第11話 わたし、私、あたし、
「あなたたちのそれ、お友だちとは言わないと思うんだけど?」
「あなたに、言われる筋合いはないでしょ?」
他人様は関係ない。だって、これはわたしたちのこと。わたしたちが決めることだから。
「でも、それはお友だちじゃない。だってそれは、」
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わたしとかなちゃんは特別な『お友だち』。世間様からは、なんと言われるか分からない間柄。でも、友だちの定義なんてそれぞれで、わたしたちにはわたしたちの線引きやルールがある。
かなちゃんは、わたしのことが好き。それは、友だちへの好きじゃない。わたしを、ひとりの恋愛対象として見ている。
わたしは、そのことを知っていて、その上でかなちゃんと友だちでいる。わたしはかなちゃんのことが好き。それは、友だちへの好き。かなちゃんを、大切な友だちとして見ている。
わたしたちのそんな関係、『お友だち』。わたしがかなちゃんの特別で、かなちゃんはわたしの特別。ちょっと、変な感情が混ざっている、わたしたちのための言葉。
これからふたりの間に何が起きても、理由はひとつだけ。
だって、『お友だち』だから。
あの昼休みの件以来、かなちゃんの視線は、鋭くなった。
わたしは今まで通りかなちゃんと一緒にいて、色んなことを話して、笑って。何も変わらない。
でも、かなちゃんはわたしに疑いの目を持っている。わたしが、かなちゃんに隠れてほずみやさんと話しているんじゃないか、連絡を取り合っているんじゃないかって。
馬鹿みたいって思うけど、かなちゃんの不安を取り払うには、かなちゃんを見ているしかない。ずっとかなちゃんと一緒にいて、話して、触れていればかなちゃんは疑う必要がない。だから、そうするしかない。
かなちゃんの手の上にいた時より、今の方がかなちゃんが可愛く見える。揺らぐ瞳、ゆがむ口、余裕のない顔。綺麗なかんばせを、わたしが作り変えていく。
知っている。
かなちゃんの中にいるのはわたしだけだって、わたしは知っている。
でも、かなちゃんだって、わたしの中にいるのがかなちゃんだけだってこと、とっくに知っている。
かなちゃんは嘘をつくことはあっても、絶対にわたしを裏切らない。わたしも、かなちゃんにぜんぶは話さないけど、裏切ることはしない。
だって、『お友だち』なんだもの!
かなちゃんを好きになればなるほど、わたしは意地の悪い女の子になっていく。
湯井彩絵果は、羽根田かなという女の子によって、今まで知ることもなかった自分の、醜くて汚れた部分をたくさんたくさん知っていく。
そして、そんな自分を否定しないで、もっと深みにはまろうとしている。
ねえ、かなちゃん。
こんなわたしなのだけど、それでもかなちゃんは、わたしが好き?
わたしの、全部が欲しい?
もちろん、聞いたりなんて、しないけど。
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「お友だちの定義って、確かに人それぞれだけど、でも、ちょっと違うんじゃない?」
「どうして」
そうやって、大多数の正義を振りかざして、この人は何が面白いんだろう。
「だって、お友だちって、互いを尊重するものでしょ?縛り合う関係じゃあ、ない」
縛り合ったら、友だちじゃないの?そんな取り決め、わたしは知らない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
期末テストが終わる頃には、世間はクリスマスで賑わっていた。
これでクリスマス商戦が終わると次は年末商戦。世の中は目まぐるしい。
夏と違って短い冬休みが近づいて来た。クリスマスも。でも、わたしたちは受験生だから、そんな暇はない。塾の集中講義とか、そういうので皆わたわたしている。
でも、わたしとかなちゃんはそんなに変わらない。今回の試験、わたしはかなちゃん先生のおかげで随分成績を上げた。残念ながら、かなちゃんの隣には並べなかったけど。
今日貼り出された上位50人の紙の中に、わたしとかなちゃんの名前はちゃんとあった。かなちゃんは今回、2番だった。わたしは、10番目。過去最高記録を更新できた、やったね。
「次は、ヒトケタいけそうだね?」
「が、がんばる」
名前を右から左へ眺めていて、わたしの視線はあるところで止まった。
わたしは今まで、紙の右端にいるかなちゃんの名前ばかり見ていたけど、今回、気になる名前を見つけてしまった。
「ろくがつ、ついたちの宮?」
22番目の名前、六月一日宮。知っているような気がする。
「ああ、C組の。いつもその辺りにいるけど」
かなちゃんの言うとおり、名前の上には3年C組とあった。
