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彼女が決めた大切なもの 前編

「ところで、前々から気になっていたんだが……」


 人型へと変化(へんげ)した蜥蜴の娘が、ソフィアの前で頬杖をついていた。主人(マスター)の上司だというのにも関わらず、その不遜な態度を崩しもしない。


 この場にいない彼女の主人はというと、ソフィアの上司でもあるドナートによって直々に手合せを受けている――ソフィアには鍛錬の一環だなんだと(のたま)いガハハと笑っていたが、あれは単なる書類仕事からの逃避だろうとあたりをつけている。丸い窓の隙間から漏れ聞こえてくる、心底楽しげな大笑いがその証拠だ――。


 机に広げた書類に素早く目を通しながら、「なんでしょう」とおざなりに返す。

 蜥蜴の娘は、紙に敷き詰められた文字を見るなり、うへえ、と嫌そうに顔を歪めていた。ドナートと通ずる部分がある。彼女に限らず魔界人全体の気質かもしれないが、こういった“行動の理由を(こしら)える”作業は明らかに苦手そうだった。

 書類に気を取られ一向に放たれることのない続きを促すようにトンと指で机を叩くと、「おお、そうだった」と蜥蜴はくるりとした目をソフィアに向けた。



「どうしてずっとゴーグルをしてるんだ? その目はそんなに見られたら困るものなのか? それとも目がでかい分、砂に弱いのか?」



 常識人であればソフィアの心中を“勝手に”慮り、おおよそ投げ掛けないであろう質問。

 現にこれまで、その質問を直接ソフィアにしてきた者などいなかった。


「別に、ただ気に入っているだけですよ。――ところで、貴方は主のところにいなくてもいいんですか?」

「近くにあの男がいるんだから、死ぬことはないだろ」

 体よく追い払おうとしたが、あえなく失敗する。確かに、と納得する部分もあったので、否定もできない。


「色がついている以外、見たところ特別な機能が備わっているわけでもなさそうだし……」

 何がそんなに彼女の好奇心を掻き立てるのか。金色の瞳がキラキラと光っている。そのうち、クルルル、という独特の鳴き声さえ聞こえてきそうである。


 しかしながら、言われてみると、このゴーグルを付け始めてから、もう随分と時が流れたことに気付く。

 最後の一枚に目を通し、修正項目を紙に書き出すと、広げた資料を集めて端を整えた。綺麗になった机を見、蜥蜴は「おおー」と感動したような声を上げる。大袈裟な。しかしなかなかにこそばゆくもある反応を見ながら、片手でゴーグルの縁に触れた。

 蜥蜴の素直な反応に、初めてドナートの仕事を手伝った時のことが思い出された。


 ――いや待て、その表現では明らかに美化されている。あれは手伝わされた、あるいはあんまりなやり方に手を出さずにはいられなかった、と言った方が正しい。


 ふ、と笑みが零れる。

 要するに、彼は昔から、彼であった。ソフィアが出会った時から、何も変わらない。



 それは、彼がこの土地に来るよりも、もっと前の話――。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「あっちに行け、こン化け物が!」


 投げ掛けられた言葉は、痛くなかった。

 投げつけられた石も、痛くはなかった。


 言葉は慣れた。石は、避けたら余計に相手の神経を逆撫でするようだから、当たっても痛くないように細工をした。例えば、“人の目”ではわからないように勢いを弱める、といった具合だ。彼女にはそれができた。最も、できたが故に、化け物と呼ばれているのだが。


 町の人間は噂する。

「あんな目をした化け物を産んだから、アレは捨てられたんだ」「いや、親は夜逃げしたんだろう?」「私はアレに呪い殺されたと聞いたが」

 真実は、誰も知らない。少女自身も、だ。その噂は決まって同じところに落ち着く。



「なんにせよ、迷惑な話だよ。あんなのを野放しにしていくだなんてさ」



 どの言葉も、少女の耳をただすり抜けていく。今更気にすることでもなかったからだ。

 化け物。そう呼ばれる理由を、彼女は知っていた。水に映る自分の目は、町行く人のソレとははっきり異なっていたからだ。青、緑、茶――そのような彩色が、欠如していた。ただただ白くぽっかり浮かぶ目。

 他の人間を見ていると、どうやらあれは、焦点を当てる先を示しているらしい。少女にはそれがない。なくても、見える。彼女の視界は、いつだって開けている。


 ソレが原因で、彼女は親から見放され――いや、厳密には見放されたのかどうかすら、定かではない――、他者から迫害を受けている。けれど、ソレがあるお蔭で、彼女は生き延びている。

 普通の目を持っていても、彼女は捨てられていたかもしれないし、迫害されていたのかもしれない。ならば、この目によってもたらされる全ては、特別なことではなかった。しかし、どうも他の者たちにとっては、認識が異なるらしい。



 そこまで考えたところで、彼女は思考を放棄し、瞼を閉じた。考えても仕方のないことに、あえて時間を使う必要性も無ければ、そんな暇も無かった。

 少女は、硬い豆を口に放り込んだ。先日、配給所にて身分を隠して受け取ったものだ。ガリゴリと音が鳴るそれは、とても美味しいとはいえないが、かといって不味いわけでもない。舌がこれに慣れている。


《――くる、よ》


 脳に直接響くように、“声”が聞こえた。彼女は、薄らと目を開く。

「おい」直後、呼び掛けと同時に、拳が眼前に迫った。続いた言葉は、寄越せ、だったか、それとも、いつもの呼び名だったか。どちらでも構わない。

 少女は素早く身体を反らして、攻撃をやり過ごす。そのまま後方へ回転しながら跳ぶ。両手を地面につけながら、足で相手の顎を狙った。鈍い悲鳴。重い音を立てながら、相手の身体が地面に沈んだ。

