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第5話 彼女の中の、わたしの顔

今日のお昼休みは、かなちゃんが呼び出された。


結局、今日もわたしはかなちゃんとお昼を食べられなかった。


わたしは教室にいるのが辛かったけど、ここで、かなちゃんを待とうと決めた。今、かなちゃんの味方になれるのは、たぶん、わたししかいない。だから、ちゃんとここにいる。


実際のところ、かなちゃんはわたしがいなくたって平気な子だと思うけど、待つと決めたのだから意地でも待ってやるのだ。突き刺さる視線もヒソヒソ話も、耐えてやる。


これは、かなちゃんのためじゃない。わたしのためだ。わたしが変わるために、勝手にやっていること。


味方だけど、でも、かなちゃんの変化に戸惑っているのはわたしも同じ。お花を振りまく、柔らかい春のような子だったのに、今は冬のように冷え冷えとしている。わたし以外、どうでもいいっていう拒絶を突き付けて。


春は緑の盛りの夏になり、葉が落ちる秋になって、そしてようやく冬になる。わたしに告白した日、かなちゃんは突如として冬になった。夏と秋をすっ飛ばして、凍てつく冷たさを持ってきた。


でも、わたしには春が来た。かなちゃんが、わたしには春のあたたかさを、これでもかというくらいくれるから。今まで色んな人に振りまいていたあたたかさを、わたしだけにくれるようになったから。


嬉しいけど、とても嬉しいけど、でも、違う気がする。だって、今までのことを、無かったことには、できない。


花枝さん達との今までを、無かったことにはできないって、かなちゃんは分かっているんだろうか。たとえかなちゃんの中で意味がなくなったとしても、相手もそうだとは限らないのに。


花枝さん達とは、1年生の頃はクラスが違って、去年から一緒のクラスになった。わたしは、花枝さん達と仲良くするかなちゃんのことをそれなりに見てきた。


花枝さん、あと、それから沢野さわのさんと方坂ほうさかさんに、米田まいださん。この4人と、かなちゃんはいつも仲良くしていた。気が強かったり、ちょっと口が悪かったり、良くも悪くも今時の女の子って感じの4人と、同調したり、時には4人を諌めたりして。


かなちゃん達のグループは、このクラスでも中心的な存在だった。だから、かなちゃんも修学旅行の班決めで、わたしを拾ってくれたのだと思っていた。グループの中心人物だから、クラスの中心人物だから、義務だとばかりに。


「ねえ、湯井さん」


突然、声がした。名前を呼ばれて、慌ててそちらを向いた。かなちゃん達とは別のグループにいる、竹下さんという女の子だった。


「え、な、何…?」


見下ろす視線に温度はなくて、わたし自身にはなんの関心もないことが、よく分かった。

強く、スカートの裾を握った。


「羽根田と何があったの?今のクラスの空気、分かるよね?」


「う、うん…」


改めて見ると、やっぱりぎこちない。わたしと竹下さんを注視する視線、視線、視線。みんな、戸惑っている。進路のことでデリケートになるときに、こんなことが起きたのだから当然の話なのだけど。