「…」
この人だ。
前に図書室でわたしに話しかけて来たひと。思い出した。ほずみやは、六月一日宮だ。
スポーツができて、勉強もできて。その上名前だけで話題ができる。なんとまあ、妬ましい。
わたしの動揺をかなちゃんは見逃さなくて、すぐに気付いた。
「この人?ほずみやって」
「…うん」
ほずみやさんは、名前を六月一日宮心というらしい。
すると、噂をすればなんとやら。
「やあ、湯井さん」
空耳にしては明瞭に耳朶に響いた。声のした方を向けば、いつぞやの女の子。
「…どうも」
かなちゃんの手を握る力が強くなって、わたしはギクリとした。かなちゃんは、六月一日宮さんを見ない。
「湯井さん、凄いね。もしかして東芽目指してるの?」
こちらのことをお構いなしに、六月一日宮さんは話しかけてくる。お隣さんの嫉妬に火がついた予感。
「東芽には、行かないけど…」
「ええ?じゃあ、どこ行くの?」
東芽は遠い。それに、数学、もっと頑張らないと無理だ。
「…織機」
六月一日宮さんは、にっかり笑って油を撒き散らしてくれた。こちらの気も知らないで。
「へえ!奇遇だね、あたしも織機行こうって思ってたんだよね」
そろりと、隣を見た。かなちゃんの顔は、能面のようにぺったりしていた。ああ、凄く怒っていらっしゃる。
「じゃあ、これで」
この場を離れるべく、わたしは踵を返す。教室に戻らないと、お隣様の機嫌がもっと悪化する。
「またね、湯井さん」
「…」
なんで、今になって。
秋は終わった、今は冬。わたしはかなちゃんに告白されて、友だちになって、『お友だち』になった。もう、誰かが入り込む隙間なんてない。
六月一日宮さんには、そんなに興味はない。嘘じゃない。これは、ほんとう。向こうだって、面白がってるだけに決まっている。
だから、かなちゃん、ねえ、かなちゃん。
そんなに強く手を握らないで。わたし、かなちゃんの手を、離したりしないから。
それともなあに?わたしは、信用できない?
ねえ、かなちゃん。
わたしのこと、ちゃんと、見てくれている?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あなたには関係ないことじゃない?」
「そうやって意地を張って、何と戦ってるの?世間体?」
「それこそ、あなたには関係ない」
「でも、世間様は認めてくれないよ。あなたたちは、お友だちじゃないもの」
そんなこと、とっくに知っている。わたしも、かなちゃんも。でも、それじゃあ相手は納得しないみたい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の帰り、かなちゃんの部屋で、かなちゃんは言った。
「数学、もっと頑張れば行けるよね?」
ふたりでソファに座って、かなちゃんはわたしの手を強く握っている。冷たい。
「…そうだね」
もう、どこに、なんて聞かない。
分かり切っている。どこへ行くのかなんて。現実的な問題は、成績がどうこうより朝、わたしが早起きできるかだ。
「でも、同じだったとしても…同じクラスになるとは限らないんじゃ」
「私が気に食わない」
「かなちゃん…」
「あの、六月一日宮ってひと、彩絵果にしか興味ないみたいだし?」
要するに、同族嫌悪というやつみたい。確かに、六月一日宮さんはかなちゃんのこと、全然見ていなかった。図書室の時も。
六月一日宮さんは、わたしに興味がある。羽根田かなでなく、その隣のわたしに。
でも、どちらにしたって、六月一日宮さんはわたしがかなちゃんと仲良くならない限り、わたしのことを知らなかっただろうし、興味だって持たなかっただろう。だから、かなちゃんより先に六月一日宮さんと知り合うことは無いのだ。わたしが、図書室の常連ではなかったんだから。
「でもね、かなちゃん」
冷たいかなちゃんの手に、空いた手を重ねる。わたしの両の手に包まれたら、きっとすぐにぬるくなる。
かなちゃんを見た。きっと、こういうことをずっとおそれていたんだろう。だから、今、不安になっている。
澄ましていない、取り繕っていない顔。ちょっと青くて、泣きそうで。わたしの好きな、かなちゃんの顔。
「あの人は、かなちゃんという付加価値がなければ、わたしに気付かなかったんだよ。ずっと、わたしを見ていたのはかなちゃんだけ」
まあ、確かにその見方はちょっとあれだったかもしれないけど。
ほんとうの意味で、わたしをずっと見ていたのはかなちゃんだけなのだ。わたしより、わたしのことを考えていたのは、少なくとも、かなちゃんしかいない。
だって、かなちゃんは入学式のその日から、ずっとわたしを見ていたのだ。3年もの間、わたしに気付かれないように、ずっと。