 薄汚れた格好をした少年、あるいは青年。おそらくは自分と同じ“階級”であろう男を、彼女は静かに見下ろした。金目のものがあれば頂いていくところだったが、どうもめぼしい物は無さそうだった。ならば、もう用は無い。

 姿なき存在に、頭の中で感謝を述べれば、どこからともなく、くすくす、と笑い声が響き渡る。


《――くるよ。くるよ》


 変わらないメッセージに、少女は微かに眉を寄せた。



「おお~! お前さん、なかなか強いじゃねえか!」



 突如として割って入ってきた大声に、びくりと肩を震わす。顔立ちからして、歳の頃は、足元で転がる男とそう大差ない。粗野な雰囲気まで同じ。体格は……目の前の男の方が、随分と大柄だ。

 しかし何より決定的に違うのは、その服装。この町の者であれば誰でも知っている、ハイドィル王国の騎士団が着用する制服。そして王国の紋が刻まれた腕章。

 悟り、判断する。今すぐ、逃げる必要がある。

 騎士団は何より厄介な敵だ。“国家の権限”を掲げられたら、こちらの立場など無いに等しい。


 相手の行動を注視しながら、右足を一歩後ろへ下げ、――しかし相手の動きは少女よりも早かった。


「おまえ、」長い腕がむんずと少女の首根っこを掴み、持ち上げた。「おもしろい目ぇしてんなあ。綺麗なもんだ!」


 思い掛けず同じ高さになった目線に、驚く。見えるのは純粋な好奇心。今まで見たこともない色。男は少女を掴む腕の角度を何度も変え、しきりに少女の目を覗き込んでくる。その度に漏れる、ほおー、へえー、という感嘆。

 なんなんだ、この男。少女は初めて戸惑い、しばし、もがくことすら忘れた。

 もうひとつの手が伸びてくる。我に返った少女は、慌てて反撃に転じた。自分を掴む太い腕を両手で掴むと、足で肺の辺りを狙う。

(風を!)

 “声”は少女の願いに応え、足に風を纏わせた。途端にグンと速度が増す。人ならざるモノの力を借りた鋭い攻撃は、常人であれば避けられない――誤算だったのは、彼が“常人”ではなかったことか。


「おっと」

 さして気の無さそうな声と共に、首を掴む手が外れたかと思うと、少女の身体は落下していた。着地と同時に体勢を整え、男と対峙する。

 振り切った足が相手の身体に触れた感触は無かった。案の定、男はピンピンとしている。

「いい動きをするな」

 ひゅう、と口笛を吹いた男は、攻撃された事実さえも可笑しそうであった。そうしてからようやく、少女の目以外に視線を走らせた。ふうん。呟くと同時に、また間合いを詰められる。

 目前に迫った男は、接近を感知し繰り出された少女の蹴りをいとも容易く掴むと、まるで世間話をするかのように、言葉を投げかけた。


「お前さん、家は?」


「…………」

 質問の意図を図りかね、沈黙する。その間にも掴まれた片足を逃そうとするが、上手くいかない。沈黙を何と取ったか、「よし決まりだ!」と呵々と笑った。


 突如として笑い出した男に、より一層、警戒心を募らせていたが――

「な、ちょ、離してください!」

 ――彼が少女の身体を小脇に抱えて歩き出した時には、そのような気持ちはすっかり吹き飛んだ。あまりにも、予想外の行動で。思わず素で抗議した。

「なんだ?」

 男はきょとりとしている。

「なんだ、じゃないですよ! どこに連れて行くつもりですか!」

「騎士団だ! 良い動きをするから、是非とも連れて帰る! おもしろい人材を見つけた。今日はとても良い日だ」

 満足げな顔で自己完結し、うんうん、と頷く男に、「はあ!?」とこれまで自分でも出したことがないような乱暴な声が漏れ出た。何を言っているんだ、この男は。本当に。本当に!


「私は、了解していません! こんなの、拉致です。犯罪です。騎士団が法を破るんですか」

「お前、ちっこいのに難しい言葉知ってんなぁ。将来有望だ、結構、結構」

 ひく、と口元が引き攣る。少女は、初めて、この世の中には“会話が成り立たない”人間がいるのだと思い知った。

 これまでだって謂れの無い暴言を吐かれることはあったが、今にして思えば、あんなのは序の口だった。意味を取り違えていたとしても、こちらの声は少なくとも届いてはいた。この男には、届いてすらいない。

 愕然としている少女を前に、男は「なんだ、何か問題があるか?」と未だに不思議そうな顔をしている。


「家も無いんだろう。見たところ、この町に愛着がある様子でも無ぇ。生きている場所に頓着が無いなら、この町じゃなくて、俺のとこにいたって良いだろう?」


 にかり、と彼は笑った。その笑顔があまりにもさっぱりとしていたから、つい毒気を抜かれた。

 抵抗しようとしていた四肢から、力が抜ける。あまりにも自分の中の“当たり前”が通用しない相手に、非常に疲れていた。その所為だ、と思う。



《――きたよ、きたよ!》



 声は未だに、頭の中で響いていた。少女の意思に反し、ひどく嬉しそうに。




お久し振りです(?)

後書きにちょろっと記載していた、本編に差し込めなかった団長&副団長のお話。

前中後の、3話構成です。明日、明後日と投稿します。

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