第12話 彼女の願いが叶うころ
ちみっと短いです。
現実との季節のギャップは、目をつむってください。
どうしようって考えたのは、随分後だった。
とっちらかった心の中をかえりみないで、わたしはただただがむしゃらに勉強した。かなちゃんと一緒に、ずっとずっと突き進んだ。
バタバタと、ふたりで、冬を駆け抜けた。
何でこれほど意固地になっているんだろうって、考える頃には、冬は終わっていた。
ふと、我に返って振り返って、今更取りこぼしたものを悔やんだりして。馬鹿みたい。
わたしがしがみついていたものは、とっくに意味を失っていて、ただの空の箱と何も変わらない。なのに、それをずっと抱えていた。
もう、春が来る。
かなちゃんがわたしを見つけた季節がやって来る。
わたしは桜の精でも、華奢で儚い女の子でもなんでもなく、ただの醜い人間になった。
変わりたかったわたしは、こんな顔じゃないって、知っている。
でも、もう戻れない。
わたしは、かなちゃんと仲良くなる前のわたしには、戻れない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
かなちゃんから前の日にメッセージが来て、わたしは初めて日付が変わってすぐに家を出た。
年が明けて、受験の時が近づいて来た。
家の近所の鳥居の先にはたくさんの合格祈願の絵馬が飾られているんだろう。努力も最後は運任せだから、わたしも書くべきだろうか。
いつもの坂のすぐ下には、いつもと違う装いのかなちゃんが立っている。よそ行きのお着物、でも年の割りに落ち着いた色。長い髪は結い上げて、髪飾りがしゃらしゃら揺れている。
綺麗だって、素直に思った。思わず、坂道を下りずにじっと見つめてしまうくらい。
はっとして、慌てて下りた。かなちゃんはわたしがなかなか下りて来なかったから不思議に思っているみたい。
「どうかしたの?」
「んー、なんでもないよ」
見惚れていたなんて、言ってあげない。その代わり、手を差し出す。
「行こっか」
「うん」
着物は大股で歩けないから、いつもより少しゆっくり歩く。繋いだ手の先、ひらひら揺れる薄紫の袖。白い椿と薄青の紫陽花は見つけた。あと、他にもいくつか花があしらわれている。
かなちゃんは背が高いから、この着物はきっと仕立ててもらったんだろう。かなちゃんの背丈にぴったりで、お端折りも短過ぎない。
綺麗なひとと、わたしは歩いている。わたしは野暮ったい、垢抜けないコートを着ているのに、隣の女の子は日本人形みたい。なんてちぐはぐなんだろう。
でも、もう、惨めだとは思わない。かなちゃんが可愛くてしかも綺麗なのは揺るぎない事実なんだから、これ以上気にしたって仕方ないのだ。
わたしは、どう頑張ってもわたし以外の何かにはなれない。だったら、もっと楽しいことを考えたい。
「春が来たら、お花見に行こうよ」
「あんまり、桜好きじゃないって言ってなかった?」
「桜は好きじゃないよ」
「なら、なんで?」
桜の中に立つかなちゃんを見たい。だって、絶対絵になる。
でも、言ってあげない。
「…内緒」
最近、内緒とか、なんでもないって、言うことが増えた。
その度かなちゃんが首を傾げるのもお約束になった。
やっぱり、今回もかなちゃんは追及してこない。
「変なの」
そして、またたわいのない話題が流れていく。気安く笑えるようになって、わたしたちはお友だちらしくなれただろうか。
夜、こんな時間に出歩ける日は限られている。
特別な時間に、わたしとかなちゃんは特別なことをしている。
行く先は人の大洪水が起きている丹塗りの鳥居の先。去年までは明るくなってからお参りしていた場所に、今年はこんな時間に、わたしは行く。
かなちゃんがわたしに告白しなかったら、わたしはかなちゃんの綺麗な着物姿を見ることはなかった。
今のわたしを取り囲むことがらすべて、きっかけはかなちゃんの告白なのだ。
薄い手の先、わたしの話に耳を傾ける静かな顔。
