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彼女が決めた大切なもの 後編

 数日後、表向きには、化け物は始末された。

 その裏で、少女は『精霊の祝福を受けた者を狙った賊によって幼少時に誘拐され、十数年ぶりに保護された大貴族の娘』という人物になった――恐るべきことに、おおよそ“お上品”とは掛け離れていそうなこの男は、上流階級の出であった。当然ながら異端児として扱われていたが、同じく変わり種の貴族には割と顔が広かった。少女の“親”となったのは、その縁で繋がった者である――。

 賊の目を盗み逃げ出したものの、帰る場所がわからず、長く町で独りきりで生きてきた、憐れな少女。いきなり貴族の生活には戻れない、できればこれまでと近い形で暮らしたい、という少女の希望を聞き入れた彼女の親は、彼女を保護した騎士の元に置くことにした。



 当然、嘘だ。

 表も裏も、何もかもが。ひとつたりとも、真実ではない。


 その嘘を、たとえ他人から指摘され、罵られ、糾弾されようとも、一生涯突き通す覚悟を決めた。




《――くるよ。くるよ!》




 相変わらず、声が頭に響いている。


「ソフィア!」


 与えられた名を呼ばれ、振り向いた。嘘を突き通すと決めた瞬間から、迷いなく振り向くようにしている。

 ソフィア――叡智の意味を持つその名を、果たして自分のものだと認めて良いのか、未だに胸の内では決めかねていても。



 それでも。



「書類の整理なら、手伝いませんから。もう少し努力してください。私がいなくなったらどうするんですか」

「ん? いなくならないだろう? ソフィアは俺の左腕だからな」

 当然のように口にして、からから笑うドナートに、ソフィアは表情を緩めた。仕方のない人だ、と思う。

「それを言うなら、右腕です」

「いーや、右腕は俺のもんだ。剣が握れなくなるからな!」

 呆れた。どういう理屈だ。しかし、彼から右腕を奪うなど、無理であることも事実。騎士団において、剣で彼の右に出る者はいない。その右腕を、さすがにソフィアだって奪えるとは思っていない。

 『あれは化け物だ』と冗談二割、本気八割で言われることもしばしばだ。かつて自分を指し示していた呼称を耳にしながら、ソフィアは、どうやら自分は化け物としても半人前だったようだ、と思う。真の化け物というのは、きっとドナートのことを言うのだろうから。


「つまりな、お前さんは左腕だ。右腕が俺で、左腕がソフィアなら、俺は負け無しだな。ついでに書類も書いてくれ」

「左腕ではペンが持てませんので」

 素気無(すげな)く返して歩き始めると、その隣に大股で歩くドナートが並ぶ。歩幅は、ソフィアの何倍か。悠々とついてくる。


「落とすわけにはいかないものなんだ。推薦状でな?」

「推薦?」


 これまで彼の口から出ることのなかった単語に、片眉を持ち上げた。ドナート以上に実力のある者がいない状態だというのに、未だに小さな町にある小さな騎士団の隊長止まりでいる彼が? 肩書きを嫌い、王都から離れ、自ら出世を遠退かせて、てこでも動かんと言っていた彼が、いったい誰を、何に推薦すると言うのか。

「ご自身の推薦ですか? とうとう王都にでも渡るので?」

「がはは、自分の“推薦”はもう済んだわ!」

 高らかに笑う声に、は、と息が漏れた。思わず彼の顔を見やる。


「南部国境警備騎士団の、団長に着任することになった」

「……左遷ですか」


 果たして、どの行動が問題になったのだろう。全てな気がしないでもない。何かやらかす度に報告書でそれっぽいことを書いて誤魔化していたが、とうとう何か掴まれたか。

 地図を頭に浮かべ、明らかに王都から離れた土地の位置を確認する。そういえば、近々あそこの団長は勇退するのであったか。

「立候補だと言ってるだろう。王都は息が詰まるからな」

 言い張る彼を半眼で見つめた。完全に出世コースから外れているが、彼としては別段気にすることでもないのだろう。むしろ清々した顔だ。


 となると、先程の推薦状というのは。


「ついては、ソフィア=グッドウィンを副団長に推薦しようと思っているんだが、俺は文章を書くのが苦手だ。任せた」

「……私が先日、ようやく騎士登録されたことを、もうお忘れで?」

「はて、そうだったか?」


 とぼけているのか、それとも本気で忘れているのか。いささか、判断に困る。

 しばしこめかみを押さえ、とはいえここで粘ったところで彼が引かないこともわかっていた。「早急に仕上げます」と返事をする。

 一仕事やり終えた顔をして影無く笑ったドナートが、ふと懐に手をやり、「おお、忘れるところだった」と何やらごついものを取り出した。


「ほれ」

 大きな手が、ソフィアの首にソレをかけた。肩にそれまで無かった重みが加わる。なんだこれ、と持ち上げる。どうやら分厚いゴーグルのようだ。しげしげと見つめる。レンズには色がついているが、ソフィアの視界はそもそもそういった障害物は無効化されるので、支障は無い。――いや、問題はそういうことではなく。


