったほうが可能性はありますよね」


納得したのか、指に少し力を込めて握りなおした。きっと、ずっと使ってくれるんだろう。


上手く行ってくれた。これから雨の日は、私の傘をさしてくれる。誰も知らない、私だけの秘密。


「きっと。ところで…あなた、湯井さんですよね?昨日風邪で欠席した」


「そ、そうですけど…もしかして、クラスメイトの方ですか?」


やはり湯井彩絵果もあまり周囲を気にしないタイプなのだろう。峯田がぼーっとしていると言っていたし。


「湯井さんと同じクラスの羽根田です。羽根田かな。よろしくお願いします」


にこ、と微笑むと湯井彩絵果はぎこちなく、でも安心したように笑った。かわいい。


「湯井彩絵果です。えっと、お湯の湯に井戸の井、それから彩る絵の果実で彩絵果です」


きっと頑張って作った紹介の言葉なのだろう。いっぱいいっぱいになって話している。


「その紹介、分かりやすいですね」


「入学式でも、話したんですけど…あんまり、上手くいかなかったみたいで」


私も全く覚えていないが、恐らく少しも盛り上がらなかったのだろう。事実名前のネタは、よほど珍しい名前でもない限り盛り上がらない。クラスの名簿だってある。携帯電話で事足りるから、年賀状のやり取りだって少なくなった。


「でも、丁寧な話し方で、いいと思いますよ」


本当は、今すぐ携帯のアドレスを聞いて、もっと話をしたい。


だけど、それだと到達点はどう頑張ったって『親友』で、私のこの感情のやり場がなくなってしまう。


だから、今は表面的には何もしない。ただのクラスメイトでいい。


ただし、来年また同じクラスになれるかが分からない。確か2年のクラス替えで3年のクラスも決まるから、2年でも同じクラスにならないと厳しい。でないと湯井彩絵果の中から私が消える。


「じゃあ、私はこれで」


にっこり微笑んで踵を返した。さっさと校舎へ歩いていく。きっと彼女は追いかけては来ない。


向こうが私を好きになってくれたら、とても楽なのだけど。でも、そんな都合の良い話はない。だから、下地を作っておかなければならない。


『お友達』の過程を踏むにしたって、大多数の中のひとりと、ただひとりの友達では大きく意味が違う。


きっと告白しても、湯井彩絵果は首を縦に振らない。拒絶される可能性のほうがよほど高い。けれど、友達からなら、と言ってくれる可能性だって、低いけどあるはず。


もし、友達から始めるなら、湯井彩絵果にとって、私はただひとりの友達にならなければならない。そうでないなら、その先へ進める可能性は潰れる。


誰にもさとられてはならない。気付かれたら終わり。もちろん、湯井彩絵果にだって。


これは、ゲームだ。周囲に気付かれないように湯井彩絵果を手に入れる、ちょっと面倒な縛りのあるゲームなのだ。


教室には何人かクラスメイトが来ていて、言葉少なに会話している。明日からは少し遅めに来なければ。


私が、これから直ちにやらなければならないこと。それは、


「おはよう」


話を聞いた限りでは、友達がいない子で基本ひとりだ。けれど、生徒の数が多い中学で、湯井彩絵果に関心を持つ人間が現れないとは限らない。


運が良いことに、私は人目を引く容姿を持って生まれた。なら、それを最大限利用してやろう。『可愛くて性格の良い女の子』が、皆大好きだろうから。


にっこり笑えば、皆同じ顔をする。でも、私が欲しいのは、こんなものじゃない。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


1週間もしないうちに、私はクラスの中心に立った。学級代表も私になった。他のクラスからも声をかけられるようになった。


今のところ順調にことは進んでいる。何人か湯井彩絵果に声をかけた女子もいたけど、気づけば別の女子とグループを作っていた。今のところ湯井彩絵果はひとりだ。


意外だったのは、湯井彩絵果は大抵図書室にいると思っていたけど、彼女は昼休みは教室で持ってきた本を読んでいるし、放課後はすぐに帰ってしまう。図書委員にもならなかった。


いつも文庫本のカバーが、近所の本屋のものなので、足繁く通っていると、何度か本人を目撃した。好きな作家もある程度は把握した。漫画も多少は読むようで、同じものを買ってみた。よく分からなかった。


ひと月も経つと、クラスのグループは固定化され、私の立ち位置も確たるものになった。そして、湯井彩絵果は私の目論見通り孤立していた。表立っていじめられることはないけれど、誰かと話す場面もほとんど見ない。


そういえば、体育の授業で1000m走をやった時、倒れはしなかったけど案の定彼女は最下位だった。私は走るのはまあまあ得意だけど、彼女に得意な種目はないようだ。今やっている球技でも、基本ボールに触らない。というか、誰も彼女にボールをまわさない。