薄化粧でじゅうぶんに映える、わたしのことが好きなわたしのお友だち。
ねえ、かなちゃん。
わたし、変なの。
あなたと出会ってから、ずっと、変なの。
でも、言わない。
だって、言ったら、
「どうかした?」
「ううん、寒くない?」
わたしを見る、かなちゃんの顔は柔らかい。
「平気。だって彩絵果と一緒だから」
「…そっか」
だって言ったら、わたしが陥落したって、言っているみたいだもの。
だから、言わない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二礼二拍手、一礼。
かなちゃんが滑らかにやってみせたものだから、わたしもそれにならった。お賽銭は5円じゃなくて奮発して100円、と思ったけどさらに奮発して500円玉にした。
長いこと目を閉じているものだから、つい見つめてしまった。でも、わたしの方に目をやったりしない。ほんとうに真剣に何かをお願いしているみたい。何をお願いしたのかは気になるけど、聞かない。
静かにまた一礼して、ようやくかなちゃんはわたしを見た。
「後ろ詰まってるし、行こうか」
今度はかなちゃんがわたしの手を引いて歩き出す。大洪水の中を歩くのは大変で、わたしの手を握るその力は強い。
人の波の中からすぐに甘い匂いが漂って来て、きょろりと見回すと少し先に屋台があった。
無料で何かを配っている。ピンと来て、ちょっと、食指が動く。
「甘酒、配ってるって」
「彩絵果、好きなの?」
「こういう時は、飲みたいかな」
家で甘酒なんて出ないし。もちろんひな祭りの雛人形だって何年も出していない。桜餅だっておつとめ品の少しかたくなったのを食べるくらい。
「…そう」
「あ、もしかして、甘酒嫌い?」
甘酒は好き嫌いがわかれるものの部類。家で甘酒が出ないのは、両親共に嫌いだから。親の嫌いなものは、基本家では出ない。
でもかなちゃんの反応はそれとは違って、戸惑っているようだった。
「…飲んだこと、ない」
確かに、飲まなくても困るものじゃない。飲んだことがない人がいても珍しくはないだろう。
そして、とても勧めづらいものでもある。だって、好みがわかれるものだから。
「無料だし、試しに…飲んでみない?」
何事も挑戦、ということにして、かなちゃんを連れて列に並んでみる。
しっかり手を繋いでいるからはぐれることはない。こういうところで手を繋いでいると、ちいちゃい頃に親とお祭りに来た時のことを思い出す。
そして、人が多いから予想されていたことが起きる。
「…かなちゃんはすごいね」
「何が?」
本人は気づいていない。もう気にするだけ無駄だと思っているのかもしれない。
「かなちゃんのこと、みんな見てる」
そう言うと、かなちゃんは襟元や後ろの帯をちらちらと見出した。
「え、着崩れしてる?」
自分で帯も全て締めたって言っていたから、不安になるのは分かる。わたしの場合、自力で着ると浴衣ですら背中心がずれる。
でも、かなちゃんは専門の人に着付けてもらったんじゃないかってくらい形が綺麗。着姿だってとても様になっているし、歩き姿も上品だし。
「してないよ。かなちゃんが、べっぴんさんだから」
笑いばなしの気安いもののつもりだったのに、かなちゃんは真剣な顔をしている。
静かに、でも喧騒の中でもわたしに真っ直ぐ届く声で、かなちゃんは言った。
「彩絵果は?」
「何が?」
「私の着物見て、どう思った?」
嫌なわたしが、顔を出す。
かなちゃんの関心ごとのすべてが、わたしにまつわるものだってことに安心している。
かなちゃんの視線の先には、わたしがいる。
いいえ、わたしだけ。
その事実に、ひどく、わたしは安心している。でも、それを顔に出したら負け。だから、
「似合ってるよ、凄く」
気安く笑って、そんなことを言う。
「ありがとう」
よそ行きの着物、よそ行きの笑顔。
取り繕った笑顔が言っている。
ほんとうに、それだけ?って。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