「なんで、突然羽根田とつるむようになったの?」


「そ、それは、その…」


告白されたからです、なんて、この場で言えるわけが無い。無理だ。


「湯井さんいつも一人だから、羽根田が気にかけるのは分かるけど、これ、そういうのじゃないでしょ?」


その通りだけど、だからと言って告白されて、ひとまずお友達からお願いしますって言った、なんて言えない。


どうしよう、なんて答えればいいんだろう。はくはくと動く唇に、音は乗らない。


「答えて。…まさかとは思うけど、本当に羽根田につきまとわれてるの?それなら、ちゃんと言ったほうが良いと思うけど」


「それは、違うよ…迷惑だなんて、思ってない」


「なら、なんで?」


「それは…」


「私からお願いしたの。友だちになって、って」


びっくり、した。


「かな、ちゃん」


竹下さんの顔に、動揺の色が見えた。やっぱり、かなちゃんは凄いんだな。みんな、この可愛くて綺麗な女の子には、顔色を変えるのだ。


「羽根田…ちょうどいい。あんたこれ、どういうつもりなの?」


「どういうって、何が?」


「決まってるでしょ、突然人が変わったみたいになって、…湯井さんとつるんで」


わたしって、本当にこの教室で、ヒエラルキーの最下層にいるんだなって、分かった。花枝さん達だけじゃない。みんな、わたしを見下している。


大事なのは、かなちゃんが変わったこと。わたしと一緒にいるようになったことは、実は、ついでなのだ。わたしと一緒にいるようになってから、かなちゃんが目に見える形で変わったから。


わたしのせいで、羽根田かなという女の子が変わったって思っている。花枝さん達も、竹下さんも、他の視線も。


湯井彩絵果という、誰からも見下されている女の子が、クラスの、そしてこの学校一の有名人で、人気者の羽根田かなを変えてしまった。


「彩絵果と仲良くしてるのは、私がそうしたいから。それ以上の理由がいる?」


「それは、」


千穂ちほ達とは話はつけたから。これでいい?」


そういえば、花枝さんの名前は、花枝千穂というのだった。名簿を見たとき、綺麗な名前だなって、思ったのを思い出した。


「なんで…」


「なんでって、何が?」


かなちゃんは、気づいているんだろうか。竹下さんがどうして、こんなことを聞くのか。


「なんで、湯井さんなの?今までそんな素振り、ちっとも見せなかったのに」


これは、竹下さんの嫉妬なのだ。可愛くて綺麗な女の子が選んだのが、みんなから見下されているわたしだから。自分が、選ばれなかったから。


「それ、あなたに言う必要あるの?それともなあに?私が誰かと仲良くするには、皆が納得するだけの理由がないといけないの?」


かなちゃんが誰と仲良くしたいかは、かなちゃんが決めること。そのことに、口出しする権利は、誰にもないのだ。わたしにも、もちろんない。


「それは、そうだけど…」


「なら、もういいでしょ?こんなことに時間潰す暇あるなら、勉強でもしたら?」


突き放すような声、なんの優しさもない。でもそれは、かなちゃんにとって、今のこの会話が、どうでもいいから。


それで、話は打ち切られた。丁度チャイムが鳴って、みんな慌てて前を向いた。


スマホが震えて、こっそり確認した。かなちゃんから、メッセージが来ていた。


『お昼、ごめんね』


それどころじゃ、ないのだ。結局わたしは、お昼ご飯に手をつけないまま、お昼休みを潰したけど、今はそれどころじゃ、ない。


かなちゃんにとっては、今の今までのことは、わたしとのお昼の前に霞んでしまうこと。それくらいわたしを大切に思ってくれることは、とても嬉しいけど、でも、だからこそ分からなくなった。