私が失敗しても、誰も笑ったりしないけど、湯井彩絵果が失敗すると、冷笑がちらほらと飛ぶ。道化師だってもっと笑いを呼べるだろうに。転んだ時も、誰も手を差し伸べなかった。ほんとうは、駆け寄って大丈夫?と言いたかった。でも、まだ、駄目。


最初の試験で、私はクラストップに立った。学年でも10位以内に入った。廊下に張り出された紙には、50位までの人物が載る。湯井彩絵果の名前は、紙の端にあった。175人中49位。勉強はそこそこのようだ。


この頃になると、同じ小学校の女子から得られる情報もめぼしいものがなくなってきた。深入りするのもまずい。


得られた情報と言えば、峯田繋がりで知り合った新栄にいさかという女子から聞いたものくらいだろうか。牛乳が飲めなくて、彼女の分の牛乳を争って男子がじゃんけんをするのが恒例になっていたことや、男子からよくからかわれていたことくらい。後者に至っては、あまりにもぼけっとしているから、気味悪がってされなくなったらしい。


無意識のうちに視線は湯井彩絵果を追いかけている。でも、向こうは私の視線に気付かない。群がるクラスメイト達と適当に話をしながら、いつも私の中心には彼女がいる。


本を読んでいる時の、夢中になっている顔が特に好き。今読んでいるのは最近買ったものだろう。いつもの作家ではなく、最近デビューした新人の小説。読んでみたけど、嫌いじゃない。今はどの辺りだろう。主人公が自分の出生の秘密を知ったところだろうか。でも、顔にはちっとも出さない。


湯井彩絵果という少女を好きになってから、毎日が楽しくなった。彼女のことを考えているだけで心が弾むし、どきどきする。その辺のチープな恋愛小説の主人公になった気分だ。でも、悪い気はしない。小説と違うのは、私が告白するまで、えらく時間がかかり、かつ相手との接触時間が皆無に等しいことだろうか。あと、徹底的なストーキング。


もし、2年になってクラスが変わるなら、本屋で偶然を装って話しかけようか。お友達にならないと、湯井彩絵果が私を認識してくれない。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


期末試験が近くなった時、峯田の家で勉強会を開く機会があった。バスケ部に入った赤松や、クラスメイト数人が来た。


勉強会の合間に、卒業アルバムを見せてもらった。今より少しだけ幼い峯田や、新栄が写っていた。湯井彩絵果は、今より髪が短くて、ちっとも笑っていなかった。


初めてまともに話した時の、あの笑顔がまた見たくなった。でも、まだ、駄目。


期末試験では、私の学年順位はいくつか上がっていた。湯井彩絵果は、変わらず49位だった。あれだけ勉強を教えてあげたのに、勉強会に来た女子は誰も入っていなかった。まあ、アルバムを見るためだけに行ったようなものだけど。


それから何度か試験を受けても、湯井彩絵果は変わらず49位をキープしていた。彼女は高校はどこへ行くのだろう。来るのが遅くて、1時間目はうつらうつらしていることが多いから、きっと朝は苦手だろう。となると、織機おりはたあたりだろうか。薮坂やぶさか板殿いたどのは遠い。織機なら、彼女の家から歩いていける距離だ。


席替えで席が隣になった時、それとなく話をした。


「湯井さんは高校、どこにするんですか?」


「うーん、織機に行きたいけど、もうちょっと頑張らないと駄目みたいなんです」


彼女の成績だと、確かにギリギリかもしれない。織機は東芽ひがしめに次ぐ進学校で、まんべんなく点数が取れないと厳しい。


「羽根田さんは…やっぱり、東芽ですか?」


「私、まだ考えてなくて」


そういえば、私は湯井彩絵果と話す時は、何故か敬語になってしまう。緊張しているのかもしれない。


東芽に行く予定なら、たった今無くなった。


席が隣なのを良いことに、たまにわざと教科書を忘れて、机をつけて見せてもらったりした。意外だったのは、教科書のあちこちに落書きがあったこと。国語の作者の写真の横に、吹き出しで『作者の心情の件ですが、何も考えていません!』と書かれていた時は噴き出すかと思った。


ちなみに、湯井彩絵果の国語の成績は私より良い。全て国語の点数くらい取れるなら、彼女は東芽にだって行ける。でも、残念なことに、数学が足を引っ張っている。


勉強、教えようか?何度となく言いかけたけど、やめた。その代わり、席が近い時は、数学で当たる時はこっそり答えを教えてあげた。小さく言われるお礼の言葉を聞くたびに、私は幸せな気持ちになった。数学ができて良かった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


運はどうやら私の味方らしい。


2年になって、私は湯井彩絵果と同じクラスだった。


B組からD組になって、よく使う階段が西階段から中央階段に変わった。峯田と赤松とは違うクラスになった。1年かけて築いたものを、また作り直さなければならない。面倒臭かったけれど、手は抜けない。何せこちらは2年間だ。


