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「英雄だ!」
「我らが英雄、バンザーイ!」
「ハイドィル王国、バンザーイ!」
降りた瞬間にワッと上がった歓声に、ルドヴィーコは慄いた。なんだこれは。思わず口から漏れ出た困惑は、歓喜の声に掻き消される。
見れば駅のホームには、規制線が張られているらしく、ある一定の場所から先、民衆が入ってくる様子は無い。隔たれたこちら側とあちら側で、空気が違う気がする。主に、温度差が。
戸惑いに顔を引き攣らせたルドヴィーコであったが、思うところはあったようで、ひとつ、民衆に向かって頭を下げる。
「ジーノ、こっちへ」
ぐい、と腕を引かれる。その声に聞き覚えがあった。
「久し振りだな、バルトロ」
なんでここにいる。訊ねるよりも早く、駅に用意されていたらしい馬車に押し込められた。
「さて、これはいったいどういうことだ?」
目を細めたルドヴィーコに、まずこれを見ろ、とバルトロは新聞紙を一枚手渡す。薄っぺらい紙の端には、『号外!』とでかでかと書かれていた。
なんだこれ、とぱちくりしている内にルドヴィーコはさっさと全文に目を通したらしい。
「…………やられた」
蜥蜴の主人は、天を仰ぎ、目元を覆った。嘆きを如実に表している。
彼が急に体勢を変えたことで危うくころりと転がりかけたラウラは、慌ててひっしと肩を掴み直すと、改めて新聞の紙面に視線を落とした。
『我らが国を救った英雄、再誕!』
見出しで使われた単語からして、ルドヴィーコに関連していることだというのはよくわかった。しかし、……英雄? そんなもの、今回の騒動の中でいただろうか。首を傾げてしまうが。
そのまま小見出しを流し読みしていく。
『白銀の龍、再び英雄の元に降り立つ』
『迫り来る危機。勇気ある選択』
『学園時代の約束を胸に、彼は剣を取った』
「……ん?」
違和感を覚えた。
視線を戻す。
『学園時代の約束を胸に、彼は剣を取った』
「んん?」
くてん、と首を傾げる。理解不能な文面だ。学園時代の約束? 誰と? バルトロか、それともコレットか? 記事になるような約束なんてしたか?
疑問に思い、内容を読む。
「……おう?」
更にわからなくなった。
『氏は、奇しくもジャンカルロ殿下と同学年。かつての英雄と陛下が良き友人であったように、お二人もまた良き友人、ライバルとして切磋琢磨された仲である。学園をご卒業される際には、お二人は我が国の将来のため、各々の道を歩まれることを互いに誓い合った。今回、氏が、強い気持ちを持って脅威に立ち向かい、果敢に剣を振るった根底には、殿下との強い友情が隠されているのだろう──』
「友情が隠れているのか?」
「いるわけない」
ルドヴィーコは未だに天を仰いだままだ。
『英雄の剣は、友たる殿下に、そしてハイドィル王国に捧げられている』
「捧げられているのか?」
「……騎士団にいるってことは、まあ間接的には」
でもあの人に捧げた剣は無いんだけどな今のところは、と悪態を吐く。
「これで二連敗だ」
「試合に勝って勝負に負けた?」
「そんな感じ」
いつぞやと同じだな、と静かに息を吐いたルドヴィーコは、気怠げに視線のみ動かし、バルトロを見据えた。
「お前、一枚噛んでるだろ」
「バレたか」
「バレるだろ。いくらなんでも情報が回るのが早過ぎる」
魔獣の進行が止まって、まだそう時は経っていない。団長から国に連絡が入っているにしても、民衆に広く知れ渡るような時間は──商人の人脈によって、急速に、かつ意図的に広めない限り、無理だ。
情報の拡散率が増した理由のひとつには、記事の中に当事者でなければ知り得ないようなこと──正確には、“そう思えること”、か──が織り込まれていた背景もあるのだろう。なるほど、何も知らない者がこれだけを読んだら、信憑性がある、と判断するかもしれない。話題性の強い情報は、人の警戒心を緩ませ、拡散を加速させる。
真実の中に嘘が混ざっていたところで、いったい誰がそれに気付けるだろう。厄介なのは、ジャンカルロとの『学園時代の約束』とやらは、見る人によっては『本当』でもあることだ──あの卒業の日、あそこから全て計画済みだったのだろうか。だとしたら、“してやられた”。