「南部の国境は、砂がひどいらしい。お前さん、目が大きいから保護しておいた方が良いぞ」

「気が早いのでは」

 まだ行けるとも決まっていないのに。そもそも、ソフィアは今、話を聞いたというのに。いったい、いつ用意したのだろうか。勇み足にも程がある。

「でもどのみち必要になるだろう?」

 彼の中では、それは決定事項であるらしい。

「もし私が行かないと言ったらどうするおつもりなんですか」

「困る」端的な返答の後に、彼は続けた。「お前さんがいないと、おもしろさが半減するだろ」


 ――せっかくこれから、自由に暴れ回れる場所を作って行こうというのに。

 なんでもないことのように続けられた言葉に、呆れた。この男、外れの土地であることを良いことに、騎士団を私物化する心づもりのようだ。


「なんだ、来ないのか?」

「……行きますよ。ちょうど別の土地にでも行こうかと思っていたところだったので、好都合です」

「それなら良かった」

 呵々大笑とするドナートを横目に、ソフィアは首にかかったゴーグルをこつこつと叩いた。


 ――そうだ、別にこの土地に執着なんてない。この騎士団にも。



 ただ、



 ついていく人は、自分の意思で決めることにしている。



 くすくす、と。

 笑い声が聞こえた。いつもの声だ。

 ソフィアの気持ちを代弁するかのようだった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「――ただいま戻りました」


 団長室の扉側から聞こえた声に、顔を上げる。きびきびと動きながらも必要以上に音を立てない新米騎士とは対称的に、ドナートはどしどしと床を鳴らしている。ちょうど資料が纏め終わった時に参上するとは、……そういう技術だけは、伸びたのかもしれない。


 執拗にソフィアのゴーグルの謎――そんなもの、特段ありはしないのだが――を解き明かそうとしていた蜥蜴の娘だったが、主人の登場に、そのような些末なことなどすっかり頭から抜け落ちたようだ。「ようやく戻ったか!」と嬉しそうに飛んでいく。蜥蜴の姿に変身した彼女は、彼の肩の上で頭を撫でられ、ご満悦そうに尻尾をばたばたと忙しなく動かした。


「さて、それじゃあそろそろ、……鍛錬に参加してくるか」

「駄目です。団長は先に、本来の仕事を済ませてください」

 まとめられた資料の厚みに目を走らせるなり、くるりと踵を返そうとしたドナートの襟をむんずと掴んで捕まえた。


「貴方がたも、通常業務に戻るように」

 ルドヴィーコは苦笑を浮かべながら、「承知致しました」とやはり余計な動作ひとつせず、退室する。気の毒そうにドナートを見やる蜥蜴の姿が、閉まり行く扉の隙間から覗いた。

 この場から逃げる口実のひとつを失ったドナートは案の定と言うべきか、すっかり項垂れている。



「……まだ期日あるだろう?」

「期日間際に提出して問題が出ると、余計に長引きますよ」

 ゴーグルの縁に触れながら反論すると、渋々ながら椅子に座る。嫌だ、嫌だ、という思いがわかりやすく顔に出ている。


「まったく、俺の左腕は有能で助かる」

「自分でもそう思います」


 ぶすくれた顔から吐き出された嫌味交じりの言葉に真顔で頷いて、束ねた書類から一部を抜き取ると、問答無用で目の前に置く。うぐ、と呻き声が聞こえた。

 しばらく理由を付けて逃げようとしていたが、やがて観念したようだ。彼の手の中にあると少々小さく見えるペンを手に取った。

 きつく結ばれた口の端から時折漏れ出す声以外は、ペンが紙の上で動く音のみが響く、静かな空間が訪れる。

 彼の傍らに佇みながら、緩やかに流れる時を見つめた。


 あの町にいたら知り得なかった時間だ。

 いくつもの分岐点を、選んで、進んで、手に入れたものだ。

 ――それを、運命だとか、そんな言葉で括るつもりはない。

 拾って手元に置くだけの価値を見出されたのだ。そして自分は、それを証明してみせた。

 ただの運でここに立つわけではない。そんなものでしか立てない程、薄っぺらくはない。



「いい拾いモン、だったでしょう?」



 少しだけ悪戯っぽい微笑みを浮かべた。普段は浮かべない感情を見せる相手は、限られる。

 声質の変化を感じ取ったのか、ドナートがソフィアのいる方へ微かに顔を傾け、目を細める。


「ああ」浮かぶのは、同じ色だ。「思っていた以上に」



 おもしろい、と。

 続いた言葉に。目を瞑る。化け物と罵倒されても動かなかった心が、簡単に擽られる。その感覚に。




《――そふぃあ、たのしそ!》




 声が聞こえる。昔も、今も。変わらず。

 そうよ、と彼女は返す。彼と一緒なら、楽しいという感情を、知る。




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