気づけば私は生徒会の役員になっていた。前よりも多くの人に囲まれるようになった。そして、そんな私に近付いて、良い思いをしようとする輩も、増えた。


花枝千穂はなえだちほという女子が、このクラスの中心的な場所に収まった。私は花枝と仲良くなって、またにこにこ笑う作業を始めた。花枝は明らかに私と仲良くすることをある種のステータスと思っている。随分と利用価値があると思われているらしい。まあ、そんな花枝を私も利用しているのだけど。


湯井彩絵果は相変わらずひとりで本を読んでいた。もちろん、私はそれが何て作品なのかを知っている。一昨日本屋で彼女を見たし、同じ本を買った。


私の部屋に本棚はない。全てタンスの最下段にしまってある。すでに20冊以上ある。この1年で、私のストーキング能力は随分と上達しただろう。


はっきり言って、気持ち悪いと言われても否定できないことをしている。でも、やめられない。湯井彩絵果を知れば知るほど、私は彼女が好きになる。そしてもっと、知りたくなる。


知って知って、全て知ったら、私は覚悟を決めるだろうか。


1年間、私はずっと湯井彩絵果を見てきた。2年になっても、彼女に近づこうとする存在は、私が知る限りいない。


今、手を伸ばしたら、彼女はこの手を掴んでくれるだろうか。


でも、まだ、駄目。


だって、私は知っているのだ。


彼女が時折、仲良く話している私のグループを見て、羨ましそうな目で見ているのを。


だから、まだ、駄目。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


3年になって、9月の修学旅行の話題が持ち上がるようになった。


でも、浮かれてばかりもいられない。進路を意識しだしたのか、勉強に真面目に取り組む生徒が増えてきて、私に勉強を教えてくれとせがむ女子が、試験のたびに増えていく。


やはり湯井彩絵果は織機に行きたいようで、3年になって彼女の成績はいくらか上がった。


最初の中間テストで、湯井彩絵果の名前は真ん中に近付いた。35位。私は相変わらずで、担任から東芽に行くよう遠回しに勧められた。でも、織機でないと意味がない。だって彼女がいない。


修学旅行の班決めで、案の定私の想い人は余った。他の班に取られては意味がないので、すぐに私の班で引き取った。どうせ、花枝達は私が彼女を仕方なく引き取ったと思っている。


最初に思ったことは、彼女の寝顔を見れる、だった。よくよく考えれば一緒に入浴する機会もあるわけで、想像して少し恥ずかしくなった。どこの思春期の男子だと、自分でも情けなくなった。


自主研修のコース決めは、花枝と沢野さわのが中心になって進んだ。方坂ほうさか米田まいだは楽しければどこでもいいと話し合いにはあまり参加せず、想い人にはそもそも発言権が与えられなかった。


楽しくなさそうな顔をしている。少し、不安になった。当日、彼女は来るだろうか。


初日の朝、待ち合わせは駅の広場だった。早くから来て待っていたけど、結局、時間になっても湯井彩絵果は来なかった。後から担任が、風邪を引いたと言っていた。


それが嘘であることくらい、分かっていた。


そして、私は覚悟を決めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


修学旅行が終わって、学校祭も落ち着くと、11月になっていた。生徒会の引き継ぎも終わって、私は割と身軽になった。進路の時期で、騒がしくなって来た。担任から、東芽でなくて良いのかと何度も聞かれた。親に関しては、好きにしろの一点張りだった。


冬服でもセーラー服は寒いから、カーディガンを羽織る生徒が増えた。もちろん、湯井彩絵果も。


朝、彼女が出て来る時間に合わせるようになってから、この3年、私の日課は彼女の寝癖を確認することになっていた。割と、軽率に寝癖のまま来ることが多くて、いつも櫛で直してあげたい衝動に駆られた。


今まで我慢して来たけれど、そろそろ終わりかもしれない。今日、私は決行する。


最近、放課後に校舎裏のベンチでぼーっとしていることが多いから、私は少し時間を置いて向かうことにした。いつも一緒に帰っている花枝達には、先生から呼び出されたと嘘をついた。


放課後、いつも歩いている廊下なのに、足取りが重い。


心臓がうるさくて、既に緊張している。無事に校舎裏までたどり着けるだろうか。


なるべく足音を消して、そろりと歩く。入学式の日を思い出した。


でも、今日は認識してもらわなければ。だから、声を出さなければ。


湯井彩絵果は空を見ていた。


荷物をベンチに置いて、それなりに流れの速い雲と、やや赤い空を、彼女は見ている。


随分と近付いても、やはり、気づかない。


息を思い切り吸って、吐いた。


今回は大丈夫、だって声の出し方を、私はちゃんと覚えているから。


「ずっと、前から好きでした…だからあの、付き合ってください!」


ゆっくりとこちらを向いたその顔には、拒絶の色は、なかった。




かなちゃんは、嘘つきです。性格も悪いです。でも、彩絵果ちゃんへの想いは、本物なんです。ストーキングしてますけど

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