かなちゃんは甘酒を飲み切った。でも飲み終わった後、不思議な顔をしていた。
感想を聞いたら、よくわからないと首を傾げられた。かなちゃんがよくわからないのなら、わたしはもっとわからない。
帰り道、かなちゃんと来年は一緒に初日の出を見ようって約束した。わたしは、わたしが無事に同じ高校に行けたら、と条件をつけたけど。
三が日が終わったら、学校だってすぐに始まる。あとわずかで受験。やっぱり奉納された絵馬の多くが受験生の合格祈願だった。東芽という単語は、結構あった。
結局絵馬は書かなかった。でも、その分ちゃんとお願いした。
お願いごとは、約束ごと。ちゃんと果たしてみせますっていう決意表明でもある。要は神様相手に啖呵を切るようなもの。だから、成し遂げないと後がちょっと怖い。
「かなちゃん、長かったね」
「ああ、そうかもね」
「ちょっと、意外だった」
かなちゃんはあまり神頼みのたぐいをするひとではないと、勝手に思っていたから。いざ蓋を開けてみればきっちり着物姿で作法に則りお参りしている。随分と敬虔な態度だ。
「意外?」
「かなちゃんに、そんなにたくさん願いごとがあるのが」
わたしは欲張り過ぎないように、かなちゃんと同じ高校にちゃんと行けるようにってお願いした。その後のことは、その時になってから考えればいいし。
でも、かなちゃんも別にそんな、欲張りってわけではないみたい。
「…今回は流れ星方式を採用したの」
「流れ星方式?」
きらきら光る、あれ。
流星群は一度だけ見たことがある。しし座流星群だった気がする。
「流れ星を見て、3回願いごとを言えたら願いが叶うっておまじないあるでしょ?」
「あるね、そういえば」
かなちゃんの口からそんな可愛らしいものが出て来てちょっと、面食らうけど。
かなちゃんをちゃんと知る前なら全然、驚かないんだろうけど、今聞くと凄くギャップを感じてしまう。
「流れ星の時はひとつの願いごとを叶えられるようにってお願いするから、今回はひとつだけ。ひとつのことがらが、叶うように願ってた」
「…その、ひとつだけなの?」
「着物をわざわざ着たのもそうだけど…真剣なの」
でもかなちゃんは、自分でどうにかするひと。それでも足りないと思ったから、ここまでしたのだろう。
「…そう」
かなちゃんがきっちり着物を着て、髪を結い上げて、強く願うことがら。
初詣帰りの人の流れに乗って、ぼんやり考えた。
繋がれた手の先、目を少し伏せた、淑やかな女の子の真剣なお願い事が成就する時、わたしは何をしているだろうか。
「叶うといいね」
星は見えない。
自分の白い吐息の先、春のわたしの後ろ姿を見た。
その時わたしは、どんな顔をしているのだろう。
ふたりで、手を繋いで桜を見ているだろうか。きゃらきゃらと笑っているだろうか。
10年先の未来よりも、数ヶ月先の未来が、怖くなった。同じ制服を着ているだろうか。
「ねえ、かなちゃん」
「なあに?」
「わたしね、手を繋ぐの、好きなの」
「知ってる」
「かなちゃんと、手を繋ぐのが好きなの。だから」
だから、わたしは願わずにいられない。
「これからも、ずっと、手を繋げたら…いいな」
手を繋ぐことが当たり前になった。なんの躊躇いもなくなった。
こんな、非日常のようなことがらが、気づけば日常になった。
これからも、そうであって欲しい。ちょっと歩きづらくて、でも、離したくないこの手を、春が来ても夏になっても、ずっと、握っていたい。
「…そうだね」
おままごとが許される年頃はとっくに過ぎた。でも、わたしは、子ども染みたこのことがらを、手放したいとはちっとも思わない。
始まったことがらは、いつか終わる。でも、その日が1日でも長くなればいい。
お友だちの、ちょっと複雑な顔に、気づかないふりをして、わたしはちょっとだけ、手の力を強めた。
ひとりで着物を着れる中学生って地味にスペック高いと勝手に思っています。
閲覧、ありがとうございます。