今までの時間の中で、かなちゃんが好きになっていったわたしを、わたしは知らない。一人歩きしたわたしがどんなふうなのか、わたしは知らない。


先を行き過ぎて、背中も見えないわたしの影を、これから、わたしは探していかなきゃいけない。


羽根田かなという、女の子の中に。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


今日はどうにか真面目に授業を受けて、ふたりで教室を出た。


かなちゃんが花枝さん達とどう話をつけたのかは知らないけど、花枝さん達はこちらを見もしなくなった。


きっと、とてもひどいことを言われたんだろう。でも、わたしはその言い方を咎めることはできても、かなちゃんの選んだことに口出しする権利はない。


下駄箱で手が離れたとき、ふと、かなちゃんの顔を見てみた。


じっと、わたしを見ている。わたしだけを。わたしの所作全てを見逃したくないみたいだった。


靴を履いて、すぐ、わたしの手はまた繋がれた。ちょっと冷たい、かなちゃんの手。細くて長くて、柔らかい。


校門を出て、かなちゃんはちょっと細い道に入った。表の通りを歩いたほうが早いのだけど、わたしを気遣ってくれたんだろう。


ちらと見たわたしに、かなちゃんはちゃんと気づいてくれる。それは、わたしのことをちゃんと見ているから。


「どうかした?」


「ねえ、かなちゃん…あのね、」


どきどきする。だって、こういうこと、言うのが初めてだから。


「うん?」


「今日、時間…ある?」


「あるけど、どうしたの?」


かなちゃんの顔は優しくて、昼休みとはまったくの別ものだった。同じひとに、思えないくらい。


「…聞きたいこと、たくさんあるから」


「じゃあ、私の家においで」


「え?」


実のところ、家に帰ってから、コミュニケーションツールでメッセージのやりとりをすることを想像していた。もちろん直接話したほうが良いのだけど、全然考えていなかった。


「ふたりきりのほうが、都合いいでしょ?」


「…うん」


「じゃあ、行こっか」


かなちゃんの声が少し、弾んでいる。嬉しいんだろう。


そういえば、かなちゃんの家って、見たことがない。どんなふうなんだろう。


こんなことすら、わたしは知らない。なんにも、知らない。


だから、知らなくちゃいけない。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


かなちゃんの家は、一度見たら絶対に忘れないお家だった。


どこにでもありそうな、箱のような家じゃなくて、そこだけ西洋の風が吹いているみたいな、品の良い3階建ての洋館だった。


すっごく大きいわけではなくて、でも、小さいか大きいかで言えば、大きい。この辺りはそこそこ土地代が高いらしくて、家のローンが大変だって母さんが言っていた。やっぱり、かなちゃんのお家はお金持ちなんだろう。


でも、てっきりかなちゃんは日本家屋に住んでいるイメージを勝手に持っていた。


かなちゃんには、洋服も似合うけど、着物のほうがずっと似合う。これはあくまでもわたしの中の勝手な想像であって、かなちゃんに押し付けるものじゃないけど。


「素敵な、お家だね」


「ありがとう、母さんの趣味なの」


「へえ…」


このままずっと見ていたい気もしたけど、声もなく引かれた手に従って、わたしは中へと入っていった。


お友だちの家に、お呼ばれされた。今度は、わたしがかなちゃんを家に呼べたら良いのだけど。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


かなちゃんの部屋は3階の階段をのぼって突き当たりにあった。わたしの部屋より広くて、綺麗だった。


きょろきょろと行儀悪く部屋の中を見回して、わたしはびっくりした。だって、二人掛けのソファが置いてある。自分の部屋にソファがあるって、すごい。


「ソファが、ある…」


「え、ああ、うん」


お金持ちのお家は、凄いなって思った。わたしの部屋なんて、机とタンスとベッドできちきちなのに。


「飲み物持ってくるから、座ってて。紅茶とコーヒー、どっちがいい?」


「じゃあ、コーヒーで。あ、ミルクと砂糖はいらない」


「分かった」


かなちゃんが部屋を出ていって、ひとりになった。壁に掛かっている時計は4時をさしている。いつもなら、家に帰っている時間。


ソファにおずおずと座った。思ったより硬めのクッションで、姿勢が自然と良くなりそうだった。


テーブルの前に置かれたローテーブルには、砂糖菓子の入ったガラスの入れ物が置かれている。テーブルクロスは白のレースで、ちょっと別世界に来た気分になった。


テーブルの先にはタンスとクロゼットが置かれていて、わたしから見て左の端に、ベッドがある。大きくて、寝相が悪くても落ちる心配のない広さだ。


良いな、羨ましいな、とは思うけど、ここに今日から住んでくださいと言われたら、落ち着かなくて無理だと言うだろう。わたしには自分の部屋の、あの狭さが丁度いいから。


やることがなくて、ふと、指で数えてみた。


出会って、ちょっとごたごたして、きょう。まだ、3日しか経っていない。でも、もう、わたしは友だちの家にあがって、これからたくさんのことを聞く。


世間一般の、普通のお友だちと同じように、やっていく必要はないと思う。でも、色々と順序がバラバラになっていて、なんだか変な気分になる。


好きだと言われてから、わたしはかなちゃんが冬生まれで、お兄さんがいて、わたしと同じ作家が好きだって知った。もし、あの時首を縦に振って、わたしとかなちゃんがそういう関係になっていたら、わたしはそのことを、いつ知ったんだろう。