確かに六月一日宮さんとは気が合うのかもしれない。かなちゃんとよりも、本の話題で盛り上がるのかもしれない。
でも、もう冬なのだ。秋は終わってしまった。春は二度も来ない。かなちゃんが連れて来たから、それきり。
だから、
「だからね、かなちゃん。そんなに不安にならないで。わたしを、信じて?」
「…うん」
かなちゃんの揺れる瞳に、わたしが映っている。可愛い。
わたしにとって、ただひとりのお友だち。かなちゃんが欲しいものは、その先にあるけど、今は考えない。受験生だし、ね。
メッキが剥がれていったら、羽根田かなという女の子はどうなるんだろう。
こんなに弱々しい女の子、きっともっと奥に、すごく柔らかくて、大事に隠している場所がある。
わたしは、それが知りたい。
羽根田かなの、本人さえ気づいていないような場所に、わたしの色を少しずつ入れていきたい。
つまり、わたしはかなちゃんが欲しいのだ。
でも、まだ、そんな喜ばせるようなこと、言ってあげない。
だって、わたしとかなちゃんはただの、にこにこ笑い合うだけの、お友だちだから。
そうでしょ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「奇遇だね、こんなところで出くわすなんて」
「…どうも」
相手はわたしの考えていることを、先回りしてさらっていく。
「あたしは羽根田かなみたいに、ストーキングはしてないよ。趣味じゃない」
「…」
ほんとうに、偶然。そんな奇跡みたいな偶然、別に欲しくない。
「なんで、許容出来るの?普通なら、気持ち悪いって思わない?」
「あなたには、関係ない」
「純粋に興味があるんだよね。どうして、湯井さんはそんな羽根田かなを受け入れたのか」
あなたの関心ごとの正体を、わたしはもう知っている。でも、
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
冬休み直前になって、かなちゃんもわたしも、進路変更することになった。先生は、かなちゃんはともかく、わたしに関してはちょっと渋い顔をした。
今回のテストの点数なら確かに無理じゃないけど、本番でこれくらいの点が取れる保証はない。ぎりぎり枠線に足を突っ込んだようなものなのだ。
それでも、わたしはひかなかった。猛勉強すれば、まあ、なんとかなると思う。思いたい。
わたしだって、織機に行きたいのを諦めて、その上に行くことを決めたのだから、それなりの覚悟くらいしている。今年の冬休みはずっと数学と仲良しこよしだ。
職員室から戻る途中、わたしは隣を歩くかなちゃんに言った。ある意味決意発表。
「というわけで、かなちゃん、国語なら教えられるから、数学お願いね」
「うん」
あらあら、嬉しそうな顔しちゃってまあ。やっぱり、わたしはこの取り繕っていない笑顔が好き。年相応のかなちゃんの方が、ずっとずっと可愛い。
冬が終わる前に、わたしはこのメッキを全て剥がせているだろうか。まあ、かなちゃんのメッキを剥がす前に、わたしの嫌なところが全部露呈する気がするけど。
でも、もういい。
かなちゃんと仲良くなったばかりの11月は、こんな自分が嫌で、変わりたくて仕方なかった。でも今は、12月のわたしは、ちょっと違う。
この1ヶ月で気がついた。
変わりたいという願望は、気づけばなりを潜めていた。その代わり、かなちゃんをもっと知りたいっていう願望が、わたしを埋めるようになった。
それから、わたしは自分でも知らないような、無意識のうちに隠していたわたしを、たくさん知った。
でも、そんなわたしをそれでも良いやと受け止めて、開き直れば直るほど、わたしは自分でも驚くくらい変わって行った。
かなちゃんに嫌われたくなかったわたしは、今やかなちゃんのずっと奥に向けて、手を伸ばしている。
変わりたかったわたしは、きっとこんな顔をしていないんだろう。でも、いい。これでいい。
今のわたしは、かなちゃんに手を差し伸べられるのを待っているだけの、臆病な子じゃない。自分から、手を差し伸べられる。
気づけば、わたしはとっくに自分を殺して殺して、脱皮を繰り返していた。
「行こう?」
わたしが差し伸べた手を、かなちゃんは拒まない。
「うん」
わたしたちは、お友だち。にこにこ笑い合う、お友だち。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「だってそれは、ただの依存だよ」
依存。
わたしたちは共依存しているのかもしれない。否定の言葉は、出てこない。
でも、なら逆に聞くけれど、
「それの、何が悪いの?」
だって、わたしたちは『お友だち』だもの。
拘泥するようになると、ちょっと目も当てられないですね。
六月一日宮さんは、こういうポジションです。