「悪いな、でも俺だって殿下に反抗するのは流石に肝が冷えるっつーか、……ガチで命懸けだろ?」
縁側生活が遠退く、と彼は嘯いたが、ことこの件に関しては、巻き込まれた時点で望む未来は遠退いているだろう。噂の発信源として渦中に居座る限り、安寧は程遠い。
商人魂が疼いたか、あるいは──危険を冒してでも噂をコントロールする側に回ることで、ルドヴィーコのフォローに入ったつもりなのか。
意図を見据えようと瞳の奥を探るが、彼はちらとも本心を出さない。徹底している。
ある意味で、それが答えか。
「──後悔してるか?」
ルドヴィーコが探るように訊いた。
主語無き質問に、だがバルトロは即座に「してるね!」と反応した。
「俺は荒事は苦手なんだよ、剣も魔法もロクな技術持ってないことは、お前さんが一番よく知ってんだろ? 出し惜しみとかじゃなくてな、マジで命の危機なわけよ。怖ぇだろ、畜生。けどな……」
言葉を詰まらせた彼は、一度大きく息を吸った。
「ジーノの友人を名乗れることは、誇りに思う」
「英雄だから?」
「おお、まさに! 学園時代の写真とか、売ったら金になりそうだよな〜」
悪戯混じりに囁けば、バルトロはほくほく顔でにんまり笑った。
「だからこの先も生き抜けよ、ジーノ。俺より早く死んだら、『故人を悼む』とか言って写真集やら売り捌くからな」
「……それは嫌だな」
「だろ?」
最高の嫌がらせだ。
嘯くバルトロに、ありがとう、と囁いたルドヴィーコの声は、ガタリと揺れた馬車の音で掻き消えた。消えた音を繕うこともなく、彼は厚地の布で覆われた窓を、端からちらりと覗く。
「この馬車、どこに向かってる?」
「王城だ。陛下と殿下と、英雄を一目見ようと押し掛けた民衆が、お前を心待ちにしている」
「そうか」声は、あくまで穏やかだった。「駅から王城までなら、到着まであと少しか」
シンと静まった中、「そうだ、もうひとつジーノに伝えることがあった」とバルトロがポンと手を打つ。
「今回の詫びにほら、これやるよ」
無造作に放り投げられた物を、片手で受け取る。
「魔銃?」
軽く空中で回転させながらグリップを握り直すと、トリガーに指を掛ける。なかなかに様になっている。
しかし何故、銃なのか。
「この前商人を紹介したろ。魔銃を扱う奴がいるってんで、熱が入ったようでな、勝手に作りやがった」
前回購入した際に、えらく改造を勧められたことを思い出す。確かにこの特殊武器を扱う人間など少ないだろうから、貴重な機会だったのだろうが、それにしたって。
「お前、空に向かってぶっ放してんだろ? また酔狂な」
「その情報も渡ってるのか」
ルドヴィーコと同じように、ラウラも驚き目を見開く。いったい誰がどの情報を横に流しているのだろう。情報が渡る先が味方だからまだ良いにせよ、敵である可能性も十分高いのだ。やはりどこにいても警戒心を忘れるものではないな、と意識を新たに持つ。
「どうせぶっ放すならこれにしろ、とさ」
「……何が違うんだ?」
「銃弾じゃなくてな、花火が打ち上がる」
「は!?」
どんな機能だ、それは。
使い所が無さそうな機能に、思わずチロリと舌を出す。そんな銃、ルドヴィーコくらいだろう、使うのは。完全に専用武器──これを果たして武器と呼ぶのか、無駄によくできた玩具と呼ぶのか、判断に困るところだが──になってしまっている。断ったら破棄されるだけだ、と言われては、受け取らないわけにもいかない。
ただこの銃、欠陥があってなあ。
困ったように頬を掻いたバルトロに、続きを促す。
「いや、なんかな……そっちの構造凝りすぎて、普通の銃弾撃てないんだと。ま、それは別の銃があるからいいだろ?」
「ああ、あれな……」ルドヴィーコはバツが悪そうにそっと目を逸らす。「ちょっと前に、壊れた」
壊れたというか、壊したというか。致し方なかったとはいえ、身代わりにしたのはルドヴィーコの意思によるものだ。
「は!? 嘘だろ、あれかなり丈夫なはずだぞ!」
「確かに丈夫だった。魔界人の一撃を受け止めたくらいだからな」
神妙な顔で頷く。バルトロは信じられないと首を左右に振りながら、「どんな使い方だ。まあそれで怪我しなかったならいい、けどよ」と半ば諦めたように唸った。
「はー、ならそっちも作るか?」