多分、わたしもかなちゃんのことがどうしようもなく好きなら、こんなことを知らなくたって良いんだろう。知りたくなる気持ちは絶対にあるだろうけど、知らなくたって、別にいいのだ。


わたしが、こんなにもかなちゃんのことを知ろうとしているのは、かなちゃんのことを、クラスメイトとしか思っていなかったから。恋い焦がれていたわけじゃないからなのだ。


かなちゃんと仲良くなれて、もちろん嬉しい。でも、それはわたしと仲良くしてくれるからで、別に、かなちゃんだから、というわけではないのだ。かなちゃん以外の別のひとだったとしても、わたしは同じように嬉しかっただろう。


わたしの中には、かなちゃんしかいない。でも、かなちゃんじゃないとだめな理由は、まだ、存在しない。


かなちゃんの中には、わたしがいる。わたしじゃないとだめな理由が、存在するはずだ。


昨日今日の関係ではあっても、それ以前から、かなちゃんはわたしを見ていて、わたしを知っている。かなちゃんの中にいるわたしを、わたしはこれから知っていく。


全て知ったとき、わたしはかなちゃんのことをもっと好きになるだろうか。それとも、嫌いになるんだろうか。わたしの感情の行方は、今はまだわからない。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


コーヒーカップを2客、お盆にのせてかなちゃんは戻ってきた。ソファの前のテーブルに置かれたカップは、繊細で、触れたら壊れてしまいそうだった。


「彩絵果の好みに合うといいけど」


かなちゃんはわたしの隣に座って、コーヒーに手をつけた。わたしもならって、ひとくち含んだ。


「おいしい」


「それは良かった。彩絵果は、ブラック平気なんだね」


わたしの家は、みんなコーヒー党なのだ。だから、わたしも自然とコーヒーが飲めるようになった。親はよくカフェオレを飲むけど、わたしは飲めない。


「うん、というか、ブラックしか飲めないの。ミルクとか入れると、お腹こわしちゃうから」


おそるおそる、カップをテーブルに戻す。かちゃん、とか細い音を一つ立てるだけで、気後れしてしまう自分がいる。


「牛乳、ダメな子だもんね」


「なんで知ってるの?」


かなちゃんはにこ、と笑うだけで、何も言わなかった。


「それで、聞きたいことってなあに?」


分かっているくせに。なんて言えやしない。


「…かなちゃんのこと、なんにも知らないから」


「だから、教えてほしいの?」


「うん」


ほんとは、分かっている。


かなちゃんの全てを知ることが、好きになるってことではないことを。


でも、知らずにはいられない。だって知らないままなのは、怖いから。


あ、と声が出そうになった。


かなちゃんが、わたしの手を、握っている。


「知らない人から、好きって言われるのが怖い?」


「…怖いとは、思ってないよ。ただ、わからないから。かなちゃんに好かれている理由が」


隣に座っているかなちゃんの、顔はよく見えない。さらさらした黒髪が遮っている。


「言わなかった?かわいいからって」


「かわいいと、全部、欲しくなるの?」


「…ねえ、彩絵果。彩絵果は、突然好きだって言われたから、戸惑ってるんでしょ?」


「う、うん…」


「私が、どうして彩絵果を好きになったのか。どうして今になって、告白したのか。全部話すから、ちゃんと聞いて」


一人歩きしたわたしを、これからわたしは追いかける。かなちゃんの中にいるわたしの顔を、見にいく。


「…うん」


強く握られた手が、夢じゃないって、教えてくれた。


わたしは、夢なんか見ていない。これから聞くことは、全部、現実のこと。


目を閉じて、かなちゃんの声に、耳を傾けた。

次の話でようやく、かなちゃんのどうしてが明らかになる、予定です。


閲覧、ありがとうございます。

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