算段を付けるべく通信機を取り出したバルトロを──はて、以前は学園のものを使っていたが。仕事が増えるにつれ、彼もとうとう自前の端末を持つようになったのか、もしくはジャンカルロからの賄賂、もとい支給品か──、ルドヴィーコが止めた。
「いいよ。これがあれば十分だ」
「……そうか?」
ならいいけど。と、手に持った通信機を持て余すように揺らす。
がく、と音を立て、馬車が止まる。目的地に到着したようだ。
「着いたな。良い役者になれよー」
「まあ、できる範囲で」
苦笑しながら、扉に手を掛ける。その背中にバルトロが話し掛ける。
「また落ち着いたら遊びに来いよ」
少しの間を置いてから、「もちろん」と答える。
「それまでに死ぬなよ」
「そっちこそ」
どちらからともなく、拳を突き出し、当てる。──これからの、互いの幸運を祈る。そんな想いを込めた。
馬車を降りたところで、ラウラは肩の上から、ルドヴィーコの横顔を眺めた。
「いいのか?」
「何が?」
「……英雄は嫌なんだろ?」
彼は、横目でラウラを見た。
「そうだな、もっと嫌になると思ってた。それか、無気力になるか。──でも不思議なことに、今は……割とどうでもいい」
それは無気力とは同じではなかろうか。理解ができずに首を捻るラウラの思考を止めるように、ルドヴィーコの指先が、蜥蜴の額をこつりと叩いた。
「どちらにしても、ラウラは、俺の傍にいてくれるんだろう?」
考える前に、口を開く。
「ああ、もちろん」
彼は、笑った。
「──なら、平気だ」
人の集団が遠目で見えてくる。こちらへ、と騎士団を着込んだ男性が──城付きの騎士団だろうか──ルドヴィーコを誘導する。国境付近にある騎士団とはまるっきり違う洗練された所作に口調。やろうと思えばルドヴィーコもできるのだろうな、と学園時代に彼が付けていた仮面を思い出す。
けれど。
国境にいる時のような、そこにいる人に、王都の友人に、何よりラウラに対する時のような、心の底から染み出してくるような温かい表情の方が、ラウラは好きだ。
──ああ、もちろん。そうだとも。
彼が彼らしく在れるなら、英雄でも、一介の騎士団員でも、なんの肩書きを持たなくても、なんだっていい。自分が、その隣に立ちたい。
親愛を示すように、蜥蜴は首筋をチロチロと擽る。
擽ったいよ、と文句を言いながら、ルドヴィーコは壇上に向かって歩いていく。
彼が舞台袖から身を覗かせると、格別大きな歓声が周囲に広がった。
魔銃を上に向ける。まず一発。
ドンと大きな音を立てて、空で弾けた大輪の花を見た者が、おお、と心を震わせた。吐息に似た声が重なり、大きなひとつの息となる。
いつかそれは、訪れし平穏の証として語られるのか。滑稽な。彼は英雄ではないのに。
もう一発、打ち上げる。
ルドヴィーコの魔力によって織り成す花。
──悪くないだろ。
まるでラウラにそう語り掛けるように、ルドヴィーコが蜥蜴の鼻先に指で触れた。
──うん。悪くない。
蜥蜴はちろりと舌を出し、それに応える。
火薬のにおいが漂ってきた。火薬など使っていないはずなのに。どこまで本物の花火に近付けたのだろうか、音にしたって、なんにしたって、芸が細かい。
焦げ臭いにおいが、辺りに充満している。屋根も無く開放的な空間だというのに、そのにおいは霧散してくれない。
ものが燃えた証だ。ラウラにとっては好ましくないはずのにおいだったのに、今漂っているソレは違った。
(ああ、参った……)
悪くない? とんでもない。
──これは、とても、綺麗だ。
蜥蜴はぐぐっと頭を持ち上げ、空に花開いたソレを、言葉も無く眺めた。
隣で、彼女の主人もまた、黙って空を見上げていた。
全てが作られた状況だとしても。
今、信頼できる相棒と並んで空を見上げ、心を共にしていることは、間違いなく自分たちの手で得た宝物だった。
亀ノロ走行、力量不足もありましたが、最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございます!
ここまで辿り着けましたのも、皆様のお陰です。
どうか少しでも楽しんで頂けておりましたら、嬉しい限りです。
▼あとがき(活動報告にて)
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